109・時の人 上
一年。それがこの世界、イスミンスールに残された時間である――と、女神スクルドは語った。
イスミンスールの一年は、三百六十日で一周期となる。
九日で一週間。四週間で一ヵ月。十ヵ月で一年。そして、十ヵ月のそれぞれには、世界樹の生長になぞらえた名前がある。
順番に――
種の月。
双葉の月。
三つ葉の月。
四つ葉の月。
若木の月。
大樹の月。
蕾の月。
開花の月。
散花の月。
実りの月。
これら十ヵ月で、イスミンスールの一年となる。
閏年といったものはなく、周期は常に一定――と、地球のそれよりよほどかっちりとした暦だ。補足すると、月の満ち欠けすら一定であり、月初めに新月で月齢零。第三週のはじめに満月で月齢十九となる。
ここまでくると、長い年月をかけ、試行錯誤の末にあの形に落ち着いた地球の暦に慣れ親しんだ者は、むしろ違和感を覚えるかもしれない。
いくらなんでも無駄がなさすぎる。まるで、暦を先に用意しておいて、それに合わせて世界の環境を整えたかのようだ――と。
この違和感は、あながち間違いとも言い切れない。なぜならイスミンスールは、海も、大地も、太陽や月すらも、神である世界樹が創ったとされている世界なのだ。
一切の無駄を省いた、神が用意した暦。イスミンスールの人類は、日々それに従って生きている。
ちなみに今日は『開化の月・第三週・ユグドラシルの日』だ。
つまり、満月の日である。
週の初めでしかも満月。そんな日に、人が特別を見出したくなるのは必然だ。今日は【厄災】以前から全種族共通で縁起が良いとされている日。つまりは吉日である。
特に『愛』を確かめるならこの日だ――と、イスミンスールの誰もが口を揃えるという。
仕事を休んで家族との団欒を楽しんだり、伴侶や恋人と愛を語らいながら、ゆっくりと時を過ごすのが良いとされている。特別な理由がない限り、結婚式はこの日に挙げるのが常だとか。
月の魔力に当てられて、誰もがついつい開放的に。なんだか素敵な出会いの予感。気になるあの子に愛の告白を。大人の階段上っちゃう?
そんな、多くの人が愛を確かめる特別な日に、どこにでもいる普通の中学生、叉鬼狩夜は――
「いくよ、レイラ!」
「……(コクコク)」
相棒であるマンドラゴラのレイラと共に、早朝からとある森の奥地で主狩りに勤しんでいた。
●
「すみません。依頼を達成しましたので、確認をお願いします」
この言葉と同時に、開拓者ギルドのカウンターに【素材採集】の依頼カードと、大玉スイカぐらいありそうな百足型の魔物の頭部を乗せる狩夜。
直後、小柄な風の民の受付嬢が上げた「ひゃいぃ!?」という引き攣った声と、開拓者と開拓者志望の者たちが上げた「おお~!」という感嘆の声が、酒場然としたギルドの中に響く。
レイラの力を少しだけ借りつつも、ほぼ自分の力だけで主を打倒した狩夜は、次なる獲物の情報を求め、ウルズ王国の都・ウルザブルンの開拓者ギルドへとやってきていた。そして、ついでとばかりにこなしたクエストの報酬を受け取っているところである。
今にも動き出しそうな主の首級に「か、確認いたしますのでぇ、少々お待ちくださいぃ……」と、恐る恐る手を伸ばす受付嬢。そして、人差し指が触れると同時に〔鑑定〕スキルを発動させ、即座に手を引込めながら口を動かした。
「えっとぉ、アーマー・センチピードで間違いないですぅ。カリヤ・マタギ様【素材採集】の依頼達成ですぅ」
アーマー・センチピード。鉱物資源が非常に乏しいユグドラシル大陸において、防具や農具の素材として重宝される、百足型の魔物である。
金属並みの硬度を誇る外骨格に全身が覆われた、ユグドラシル大陸において指折りの防御力を持つ魔物。その対処方法は、マナを含んだ水をかけて防御力を下げた後、弱点である頭部を叩き潰す――というのがセオリーだ。動きは鈍重なので、これさえ守れば一般人でも倒すのは難しくない。もっとも、これは平均的なサイズのアーマー・センチピードが相手の場合である。
狩夜が仕留めたアーマー・センチピードは、主化した特別な個体。そのサイズは平均値のおおよそ十倍。素材を求めて森の奥地へと足を踏み入れた開拓者たちを幾人も返り討ちにしてきた、森の装甲戦車とでもいうべき存在である。この主に友人や家族を殺された者は少なくない。
そんな憎っくき主を見事打倒した狩夜に、この数日で顔見知りになった開拓者たちが「カリヤ君、ありがとう!」「これであの辺りも安全になるよ!」と心からの謝辞を述べた。
腕利きの開拓者がユグドラシル大陸から出払い、人手不足が懸念される中、颯爽と現れたニューヒーロー。木精霊ドリアードの化身と噂される魔物と共に、次々に主を屠っていく期待の新星。
新たな英雄足りえる開拓者の登場に、人々は沸き立ち、もろ手を挙げて歓迎した。狩夜は一躍時の人。今やウルザブルンは、狩夜とレイラの話題でもちきりである。
中には狩夜の成功と功績を妬み「っけ! いい気になんじゃねーぞ!」と、イラついた様子で唾を吐く者もいたが、今日もおおむね好印象。ギルド内にいる大多数の者が歓声を上げていた。