107・第二章エピローグ そして兄は走り出す 下
声が聞こえた方向に狩夜が顔を向けると、黒い羽毛の翼を持つ、ガラの悪い風貌をした風の民三人組が、ニヤニヤ笑いながら狩夜に近づいてくる。
「へっへっへ、見つけたぜガキ~。探したぜ~」
真ん中を歩いているリーダーと思しき男が、狩夜を見下ろしながら口を動かした。狩夜は、その男の右肩にとまる鳥型の魔物、ダークロウを見つめながら言葉を返す。
「お兄さんたち、開拓者ですか?」
「おうともよ! ウルザブルンの陰の実力者、パーティ『荒野の三羽烏』たぁ、俺たちのことよ!」
「はぁ……三馬鹿さんですか……」
「三馬鹿じゃねぇ! 三羽烏だ!」
「このガキ、人が気にしていることを……!」
狩夜が牽制代わりにと放った軽口に、取り巻き二人がにわかに殺気立つ。が、正直まったく怖くない。聖獣やレイラ、精霊解放軍の幹部たちと比べれば、毛ほどの圧も感じられはしなかった。
怯えた風もなく、狩夜は真顔で言葉を返す。
「で、僕に何か用ですか? カラスのお兄さん?」
「っけ、てめぇみたいなガキに用なんてあるかよ。俺たちが用があるのは、てめぇの腰にぶら下がってる金属装備よ!」
「はぁ」
どうやら目の前の三人組は、狩夜が所持するマタギ鉈に御執心らしい。
「結構前にてめぇが開拓者ギルドに顔を出したときから、そいつに目ぇつけてたのよ。そんな立派な武器、おめぇみたいな無名のガキには勿体ねぇ。あんときゃあフローグの奴が町にいやがったから見逃したがよ、もうあいつはここにはいねぇ、我慢する必要もねぇってわけだ」
「ああ、どこかで見たことあるなぁ――とは思ってたんですけど、あのときギルドにいた開拓者の一人ですか」
「そういうこった。痛い目に遭いたくなかったら、大人しく――」
「ちょ!? 勝手に触らないでください!」
舌なめずりをしながら伸ばされたカラス男の右手を、狩夜はマタギ鉈に届く前に叩き落とす。咄嗟に放った狩夜の手刀がカラス男の上腕に命中し、鈍い音がウルザブルンの一角に響き渡った。
その直後――
「いってぇぇえぇぇえぇ!!??」
と、カラス男が狩夜の手刀が当たった場所を左手で押さえながら、なんとも大袈裟に喚き散らした。盛大に顔を歪め、今にも地面を転げ回りそうな様相である。突然の事態に、狩夜は呆けたような顔で「ほえ?」と声を漏らした。
「あ、こいつ、先に手を出しやがったぞ! 大丈夫ですか兄貴!?」
「ああ、ああ。こりゃ折れてるなぁ。こいつは腰の金属装備だけじゃなくて、治療費もいただかねぇとなぁ?」
なんともありきたりな方法で因縁をつけてくる三人組。それに対し、狩夜は――
「え? この流れ……喧嘩? 喧嘩ですか? 因縁つけられて喧嘩っていうパターンのやつですか!?」
と、呆け顔を一変させ、目を輝かせる。
そんな狩夜の反応が予想外だったのか、取り巻き二人は怪訝な顔を浮かべ、こう口を動かした。
「な、何で嬉しそうなんだよ?」
「俺らの兄貴はスゲーんだぞ? サウザンド目前の開拓者なんだ。俺たちだって、そこそこ場数を踏んだ――」
「へぇ……お兄さんたち、それなりに強いんですね? それは好都合です。個人的な理由があって、今すぐしたかったんですよね、喧嘩。お兄さんたちがしてくれるって言うなら、願ったり叶ったりです」
そう言って笑いながら、狩夜は自らの心の内を吐露する。
迷いの森での一件。あれも喧嘩と言えなくもなかったが、狩夜が思い描く喧嘩とはほど遠いやり取り、そして結末であった。あれは口喧嘩でも、どつきあいの喧嘩でもない。狩夜が好き勝手喚き散らして、レイラが寛大な精神でそれを受け入れてくれただけである。
そもそも、レイラと狩夜がまともな喧嘩をするなど、前提からして無理がある。喋ることのできないレイラと口喧嘩が成立するはずもなく、どつきあいの喧嘩なんてしたら、狩夜は二秒で負ける自信があった。
どつきあいの喧嘩もできない圧倒的な力の差。弱い、弱い、弱すぎる。叉鬼狩夜という凡人の、なんと無力なことだろう。
本音をぶつけ、すべてを許し、契約を結んだことで、対等の関係にはなれたと思うが、両者の間には、あまりにも大きな力の壁が、依然として立ちふさがっている。
その事実が、否応なく狩夜を不安にさせた。
――今の自分は、いったいどれほどの強さを有しているのだろう?
度胸はついたと思う。それなりに強くもなったとも思う。だがやはり、実際に試してみなければわからない。そして、模擬戦の相手がレイラでは、力の差があり過ぎて、いまいち参考にならない。むしろ、強くなればなるほど、その背中が遠のいていく気さえする。
もっと、近しいレベルの相手が必要だ。
相手も開拓者で、喧嘩慣れしてそうな荒くれ者というのならば都合がいい。今どれだけできるか試してやる。いざとなればレイラに止めてもらえばいい。多少の怪我もすぐに治せるし、問題ないだろう。
「ここじゃあ通行人の邪魔になりそうですから、別の場所にいきましょうか」
そう言って、三人を先導するように歩きだす狩夜。そんな狩夜の言動に混迷の度合いを深めながらも、取り巻き二人はこう口を動かす。
「お、おう……望むところだ……」
「兄貴、いきましょう……兄貴?」
「いてぇ! いてぇよぉちくしょぉぉおぉ!!」
「ちょ、ちょっと兄貴、大袈裟に痛がり過ぎですって!?」
「そ、そうですよ! もう痛がるふりなんてする必要――」
ここで、取り巻き二人は言葉を止め、両の目を見開いた。彼らの視線の先には、上腕の半ばで不自然に折れ曲がる、カラス男の右腕がある。
「あ、あそこの路地裏とか――」
「「失礼しましたーーーー!!」」
「どうですかって、あれ?」
狩夜が路地裏を指さしながら振り返ると、ちょうど取り巻き二人がカラス男を抱えて逃げ出すところであった。
そんな三人組の背中を見つめながら、狩夜はこう叫ぶ。
「ちょ、ちょっと!? 喧嘩するんじゃなかったんですか!? そっちから因縁ふっかけといて――って、ああ、いっちゃった……」
三人組の姿が見えなくなると同時に深く肩を落とし「また喧嘩できなかったなぁ……今の力を試してみたかったなぁ……」と、狩夜は小声で呟く。
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叉鬼狩夜 残SP・21
基礎能力向上回数・302回
『筋力UP・80回』
『敏捷UP・102回』
『体力UP・80回』
『精神UP・40回』
習得スキル
〔ユグドラシル言語〕
加護
〔女神スクルドの加護・Lv1〕
全能力・微上昇。状態異常『呪』無効化。
獲得合計SP・46774
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気を取り直し、再び開拓者ギルドに向かって歩きだす狩夜。そして、一連のやり取りを大人しく見守っていた相棒を一瞥し、言う。
「もっともっと強くなって、どつきあいの喧嘩がレイラと気兼ねなくできるぐらいにならないとね」
「……(フルフル!)」
狩夜の言葉に「私は狩夜と喧嘩したくない~!」と言いたげに頭を振るレイラ。そんなレイラに、狩夜は苦笑いを浮かべる。
「いいだろそれくらい。僕は君と喧嘩ができるようになりたいんだよ。本当の友達っていうのは、喧嘩と仲直りを繰り返して、少しずつなっていくもんなんだ。それに、それくらい強くならないと、聖獣には勝てないだろ?」
「……(フルフル!)」
「それとこれとは話が別だ~!」と、再度激しく頭を振るレイラ。狩夜は困ったように肩を竦め、次いで真っ直ぐに前を見据える。
狩夜に必要なものは『妹の病気を治す薬』。そして、その薬を妹の元に届けるための『元の世界に帰還する方法』。この二つである。
前者はすでに手に入れたも同然だ。約束の対価を支払った後、妹の病気はレイラが当然のように直してくれるに違いない。手段が多いに越したことはないだろうが、レイラさえ守り抜けば、薬の方は大丈夫だ。
かつて血眼になって探した万病を癒す薬。それが、祖父の家の裏庭に生えていたとは驚きである。まるで童話の『青い鳥』だ。
薬は既にある。よって狩夜に必要なのは、元の世界に帰還する方法だ。
そして、その方法もすでに見つかっている。
世界樹だ。
聖獣を倒し、世界樹を救いさえすれば、元の世界に帰還するという狩夜の願いは叶う。聖域に向かう道中で、スクルドは確かにそう言った。
狩夜をこの世界に引きずり込んだレイラにも直接たずねてはみたが、世界樹の種では異世界転移は不可能らしい。地球から狩夜を連れてイスミンスールに転移できたのは、メッセージと共に世界樹の種に込められていた、一回限りの力を使ったからだそうだ。
レイラの本当の目的を達成するためにも、狩夜が元の世界に帰還するためにも、そして、この世界の崩壊を防ぐためにも、狩夜とレイラは、なんとしてでも聖獣を打倒し、世界樹を守らなければならない。
そのためには力が不可欠。強くなるためならば、どんなことでもする覚悟が、今の狩夜にはある。しかし――
「妹には怒られちゃうかな……」
遠い故郷で今も病気と闘っているであろう妹を思い、狩夜は再度苦笑する。次いで、あの日のことを――命を懸けて薬を取りに行くと言った兄に妹が返した、優しい言葉を思い出す。
『ありがとうお兄ちゃん。でも、私のために危ないことしないでね? お兄ちゃんが痛かったり、苦しかったりしたら嫌だよ、私』
「ごめん、咲夜。僕、君のために危ないことをするよ」
こうして、兄は再び走り出す。
情熱を取り戻し、兄は少し大人びた子供になった。