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青を、往け。【短編集3】

作者: 浅野新

子供の恋

男友達と会う時は居酒屋で、と決めている。


「今どこ? え、もう着いたの。ごめん、もう少しかかりそう。先に飲んでてくれていいから」

真希は時間を気にしながら会社を出た。冷たい風の吹く駅前通りを足早に歩く。吐く息が白い。腕時計をちらりと見た。次の電車には間に合うはずだ。


本当の事を言えば、真希は居酒屋をそれほど好きではない。洋風のおしゃれなレストランや、飲みに行くなら夜景が見える、断然落ち着いたバーがいい。女友達と行くなら必ずどちらかへ行く。ちょっと気取ったその場の空気は、ぴりりと心地良い緊張感を生み、それが刺激となって会話が弾む。頑張っておしゃれをして行こう、という気になるのも楽しい。

しかし男友達と行くと、その雰囲気が逆に重荷となる。異性の友人というだけでお互いどこかしら緊張しているのに、”こういう場所へ来る男女は必ずカップル“と決め付ける無意識な周りの視線や扱いや店の空気に、だんだん潰されそうになってくるのだ。昼間の洒落たレストランも、そう。

だから自然と会うのは夜、人が多くて、騒がしくて活気のある、清潔な居酒屋となる。ムードが無い代わりに、他人を気にしなくていいし、周りも気に留めやしない。いつでも入りたい時に入り、ふらりと出られる身軽さが丁度良い。真希達は比較的新しい、チェーンの居酒屋へ、金曜日の夜に行く事が多い。前述の条件にぴったりなのだ。


店に着くと、カウンターに座っている男友達の姿が見えた。賑やかな周りの中で、一人ビールをゆっくりと飲んでいる。

「ごめん、待った? 」

「いや、それほどでも」

真希は彼の隣に座り、テーブル下のスペースに書類鞄をぎゅうぎゅうと詰め込んだ。彼が尋ねる。

「残業? 」

「うん、まあね。でも今月はまだマシな方。もうちょっと暇になるといいんだけど」

「どこも人手を減らしてるからね。あ、ビール頼む? 」

「うん」

彼は手を挙げて、生中二つ、と頼んだ。カウンターの中で串かつを揚げる美味しそうな音がする。


彼は会社の同僚である。歓迎会で気が合い、他の同僚達と一緒に飲みに行く中で、段々と親しくなっていった。お互い恋人がいるとわかった時、真希はこの人を友人にしたい、と何故か強烈に思った。そうして月に一度は飲みに誘い、二人で飲むようになって四年が過ぎた。その間にお互い恋人とは別れたが、友情は変わらず続いている。


真希には大学生になるまでずっと、男友達と言う物は存在しなかった。

彼女にとって男性は恋愛対象以外何物でもなく、男性の種類は「好きな人」と「その他大勢」の二つしかなかった。その為少しでも特定の男性と仲が良くなると、相手がその気がなくてもそれは真希にとって「恋」となった。

大学生になった時、恋人目当てではなく、異性の友人をたくさん作っている男性と知り合った。強く衝撃を受けた。何故そうするのか、の理由が全く分らなかった。最初は誤解もした。彼は真希にも親しく接したから、真希は素直に彼に恋をした。しかし、彼のその親しさが分け隔てなく皆に向けられ、向けられた女性達も恋人を持っていない彼の「彼女」にならない様を見て、ようやくそれが友情だと気付いた。分かったから、真希は恋を打ち明ける事なく彼から退いた。

そうして、彼が真希の初めての男友達となった。その後も「恋人候補」のフィルターを取り除くと、男友達が何人かできるようになった。

彼達と付き合ううちに、何故大学時代の彼が異性の友人を作るのかが、少し分かった気がする。

男友達とは真希が女友達と当たり前にする事が、できない。

それは人によって違うだろうが真希の場合は、手をつないだり、うれしい時に抱き合ったり、二人だけで旅行をしたり、同じ部屋で眠るという事だ。

それができないという不便さ、好きだけど男として女としてこれ以上は踏み込めないという緊張感。そして、決してないだろうけれど同性の友人よりは万に一つの可能性がある、こいつとは恋人にも成りえるのだと言うわずかな期待。

その同性の友人との間には発生し得ない緊張感が心地良くて、異性の友人を作るのだと思う。

喧嘩をしても異性なら仲直りは簡単だ。男と女であるという単純な事実だけで、どんな複雑な理由や背景や感情も、こいつの全てを理解することはできるわけがない、と納得してしまえるから。

異性の友人は快適。


真希の場合、男友達を好きな理由は他にもある。


「子供の恋? 」

彼は焼き鳥を食べながら静かに訊いた。本当に驚いた時は、相手を傷つけないよう大げさに驚かないのは彼の良い癖だ。

「うん」

真希は二杯目のビールを飲み、続ける。

「子供の恋っていいよね。子供って、高校生くらいまでなんだけど。単純に、相手の事を好きだから好きで。純粋って感じで」

彼は少し首を傾げる。

「純粋」

「うん。高校の時とか、好きな人いたでしょ? 」

「まあ・・・。でも、高校生の時って馬鹿な事か、やらしい事しか考えなかったからなあ」

「そうなの? ・・・意外」

「そ? 不純だったよー。だから・・・、中学生ぐらいかな、純粋だったのは」

「青春てやつ? 」

「そうそう。青春してたよなあ」

真希達は笑った。


子供の恋ができる。

男友達を好きな理由。


子供の恋は、至って簡単だった。

恋は、恋だけをすれば良かった。

恋だけを見れば良かった。

相手の性格や、健康や、している事や、家族の事なんか見なくても良かった。

「その人が好きだから好き」というその単純さ。素直さ。

いつまでもその人だけを見続ける恋はできないと分かっているのに、もう少し、もう少しだけと願い、結果、私がいつか周りを見るようになる、と信じてくれていた恋人を失ってしまった。

美味しそうにビールを飲む同僚の横顔を見ながら、思う。

彼も全く自分と同じ理由で彼女と別れた事に、果たして気がついているのだろうか。

かつて彼と出会った時、友達として欲しい、と強烈に思ったのは、根底に流れる自分達の共通項を見出していたからかもしれない。


自分達の共通項。

子供の恋をしたいから。


恋する事に純粋で。

恋は楽しいものだけでしかなく。

プラトニックで楽な。



 この男友達が恋人と別れた直後に、話を聞いた事がある。やはりこの居酒屋で、その日も多くの人で賑わっていた。


彼女に、結婚してって言われたんだ。

もう四年でしょって。最初は何を言ってるのかさっぱり分からなかった。だから、何がって聞いたら、結婚してって・・・。で、ずっと黙ってたら、考えてくれてたんでしょって。いいやって言ったら、遊びだったのかって。

遊びのつもりじゃなかった。まじめだった。まじめだったんだけど、その先に結婚は考えてなかったんだ。彼女と結婚したくないって事じゃなくて。結婚の存在自体考えた事がなかったんだ。

もう少し待ってくれ、とも言えなかった。何て言うのかな。まだ彼女をそういう風に見たくなかったんだ。

だからそう言った。そうしたら、彼女、むちゃくちゃ怒り出して、泣き出して。しまいに、そこらへんのもの手当たり次第僕にぶつけてきて。どうしたらいいのか分からなくて。最後の方は、僕ら同じ事叫んでた。どうしてって・・・。

彼は少し黙り、最後にぼそっと言った。

「真剣だったんだけどな」


彼女の事を、真剣に好きだったのだろう。

そう思った。ただそれだけだったと言う事が、問題なのだ。しかしその話を聞いた時、真希は何も言えなかった。過程は違っても、恋人に全く同じ事をした自分に、一体何が言えただろう。

子供なら許される事が、大人になってからは許されない事がいっぱいある。

恋愛も、その一つなのだ。

難しい。

私はまだ大人じゃないのに。

二十七という年齢だけが、立派に大人ぶってる。


大人の恋。

何もかもがわずらわしい。独身の男女が恋をすれば、行き着く先は一つしかないのだ。


結婚。

できなければお別れ。


子供のように自分が諦めるまでずっと、恋ができる、なんて事はできない。

決着をつけねばならない。

そして、大人になればなるほど、その決着への時間は短くなるような気がする。


大人の恋は不安だらけだ。

時間への。

相手への。

将来への。


だから異性の友達を作る。

子供の恋をする。

その時は永遠と思っていても決して将来へつながる事のない(たまにあるが)その安心感。

そのプラトニックな関係は、私達を解き放つ。

結婚への、

時間から。

不安から。

責任から。


もう少しこのままでいいのに。

このままで、いたいのに。


真希は運ばれてきたカシスソーダをぐいっと飲んだ。


それは、決して悪い事ではないのに。


鼻の奥が、つんと痛くなる。

何故悲しくなってしまうのだろう。

両目が熱くなり、視界がぼやけた。あわててカシスソーダに手を伸ばし、残りを飲み干す。

男友達は、それには気付かず、思い出したようにつぶやいている。

「純粋だったよなあ」


いらっしゃいませー、と威勢のいい声が上がる。店内に次々と客が入り、去って行く。


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