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ペルソナ・ノン・グラータ 日本鎖国  作者: テロメア
第2章 後篇
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「お兄ちゃん……」




 ☆日本 東京 本郷宅 九○二号室



 少女がまず最初に言われたことはこうだった。

「戦争は地獄ではない。どこまでも相手との利益衝突だ」

 その言葉に一文字ゆまは首を小さく傾げた。

 彼女が救出されてから数週間後、ようやくやせ細っていた身体に平均的な筋力が回復してきた。ただし、股関節が粉砕骨折しており、それが自然治癒による不完全回復の結果として左脚が思うように開かなくなったこと、鉄郎がゆまの右耳に語りかけているように左耳が聞こえなくなっていること、左脚から顔にかけて大きな傷が残ったことを除けば――の回復である。リハビリもゆまは他人をもはや一切信用できなくて、鉄郎に任せているぐらいの人間不信になった精神状態も除かなくてはならない――しかし、その精神状態も鉄郎の「君はもう戦わなくても良いんだよ」という言葉で徐々に回復の兆しを見せている。

「だから戦争をしたならば、相手を傷付けたのならば、その分こちらは相手の痛みに対して利益を得なければならない」

 今、ゆまの心には鉄郎しか住んでいなかった。

「相手の痛みにこちらの利益が釣り合わないのは、子供の暴力だよ」

 だから、鉄郎の言葉はすんなりと頭に入ってきた。すんなり頭に入ってきたが故に、その言葉が胸に突き刺さって、小さく俯いた。自分のしたことがすべて正義だとは流石のゆまも思ってはいなかった。巻き込んでしまった民間人や無関係の人々の顔が脳裏を過ぎった。

「相手を傷付けるのなら、相手が流した血や命に値する何らかの利益を得なくては相手に失礼だ――今の日本は君の行動によって何かそれに見合う利益を得たかい?」

 その言葉は一番ゆまの心を強く締め付けた。

 なぜなら、日本の国際的立場は今、敗戦後もっとも最悪の状態だからだ。世界中で日本人だというだけで迫害や厭がらせを受ける――それはゆまの思いとは逆行することだった。ゆまはあくまでも日本の為に戦いたかったのだ。

 ただ、その戦い方を知らなかっただけなのだ。

「ゆまちゃん、いくよ」

 鉄郎のその柔らかい言葉とともにゆまは足首をゆっくりと伸ばしてもらい、小さな激痛に顔を顰める。そのゆまの反応に鉄郎は「大丈夫?」と優しく微笑んでくれた。ゆまはそれに無言でこくこく、と浮かんだ涙を隠して頷いて応えた。

 毎日のリハビリ、その間の時間をこうした講義で自分の過ちを正していく。

 今のゆまに足りないものは圧倒的に知識と理論だった。

 今日のお題は『正戦論』である。

「でも、起こしてしまったことをいつまでも後悔していても進まない」

 鉄郎がゆまの上に乗るように、開かない足を押し上げる。

 鉄郎の吐息がふわっと甘い香りで、ゆまの鼻孔をくすぐった。

「もちろん、反省することは大事だけど、その反省は次に繋げてこそ意味を成す。次に繋げないことはただ単なる後悔でしかない」

鉄郎の顔がさらに近付いて、ゆまはどきどきと心拍数が上がるのを感じた。

 彼にどきどきが聞こえてしまうんじゃないかと思うと、さらにどきどきが止まらない。

 ……お願い、ちょっと……落ち着いて……。

「後悔なんて時間の無駄だから止めておきなさい。するなら反省、そしてそれを次に繋げることこそ、過ちを犯した相手に対する最大限の誠意なんだよ」

 足のストレッチが終わって、離れていく鉄郎に少しがっかりしつつ、鉄郎が微笑む。

「『過ちて改めざる、これを過ちという』、だよ。孔子様も良いことを仰る」

 と、微笑んで、ゆまの少し汗の滲んだおでこをさらりと撫でてくれた。

 その優しい言葉と、柔らかい笑み、柔らかい手の温もりに、ゆまは心が解されていく。

「……うん、次に繋げる、反省をする」

 ゆまは言われたことを素直に受け取ると、鉄郎はまた頭を撫でてくれた。

「うん、素直は良いことだよ。ゆまちゃんは偉いなぁ」

 その鉄郎の掌の温もりが髪の毛を越えてゆっくりと頭に染みこんでいく――頭がぽわ~として、ゆまは自然と身体全身が熱くなり、頬が緩んだ。

「さて、本題に入ろうね。今日の議題は『正戦論』だ。正しい(いくさ)の(論理で正戦論。聖なる戦争ではなく、正しい戦争の話だよ。さて、正しい戦争とは何か? 議題として上がるのは二つ、『戦争への正義/ユス・アド・ベルム』と『戦争における正義/ユス・イン・ベロ』を見ていかないといけない」

 リハビリが一通り終わって、ソファーに腰掛けた鉄郎の方に向かって、左脚を引き摺りながらひょいっと、鉄郎の膝の上に腰掛けた。その位置から鉄郎を見上げると、鉄郎が優しい笑みを浮かべて、絵本を読み聞かせてくれるように話の続きを話してくる。

「ゆまちゃんの場合、前者の『戦争への正義』の段階で間違えたと言えるかも知れないね。しかし問題なのは、この正戦論というのはあくまで国家対国家での話を前提に述べられていて、個人対国家というものではないから、正確には論じることは出来ないだろう。でも、第一ステップの戦争を始める発端や、戦争の在り方を見ていけば参考にはなるだろう」

 ゆまは鉄郎の華奢な身体にぽふっと凭れ掛かった。華奢とは言っても、ゆまにとっては大きな身体で自然と安心感があるものだった。

「確かに結果として独裁国家や侵略国家だった国が、ゆまちゃんの鉄槌で民衆発起が喚起されて打倒されて、アジアの国境線が今急激に塗り変わっている。これは世界的に見ても大きな成果だと言えるだろう。しかし、世界中の経済に与えた影響は大きかった。独裁国家だとはいえ、世界の経済に大きく食い込んでいた大国が崩壊したことは、あまりにリーマン・ショック後まだ立ち直っていない世界には大きすぎる打撃だったよ――とても時期が悪かったと言えよう。――故に、ここで問題となるのは、果たして 〝今〟 あの戦争は必要だったのか否か、という問題だ」

 今回ゆまちゃんが行った個人による断罪とも言える個人対国家の戦争は他に類がない。

 故に、これはどう論じられるかは後の学者に聞くしかないだろう。

 しかし、一つ言えることは、果たして利益=国益という面から見た場合、国家として功利主義的に今回の戦争は本当に必要だったのか否か。必要ではなかったのならそれは『戦争への正義』が成り立たなくなってしまうだろう。

 戦争への正義が、国益の面で見て成り立たないのならそれは罪だと言えてしまう。

 しかし、その罪とはなんぞや?

 と問われたときに、現在の学者は誰一人として答えることが出来ないだろう。

 前例がないからね、仕方がないことなんだろうね。

 今後の議論の的にはなるだろうが、今すぐには答えは出ない。

 だからといって、罪がないかと言えばそうではない。

「それは分かるね?」

 その言葉にゆまは、沈鬱な暗い顔をした。

 思い起こされるのは、国のために散っていった敵対した軍人達の顔だった。

 軍人達はあくまでも命令に従っているだけ。

 国家を守るためだけに戦っている――軍人個人はあたし自身の敵ではなかったのだ。

 そう、ゆまは思うと心が激しく痛んだ。

 彼らだって家族が居ただろう、子供や恋人、親や友人が。

 それなのに、あたしは奪ったんだ――――。

 そんなゆまの落ち込みを察したのか、鉄郎はゆまの頭を撫でた。

 優しく、ゆっくりと。


「君の罪は消えない。しかし、君はこれからも行動を起こせる。罪は消えないが、罪を背負ってその分、人々に貢献すればいい。それは力を持った者の責務だよ」


 と、優しく語りかけてずっと撫で続けてくれた。

 その鉄郎の言葉に、小さくこくっ、と頷いてゆまは決意を新たにした。

「それにね、一概にゆまちゃんの行動が全て悪いというわけでもないんだよ。例えば、一八四二年のカロライン号事件を取り上げてもそうさ、自衛及び自己保存として先制攻撃をイギリスがしたわけだ。ダニエル・ウェブスター国務長官曰く『いかなる手段も選択も、いかなる討議の時間も残っていない、急迫した、抗いがたい――自衛の必要が証明されなければならない』、とある。日本の場合、反日集団達には~となるけど、そこまで――つまり、戦争が必要となるまで急迫した状態にはない、あるいは見えない。しかし、それが二十一世紀の新たな戦争の形――つまり、文化破壊戦争だ――とは、論じられている」

 ゆまの頭を大事に大事に撫でている鉄郎は言葉をそのまま続ける。

「そして、先制攻撃とは一個人に置き換えた場合、極論的だが正当防衛に該当するだろう。例えば、相手にナイフで刺されそうになっている、理由なんて分からない、気が付いたらそうなっていた。そう言う場合、日本の自衛隊は現行法では刺されるまで何も出来ない。国際的には刺される前に防御、もしくは反撃が許されている――この時点でかなり問題だ」

 ゆまの絹のようなさらさらとした髪を撫でて、鉄郎は続ける。

「だから、フランシス・ベーコンも『切迫した危険の正当な恐怖だけで、戦争の合法的な理由となる』と、言っている。この場合、ゆまちゃんが行ったのは、アジア諸国が行っていた反日運動や反日政策による、危機感から来る正当な恐怖を感じた――故に、行動に移したというのならば、それは正戦論上反しないとも言える。それに、神学者のフランシスコ・デ・ヴィットリアも『戦争を始めるにあたってはひとつだけ正当な理由がある。即ち、それは加えられた害悪である』と言っているしね」

 つまり、反日行動は、それの理由となりえる。少なくとも、個人には――と、鉄郎。

「あるいはスコラ派の著述者達には『危害と挑発』は『正しい戦争の理由と成り得る』とされているが、それは騎士道的な国家への侮辱に対する決闘的なものだから、現代では違うだろう。しかし、ゆまちゃんのように個人対国家なら――話は変わってくるかも知れない」

 鉄郎はゆまの柔らかい頬をぷにっ、として触った――擽ったかったが反応ができなかった。

「――しかし、理由はどうあれ、先制攻撃は相手に侵略だと言われてしまえば、どうしようも……って、あれ?」

 さっきから鉄郎は反応が鈍いと思ったのか、ゆまの頬をふにふにしていたが、ダメだった。

 ゆまにとって、現在の時刻――午後九時三十二分は小学生のゆまにとって、既に眠くなるには当然の時間だった。

 ゆまはうとうととして、さっきまでの話が半分以上が微睡みの中に消えていた。

 鉄郎が「おやおや」と頭を撫でてくれて、優しく「おやすみ」と頭にキスをしてくれた。

 そのキスされたところから、脳が痺れるような甘い感覚に全身を弛緩させながら、襲い来る睡魔と戦ったけど――ダメだった。

 鉄郎の言葉に、後押しされたように、ゆっくりと眠気に身を任せていく。

 ゆまはたくさん失ったけれど、ゆまは人生で今が一番充実していて、とても幸せだった。



 ゆまはその優しい睡魔に、身を委ねた――――。

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