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南国のマリア  作者: 霧島勇馬
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第十一章 それぞれの未来

   第十一章 それぞれの未来

 一九五一年は、あっという間に過ぎていった。

 ホアンもグアナフアトで、無事に職を得た。博物館で訪れた人々に、英雄ミゲル・イダルゴの生涯を説明する重大な役目に就いた。

 マリアはジュニアを育てながら、積極的に近隣の会合に顔を出し、土地に溶け込もうと努力した。

 メキシコシティと違い、田舎だ。マリアとジュニアの容貌は随分と浮いているようだったが、拒絶されはしなかった。

 ジュニアは三月に一歳の誕生日を迎え、ご近所からもお祝いの品が届いた。

 そろそろ伝い歩きをするジュニアが、無性に愛おしい。でも自分に言い聞かせる。一人で生きていける子に育てなければ。

 昼食の後は、お昼寝の時間になる。午前中のジュニアは元気いっぱいで、すぐに道路に出たがった。田舎道だから、よっぽどのことがない限り、車なんて通らない。むしろ、馬が走ってくる心配をしたほうがいいくらいだ。

 道の真ん中では、年上の男の子たちが、地面に円を描いて、遊んでいた。

 ジュニアが、〝お兄ちゃん〟たちに混じろうとするつもりなのか、マリアの腕の中で藻掻いた。マリアはそっと、ジュニアを地面に座らせる形で、置いた。

 ジュニアの関心が、男の子たちから、母親であるマリアに替わる。マリアはじっと、ジュニアを見つめた。

 ジュニアが立ち上がると、一歩先で待つ。一瞬、不安げな顔をするジュニアに、「さあ、ここまで来るのよ」と呼びかける。

 ――頑張って、ジュニア。あなたが大きくなるまで、マドレ(ママ)は生きていられるか、わからないのよ。

 ホアンは、ルイスのようなタイプではない。裏方に回り、文章力で周囲に影響を与えていく。でも、同じ革命家だ。

 命の危険を顧みず、権力に虐げられた人々のために、生きるだろう。いつか、どこかの国で、倒れるだろう。のんびりとマイアミの砂浜で、日光浴して過ごすような老後は、あり得ない。

 ホアンと最後まで人生を共に歩むと決めた以上、ある程度の覚悟は必要だった。今度はエヴァのように、武器を手に取ろう。もう、子供を産むだけが仕事、たかが女、と言われたくない。

 ジュニアは不安げに瞳を揺らし、じっと母を見た。手を真っ直ぐ、マリアに伸ばしてくる。

 どうして手を取ってくれないのか、なぜ抱っこをしに近づいてくれないのか、ジュニアの目は訴えていた。

 マリアは静かに、首を横に振った。

「駄目よ、ジュニア。マドレからあなたの側には行けない。側にいたいのなら、あなたから歩いて、近づかなくては駄目」

 ふと、前が暗い影になった。ジュニアが、ぽかんと上を見る。マリアは首を捻り、マリアの背に立っている人間を見上げた。

 カーキ色のワークシャツにパンツ。黒髪を頭の後ろできつく纏め、ちょこんと同じカーキ色のベレー帽を載せていた。

「エヴァ! どうしてここに?」

 エヴァはマリアの質問には口では答えず、両腕を広げた。

「随分、スパルタ教育なのね。あなたのことだから、優しい胸にいつも包んでやっているのだと思っていたわ」

 マリアはエヴァの胸に飛び込んだ。

「また会えるなんて、思わなかった! 二度と会えないと、覚悟していたの!」

 最後に会った時と同じ香水の匂いがした。今のエヴァに残った、唯一の女らしい部分だった。

「随分、探したのよ。当初、海外にいる同志の話を信じて、メキシコシティにいると思っていたものだから。まさか、誰かに追われているの?」

 マリアは簡単に、各国からマリアを担ごうとやってくる革命家志望の男たちの話をした。エヴァは納得顔で、頷いた。

「なるほどね。ブロンドの女神を担ぎたかったら、自国でなんとかすればいいのにねえ。自分の奥さんの髪を脱色するがいいでしょうが」

「革命に対する強い意識があれば、ホアン共々、参加しようとも考えるんだけれど、他力本願な人間ばかり、私の側に来るのよ」

 エヴァは「あはは」と陽気に笑い、マリアの膝から、ジュニアを抱き寄せた。

「もともとさ、神に祈るとか、自分たちは救われるとか、宗教にかぶれた人間って、勝手なのよね」

「あら、そう?」

 エヴァは唇を窄めたり、目を細めたり、面白い顔を作って、ジュニアを笑わせながら、応えた。

「善行を積めば、幸せになれる? どんな善人だって拳銃一発で命を落とすし、悪の限りを尽くしている人間は、高笑いして、豪華な暮らしをしているわ」

 なるほど。世の中は思うに任せないことばかり。いつか審判の時が来て、善き人々が救われ、悪人は永遠の地獄に火に焼かれる。そうとでも思わなければ、人間なんて、やっていられないかもしれない。

「『黙示録』って、無茶なことばかり言って、聖書の中に含めるべきじゃないと思ってきたけど、記したヨハネの気持ちも、わかるわね」

 もしルイスと出会わなければ、一生、金に不自由せず安楽な暮らしをしていただろう。戦わなければ勝ち取れない自由がある。

 いつの間にかホアンと共に、自由のための戦いに身を捧げようと思っていた。

 いやいや、マリアの話は、どうでもいい。今日明日、どうする話ではないのだから。

 エヴァが何故、今、メキシコにいるのか? まさか、ホアンとマリアに会うだけが目的で、軍政のアンティルから渡ってきたわけではないはずだ。

「それより、エヴァはどうしてメキシコに来たの? よく国外に出られたわね」

 エヴァが真顔になって、膝の上でジュニアを座らせた。

「メキシコ人の大富豪が、ルイスの死を知って、社会革命クラブに連絡を取ってくれたの。ルイスの死を無駄にしないよう、できるだけの資金援助はする、って。以来、私たちは完全に地下に潜り、海外脱出組と共に、革命の準備をしてきたわ。アンティルの夜明けも近いわよ」

 マリアは興奮に目を開いた。

「誰が中心になって、動いているの?」

「フリオと私よ。革命が成就すれば、フリオが政権のトップに立つでしょう。ルイスのようなカリスマ性はないけれど、何ごとにもコツコツと取り組む人よ。我らのアンティルを任せられる男だわ」

 革命の成就……。ホアンとマリアが、いいや、ルイスがずっと願っていた、新しいアンティルに生まれ変わる。

「いよいよなのね」

「私はメキシコに潜伏する他の同志と、船でアンティルに乗り込むわ。私たちの到着を合図に、各地で反乱軍が一斉に立ち上がる予定なの」

 なるほど。四方を海で囲まれたアンティルならではの、攻略の仕方だろう。

 エヴァの顔は日に焼け、鼻の周りに雀斑が目立ち、頬は日焼けで真っ赤になっていた。化粧もせず、日々、軍事訓練に明け暮れた結果だろう。

 指摘すると、エヴァは照れ臭そうに笑った。

「私が引っ張っていかなきゃいけないんですもの。女なんて、とうに捨ててるわ」

「そんなことはないわ。今のエヴァは、使命を背負った女戦士。とても美しい存在よ」

 かつては自分が、革命の象徴になっていたなんて、考えただけで恥ずかしい。エヴァこそが、本物の女革命家だ。

 エヴァが鼻に皺を寄せ、笑った。

「ありがと。あなたたちも早く帰国できるよう、頑張るからね」

 帰国……。帰国か。マリアたち亡命者の望みは、故郷へ帰ることのはずだ。しかし亡命生活の中、マリアの意識も大きく変わっていた。

 アンティルに戻って、マリアはなにをすればいいのだろう? 今回の革命には、関与していない。社会革命クラブも、もう聖なるマリアを掲げていない。

 マリアも、聖女と持ち上げられるなんて、もうたくさんだった。

 かといって、以前のように静かな生活に憧れるばかりではない。

 この世界には、まだまだ政府の圧政に喘ぐ人々がいる。虐げられた人々を助けたい。ホアンはきっと、アンティルに長居はしないだろう。マリアも同じだ。まだ革命が成就されていない他国に、自然と足が向くだろう。

 ちなみに、目標を達成した後、エヴァたちは、どう行動するのだろう?

「革命が成功し、フリオが大統領になったら、その先はどうするつもりなの?」

 エヴァが堂々と胸を張り、笑顔で応えた。

「国作りを始めるわ。革命が成功したから終わり、ではないの。始まりなのよ」

 マリアは頭を殴られたような衝撃を受けた。

「始まり……」

「地味な作業になるでしょうね。難しい問題も多く待ち受けているはず。でもそこから、私たちの本当の戦いが始まるのよ。革命家が、政治家にならなきゃいけないんだから」

 そこでエヴァが、ジュニアをマリアに返し、立ち上がった。

「そろそろ、行かなくちゃ。あんたたちに一目会いたくて、時間をだいぶロスしちゃったから」

 マリアも慌てて、立ち上がった。

「ホアンにも会っていって。夜、そんなに遅くならないと思うし」

「ううん、会わなくても、わかる。ホアンは幸せよ。それがわかっただけで充分だわ」

「でも……」

 エヴァが大きく腕を広げ、マリアを、ジュニアごと抱き締めた。

「時間が全然ないの。今夜には、出航なのよ。ルイスの精神は、アンティルに生き続けている。私たちは、今もルイスの背を追いかけているの」

 マリアは感極まり、目頭が熱くなった。

「エヴァ、必ず生きて、また会いましょう」

 エヴァも力強く、頷いてくれた。

「ええ、約束する。今度はアンティルの大統領府で会いましょう」

 エヴァから差し出された右手を強く握り締める。これから数日が、運命の時だ。ルイスが残した遺産が、エヴァたちを手助けする。

 バックパックを肩に背負い、去っていくエヴァの後ろ姿を、マリアはずっと追っていた。

 五日後、ラジオで報道があった。エヴァたち海外組がキュラソー島のグランディ湾に上陸したと同時に、各島で武装蜂起が起こった。

 このニュースでマリアは初めて、フリオとエヴァが結婚していた事実を知った。

 満を持して起こった革命に、国民は「ヤー(オランダ語で『イエス』の意味)」と声を上げた。軍隊から抜け、同志に志願する人間が後を絶たなかった。

 五ヶ月後、フリオとエヴァが、首都ウィレムスタットに入った時、ほとんどの国民が、社会革命クラブを熱烈に支持していた。

 ヤンセン終身大統領は、職を放棄し、イタリアに亡命した。

 こうしてアンティルは、フリオ・フローレス大統領の下、共和国家に生まれ変わった。

 三年後、マリアはジュニアと共に、アンティルの革命記念公園に立っていた。目の前には、ルイス・ウールデンの銅像が建っていた。

 ジュニアが父の彫像の真似をし、右腕を上げ、ポーズを取ってみせる。

「マドレ、見て、見て! ルイスに似てる?」

 アンティルに三年間に亘って住んだが、ジュニアが話す言葉は、スペイン語ばかりだった。白い肌にブロンドの髪で流暢なスペイン語を話しながら、ルイスの像の真似をする。

 容貌は全然、違うのに、醸し出す雰囲気が、まさにルイスだった。堂々と胸を張り、悠然とした態度で、傲慢にも思える笑みを浮かべる。

 ――この子も、たくさんの女を泣かせるのかしら。

「ええ、よく似てるわ。まるで死んだルイスが舞い降りたみたい」

 ジュニアにはまだ、ルイスが実の父親だとは教えていない。血の繋がった父と、育ての父がいる現実を、この歳では、まだ理解できないだろうから。

 それでもジュニアは、ルイスが大好きだった。ルイスのようになりたい、ルイスのように生きたい。マリアがそっと、口添えする。

「それから、ルイスの代わりに、生き抜いて夢を実現させるのよね」

 ジュニアが元気よく応えた。

「うん!」

 まだ、自分がなにをしたいのかなど、わかる年齢ではない。ホアンは最後まで、迷っていた。ジュニアを旅に同行させるべきではないのかもしれない、と。

 でも、母のマリアが置いていけない。別れるなんて身を裂かれるようなものだった。

「ねえ、マドレ、ベネズエラって、どんな国?」

 ベネズエラは南アメリカ大陸でアンティルの対岸にある国だ。一九四八年に軍事クーデターによって、民主政権が崩壊していた。一九五二年から、マルコス・ペレス・ヒメネス将軍による独裁が続いている。

 ホアンが政権奪取を狙う民主行動党に請われ、ベネズエラに行くことになった。マリアは当然のように、ジュニアと従いていくと声を上げた。

 三人で渡航する結論に、すんなりと至ったわけではない。マリアは真摯な態度でホアンを説得した。

「聖なる存在と担がれるために行くのではないの。一人の革命家の妻として、革命家ルイスの遺児ジュニアの母として、本物の革命家になりたくて、行くの」

 ホアンが最後には、許してくれた。マリアとジュニアが時に、足枷となる危険も覚悟して。

「ジュニアはこのまま、オランダ語を覚えないままでいそうだな。他のラテンアメリカ諸国は、スペイン語が公用語の国ばかりだから」

 ありがたい話だった。早く、ホアンを守れるくらい、強くなりたい。

 革命を起こそうとする人々を手助けする――これこそが、マリアたち家族の使命だと思うから。

 ジュニアが突然、マシンガンを持つ格好をして、「だだだだだ!」と叫んだ。

「僕は、ルイス・ウールデン・ジュニア! 革命の子だぁ!」

 ジュニアの荒くれた様子を見ても、マリアは驚かなかった。アンティルに住む男の子は皆、革命家に憧れている。悪い奴らをやっつけて、民衆を解放するヒーローだ。

「ジュニア、こっちにいらっしゃい」

 マリアはジュニアを手招きし、腰を屈めて、抱き締めた。

「ジュニア、これだけは覚えておいて。私たちは、人を殺しに行くんじゃないの。人を助けに行くのよ。」

「マドレの言う通りだぞ」

 ホアンの声に、ジュニアが反応した。

「パドレ! お仕事は終わったの?」

 ホアンが笑顔で、「ああ、終わったよ」と呟きながら、近づいてくる。逞しい腕で、ジュニアを抱き上げた。

 ジュニアは、ルイスの銅像に手が届くと思ったのか、しきりに体を伸ばしている。

 マリアは、そっとホアンの左手を取った。

「エヴァたちとのお別れは、済んだ?」

 この三年、ホアンはアンティル新政権の下で、郵政大臣として働いていた。だいたいの枠組みを作り終え、次の人材のために道を作った。

「ああ。皆、理解があって、助かるよ。ジュニアを連れていく件は、反対する人間が数人ほど、いたけどね」

 しかたのない話かもしれない。義理の父親の都合で、ルイスの遺児の命を危険に晒すなんて、許せないのだろう。

「どの道を選ぶのが正解か、なんて、死の最後の瞬間まで、わからないでしょうね」

「マリア、本当にいいのか? アンティルにいたら、ジュニアに満足な教育も受けさせることができる。子育てに関しては、最悪の環境だぞ」

「まあ! せっかく小学校教師の資格を取ったのに。この能力を、文字を知らない子供たちに教える絶好の機会を、あなたは認めてくださらないの?」

 アンティルに戻って、マリアはウィンドラー大学に復学した。三年を掛けて、教師の資格を取った。苦難に喘ぐ国から国へ渡り歩く道を取るとき、心配だったのはジュニアの教育問題だった。

 ならば、自分で全て教えられる状況になろう、と考えたのがきっかけだった。

 今は、文字を知らない子供や大人に、綴りを教える役に立てると、楽しみにしている。

「君はやっぱり、アンティルの聖女だよ。いや、南国の聖母マリアだ。結局、僕が君をルイスから奪う形になったけれど、聖女に傅いてから、僕の道は開けてきた」

「だったら、私を怒らせないことね、ホアン。私は、どこまでも女なのよ。一人の男にとことん愛され、愛しい男を平伏させたいと願う、ただの女なんだわ」

「最後には女のほうが強いと、エヴァが実証済みだからな。これからも全力で君を守ってみせる。革命家として生きる上で示せる、せめてもの誠意だ」

「頼りにしてるわ、旦那さま」

 二人がキスする上空で、小型飛行機がエンジンを吹かし、舞っていた。見事なハートの雲を描き、去っていく。エヴァたちの計らいだろうか?

 マリアはルイスの銅像を、改めて見上げた。実際の等身の二倍はある壮麗な姿に、今もまた恋をしそうだ。

 生まれ変わっても、ルイスとホアンを、ぽんと目の前に差し出されたら、前世同様の三角関係を築くに違いない。あんなに苦しんだのに、マリアはちっとも懲りていない。

 ――だって、これが人生じゃないの。なにが起こるかわからない、ノンストップの冒険劇なのよ。

 苦しみも悲しみも肥やしにし、次のステージに進んでいく。人間として、ごく当たり前のあり方を、ルイスとホアンに教えられた気がする。

 ホアンが軽く帽子を取り、銅像のルイスに挨拶した。マリアも手を上げる。

「ルイス、行ってきます。ジュニアを見守っていてね」

 地面に下りたジュニアが、頭に手を翳し、敬礼した。

 マリアはホアンと顔を合わせ、笑いながらジュニアの手を取った。

                           完


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