104・喧嘩 上
いい奴だということは、すぐにわかった。
相性が凄くいいことも、すぐにわかった。
気遣ってくれるし、優しくしてくれる。色々と助けてくれるし、基本的には指示通り動いてくれる。
名前を呼んだだけでこちらの意図を理解してくれた。何度も命を助けてくれた。
何より、狩夜を異世界に引きずり込んだことに対して「申し訳ないことをしたな……」と、思ってくれていた。
だから、こうして今までやってこれた。不平不満を心の奥底に押し込めて、一緒にいることができていた。
なんとなくだがわかるのだ。レイラのことは。
ゆえに、狩夜は知っている。女神であるウルドも、スクルドも知らないであろうレイラの秘密を、狩夜だけが知っている。
レイラは、イスミンスールを救うこと以外にも、何か別の――【本当の目的】があって動いている。
そして、イスミンスールを救うことは、その目的をレイラが達成するための手段でしかない。
叉鬼狩夜という、どこにでもいる普通の中学生が必要になるのは本当の目的の方だ。その目的を達成するためには、狩夜の存在が必要不可欠なのだ。
だからレイラは、申し訳ないと思いつつも、狩夜を異世界に引きずり込んだ。
だからレイラは、足手まといと知りつつも、狩夜と行動を共にし、体を張って守り続ける。
別の目的があって、手段として世界を救済する。そのことに対して文句を言うつもりはない。むしろ共感するし、親しみが湧くくらいだ。「力を持つ者が世界を救うのは当然のこと! 報酬なんていらないさ!」とかのたまう奴を、狩夜は信用しないし、仲良くなれるとは思わない。
世界を救うなんて理由じゃ戦えない。無償で命を張る道理はない。それは、狩夜もレイラもかわらない。
本当の目的とやらの詳細までは流石にわからないが、それを目指してせいぜい頑張ればいいと思う。世界の救済が手段な時点で、さぞ壮大な目的なのだろう。理想を掲げて勝手に邁進してくれればいい。気の合う相手だ、応援ぐらいしよう。応援だけならタダだ。
だから、そのことを責めるつもりはない。狩夜のせいで負けた今回の戦いについても、責めるつもりはない。
だが、事前通達なしに狩夜を異世界に引きずり込んだことは別だ。大いに文句があるし、納得なんてできるわけがない。正直怒り心頭だ。
レイラにも理由と目的があった? それはわかるが、狩夜には関係ない。
狩夜じゃなきゃダメだった? それはわかるが、狩夜にも家族がいて、日々の生活がある。
勝手に期待して、無理矢理連れてくるんじゃない。こっちの都合も考えろ。
同意なんざしていない。事後承諾もしていない。異世界にいきたかったわけじゃない。
叉鬼狩夜は、自身を異世界に引きずり込んだ化け物のことを、微塵も、些かも、これっぽっちも、まるで、全く、全然、毛ほどにも――許してなんかいない。
本当は、ずっと文句を言いたかったのだ。それこそ、両手で首を締め上げてやりたいほどに。だが、狩夜が異世界で生きていくには、レイラの力が必要だった。見捨てられたら生きていけないと思った。信仰する精霊に姿を重ねる木の民や、救世の希望と慕う女神の前で、感情のまま非難するのも気が引けた。
いや、これすらも言い訳だ。今必要なのは本音である。叉鬼狩夜の本音を、本心をさらけ出せ。
そう、狩夜は――怖かったのだ。
マンドラゴラという、未知の生物が。その身に宿す、圧倒的な力が。機嫌を損ねた瞬間殺されるかもしれないという、最悪の結末が。どうしようもなく怖かった。
傍から見たら対等の関係に見えたかもしれない。仲のいい友達に見えたかもしれない。狩夜の方が上に見えたかもしれない。
だけど、違う。心の奥底には、常にレイラに対する恐怖があった。その圧倒的な力に、狩夜の魂が屈服してた。
対等じゃなかった。友達じゃなかった。狩夜の方が下だった。
一緒に戦った。頭を撫でた。ふざけ合った。一緒に眠った。額をぶつけ合った。一緒に馬鹿をした。小突いたりもした。頭ごなしに命令だってした。対等の関係に見えるよう振る舞った。
全部、レイラが望んだからしたことだ。そうすれば喜んでくれることがわかるから、機嫌を損ねたくなかったからしただけだ。
その関係を終わらせる。もうおべっかはたくさんだ。
「なんで僕をこんな世界に連れてきやがった! この奇形人参!」
この言葉を皮切りに、狩夜の口から次々に本音が飛び出してくる。
もう、すべてを出し切るまでは止まれない。
レイラが泣きそうな顔をしているが知ったことか。泣きたいのはこっちなんだ。後のことなんて気にしない。どうにでもなれ。
一度の喧嘩で終わるような関係なら、狩夜とレイラはそこまでなんだ。これ以上先になんて進めない。この世界と一緒に死ねばいい。
「人間一人いなくなっても、世界は何も変わらない――そう思ったのか!? どこにでもいる普通の人間なんだから、別にいいよね――とでも考えやがったのか!?」
「……」
「ああ、そうだよ! 僕は生まれてこの方、何一つ成し遂げちゃいない人間だ! 世界に惜しまれるような男じゃない! いなくなっても世界は何も変わらない!」
「……」
「努力はした! したんだ! やりたいことがあったから! 成し遂げたいことがあったから! 友達にドン引きされて、教室の中で孤立して、後ろ指刺されるくらい努力したんだ! いいかよく聞け、神様公認のチート野郎! 地球って世界には人間が溢れかえってて、何をするにも競争なんだ! そんな世界で、僕みたいな凡人が特別なことを成し遂げるためには、並大抵の努力じゃだめなんだよ!」
「……」
「努力ってのは辛いんだよ! 苦しいだよ! そんでもって報われるかどうかもわかりゃしないんだ! でも耐えられた! 目的のためならと頑張った! 僕にはこれしかないって必死に努力して、努力して、努力して、努力して、ようやく一区切りってところで待ったがかかった! 目的の方からもうやめろって、もう頑張るなって言われたよ! どうしてそうなったかわかるか!? 二束三文の規格外野菜!」
「……」
「僕の努力は泥臭かったんだよ! 水鳥みたいに優雅にはいかなかった! 見るに見兼ねるほどだった、本人よりも見ている方が辛かったんだ! だから取り上げられた! そんな人間だよ! 僕は努力を取り上げられた凡人さ! 上なんて狙えない! 先なんて見えてる! 夢も希望もありゃしねえ!」
「……」
「そんな僕が何になれるってんだ!? どうしろってんだ!? 楽しむのが目的で部活やれってか!? 野球やサッカーやれってか!? できるかそんなこと! 田舎の学校の野球部やサッカー部にだって、本気の奴はいるんだ! 必死に努力してプロを目指してる熱い奴がいるんだ! 僕みたいな半端者なんて、そいつらの邪魔になるだけだろうが!」
「……」
「だからって、そいつらに向かって『無駄なことしてるな』なんて言えなかった! 冷めた目でなんて見れなかった! 自分の努力が報われなかったからって、他人の努力を否定するような人間に僕はなれなかったんだ! 必死に頑張ってる時に言われる心無い一言が、どれほど人を傷つけ打ちのめすのかわかるか!? 言葉には力があるんだ! 僕は誰よりもそれを知っている!」
「……」
「上にも下にもいけないなら、残るのは真ん中さ! 普通になるしかないだろう!? 長所は短所がないところ、短所は長所がないところ、なりたい職業は正社員、趣味特技はありません! 見ろやこのプロフィール! これが叉鬼狩夜って人間だ! 誰かに期待されるような命じゃねぇ! そんな命を異世界で有効利用しようってか!? そんな君を私が変えてあげるってか!? 余計なお世話だ馬鹿にするな!」
「……」
「ふざけんじゃねぇぞ吸血牛蒡! 僕は普通でよかったんだ! 部活で頑張ってる友達の掃除当番を代わって! 休日に近所のお爺さんの畑仕事を手伝って、ありがとうって言ってもらえれば僕は満足だったんだ! プロの世界で活躍している人や、オリンピック選手をなんとなく応援して、輝いている人のお裾分けで充実感に浸れればそれでよかったんだ!」
「……」
「他にいただろうが!? 過労死寸前リーマンとか! 世の中に絶望してるヒキニートとか! 嬉々として異世界にいってくれそうな、人生のやり直しを望んでる奴らがいくらでも! そいつらがお前を使って、使い潰して、理想の国だの、ハーレムだのを造ってくれるだろうさ!」
「……」
「要らねぇんだよそんなもん! 僕は普通でいたかったんだ! 普通を馬鹿にするな! それがどれだけ尊いものかわかってんのか!? 普通を守ることが人生のすべてになっちゃう僕みたいな人間や、その普通にすらなれなかった妹みたいな人間が、世の中にはいるんだ!」
「……」
「それを奪い取りやがって! 掠め取りやがって! ぶち壊しにしやがって! お前が憎いぞ徘徊大根! お前が一方的に強奪しやがった普通はなぁ、妹が僕にくれた特別だったんだ!」
「……」
「お前がいつのまにか居座ってる場所だって、本当は妹の場所なんだ! 僕の相棒は妹なんだよ! 僕を無敵にするのは妹であってお前じゃねえ! 僕の背中は、お前みたいな化け物が、我が物顔で居座っていい場所じゃないんだ!」
「……」
「そんな風に思ってたんだよ! ついさっきまではなぁ!!」
「……?」