25
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冬実の不愉快な仇と決別して朝日が差し込んでくる廊下を歩く。
智秋は左手に持った血の付いた銃口をハンカチで拭っていると、不意に口腔で激痛が走り、ハンカチで口元を押さえた。口腔には血の味が広がっていた。舌で確認するとどうやら噛み締めすぎた所為で奥歯が割れたらしい。
溜め息を一つ吐いて、ハンカチで銃口をくるんで、懐に仕舞った。
廊下を早足で抜け、角を曲がると――そこには一人の男が立っていた。
「やあ」
中性的な顔の男――本郷鉄郎だった。
「君が祖国と私怨、どちらを選ぶのかと見ていたけれど――そのどちらも得るなんて、智秋は本当に強欲だねぇ」
鉄郎は赤縁眼鏡を持ち上げて、にやりと薄い笑みを浮かべていた。
その実に勘に障る反応に、智秋は苦々しい歪んだ顔になった。
「……貴様が言っていた最初の魔法少女を襲撃した吸血鬼少年の話――まさか、私が奴を追い詰めるための情報を言っているとは思わなかったぞ」
そして、風見蕾にこちらのことを教えたのは鉄郎だろうと智秋は気付くしかなかった。
鉄郎は嘘は吐かないし約束は違えないが、それを反故にしない範囲で彼の思い描く方向に導こうとする。そしてそれはいつも全てが終わってからでないと分からない。
「まさか、貴様――風見蕾に対する『嫉妬』から追い詰めたのではなかろうな?」
彼の最愛の妹――本郷明日香と恋仲だったという風見蕾に対する嫉妬。
その妬みを晴らすために、自分は利用されたのではないか?
そうした臆測をしてしまう。
「はは――まさか」
鉄郎は曖昧な笑みを浮かべて、曖昧な返答をするに止まった。
否定はしないが、肯定もしない。
つまり、自分でもよく分からない行動なのかもしれない。
智秋はそう思うことで辛うじて冷静さを保った。
「それよりも、もうそろそろ君の誓約相手を紹介してほしいね」
その言葉に、智秋は心臓が一瞬止まったかのような錯覚を覚えた。
あまりに唐突な言葉、唐突な何の伏線もなくバレた事実に一驚し(う)た。
「何を――」
「今更隠さなくて良いよ。それに君に駆け引きは無理だ。駆け引き畑の外交官とストイックに命令を遂行することが求められる軍人とでは、話にならないよ」
時間の無駄だからさっさと話してよ――と、冷たい笑みを浮かべられた。
確かに、軍人は基本的には政治の世界に無関係だ。
基本的に軍人は政治決定された命令に従うことのみを要求される。
軍人は基本的に政治を考えない。
悪い軍隊なんて居ない、あるのは悪い司令官のみだ――とはまさにそうだ。
だが、鉄郎は違う。
外交官で直接政治の世界――駆け引きの世界で過ごしている。
それも国対国の最前線の駆け引きを普段からしているのだ。
そんな相手に相手の土俵で勝てるわけがない――――。
「……カナタ」
智秋は溜め息を一つ吐いて、その名前を呼んだ。
すると、智秋の右肩にふわっと現れたのは一人の妖精だった。
「あははー、バレちゃいましたねー」
その小さな両手を合わせて、失敗したぁ、という感じにカナタは微笑んでいた。
「わたし、カナタと言いますー。智秋さんとは誓約を結ぶ間柄ですぅー」
よろしくお願いしますねー――と、鉄郎に小さな手を差し出した。
「そう、僕は智秋の古くからの友人です。今後とも、よろしくね」
「はいー」
鉄郎はカナタと握手して、親交を深めていた。
それに対して智秋は疑問を抱かざるを得なかった。
「鉄郎、なぜ分かった?」
「ん? なぜって、そんなの適当な条件を当て嵌めていけば簡単じゃないか」
一つ、この世界に僕が最初に会った妖精はここに〈変革派〉が来ていると言った。
一つ、最初の魔法少女はそうではなかった。
一つ、では、未だ現れていない魔法が使えるようになっている相手は誰か?
一つ、もしかしたら、魔法を使えなくてもその条件下に入る可能性があるとしたら?
「条件を纏めていくと、誓約者=魔法使いではないと考えた場合、〈変革派〉の理念に立ち返ったわけさ。〈変革派〉の理念はこうだ。『自分達妖精が優遇される世界の枝を作り上げること』で、『一つの自分達の楽園を作って人生を楽しもうとする派閥』なわけだ。そうなると、自分達妖精が優遇される世界すら構築できれば、その『力』というのは魔法に限ったものではないわけだ。知っての通り、最初の魔法少女は魔法こそ強大だが、それ故に世界から排除された。だったら、そうではなく、自分達の楽園を作るための『力』とは何か? それは――権力だ。その世界における政治に影響する『力』。それを有するのは、魔法を使えるメルヘン少女やメルヘン少年ではなく――リアリストな大人だ。つまり、この場で未だに権力を保持し、彼女らの楽園を作れるであろう人物は、俺か君しかいない――つまり、俺じゃない場合、君しかいないと言うわけさ」
世界樹から伸びる枝の先、可能性(未来)を知っている彼女達なら君がそうした力を持ち得ると分かるわけさ。遅かれ早かれ、ね――と、鉄郎は淡々という言葉に、頷かざるを得なかった。
自分の先読み能力の無さを反省した。
「――と言う、カマを掛けたんだよ」
「なに!?」
反省した瞬間にそんな言葉をいわれ、智秋は呆然とした。
「いやー、こうもあっさりと掛かってくれて良かったよ。ほんと、君は駆け引きには向いていないよ、智秋」
そんなことを平然と言ってのける鉄郎に、自分はしてやられたのだと別の反省が生まれた。
押し寄せる頭痛をこめかみを押さえて耐える智秋。
「いやいや、よく考えてみなよ。この七十億人ともそれ以上とも言われているこの世界でだよ、その一人が都合良くここに居るなんて普通は思わないわけさ」
何年か前にこの世界に現れたであろう彼女。その彼女の妨害のために最初の魔法少女が生まれた。そして、それを妨害するために、ハーマイオニーちゃんがやって来た――と、いうのが今までの経緯だよ――と、鉄郎はさらさらと説明する。
「だから時期的、タイミング的に何故、ファーストとセカンドが現れたのか――という推理と、根本原因を当て嵌め最後は消去法でこうしたハッタリでしか絞れないということさ。もし違っていても違うだけだし、ってね。まー、大体予想通りで良かったとは言えるけど」
まるで根拠がないかのような言葉だが――こいつの事だ、確信はあったのだろう。
そして智秋は鉄郎の言葉に引っ掛かりを覚えた。
「良かった? お前にこの誓約が何の得に……?」
実は智秋自身もこの誓約は事故のようなものだった。
智秋自身、この誓約で利を得てはいなかった。
「分からないのかい?」
そんな智秋に、鉄郎は心底不思議そうな顔をする。
「察しが悪いなぁ。まさか俺が本当に妖精だけの知識で満足するとでも思っていたのかい? 異世界からの知識を得られる環境を作れた方が、この国の安全保障的にも安泰だろうよ――そうでないと、『力』だけでこの国を守れるわけがないだろう?」
その言葉に、ぐうの音も出なかった。
そして鉄郎の後ろの窓から、ひょっこり、と「呼んだ?」顔を出した者がいた。
ハーマイオニーという異世界の少女だった。
その少女の近くを飛んでいた妖精は白い服を着ていた。
その『白』とは〈変革派〉のシンボルカラーである。妖精はそれぞれの派閥によって服の色を変えている。それには偽りは許されず、偽れば強い罰則があるという。
そう、智秋の大きな疑問だったのは、ハーマイオニーの誓約者のエミリアが『白』の〈変革派〉であったことだった。
「やあ、ハーマイオニーちゃん、ご苦労様。――智秋、どうしてエミリアちゃんの存在をそのまま君に見せていたと思う? それは君の反応を逐一見るためさ。そして、君が最初に浮かべた疑問符の表情から大体を察したと言うわけさ」
「と、言うことは――この世界は最初から最後まで〈変革派〉の勢力下にあった、と言うことか?」
「その通り」
鉄郎はその顔に、どこか暗い笑顔を浮かべて言った。
「この世界で省かれるのは〈秩序派〉なんだよ。最初から最後まで」
最初から最後まで。
その言葉で智秋は悟った。
鉄郎は最初から最後まで、祖国のことを考えて動いていたのではない。
――君が祖国と私怨、どちらを選ぶのかと見ていたけれど。
その言葉はつまり彼は既に選んでいたということだ。
彼は『私怨』を選んでいたのだ。
その事実に、背筋に冷たいものが走った。
「この世界での敵は、〈秩序派〉のリリヤちゃんと一文字ゆまちゃんさ」
カマイタチ事件から鉄郎は既に彼女が犯人だと睨んでいた。
だから、〈変革派〉であるエミリアとハーマイオニーに協力した。
そしてついでにこの国も救う。
鉄郎にとって、この日本国とは私怨と比べるとその程度だったのだろう。
祖国を優先した自分とは大きく違っていた。
「さて、腹を割って話そうか――こっちの内情はもう既に話した通りさ。さて、ではどうして智秋は妖精と誓約を? それもこの国を、世界すら売っていると思われても仕方のないことを? そして君は魔法を使えるのかい? そもそも何年前に出会ったんだい?」
その雪崩のような質問の連鎖に、智秋は冷静に一つずつ答えていく。
「魔法は使えない。当時――五年前は『力』が欲しかったから、誓約をしたんだ」
学生だったある日の、カナタと出会った冬の寒さが脳裏に過ぎった。
「しかし、魔法は得ることができなかった。まあ、当然だね。魔法とは信じる力だからね。大人がそれを叶えようとすれば、精神異常者しか無理だね」
「あははー、わたし新米で知らなかったんですよー。でも、結果オーライですねー」
「そうだねー、あはは」
そんな緩いトークが鉄郎とカナタの間で繰り広げられていた。
結果として自分は何も得ることがなく、カナタの一人勝ちだったというわけだ。
これが天然だろうが人工だろうが、結果として自分は利用されたのだと智秋は思った。
「――で、その『力』を得たかった理由は?」
鉄郎のその言葉に、静かに息を吸い――滔々と語り出す。
その瞳には許さない義心の炎を湛えて――――。
「私は忘れない、昭和二十年八月の――ソ連軍の侵略を」
昭和二十年、八月六日――広島に原子爆弾リトルボーイが投下される。
同年、八月九日――長崎に原子爆弾ファットマンが投下される。
同年、八月十一日――南樺太にソ連軍が侵攻。
同年、八月十四日――ポツダム宣言受諾、日本降伏。
同年、八月十五日――玉音放送。
同年、八月十八日――占守島に(しゅむしゅとう)ソ連軍が侵攻。
「私の曾祖父は日本の最北端、占守島で命を落とした。もともとアメリカに対して武装していたが、大東亜戦争が日本の敗北で終わり、降伏宣言をし、武装解除をしたその後に、日ソ中立条約を一方的に破棄し、攻めてきたソ連軍によって――殺されたのだ!」
完全なる侵略。
完全なる条約違反。
完全なる、国家犯罪だった。
「それがどうだ? 今の日本人は北方四島? 樺太で流された命はどうなった? 千島列島で――占守島で流された曾祖父達の命は一体何だったのだっ!!」
占守島での死者約六百人。
南樺太での死者約四四〇〇人、内約三七〇〇人が民間人だった。
敗戦後、日本が流した命だった。
そしてソ連軍の記録では二万人近くの日本兵が拉致・シベリア抑留された。
もともとソ連は今作戦で北海道まで侵攻しようとしていた。
しかし、樺太での戦いと占守島での戦いの予想を超える日本人の抵抗に断念したという。
「祖国のために降伏後も戦った、彼らの命は何だったのだッ!!」
北方四島の内、二島返還?――巫山戯るな、南樺太も千島列島も全て日本の領土だ!
ソビエト連邦はサンフランシスコ講和条約の調印を拒否したのだ、国際法上も日本の領土だと示されている。
「なのに、なんだ今の、今までの政権は? 何なんだこの国の政治家は? 一体何なんだ、この国の国民はっ!! ――こんな彼らの元で、領土返還が可能とは思えない」
だから、力を求めた。
だから、自衛官になった。
だから、この日本の戦後始まって以来の今の危機が、チャンスにさえ思えた。
「領土とは国家の基本だ! こんなことも分からない為政者や国民の元で、一体何を期待できると言うのだ!?」
だから、己の手で取り戻そうと決めた。
だから、己を磨き続けた。
だから――
「私一人の命ぐらい、妖精に捧げてくれよう」
最初から自らの命を賭するつもりだった。
売国奴には絶対に成らない、成るぐらいなら死を選ぶ。
私はこの国が――日本が大好きだから。
「あの日、侵略された我らの領土を取り戻すために今まで頑張ってきた! 冬実とともに……だから、私はその両方を諦めない――ただ、それだけの話だ」
智秋が、そうトーンを落として語り終える。
人間一人ではどうしようもない、抗いきれない霧が未来を閉ざす。
そんな先の見えない世界に、智秋は抗おうと決めたのだった。
あの日、あの雪の降りしきる冬の日――一人の妖精に出会って……。
すると、いつもの鉄郎なら拍手でもして薄い笑みを浮かべるのだろうと思っていたが、鉄郎はその智秋の言葉に、苦い顔をしていた。
そしてぼそりと、ただ一言呟いた。
「止めくれよ、そんなに熱く語られたら――眠っていた愛国心が目覚めてしまうだろう」
そう言って、大きく溜め息を吐いて、気持ちを切り替えていた。
「――しかし、まあいいさ。この世界での勢力図は最初から〈変革派〉に軍配が上がっていた。そして彼女ら妖精からも我々日本人は知識提供を受け、我々は無敵の国家を作る。それこそが、永劫的に強大な敵として世界に分かり易い共通の敵を作る礎となる。異世界からの知識提供だ、これに勝るものはない――永遠に、ね」
改めて今回の内訳を聞くと、見事なまでに自分達が鉄郎の手のひらの上で踊っていただけなのだと痛感する。今回、黒幕として曝かれると思っていた智秋は、結局は真の黒幕に真実を告げられただけなのだった。
そして、それを告げるということは、完全なる作戦の完遂を告げるものでもあった。
完膚無きまでの勝利宣言――そういう話だった。
智秋が全ての内訳を理解して、溜め息を吐いた。
「彼女をどうするつもりだ?」
それは最初の魔法少女――一文字ゆまのことだった。ある意味今回の一連の事件の被害者であろう少女の運命を智秋は少なからず、気に掛けていた。
だが、そんな智秋の案ずる心は、鉄郎の前には意味を成さなかった。
「生きている限り、徹底的に利用して絞り滓にするつもりだよ」
魔法少女だろうが、吸血鬼だろうが、妖精だろうが、表舞台に出てきたならば政治利用される。それが人間社会の包摂性だからね――と、曇った瞳で歪んだ笑みを浮かべる鉄郎。
そんな鉄郎に、智秋は再度溜め息を吐いた。
悪魔か、こいつは――と思う気持ちを顔に出さないようにしつつ。
すると、ハーマイオニーが呆れた声色で鉄郎に言った。
「わたしは帰るわよ」
「分かっているよ。――でも、エミリアちゃんとの誓約の限りにおいて、手伝って貰えるんでしょ?」
「え? ええ、まあそうね」
その鉄郎の言葉に、不承不承そうに頷くハーマイオニー。
「なら、問題ないよ」
そして、鉄郎が暗い笑みを浮かべて言った。
それは智秋には真意が分からない言葉だった。
「最後に一芝居打ってもらうよ――これは最初にエミリアちゃんとの、こちらの協力条件だからね」




