表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ペルソナ・ノン・グラータ 日本鎖国  作者: テロメア
第1章 後篇
8/28



     ♪ 数ヶ月後 ♪



 ☆南米 ニューデビルズ島



 冷たい床の感触を頬に感じて目が覚める。

 ああ、またここ……か…………。

 ゆまは自分の今の状況にそんな冷めた感想しか浮かばなかった。

 もう、どれだけが経ったのか分からないぐらいの長い時間、この牢獄に放り込まれたままで、たまに食事が乱暴に届けられるぐらいで、外界との接触はほぼ皆無だった。

 もちろん、お風呂などの衛生面が全然整っておらず、垢などで身体は汚れきっていた。頭を少し動かすと、頬に浮かんだ垢が床と擦れて(ぬめ)る。ゆまは生きながらにして死臭に限りなく近い腐臭を身体全体に纏い、その自らの悪臭が鼻孔を突いて恥辱に脳がぼやけ、正常な思考が紡げなくなっていた。

 頭を持ち上げるのがやっとで、ずっと拘束服を着せられたままだった身体は動きが取れず、床に這い蹲っているしかなかった。

 髪はべた付き、頬は痩けて、目は濁って、乾いて割れて唇からは血が滲んでいた。

 こんな劣悪な環境でまともな感覚を保っていられるのは人間ではない。

 ゆまはそう思いながらも、強い怒りは消えずに灯っていた。

 しかし、ふと不安が過ぎる。

 このまま誰にも知られることなく、死んでいくのかなぁ……。

 それは……イヤだなぁ……、と。

 そんな永遠に思えた時間を進めたのは、一人の男だった。

 腐敗した鼠さえも手を付けない食物の悪臭、腐敗臭に限りなく近い体臭、海の滞留した臭いなど、濁った湿気の高い牢獄の鉄格子が音を立てて――開いた。

 ゆまは虚ろな瞳をゆらりと上げて、霞んだ視界を必死に凝らして見ようとするが、相手の足元しか見えない。黒く光る革靴に清楚なスーツを着た足元が見えた、必死に身体を細い小枝のようになってしまった両手で起こして、相手の顔を確認しようとする――が、砕けた股関節の所為で腰が立たず、崩れ落ちてしまう。

 床に顔面が激突する寸前――そんなゆまをその男の人は抱き留めてくれた。

 ふわりと、この腐臭のする牢獄には不釣り合いなぐらい、良い――甘い匂いがした。

「……可哀想に、こんなになるまで放置するなんて……」

 そして彼はゆっくりと、しかし力強く――ゆまのその汚れた身体を強く抱き締めてくれた。

 大きくて力強い身体が、優しくゆまを包み込んでくれる。

 小さなゆまの頭をその細くて長い指が抱き締めてくれ、ゆまにとって久し振りの人肌で――初めての、暖かい人肌だった……。

 彼のとても優しい甘い匂いがゆまの全身を満たしていく――。

「……ぁ……ぅ……」

 ゆまは『何か』を話したかった。

 何でも良かった、とにかく『何か』を相手に伝えたかった。

 ――でも、声が上手く出なかった。

 何一つ伝えることができない自分にもどかしい思いが募る。そのもどかしさに、目尻に忘れていた涙が浮かぶのが分かった。そんな何も言えないゆまに、彼は優しい言葉をくれる。「大丈夫、分かっているから」と、自分の洗われずに汚れきった頭を優しく撫でてくれた。べとべとと彼の手や彼の服、彼の頬に自分の汚れが付いてしまうのが分かる。

 それがとてもゆまには、恥ずかしかった。

 それと同時に、嬉しかった……。

「一文字ゆまちゃん、君はもうここから出られる――さあ、僕と一緒に行こう」

 彼が拘束服を解いてくれながら、そう言ってくれた。

 ゆまは彼の胸に力無く頭を預けたまま、こくっ、と頷いた。

 その肯定の意志に彼は安心したように、ゆまの小さな身体を抱き上げて――牢獄を出た。




 そして、彼のプライベートジェットに乗り込んだ。

 ゆまは彼に機内のお風呂に入れてもらい、身体を隅々まで洗ってもらった。

 長い間、放置されたことにより、股関節は完全に歪んだまま治癒し、上手く足が開かない。

 ときどき、彼が話してくれる言葉が聞こえなくなるときがある。気が付くと、それは常に彼が左側で話してくれているときだと判った――どうやら、左耳の鼓膜が破れてしまっているようだ。それを彼に力無くジェスチャーで伝えると、彼は「そうか……分かった」と、悲しそうな顔を必死に笑顔でこちらに心配を与えないようにしてくれる。

 そんな彼にゆまは、久し振りの安心感を覚えていた。

 点滴を打って貰いながら歯を磨いて貰っていると、多少回復した身体は空腹にお腹を鳴らした。衛生面が改善され、次に食事を食べさせて貰う。

「さあ、あ~ん」

 すこし恥ずかしいけれど、でも長い間拘束服に包まれていた腕は上手く上がらないから、食べさせて貰うしかない。ゆまはふるふると恥ずかしさに頬を赤く染めながら、小さな口を開いて、散り(れん)()の白い陶製の匙を口に咥えて、ぱくっ、とお粥を食べる。

 久し振りに日本のお米を食べられて舌が喜ぶ。

「……ぁ」

 口の端からお粥が、つぅー、と垂れた。

 それを頬笑みながら拭ってくれる彼。

 こんなに優しい人なんて……初めてだ。

 どきどきと高鳴る鼓動に、いつの間にか耳まで赤く成って、恥ずかしさから俯いた。

 それに対しても彼は優しく「どうしたの?」と、さらさらになった頭を撫でてくれた。

 その彼の優しい手の温もりに、脳が蕩けそうなぐらい幸せを感じて身が震える。

 そこでふと、不安が過ぎる。

 これは――夢なのではないだろうか?

 これは自分が望んだ夢で、本当はまだあの牢獄の冷たい床に這い蹲っているんじゃないだろうか? そう思うと、両手が真新しい白いワンピースの端をぎゅっ、と掴んで震えだし、小さなゆまの身体は小刻みに震えてしまう。

 それに彼は「大丈夫だよ」と、すぐに察してくれた。

「大丈夫、僕はここにいるから」

 と、優しくふわっと抱き締めてくれた。

 彼は、ゆまの震えが止まるまでずっと、ずっとずっと長い間、抱き締め続けてくれた。




 ようやく落ち着いて、ゆまはゆっくりと顔を上げる。

 心身ともに状態が安定し、エネルギーも補給されて多少頭が正常に機能するようになってきた。そこで疑問に思うことのは、彼は一体誰なんだろう? ということだった。

「……あ……だぁ……んっ……」

 上手く声が出ない。

 もどかしくて唇を噛み締める。

 精神がまだ不安定だからか、それとも自分は涙もろかったのか、目尻に涙が浮かんでいき、ゆまの視界の下半分がぼわっと滲んだ。

 すると、ゆまの言いたいことを察してくれたのか、彼は自ら名乗ってくれた。

「僕は本郷鉄郎――外務省の人間だよ。外務交渉の結果、やっとこの場所が分かって、君を救出しにきたんだ。……遅くなって、ごめんね」

 すべすべになったゆまの頬を両手で包んで、涙を拭ってくれる彼――鉄郎は、ゆまと目線の高さを合わせて謝罪してくれた。そんな彼にゆまは首をゆっくりと左右にふるふる振った。

 そして、久し振りの笑顔になって伝えた。

 ――大丈夫です、ありがとうございます。

 と。表情筋の動きはぎこちなかったけど、本当に本当に久し振りの、心からの笑顔で。

「うん……ありがとう」

 それから鉄郎はゆっくりと、ゆまが投獄されていた間のことを話してくれた。

 世界中でテロ行為をした少女Aは、国連監獄所に拘留した。

 そこには表では扱いきれない政治犯や超非常識人の犯罪者などが複数投獄されているそうだ。そして今回の場合、全てが大規模だったが故に、表にその存在を知られることとなった。

 世界では『ウィッチガール』として知られ、それが日本人だと判ったときに、時代が戻ったかのように日本人少女に対する魔女狩りをしようと一部の過激派(の在日外国人や外からの団体)が日本人少女を殺すという事件にまで発展した。

 複数の過激派や、過激派を擁護する政治家、そういう政治家で構成された政権が日本に対して強烈な圧力を次々に強いてきた。

 その結果、同じ力を持つ日本側に付いている『魔法少女』が政治の舞台に登場した。

 その『魔法少女』の力は既に世界中の知るところとなっていて、それは絶大な抑止力として活躍し、日本への圧力も段々と弱まってきた。

 日本は事実上、国防の一つとして『魔法少女』を起用して世界中を冷静にさせた。

 過激派が静まると、次に現れたのは人権保護団体だった。

 その人権保護団体と死刑廃止論者達が結託して、国際裁判所にて少女Aが九歳であることも考慮して死刑は免れるべきだと現在も抗議している。

 しかし、その少女Aは彼らの試算では全世界で少なく見積もっても十五万人を一人で殺していること、しかもそれがとても政治的な理由や、極右のテロリストだとして、死刑を望む遺族感情を煽って裁判は白熱しているそうだ――当事者を放置したまま。

 結局はどちらも最終的に自らの主張である、死刑廃止論者なら死刑廃止のために、死刑を望むのはその大勢いる遺族、そしてその遺族に同調する者から票を得たい政治家の思惑が渦巻いているだけの、どろどろとした泥沼に入り込んでいるそうだ。

 結局は矛先をすべて日本に向けようとしていたけれど、『魔法少女』という強大な抑止力がある故に、黙りを決めて外野で騒いでいるのだという。

 そして、いつしかその『少女A』の存在そのものを忘却してしまった。

「――結局、未知の力を持つ君が怖かったんだろうね。だから、あんなところに……」

 言葉に詰まりながらも、そこでにこりとして、鉄郎は言った。

「でも、もう大丈夫――君の代わりに、身代わり人形を置いてきた」

 そして――と、手元のパソコンをぱちんっ、と何かを押す。

 ――と、後ろの方で小さな爆音がして、飛行機の窓からその方向を向くと、水平線の向こうで小さくなっていた島――先程までいたあの悪魔の島の一部が爆発して吹き飛んでいた。

「未知の力をあんなところに放置していていたから――暴走しちゃったんだろう、ねっ」

 と、ゆまに向かってお茶目にいう鉄郎に、ゆまはすべてを納得して、笑んだ。



『おかあさんは?』

 と、パソコンのキーボードなら打てたからゆまはそう、意思の疎通を図る。

 そのパソコンの画面に続けて『あいたい』と、打ち込んで軽い頬笑みとともに鉄郎を見る。

 が、鉄郎の顔は曇っていた。

 両手を握り締めて、決意したように鉄郎は言った。

「君のお母さんは……亡くなられた」

「……ぇ……?」

 茫然自失するゆまに、さらに追い打ちのような事実が突き付けられる。

「君のお父さんもお母さんも……近所のカマイタチ事件もあって、近所中から迫害を受けてね……過激な人から厭がらせや、執拗な抗議に耐えきれなくなったんだろうね……二人が心中しているのが、見つかったんだよ……」

 その言葉に、

 その言葉が、

 その言葉で、

 ゆまは、

 ゆまの、

 ゆまに、

 ――――動揺に震えて、涙が流れた。

 目頭が熱くなり、その熱を冷やすように涙が流れていく。

 あれだけ冷めた家庭でも、それでも――会いたかった。

 あれだけ煙たく思っていた親でも――会いたかった。

 どれだけ自分のことを理解してくれていなくても――会いたかったのだ。

 会いたいなんて……初めて思った。

 ――なのに……もう、会えない…………。

 これも全部、自分が行った結果。

 自分がしたことが返ってきたんだ。

 因果応報。

 自らの行ったことは必ず報いがやってくる。

 そのことに、初めて自らの『力』に――震えた。

「……ゆま……」

 そこで初めて、そこにリリヤが居たんだと気が付いた。

 今まで無意識に霊能力を完全に閉ざしていたから、リリヤの存在が視えなかった?

 いや、視えていた。ただ、気付かない振りをしていただけだ。

 すべてをリリヤの所為だと思って、それで…………。

 でも、今、一番――リリヤの顔を見たくはなかった。

 それを察したのか、リリヤは姿をどこかに消した――。

 最低だ――あたし…………。

 心が急速に冷えていき、身体が寒くなる。

 だけど、上手く動かない腕は、自らの身体すら満足に抱き締めることができない。

 それを察してくれたのか鉄郎が、ゆまを優しく抱き締めてくれた。


「大丈夫、君には僕が居るよ」


「――――っ!?」

 その言葉が、何よりゆまの心の奥底に染み渡った。

 僕が居る。

 ――あたしには鉄郎さんがいる。

 その希望は、あまりにも嬉しくて、あまりにも眩しくて、あまりにも――暖かかった。

 止まることのない涙がぼろぼろと零れ、嗚咽が強くなっていく。

 そんなゆまを鉄郎は泣きやむまでずっと、ずっとずっとずっと、抱き締め続けていた。

 ゆまが壊れてしまわないように優しく、

 ゆまが自分を嫌わないように愛おしく、

 ゆまが世界を呪わないように強く、

 まるで、愛娘を抱き締めるように――――。

 そして、鉄郎はふと言った。

「僕と一緒に――日本を守らないか?」

 この巫山戯た世界から――と、彼はゆまを見やる。

 その言葉は今のゆまの最高の希望として、耳に届いた。

 ゆまが迷わず、その言葉をこくっと首肯する。

 すると――彼は何かを取り出した。

 それは、一本のペンだった。

 それはゆまの魔法具であるペンだった――ゆまにとってそれは『力』の象徴。

 動揺に震える手がそのペンに触れるか一瞬迷う――しかし、鉄郎のその言葉と体温が、ゆまの背中を大きな希望で押してくれ、決意を固める。

 ゆまは再び強く首肯して、鉄郎からペンを受け取り――鉄郎を見上げた。

 そのゆまの瞳は、以前とは違う強い義心の灯った瞳に成っていた――。




  第一話/序/了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ