四、<回想>稚い求婚
篁文箱連載時には特に明記はしなかったのですが、今回なろう移動にあたり、判り易くするために<回想>とつけてみました。
海白玉が亡くなったのは、その冬だった。重い病を押して巫女の勤めをこなしていたことを知っていたのは、見習として常に傍にいた紅玉だけだった。その時黄玉は五歳、病臥する白玉につきっきりで看病していた親友黒玉は十七歳だった。
病に倒れ力を失っていっても、白玉はなお薄紅色の頬をし、いつでも身支度を整えていた。控えめに結い上げた黒髪を下げた姿など、一族の者は見たことがなかったに違いない。巫女として出来ることは全てやり、力を尽した。白玉は危篤の知らせを誰にも出さぬようにと告げた。海邑から馬で二十日あまりのところに赴任している碧玉夫妻にさえも知らせるなという言葉に、紅玉でさえ戸惑いを隠すことは出来なかった。十歳という年齢を考えれば無理からぬことと言えるかも知れぬ。長い病魔との戦いが終わり、死の床に横たわる白玉の姿は、既に息を引き取った者とは思えぬ程に艶やかであった。悲しみに沈む海邑の人々を支え、葬儀を取り仕切ることになったのは紅玉である。歳に似合わぬ落ち着きは白玉の再来を思わせ、その幼い姿に面影を重ねて涙ぐむ者も多かった。白玉死去は即日外の一族の者にも知らされた。その深夜に騎馬で駆け込んできたのは海碧玉である。
「三年とは…」
それだけ呟くと、崩折れるように白玉の遺体の隣に座り込んだ。
「自分の死に立ち会わせたくなかったか、お前は。その刹那に傍に居ることさえ、俺に許さぬとは」
誰もが、碧玉が号泣すると思った。彼の白玉への深い愛は邑人の知るところであったので。しかし、彼は静かに傍らに座り続け、まるで彫像のように身動ぎ一つせずにいた。その隣にひっそりと佇んだのは黒玉である。
「碧玉大哥」
碧玉の肩のあたりがぴくん、と動いた。
「私の声で伝えるように、と申しつかりました。『大哥、どうか家族と御身をお大切に』と」
「……判っている。だが。正しすぎて腹がたつ。……すまん、俺は今、他の事を考えている余裕がない」
「はい、……」
黄玉は泣き疲れて、碧玉の反対側で眠っていた。赤く腫れた瞼に目をやると、碧玉が鳴咽を堪えながら泣いていた。黒玉は見ない振りをして黄玉を静かに抱き上げ、部屋へ連れて行った。黄玉を寝台に下ろすと、いつもは快活な蒼い瞳がゆっくりと滲んでいく。
「白玉……なぜ」
黒玉もまた、鳴咽を堪えて泣きはじめた。
白玉のすぐ下の弟海翠玉が帰邑したのは、翌日だった。それとて異様に早いと言える。夜を日についで帰ったに違いない。しかし、取り乱した様子はなかった。先見の力がある白玉に「二十歳までは生きないわ」と告げられていたからかも知れぬ。寧ろ白玉の横たわる寝台の傍に居る碧玉に、心を掛けていたようである。
「大哥、翠玉です。……遅くなりました」
碧玉は応えなかった。白玉に酷似した翠玉の顔を見たくなかったからかも知れぬ。踵を返して立ち去ろうとすると。
「行くな」
背後から碧玉の声が掛かった。
「傍に居てくれ」
搾り出すような声だった。返事をした時、翠玉は自分の声が震えているのに気づいた。
「はい……」
手配の殆どを行ったのは、海青玉である。すぐ下の弟としてひっきりなしに挨拶し続けねばならぬ翠玉の代わりに段取りを組み、訪問客のあしらいをする。その手助けは海紅玉であった。巫女見習として白玉のもとで修業を積み、この新年には一人前の巫女としての席次が約束されている。白玉は、いわばそれを見届けるように去ったのだった。巫女としての心得と知識の全てを、この少女に注ぎ込んで白玉は去ったのである。
葬儀の前日、虞紫玉が憔悴した様子で海邑に辿り着いた。乳飲み児の海漣容を抱えた旅では苦難が多かったろうが、愛妻を労る余裕すら碧玉にはなかったようである。
白玉を失った碧玉も、柩の傍で憔悴していた。隣に居た翠玉が支えていなければ、あっという間に倒れていたかも知れぬ。白玉の傍でやつれていた夫を見るのは、紫玉には耐え難いことだった。それがいつか来るものだと判ってはいても。それでも紫玉に白玉は語ったのだ。「大哥を支えられるのは、あなただけ。だから、辛くとも、待ってあげて。守っていてあげて」と。黒曜石のような輝きを秘めた瞳は、微笑んではいたが真剣だった。いつか自分に降りかかる何かを、知り尽くしているように。
柩の傍らに、幼子と共に現れた紫玉に気付いて、碧玉は情けなさそうにわらった。
「謝られても困るだけだろうが。すまん」
そっと隣に腰掛け、眠る幼子を膝に抱える。その紫玉の耳元で、そっと囁く。
「ずっと、俺の傍に居てくれ」
それは二度目の告白だった。柩に横たわる白玉が、永遠に耳にすることが出来ぬ言葉であった。
「……はい、お心のままに」
碧玉は、幼子ごと、紫玉をしっかりと抱きしめた。その瞳に、新たな涙とともにようやく力が戻ったような光がきらめいた。
黒玉がようやく自室に戻ったのは、葬儀が終った翌日の朝だった。夜を徹して行われる葬儀は、幼い紅玉には少なからず辛かったことだろう。それでも白玉の為に凛々しく葬儀を執り行った姿は、既に風格ある一人前の巫女であった。
「黒玉大姐」
部屋に入る直前に掛けられた声に振り返ると、黄玉だった。
「傍に居てもいい?」
あどけない笑顔を誰が拒絶出来るだろう?
「良いよ。今日は一緒に休もうか」
最初の求婚の言葉は、それと認識されずに受け入れられた。それが求婚の言葉だったのだと黒玉が気づいたのは、それから五年後のことである。
<回想>は、基本的には白玉死亡直後のころの時代の回想となります。白虹から二年ほどあとですね。