表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ペルソナ・ノン・グラータ 日本鎖国  作者: テロメア
第3章 後篇
26/28

26



     ♪ 数日後 ♪



 ☆東京都内某ビル 臨時総理大臣官邸フロア 総理執務室



「――斯くして、日本は吸血鬼(ヴァンパイア)種族と同盟を結び、彼らを国防の要とし、また抑止力として置くことで、この国の安全は保障されるのでしたー」

 両手をやや大げさに叩いて拍手をする鉄郎、その後ろにゆまは立っていた。

 鉄郎の眼前には秘密会談の相手として、蠅山現総理が小さく座っていた。

 その目は極端に怯え、視点が定まっていなかった。

「そして、私の後ろに居るのは、なんと! 私だけの軍、最初の魔法少女(ファースト・ウィッチガール)ちゃんですよー」

 その言葉を聞いて、視線をこちらに一瞬送って怯える蠅山総理。

 一国の総理としてはあまりに不甲斐ない、なんの貫禄もない存在だった。

「さぁーて、ここで問題です。貴方はこれからどうすれば良いのでしょうか? 一、ここで我々に刃向かって自衛隊にクーデターを起こされた愚かな総理として、今後歴史に名を刻む、二、ここで吸血鬼(ヴァンパイア)種族を受け入れる英断をした素晴らしい総理として、今後歴史に名を刻む、三、問題が難しいので、先送っちゃう――さあ、どれっ!」

 そんなおちゃらけた風に告げる鉄郎に、蠅山総理は小刻みに震えながら、右へ左へと視線がやはり定まらない様子。そんな対応に溜め息を吐いた鉄郎は、呆れながら告げた。

「あー、貴方には少し難しい質問だったかな? だったら、ヒントをあげよう」

 鉄郎がゆまの目を見て、近くにあった応接室用のソファーに視線を送った。

 それにゆまは求められていることを察し、そのソファーを軽く睨む。

 ――分解しろ、と。

 すると、ソファーは青く光り、一瞬で分子レベルにまで分解されて消失した。

 その現象に蠅山総理は小さな悲鳴を上げて、大きく震えた。

「さーて、これでクルクルパー(ルーピー)な総理でも答えは分かりましたよねー」

 その完全な作り物の笑顔で蠅山総理を脅す鉄郎。

 鉄郎のその笑顔は、彼を脅すには十分な威圧感があった。

「……た」

 すると、掠れた声で蠅山総理は喋り出した。

「確かに……私は愚かな総理かもしれない」

「うん、そうだね」

 ――で? と、笑顔で睨む鉄郎。

 その笑顔にびくっとなった蠅山総理は、震える唇で続きの言葉を漏らす。

「し、しかし、いや、だからこそ――浅ましく生きる術は、知っている……」

 その言葉は、承諾の意を示していた。

 その蠅山総理の言葉に、満足な表情を浮かべた鉄郎は踵を返して部屋の出口に向かう。

 そして、最後にこう付け足した。

「ああ、そうだ。君の代わりはいくらでもいるってこと、忘れないようにねー」

 じゃあねっ――と、手をひらひらさせて部屋を出る鉄郎。

 その鉄郎に右脚を引きづりながら、ゆっくりと付いていくゆま。

 扉を出て、ゆまは扉を閉じて、鉄郎を見上げた。

 そのゆまに気付いた鉄郎が、今度は優しげな笑みを浮かべた。

「ご苦労様、ゆまちゃん」

 そして頭をくりくりと撫でてくれ、ゆまは自然と笑顔が零れた。

 鉄郎の大きな手が自分の頭を撫でてくれている、その事実に頭がほわほわする。

 この幸せな時間にずっと浸っていたい――そう、ゆまは思う。

 ……でも、ゆまの心には不安が燻っていた。

 あの日から訊けていないこと。

 あの日に燻りだした鉄郎に対する疑念。

 自分は彼から怨みを買っていて、復讐される可能性があるんじゃないか、という怖れ。

 ゆまはそんな頭の中を巡る臆測の連鎖を断ち切るため、頭を左右に振った。

「ん? どうしたの、ゆまちゃん?」

 そんな様子に鉄郎が疑問の表情をこちらに向けた。

 そんな鉄郎の優しげな笑みを見て、再度思った。

 ――こんな優しい笑顔を向けてくれる人がそんなことを考えているはずがないっ!

「……ッ……!」

 思わず言葉にしようとしたけど、ゆまの喉は先日の戦いで潰れてしまっていて声が出なかった。あれから手術はしたけど、声が戻るかは怪しいという。仕方がないので、あれから持ち歩くようになったメモ帳で筆談することにした。

 左腕はまだギブスで覆われて首から掛かっているけど、メモ帳の台座にはなる。そのメモ帳に弱い筆圧で出来るだけ綺麗に書いた柔らかい文字で言葉を綴る。その文字を見せる。

【あの、鉄郎さん、訊きたいことがあります】

「ん? なんだい?」

 鉄郎さんは、あたしのこと――そこまで書いて固まってしまった。

 何て書けばいいのか、分からなかった。

 違う……。

 そうじゃない……。

 あたしは…………怖かったのだ。

 あたしのこと、怨んでませんか?――なんて、怖くて訊けない。

 大好きな人に嫌われるのが――怖い。

 大好きな人に怨まれていると知るのが――怖い。

 大好きな人に……あの少年のような鬼の瞳を向けられるのが――怖かった。

 そんな震える心に動揺して心臓が早鐘を打つ。呼吸が荒くなり視界も定まらず、手も動かなくなって、ペンが押し付けられたメモ帳がペン先から黒く染まっていく。

 それはまるで自分自身の心の疑念のように、暗く、黒く――広がっていた…………。

 そう固まるしかなかったゆまの両手が、そっと温かい温もりに包まれる。

 伏せられていた頭を上げると、そこには膝を折って自分と視線を合わせてくれた鉄郎の優しい笑顔があった。その正面から包まれたゆまの両手に、鉄郎からの優しさが温かさを通じて心にも伝わってくる。

 すると、不思議と手の震えは止まっていた。

「訊き難いことだったら、今、無理して訊かなくても良いんじゃないかな?」

 自分の中で整理できてからで良いと思うよ――と、優しく微笑んでくれた。

 その優しい笑みに、ゆまはじわっと広がりそうになった涙を抑えて、こくこく、と強く頭を上下に振って頷いた。押さえようと思った涙は、その反動でぽろぽろと零れていた。

 そうだ、きっと何かの間違いなんだ――こんな優しい人が復讐なんて……

 きっと、

 きっと、うそだ。

 そう思うことで、ゆまは切り替えることにした。

 にかっ、と笑顔を無理にでも作った。

 切り替えたんだと、自分に言い聞かせるために。

 そうか、今すぐ訊かなくても――良いんだ。

 目尻に浮かんだ涙を、鉄郎の細く長い指が拭ってくれた。

 その安心感をくれるぽかぽかした指が頬に当たって、心からそう思えた。

 そんなほっとした気持ちとともに、鉄郎を見上げた――――その瞬間だった。

 鉄郎の後ろ、窓の外に太陽光に煌めく桜色の長いウェーブ掛かった髪を持つ少女。

 その髪と同じ桜色の大きな瞳が細められた――その目は、殺意を示していた!



 ――危ないっ!!



 鉄郎の腕を引き、右手でバリアーを瞬時に構築する――瞬間。

 廊下の窓の向こうから強い衝撃を放って、窓と窓枠のコンクリートが弾け飛んでくる。

 硝子片とコンクリート片が半円状のバリアーの表面を撫でるように飛んでいき、ゆま達の後ろにあった部屋の壁まで破壊した。

 その一連の攻撃の後に、その桜色の少女がにやりと笑った。

「お久し振りね」

 その少女にゆまは心当たりがあった。

 そう、ゆまをあの地獄の監獄にぶち込んだ張本人である。

 ゆまと同じ魔法少女にして、日本の敵――ハーマイオニー・マルドゥク=スサノオ。

 そして、その側にはやはり妖精(ピクシー)が一人浮遊していた。

 その妖精(ピクシー)の服は『白』――それは〈変革派〉を示すものだった。

「ゆま、あれは――」

 そのリリヤの言葉に、こくっ、と頷いて意を汲んだ。

 ゆまは相手の瞳を睨み、精神感応(テレパシー)でハーマイオニーに言葉を送る。

《そう、やっぱり貴女が黒幕――国連軍に付いて、何が目的っ!?》

 ゆまはあの日の暗い怒りと、この国を守る義憤に燃えていた。

 そんなゆまが見えているのか見えていないのか、ハーマイオニーは不思議そうに言った。

「あら? あの戦いで声が出なくなったの? それは不便ね」

 正確にはそうではないけれど、ゆまは無視して言葉を続ける。

《どうしてここが?》

「ちょっと街を散策してたら、見知った『魂』の香りを感じてね」

 ゆまは魂で人が識別できるものなのかと理解できず、リリヤを見た。すると、「魂にはそれぞれ『臭い』みたいなものがあって、識別することは可能だよ」と返ってきた。

 そうなんだと納得するゆまの様子を、至極どうでも良さそうに肩を竦めるハーマイオニー。

「まあ、そんなことはどーでも良いのよねぇ」

 そう言って、両腕を前にすっと出した。

 そのハーマイオニーに両腕には何やら幾何学的な紋章のようなものが浮かび上がっていた。

「生きていたの――そう、なら」

 その両腕がこちらに据えられ、何かを掴むように両手の細い指がそれぞれに蠢く。

「――書き正さなくっちゃねっ!!」

 その以前ゆまが好んで使っていた言葉が自らに投げ掛けられた、瞬間――。

 その言葉が含む殺気に気付いて、ゆまは鉄郎を抱えて後方に飛翔した。

 すると先程までいた空間が歪み、圧縮され、潰れていた。

 どうやらあの両腕の紋章が彼女の魔法媒体らしい。

 後方飛翔したゆまは、後方の物質を全て分解して通っていく。

 まるで泡の中から飛び出すように、分解されたビルを真横から突っ切り、鉄郎を他のビルの屋上に降ろして避難させる。

 鉄郎さん――と、言葉は発せられなかったけど鉄郎を見ると、鉄郎はゆまの頭をゆっくりと撫でてくれ、その意を汲んでくれたようだ。

「ゆまちゃん、頑張って」

 その言葉に、勇気付けられたゆまは、こくっこくっ、と力強く頷いた。

 踵を返し、敵であるハーマイオニーの方を見る。

 まだ、分解されたビルの分解煙が立ち上るビルの穴から出てきていない。

 今の内に――と、ビルの屋上から飛翔した。

 一旦、重力に従って下に行くが、そこから上へ飛翔する。

「ゆま、上っ!」

 リリヤの言葉に上方を見上げると、そこにはいつの間にかハーマイオニーが。

 その両腕はこちらを握り潰すように――捻られた。

 強力な防御結界を張る――と、歪められた空間に引っ張られたのか、両脇のビルの硝子が全てこちら側に弾け飛んだ。

 バリアーを張っているからこちらには被害はないが――その下には沢山の通行人が!

 極力被害を出さないように戦う、それが力ある者の義務だよ――と、鉄郎の言葉が頭を過ぎった。

 ゆまはその硝子片を睨み付ける。

 すると、全ての硝子片が空中で落下を停止する。

 膨大な範囲をコントロールするのに、集中力が持って行かれる。

「何それ? ……ギャグ?」

 と、いつの間にか真横で自分と同じように下の硝子片の雨が空中で静止しているのを見て、ハーマイオニーが至極不思議そうな感じに、頭を傾けて桜色の長い髪を垂らした。

 咄嗟にペンに手が伸びるが、ペンを使えば、彼女を殺してしまうかもしれない――なら。

 その停止させた硝子片を、自分の周りに浮遊させる。

 そして、その硝子片の鋭く尖った部分を真横の彼女に向ける。

「おおっ」

 どこか感心したように、そんな声を上げたハーマイオニー。

 行け――と、意志を向けると硝子片は一斉にハーマイオニーに向かって飛んだ。

 ハーマイオニーはそんな急襲してくる硝子片にも平然と、空中でステップバックして、襲い来る硝子片から距離を取った――が、その後ろはビルだ。

 避ける先を考えずに避けたのか、自ら追い詰められたハーマイオニーに、意識を集中させ――行け! と、硝子片を四方八方逃げ道なしに襲い掛からせる。

 が、ハーマイオニーはそのままさらにステップバックして、その後方のビルに――――融け込んだ!?

《――えっ!?》

 ハーマイオニーが融け込んだビルの側面に硝子片が後れて突き刺さり、中にいた人達に突き刺さった。しまった! と、思ったときには遅く、ビルの中では呻き声と血溜まりが広がり、硝子片を突き刺されたビルからは、新たな硝子片が生み出され、下の上を見上げている通行人に落ちていく――。

《――んっ!》

 硝子片が、悲鳴を上げて逃げまどう人々の数メートル手前で停止した。

 その間一髪に、ゆまは溜め息を吐いた――その時。

「あなた、ほんとに最初に会った子?」

 真後ろから声が振ってきた。

 振り返り様に、右手を振るう――が、その右手が軽く受け止められた。

 視界が後れてその艶やかな桜色の髪と瞳を捉えた。

「随分と覇気が無くなっちゃって――つまらない奴に成ってるわよ?」

 そんなストレートな言葉とともに、覗き込むようにこちらの瞳を見るハーマイオニー。

 そんな彼女に、ゆまは小さな憤りを感じた。

《それでも……構わない》

「え?」

 ハーマイオニーが極めて不思議そうに、桜色の長い髪を揺らした。

 そんな彼女に、ゆまは力強くその瞳を睨んで――いう。

《あたしは、変わったの! 変われたのっ!》

 だから、つまらなくたって構わない。あたしは今、とっても幸せだから――と、言い切る。

 そんな言い切った言葉にも、ハーマイオニーはどこか哀れみの表情を浮かべた。


「……可哀想な子」


 その言葉に、カチンっ、ときた。

 そんな言葉は許せなかった。

 そんな言葉は、あたしを変えてくれた鉄郎さんまでもバカにした言葉だったから。

 だから――絶対に、許してはならなかった。

 遥か下方で浮遊していた硝子片が、瞬時にゆまの周りに漂い、衛生のように廻っていた。

「おっ――少しは覇気が戻ったみたいね」

 ハーマイオニーはどこか嬉しそうな顔になって、ステップバックして、距離を取った。

「さあ、一緒に楽しみましょう」

 夜はまだ来ないわ――と、ハーマイオニーは両手を広げた。その両腕の模様が輝いた。

 くるくるくるくる、とゆまの周りに浮遊する硝子片。その硝子片が、ゆまの脈動に合わせるように、硝子片同士が激突してはまた回り出す。

 くるくる、パァン、くるくる、パァン、くるくる、パァン――その脈動のように一定なリズムに、ハーマイオニーも合わせて瞬きをする。

 そしていつしか、二人の呼吸は――ぴったりと合わさっていた。

 二人の目は同時に閉じられ、脈動に耳を澄ます。

 くるくる、パァン――いち、

 くるくる、パァン――に、

 くるくる、パァン――さんっ!!

 瞼が持ち上げられた瞬間、ゆまの指示は硝子片にハーマイオニーを貫けと出した。

 その瞬間、ハーマイオニーもゆまを硝子片ごと握り潰そうと両腕が蠢いた。

 が、ゆまの方が一拍早く、ハーマイオニーの両腕の魔法がゆまに掛かる前に――無数の硝子片がハーマイオニーの小さな身体を貫いた!

「――っ!?」

 両腕が大きく開かれて、無数の硝子片が身体を貫いた衝撃を物語っていた。

 が、その唇には――笑みが浮かべられていた。

《え――!?》

 ハーマイオニーの妖艶な唇が、小さくゆっくりと動いた。

 む・だっ――と。

 そう、唇が動いた瞬間――ハーマイオニーが視界から突如として消えた。

《何で!?》

 すると、後ろから突如として気配を感じた。

 振り返ろうとすると、後ろから不可視の力に手足が絡め取られる。

「ちっちっちっ――だから、無駄だってば」

 そう耳元で囁くように、彼女の声が聞こえた。

 その吐息が耳に掛かり、背筋に悪寒が走る。

「分かった、ゆま! 彼女はタキオン存在なんだ!」

《タ、タキオン存在!?》

 そのリリヤの言葉にも、何の動揺も見せずに、ハーマイオニーはさらりと語る。

「そうそう、その通りよ。お利口さん」

 手足が圧縮された空間に絡め取られ、上と下で固定される。左腕のギブスが軋む。

 その後ろから抱き締めるように、ハーマイオニーの両腕がゆまの身体を弄ぶ。

「正確には肉体を自分の世界に置いてきた、バイロケーションによるタキオン存在よ」

 リリヤは彼女が連れていた妖精(ピクシー)に拘束されていた。

「どうしてあなたの攻撃がまったく当たらないと思う?」

 ハーマイオニーの左手がゆまの左頬から唇の端に指が掛かり、そのままぬるり、と口の中に滑り込み――中指と薬指で、舌を上下に挟んで、くちゅくちゅと弄られる。

「……ッ……ぅんんっ……っっ!!」

「それはね――タキオンは光の速さより早く動けるからよ」

 彼女の右手がゆまの首もとから小さく膨らんだ胸に落ちていく。

「つまり、この光世界における物理法則で、わたしを捉えることは――」

 その羞恥から拘束を解こうと身を捩るが、手足の空間拘束がさらに強さを増して、左腕のギブスが縦に割れた。さらに両手と両足がぎちぎちと締め上げられ、軋みを上げる。

「――出来ない」

 その痛みに気を取られていると、ハーマイオニーの魔の手がゆまの左胸の一番敏感な部分を強く摘んだ。

「ひゃぅ……っっっ!!」

 鋭い痛みが左胸から脳にまで突き抜けて、ゆまは恥ずかしさに涙を浮かべた。

「あら、可愛い声で鳴くのね」

 悔しい?――と、右の耳元で囁かれた。

「悔しかったら、あなたも同じように肉体を置いてみたら?」

 はむっ――とその言葉と同時に右耳が甘噛まれ、全身に悔しさと恥ずかしさが駆け抜けた。

「んーッ、んーッ、んーッ!!」

 悔しさと恥ずかしさから逃れようと、身体をさらに強く捻って抵抗する。

 声を漏らす度に、口の端から涎が垂れて、顎まで自分の涎が伝って、さらに恥ずかしさを増す。必死の抵抗に両手両足の空間拘束がさらに締め付けを増していく。

 ぐいぐい、と抵抗する度にぎりぎりぎりぎりと、手足の締め付けがきつくなる。

 それでも辱められているこの辛さより耐えられる。

 その一心から、両手両足を今までで一番の強さで捻った――瞬間!



 ばきゃッ――!!



 濡れた音が両手と両足から聞こえてきた。

 一拍後れて視線を上げると――両手が、両足が、捻れて……潰れていた。

「、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、ッッッッッッ――――!!」

 その瞬間、声にならない悲鳴が喉の奥から全身に広がって――離れた。

 唐突な驚き、唐突な熱さ、唐突な痛み――それらが、突如として離れていった。

 気が付くと、ゆまは両手と両足を庇うように丸めて、空中に蹲っていた。

《……ぇ……!?》

 ふわふわとしていた。

 それは、魔法で浮いている感覚とはまるで違う。

 それは浮いていることが当たり前の浮遊感、地面に足が着かない――幽霊の境地。

 そんな死を連想させるような浮遊感に、怖気を感じて自らの身体を求め視線を彷徨わせる。

 すると、自らの肉体は遥か下方にあり、桜色の長い髪の少女が片手で持っていた。

 先程まで真後ろで自分を辱めていた存在が遥か下方にあり、その少女はまるで子供がオモチャに興味を失せたように、ぽいっ、とゆまの身体を近くのビルの屋上に投げ捨てた。

 ゆまの身体は力無く、ビルの屋上の方へと頭から落下していく。

《ダメぇぇぇ――っ!!》

 そう心で念じた瞬間、ゆまの肉体の周りが青く発光し――ゆまの身体は無事にビルの屋上にゆっくりと、着地できた。

 その瞬間、遥か下方でゆまの身体を投げ捨てた少女が笑んだのが分かった。

 その少女は先程までとは違い、ゆっくりと普通の速度でゆまの近くまで浮遊してくる。

《どう? 肉体を脱ぎ捨てた気分は?》

 爽快でしょう?――と、どこか清々しいまでの満面の笑みだった。

 その笑みに一瞬、寒気より温かさを感じたのは、それだけ自分の心が動揺している証拠だと、ゆまは冷静になるために辺りの様子を見やる。

 すると、そこにはリリヤの驚いた顔があった。

《ゆま、君には本当に驚かされるよ……》

 と、リリヤはどこか決意を固めたようにゆまの瞳を見つめていった。

《勝とうっ! ボク達はまだ戦える!》

 その言葉に、どうして自分が今までリリヤの存在を軽視していたのか分かった。

 リリヤ自身も、あたし自身も、相手に心を許していなかったからだ。

 ゆまはその言葉に、初めてリリヤは自分の仲間なんだと心の底から思った。

《うんっ》

 そう思えたら、自然と笑みが零れていた。

 リリヤも同じ表情を浮かべて、二人で敵を見やる。

《友情ごっこは終わったかしら?》

 その敵――ハーマイオニーは、どこか楽しそうに笑っていた。

《さあ、これでお互いフェアに戦えるのだから――楽しまなくっちゃ!》

 そう言って空中を浮遊から滑空に変えて間合いを詰めてくるハーマイオニー。

 しかし、先程までの圧倒的な速さとは違い、普通の、至って普遍的な速さになっていた。

 これなら――いけるっ!

 ゆまは間合いを詰めるため空中を蹴った――が、すかっ、とその足は空を切り、虚しく両足が伸びただけだった。

《っ??》

 驚いたのと同時に頭が回る。どうやらタキオン存在の身体では勝手がまるで違うみたいだ――。すると、いつの間にかハーマイオニーに間合いを詰められ、その彼女の左手がゆまの後頭部を鷲掴みにして、耳元で囁かれる。

《地面に落ちてみる?》

 その言葉を理解する前に、急激に急降下して地面に向けて投げ付けられる!

 ――――――――ビルとビルの間を擦り抜け、その間の四車線の道路や青信号に進む乗用車やトラックやバイクの群――その行き交う間に落ちる――荒れたアスファルトの剥げた白線が眼前にまで迫る――ぶつかるっ!!――と、思った瞬間、ゆまの身体は――そのアスファルトのその先まで――擦り抜けた。

 その一瞬の暗闇の次に見えたのは、線路――その横から猛スピードで電車がゆまの身体を通り抜ける――その擦り抜ける間に、電車に乗っていたサラリーマンや学生、主婦に女子高生の身体をさらに擦り抜け――電車が通過し切る前に、その電車の車輪部、線路と擦れ火花を散らすレール――さらにその下の地面を突き抜けていく。

《ど、どうしよう――止まらないっ!?》

 地下鉄のトンネルを突き抜けると、そこには――再び闇に包まれていた。

 そこはおそらく土の層――世界は急激に真っ暗に閉ざされ、今、自分が落ちているのか止まっているのか上がっているのか下がっているのか、分からない。

 まるで宇宙に放り出されたように世界は真っ暗で、抵抗してもそれは空を切るだけだった。

《リリヤっ!》

《ゆま、落ちている方向へ衝撃波を作るんだ!》

 そんな助けを求めたリリヤの助言は、理解が追いつかないものだった。

《衝撃波!?》

《自分の魂を操りきるんだ! タキオン体だと物理抵抗で止まることはないから!》

 延々と落ちていく、あるいは上がっていくような感覚だけが視界を支配する。

 そんな状態を打破するために意識する――自分の先に、衝撃波を!

《はっ!》

 両手を真上、あるいは真下に向けて伸ばし――エネルギーを飛ばすように念じた。

 すると、その先が、ぼこんっ、と大きく陥没して広い空間を作り――ようやく、止まった。

《……やった》

《――はい、良くできました》

 振り返ると、そこには桜色の髪の少女が悠然と浮遊していた。

 次の瞬間、ハーマイオニーはゆまの腹部に強烈な一撃を加えた。その衝撃に、ゆまは全身が震えるような沸騰するような痛みに悶えた。その苦しんでいるゆまの顎を、ハーマイオニーは下段から強烈な蹴り上げ、ゆまは再び上方向へ真っ直ぐ止まることなく飛ばされる。

 土の闇、地下鉄のトンネル、土の闇、荒れたアスファルト、ビルとビルの間――それらを一瞬意識が混濁している間に飛ばされ、はっきりとした頭でゆまは後方に衝撃波を撃ち、空中で静止する――下方では陥没した穴にトラックが突っ込み、ブーッ、と音を鳴らしていた。そのトラックに後続の乗用車やバイクが次々激突していき、大惨事になっていた。

 ハーマイオニーが遥か下方から後れて飛翔してくる。それにゆまも空中を三段跳びの要領で下方にいたハーマイオニーの頭上に移動、そのまま振り上げた右脚が彼女の頭を捉え――遥か彼方の地面に蹴り落とす!

 ハーマイオニーを蹴り落として気が付いたのは、自分の身体から肉体的制限――股関節の障害など――が、消えていることだった。

 その久し振りにまともに動く身体に、心が喜んでいた。

《あはっ、あははっ!》

 空中を蹴って、地面に落ちていったハーマイオニーを追う。

 ハーマイオニーはそのままビルの屋上に激突すると思った――瞬間――そのままビルに融け込んで、そのまま姿を消した。

《えっ、どうして!?》

 まただ、また――!?

《ゆま、タキオン存在ならこの世界の物理現象は無視できるんだ》

《そうなの?》

《うん、だから意識的に触れない限り、ビルや地面、人だって突き抜けることができるよ》

 そのリリヤの言葉に《へー、なるほど》と、頬を綻ばせて、

《わかった》

 迷わず、ハーマイオニーの後を追って――ビルの屋上に真っ直ぐに、落ちる。

 ビルの屋上の荒い剥き出しのコンクリートの床が眼前にまで迫ってくる。

 ぶつかる――と、咄嗟に両手を前に交差させた瞬間、すっ、と何事もなく、擦り抜けた。

 擦り抜けた先には、ごうんごうん、と動く機械室だった。

 ここじゃない、と、そのままさらに下の階に擦り抜けていく。

 機械室の床、空間に断熱材や配線と埃、会議室の天井、机や書類、机の下の影の床、空間に断熱材や配線と埃、別の部署部屋、人、その頭からそのまま擦り抜けて、床、また空間に断熱材や配線と埃、天井――――と、通り過ぎていると、突如横から現れたハーマイオニーに脇腹を回し蹴りをされ、そのビルから弾き出され――ビルとビル、二階ぐらいの高さで、背中で歩道橋を通り抜けて、衝撃波を後ろに放ち――止まる。

《順応性高いじゃない? 将来有望ね》

 そう歩道橋の欄干を走って勢いを付けた回し蹴りを繰り出される。

 その回し蹴りに、ゆまも応じてその場で回転して回し蹴りを繰り出す。

 お互いの右脚が膝裏でぶつかり、そのままお互い足を折って相手を拘束する。

《将来? あなたには見せられないから残念ね》

《そうかしら? わたしが飼ってあげてもよろしくてよ?》

《遠慮するわっ》

 その辞退の言葉と同時に固定した右脚をそのままに左回転――その勢いに相手も吊られて空中で一回転し、無防備になったハーマイオニーの顔面に一回転分のエネルギーとともに、右脚を蹴り込んだ!

 その蹴られた勢いで、ハーマイオニーは錐揉み回転して上昇していき――後方のビルに突っ込んだ。ビルはハーマイオニーの衝撃波で円形状に抉られる。

 ゆまは地面を蹴ってその後を追う。

 吹き飛んできたビルのコンクリ片や硝子片を空中浮遊させながら、それらをコーティングする――魂には魂をぶつければ、攻撃は通る。それが戦って実感された。

 追いつき、ビルの大穴で一瞬の隙を見せたハーマイオニーに、浮遊させていたコンクリ片や硝子片を――叩き付けた。

《ぅ、、、、、、、、、、ああッッッ、、、、、、、、、!!》

 小さな呻き声とともに、ハーマイオニーは拘束された。

 叩き付けられたコンクリ片や硝子片は全て、両手や両足で、致命傷には至っていなかった。

《甘いわっ!》

 勝ったと一瞬の油断を突かれた。

 ハーマイオニーは両腕で空間を湾曲させ、ゆまの身体を湾曲させようとする――が、それは叶わず、ぱしっ、とハーマイオニーが紡いだ魔法が無効化され、弾け飛ぶ。

《あれ……?》

 その間の抜けた声に、ゆまが小さく溜め息を吐いた。

《あれだけ何度も何度も見せられた魔法が、いまさら効くとでも?》

 そう言うと、《何その反則――》と、呆れたようにハーマイオニーはいった。

《魔法だって所詮物理現象――あたしの敵ではないわ》

 そう言い切ると、ハーマイオニーがぐったりと疲れたようにいった。

《まさか、異世界という免罪符があるわたしが、その異世界で負けるなんてね》

 と、溜め息を吐いていた。

 それにリリヤが補足してくれる。

《彼女はおそらく、異世界という空間だからこそ、魔法を使えるんだと信じてるんだろうね。だから、異世界では負けるとは思っていなかった》

 それになるほど、と思いつつ、ゆまは自分とは決定的な違いがあるのに気が付いた。

《それじゃあたしには勝てないわ。だって、あたしの魔法は科学で裏付けされているもの》

 だから、科学で裏付けの取れていない魔法に負けるはずがないのだ。

 そう言うと、ハーマイオニーは苦笑して《なにそれ?》と言うだけだった。

《……どうしたの? あんな身体にしたわたしを、殺さないの?》

 そんな問い掛けるような言葉に、ゆまは首をゆっくりと横に振った。

《殺さないわ》

 こちらの利益にならない殺生は避けなければならない。

 それが今のゆまの信条だった――前とは、違うのだ。

《ただし、条件がある》

 そのゆっくりとした言葉に、ハーマイオニーは首を傾げて《条件?》と訊いてきた。

 だから、ゆまは相手の桜色の瞳を、強い意志で見ていう。

《この世界から――手を引いて》

 その言葉にハーマイオニーは沈黙した、が、やがてそれは小さな苦笑に変わっていた。

《それがわたしを見逃すって条件、ね》

 なるほどね――と、ハーマイオニーは小さくどこか優しげに笑った。

 その横の妖精(ピクシー)が、《おいこら、てめ勝手に!》とか喚いていたが、彼女は無視していた。

《……命には代えられないものね――それに、別にこの世界にそこまでする義務も執着もないしね》

 そう言って、足元の拘束を砕き、よろよろと立ち上がるハーマイオニーは、ゆまを見て、くすみのない笑みを浮かべて宣言した。

《――手を引くわ》

《二度と、この世界に来ないで》

 そうゆまが強い意志でいうと、小さく笑って、

《ええ、もう二度と会うことはないわ――多分、ね》

 そう言って、ハーマイオニーは――――消えた。

 まるで最初からそこに居なかったかのように、その存在を消した。

 その突如の消失に、どこかゆまの心の一部が喪失した気がほんの一瞬だけした。

《ゆま、お疲れ様》

 リリヤのその労いの言葉に、小さく微笑んで頷いた。

 ――どうやら、今回は勝てたようだった。

 一瞬の達成感があった。でも、戦闘が終わるとゆまの心にはそんな目の前の勝利よりも、もっと心を悩ますことで一杯だった。



 そして辺りにサイレンが響くなか、一連の戦いは――――幕を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ