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奉納芝居と言うものがある。
これは『神様』に見せるための芝居だ。
故に、『人間』である我々が見ても何をしているのか全く分からないように出来ている。
それはそうだろう、何故ならそれは『神様』に向けて作られているのであって我々『人間』に向けて作られているわけではないのだから――伏線もなく、山場もなく、結末もなく、ただただいつの間にか始まりいつの間にか終わる。
そうした意味や脈絡と言ったもののない『無秩序』こそが、『神様』の価値観なのではないだろうか、と、この世界を見ていたらふと思うのだ。
だとしたら、それは我々『人間』の価値観とは大きく食い違うものであることは明白だろう――我々『人間』の価値観は、『秩序』である。
左右対称などの計算され尽くされた美、それこそが我々の価値観なのである。
故に、我々『人間』が作り出すものには『秩序』が求められる。
物語には伏線や山場や結末がなければ批判の対象となる。
意味や脈絡のない行動は批判される。
論拠のない感情論は意味を成さない。
我々『人間』が求めてきた秩序の根源であり、その『秩序』を体現したものはこの世界に生み出された人工物のそれら全てに言えるのである。
機械や計算、法律や経済、社会や文化それら全てに言えることである。
その中でも、『物語』はそれの特化したものである。
☆大阪 某所(深夜)
「もとは東欧の民間伝承なのよ」
「民間伝承? つまり、日本でゆーところの妖怪とかと同じか」
「そう、呼び方も色々あって『ヴァンピール』とか『ヴコドラク』、『ストリゴイイ』に『モロイイ』にとかとか他にも多数。そこには人狼や魔女や夢魔と言った要素まで含まれている。そして、わたしという存在はジョン・ポリドリのルスヴン卿より前の概念構成なの」
ああ、ブラム・ストーカーのドラキュラ伯爵の元ネタね――と、見上げて彼女は続ける。
「元々の民間伝承だと、映画で描かれているように青白くないもの」
ほらね、と夜行月女は自分の頬にぷにっと指を立てて小さく微笑む。
なるほど、通りで彼女は血色のいい肌をしているわけだ――と、風見蕾の思考が月女の頭に流れ込んでくる。彼の血を飲んだばかりだから、精神がリンクしている。
集中すれば相手の現在の脳の動きが、心の声として理解できる。
血を飲むというのは生気を喰らうということだから。
「起源は一人の民俗学者、彼が全ての始まりだった……」
その話をしようとして、月女は心に影を落とした。
その様子に蕾が無意識の違和感を覚えたのに月女は気付き、すぐに柔らかい笑みを浮かべて何の問題もない事を示し、話を続ける。
「それが大体こっちで言うところの一八〇〇年頃の話よ」
「へぇ、随分最近なんやな」
そう蕾が淡泊な感想を漏らすと、「ん?」と月女は首を傾げた。
「九〇〇年以上前の話よ?」
「はぁ? 二〇〇年ちょい前なだけやろ?」
蕾のその言葉に月女は少し考えてから「いま何年?」と訊いてきた。
どうしてそんな事を訊くのかという心の独白を漏らしつつ、蕾は応える。
「二〇一〇年、それがどぉしてん?」
「それもしかして、キリスト歴?」
「キリスト歴? 西暦やけど、それが何や?」
そう言うと、月女はあちゃーという顔をして納得顔をした。
「そっかそっか、日本ってまだアメリカの占領下だったっけ? キリスト教国でもないのにキリスト歴使っちゃってさ。道理で会話が噛み合わないわけね。わたしが『こっちでは』って言ったのは『皇紀』のこと。つまり、日本歴ね」
「皇紀? 何やそれ?」
「神武天皇即位の年を元年とする紀元のことよ。『平成』として『元号』が唯一残っている世界最古の王族が御座す国の起源とも言えるものね。日本好きのわたしの眷属に成ったんだから、覚えておきなさいよ日本人」
輝く金髪に青い目、そんな外人然とした月女から日本の事を教えられて少し恥ずかしいという、蕾の心に触れたとき急に面倒臭いという気持ちとともに言葉が乱暴に返された。
「太平洋戦争のあとにでも変わったんやろ、知らんわ」
「太平洋戦争って言う呼称もアメリカ譲りね。日本は大東亜戦争って命名してるんだしさ」
乱暴に返した言葉がそのまま自分に返ってきて、蕾は少し靄の掛かった戸惑いを浮かべた。
そうなのだ、久し振りに日本に来てから見る者見る者みんなどこか心に靄が掛かっていた。どこかすっきりとしない、漠然とした靄。その正体が今の会話で分かった気がした。
恥ずかしさと戸惑いにまごつく蕾に、月女は仕方ないなぁという柔らかい笑みを浮かべて今の彼に掛けるべき言葉を掛ける。
「あれだけ御先祖様がたくさん血を流して命を賭して守ってくれた未来が今よ。わたしは誇り高く戦った彼らをたくさん見てきたわ。誇りなさい、あなたはその血を引いているのよ」
その言葉に少し蕾の心の靄が晴れていく。
やっぱり、彼に必要だったのは祖国を誇る心だったんだ。
「平和呆けは平和の証だけど、事実は忘れちゃだめよ」
すると、蕾は首をどこか照れた感じに掻きつつ。
「しゃーないやろ、負けてんから」
「たかだか一回負けただけ、それだけのことよ」
そう、ヨーロッパでは当たり前の言葉を掛けると、意外にもその言葉に心の靄が晴れたのを月女は感じた。月女にとってはアメリカなんてついこの間出来たばかりの赤ちゃん国家でしかなかったから、不思議に思っていたけど、そう言えば日本は今まで負けたことがなかったんだ。成程ね、と納得しつつ。
「とにかく、既存概念は捨てなさい。いま知られている事なんて大して役に立たないわ」
それは伝承にしろ歴史にしろ――と言って、ぱんっ、と手を叩く。
「はい、お勉強おーわりっ」
月女はにこっと微笑んでこの話を締め括った。
「ねぇ、ところでどこ行くつもり?」
早足になっていた蕾の一歩前に出て、下から覗き込んで訊く。
すると、僅かながら頬が赤くなり目線を逸らし、黙々と歩を進めていく。
そんな蕾にむーっとなりならが頬を僅かながら膨らませると、その歩調に合わせて揺れる大きく広い背中が目に付いた。
とっとっとっ、と早足で後ろから近付いて長いさらさらとした夜の暗闇でも輝く金髪をふわりと舞わせながら「とぅ!」と、両手を大きく広げてその背中に抱き付いた。
「ぉわ」
蕾の背中に自分の限りなく無に近い胸を押し付けて、「どうだ、興奮するだろう。あははー」と言うと、どうやら思春期真っ直中の男の子の蕾には少々刺激が強過ぎたようで、すぐに「離れろや」と拒否反応が現れた。照れてる照れてる、かーわいい。
構わないお前が悪い、と言おうとしたら振り払われてしまった。ちぇ、と思いながら、
「ねぇねぇ、どこ行くのぉ?」
今度は作戦を変えて、甘えた声で訊ねてみた。
しかし、今度は凄く嫌そうな顔をされた。どうやら猫かぶりは嫌いらしい。
暫く黙っていた蕾だが、疲れたように質問の答えを吐き出した。
「自分の家に決まっとるやろ、あほ」
面倒臭そうにそう言う蕾に、月女は「なんでぇ?」と訊く。再生したばかりの身体を酷使してまでこんな遠くに来る理由が月女には皆目見当が付かなかった。
と、今まで目的を黙りと決め込んでいた蕾が意を決したように、言った。
「復讐の為や」
硬質な空気を纏って吐き出されたその言葉に、月女は「はーん」と生返事をする。
燃え上がる業火を宿した瞳の蕾は、月女に構わず言葉を続ける。
「現行法では、奴は裁かれへん」
この国はもともと仇討ちシステムがあった。今はその報復行為を国が代行するかわりに、国民から報復権を取り上げている。つまり、応報刑論で出来ている。
応報刑論は代表的に二つの論点で語られる。
一つ、絶対的応報刑論。刑罰は悪に対する悪反動であり、動と反動とは均等していなければならず、悪反動=刑罰によって、犯罪を相殺(対消滅)させようという考え方をいう。
二つ、相対的応報刑論。刑法が応報であることを認めつつ、刑法は同時に犯罪抑止にとって必要かつ有効でなくてはならないという、抑止力としての刑罰を目的とする考え方をいう。
「あんなキチガイなことは現行法では対処できへん――せやから、仇討ち代行ができんくなった時点で、被害者側に報復権は復権する。そう考えんのんが、ふつーの精神やろ?」
蕾は自らの拳を握り締め、
「だから、この手で――討つ!」
その業火に焼かれる瞳は、闇を見詰めていた。
純粋な怒りを前に、月女は頭をくるりと回し、首の疲れを取る。
肩を一回上げ、そのまま両手を合わせて夜空に伸びをしつつ、話の軌道修正をする。
「はいはい、それは聞いたよー? じゃなくて、なんでわざわざ家に帰るのって話」
「あ? ああ、それは……」
月女の言葉に蕾は考えてなかったように目線を彷徨わせて、思い付いたように、
「そう、武器や、武器」
復讐するには武器がいるやろ?――と言ったが、月女はさすがにそれには少し呆れた。
「あんたねえ、吸血鬼に成ったあんたに、人間の何の武器が必要なのよ?」
その言葉に絶句する蕾。
今更ながらその事実を思い出したようで、月女はおいおいっと突っ込むしかなかった。
まあ、吸血鬼に成り立てで混乱している自分を誤魔化すために古巣に帰るのは生物の習性としてはよくあることか――と、月女は一人納得しておいた。
すると、夜が耽ってしばらく経つ街角で灯りが見えた。
その灯りに照らされていたのは、揺れるランドセルと一人の少女だった。
月女はぼんやりとそれを見て、ああ、と思い至った。
ゆとり教育やなんやで学校教育レベルが低下して、子供の学力が低下している日本は、現在学習塾に通わせている親が多いんだったっけ――で、こんな深夜に子供が歩いている、と。
そう思い至ったが、そう思い至ったのは自分だけのようで、懐中電灯やら時代遅れの松明やらを持った中年、壮年の男や女たちがぞろぞろとその少女を取り囲んでいった。
「こんな時間に歩いているなんて――魔女に違いない」
「そうだ、きっとテロを考えて居るんだ」
「今度はおれ達を狙ってるかも知れねえ」
そうだそうだ――と、その大人達の一人が手にしていたゴルフクラブを振りかぶった。
そして――少女に向けて振り下ろした。
少女の悲鳴とともに、めしゃ、という音だけが響いた。
魔女狩りか、と呆れる月女。
先日、謎のテロリストが『ウィッチガール』だとして全世界に公表された。
それが日本人少女だということで、各地で在日外国人による報復テロが起きているのだ。
狙われているのは日本人少女、それ全般である。
ちょっとでも疑わしいものには報復の対象となる。
もはやそれは一種の宗教のように疫病のように広がって、今の日本の治安は在日外国人達によって過去最悪である。
そんなものに巻き込まれるなんてごめんだ、と、溜め息とともに蕾を振り返ったら――そこには蕾はいなかった。
「ん?」
疑問符を持ちつつ、ふと少女の方に向き直ってみると、そこでゴルフクラブを左腕で受け止めている蕾の姿がそこにはあった。
蕾に受け止められたゴルフクラブは曲がって魔女狩り者達を驚かせていた。
「おーい」
呆れて声が漏れてしまった月女は、仕方なしに蕾の方にぴょんぴょんと歩いていった。
近付くと、周りの大人達はどよどよと驚いたように後退っていた。
月女の身長もその襲われていたランドセル少女のそれとあまり変わらない身長だった。
中には「仲間が集まった」とか、どこぞの宗教信者かと思うようなことを言っている者もいたが、時代錯誤の魔女狩りなんてしている自体で過去の魔女狩り同様宗教行動だ。
涙ぐむランドセルの少女を守るように蕾が立っていた。
近くで見ると、蕾の左腕もゴルフクラブを受け止めてへしゃげていた。
「あんたさ、何がしたいわけよ?」
こんな人間同士の揉め事なんてよくあることだし、万事巻き込まれる無かれ、である。
それにこっちの正体がバレたら、それこそ本当に――
「この魔女め――ッ!!」
と、声に振り返ると金属バットが空気を切って、月女の顔面を直撃した。
ぐしゃッ、という水っぽい音とともに鼻が潰れ、前歯が数本砕け散った。衝撃で後ろの民家のざらついたコンクリ壁に激突して、後頭部の頭皮と頭蓋骨が潰れ血の花を咲かせた。
ずるるるる、と血に濡れた頭がずり落ち膝から力が抜け、地面に小さな身体が落ちた。
「月女ッ!」
蕾の声と、ヤッてやったという歓声が聞こえてきたのに――腹が立った。
ずずずずずずずずず、と血を引き摺りながら――狂気が渦巻く瞳を縦に窄め、その殴った主に向け、血を含んだ言葉を発する。
「いイカゲんにヂろヨ……」
血を引き摺りながら、その『血』で――相手の首を刎ねた。
しゅ、という空気が裂ける音とともに、その殴った男の頭がずり落ちる。
しばらくして、その首から消えた頭に向けて心臓の鼓動に合わせてどくんどくん、と、血が吹き上がる――悲鳴が次々に上がるが、知ったことか、と、次々にそいつらの武器を持った腕や足を切り裂いて、怒りに任せて月女は暴れた。
この行動が小刻みに震えるカメラに記録されているとは気付かずに――。




