12
「倫理なんて時代とともに移ろう物。そんな物に価値なんてないわ」
♪
「吸血鬼とは、もともと妖精なの」
月女が発した第一声は、『吸血鬼』それ自体の既存概念を壊すものだった。
月女は小さな身体をどかっと応接室のソファーに深く沈めて、語る覚悟を決めたように言葉を吐き出した。
「シー?」
蕾は思わず聞き返していた。
月女はそれに頷いて応える。
「そう、シー。つまり、妖精よ」
月女によれば、もともとは『ダーナ神族』だったとも言われているらしいが、その真偽のほどは月女自身も彼女らからしたら特別長命な方ではないようので、知らないらしい。
妖精を『シー』と呼ぶのも、十八世紀までスコットランドで使われていたゲール語が語源だそうだ。その前もいくつか呼び方があったそうだが、今ではこれが一般名称らしい。
すると、鉄郎がその月女の説明に疑問を浮かべて質問を発する。
「ピクシーとシーの違いはなんだい?」
「ピクシーは外世界からの存在、そこのちっちゃいものがそれね。シーとはもともと『箱船』に乗ってこの世界にやってきたと言われているわ」
この世界とは今日では『地球』を示すようだ。つまり、ダーナ神族が居たと仮定して、イコール妖精なのだとしたら――彼女らは地球外生命体と言うことになる。
その荒唐無稽さに呆れてか、鉄郎は「箱船、ねえ」と小さく肩を竦めた。
そんな鉄郎の態度に、「所詮、神話よ」と付け足す月女が嫌そうな顔をしていた。
「あ、わたしの世界にも似た様なものがあるわよ」
と、ハーマイオニーが場の空気より少し軽い、世間話程度のトーンで言葉を発する。
「わたしの世界では外宇宙から来た、て言われているわ。どこの世界でも似たようなものはあるみたいね」
「外宇宙? それだと超絶概念が飛躍した宇宙船が『箱船』なのかい?」
「そうみたいね。昔の人類のことは『神々(アーラン)』として人類の元祖としているわ。人の形も彼女ら神々を模しているのだから」
「模す? じゃあ、今の君の姿形は偽物だと?」
「いいえ、これも正式なもの。種属によって変わるのよ」
ついでにわたしの種属は竜よ――と、しれっと言ったハーマイオニーに、ゆるりと笑って鉄郎は「異世界だからって何でも許されるのはどうなのかな?」と呆れていた。
「じゃあ、その竜の姿を見せてくれないかい?」
と、意地悪に言ったが、顔を赤らめてハーマイオニーは怒った。
「そ、そんなの無理に決まっているでしょう! わたし達のモラル感は『公共の場で種属の姿を晒すのは恥』とされているのよ。竜の姿を見せろというのは、つまり、裸を見せろというのと同じなのよ? 失礼でしょうっ」
その反応に、やれやれと肩を竦めて鉄郎は「じゃあ、話を戻そうか」と月女に向き合った。それに対してハーマイオニーは鉄郎の頬を捻って「謝りなさいよ」と怒っているのに、鉄郎は「ごふぇんごふぇん」と、頬を引っ張られながら謝っていた。
咳払いを一つして、月女は仕切り直した。
「もともとこの世界の人間の『妖精像』には二パターンあって、元来のものでいくなら人間と同じサイズであったはず。それが月日を重ねることで徐々に小さくなっていった。その語りは、我々シーが表舞台から姿を隠し、代わりにピクシーが表に現れるようになったことを示すのよ。まあ、シーもピクシーももともと居たのだけれどね」
人間の妖精像の変化は、妖精を少し知っていればすぐに分かることだ。
月日を重ねる事に妖精達は小さくなっていった、と言われている。
それは信仰を失った神様の力の衰退を示すものらしいが、事実は違ったようだ。
その月女の言葉を追随するように、鉄郎が肯定の意を述べる。
「確かに、ヨーロッパの妖精像を見ると、そんな感じだよね」
そう応えてから「あっ」と思い出したように、
「そう言えば、妖精のなかには血を吸うものが昔から居たよね――バーヴァン・シーとか、リャナン・シーとか」
あれ、後者は精気だったっけ――と鉄郎は訊ねた。
それに月女は「そうよ」とあっさり頷いて答えていく。
「もともと我々『妖精』は血を摂取することがある。これは種として必要事項なの」
いえ、『だった』が正確かな――と月女は続ける。
それは生物として人間が酸素を吸うのと同じぐらい自然なことのように、と。
「我々(シー)は不老半不死だけど、それを維持するためには新しい免疫記憶が必要となってくるの。だから、定期的に形状が似ている人間から血液、もとい免疫を貰っているの」
「ダウト」
月女のその言葉に鉄郎がにこりと優しそうな笑みを浮かべて、ぴしゃりと言い捨てる。
月女は驚きとともに顔を上げると、鉄郎の呆れたねっという顔が出迎えた。
「地球外生命体を主張する君達が、どうしてワクチンも作れないんだい?」
おかしな話だろう?――と、鉄郎は月女の言葉の穴を的確に突いた。
その言葉に蕾もはっとさせられる。確かに、箱船=宇宙船の技術がある彼女の先祖が、それまでの生命活動でワクチンを作れないはずがない。そもそも、どうして不老半不死を維持するのに他生物から免疫記憶を貰う必要があるのか。一つ突けば、疑問は尽きない。
月女の横顔を見ると、無表情になっている。
そうして、その長い睫を伏せて言葉を続けた。
「ええそうね、少し省略し過ぎたみたいね。いちいち説明をするのが面倒だったの。謝るわ。正確には我々『妖精』にある吸血能力は原住生物の免疫記憶を頂く為のものよ」
その惑星で生き残るためにね――と、月女は言うが鉄郎は「ダウト」と繰り返した。
「それだと君達は既に僕達人間と同じ形式になっている。生物としての形式がまるで違う存在ならば、それがいかに原住生物の免疫記憶による情報だろうが意味はない」
他生物のコラーゲンを摂っても人間のコラーゲンに成るとは限らないという話と同じだよ。
自分と適応しない他生物のコラーゲンがそっくりそのまま適応されるはずがない。
同じ人間同士の臓器でさえ、拒絶反応が起きるというのに。
そんなことが起こったら一大事だ。
コラーゲンはまずアミノ酸に分解される、それから必要な分だけ自分用のコラーゲンが生成される。免疫の話も同じだよ。
「つまり君達の吸血行為の根幹が嘘で合成されている。――お互いの信頼の為にも、本当の事を話して貰えるかなぁ? 僕だって馬鹿じゃないし、君だって馬鹿じゃないだろう?」
なのにお互い馬鹿を見たくはないよねぇ?――と、鉄郎がにこりと微笑んだ。
その薄気味悪い寒気すら感じる無機質な笑みに、月女も蕾もぞっとした。
背中から沸き上がる寒気を蕾が感じていると、「うわ、ねちねちと面倒臭っ」と第三者として側で聞いているだけのハーマイオニーが呟いた。その空気を読まない言葉に、多少冷静さを取り戻したのか、月女が先程とは違う覚悟を決めた瞳で鉄郎を見据えていた。
そして、言葉を選ぶようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……分かった。わたしが知る限りを話すわ」
まだこの男を信じて自分達の味方をするのかどうか分からない。
そんな中、月女は賭に出るようだ。お互いを探り合っていてもしょうがない。こちらもこちらで協力してくれるのなら、それに越したことはない。
あの青き悪魔の情報を一番持っているのは、彼ら側だろうから。
「でも、信じるかどうかは別の話だけどね」
「魔法少女にそのバックボーンには異世界、妖精は外世界の住人、そして吸血鬼にその起源はダーナ神族に地球外生命体論――これだけ目の当たりにすれば、誰だってある程度の事は信じられるようになる。慣れてしまう」
鉄郎が呆れと笑みを同居させ、さらに言葉を続ける。
「情報はどんな兵器にも匹敵するものだ。正確なら正確なほど――だから、君達の存在をもっと知っておく必要がある。さて、君達の根幹はなんだい?」
月女が溜め息を吐いていう。
「だったら分かっているはずでしょう? 情報はタダじゃあない」
「分かっているさ。君の望みは何かな?」
「わたしは要らない。ただ――」
そこで月女は横の蕾を振り返った。
それは月女がくれたチャンスだった。
無駄にはしない。蕾は意を決して自分の望みを鉄郎に伝える。
「青い悪魔の情報が欲しい」
「青い悪魔? ああ、テロの犯人のウィッチガールの事だね」
と言っても、僕らも完全に掴めている訳じゃないからねえ――と、鉄郎は困ったように言って、こう続けた。
「分かった。君にとって有益な情報が入り次第、君に伝えるよ」
「お願いします」
そう蕾は頭を下げていう。
後で月女にお礼を言わないとと思いながら。
「さて、じゃあ話を続けようか。僕は吸血鬼とその背景の情報を得る、君達は事件の犯人の情報を得られる情報源を得る。交換条件としてはこれで良いね」
「ええ、問題ないわ」
なら、と鉄郎が先を促して、月女はそれにゆっくりと応える。
「わたし達の吸血能力の根幹は――遺伝子情報の模倣手段よ」
そしてこれはその名残――と、鋭く尖った犬歯を見せる月女。
その言葉に「なるほど」と、鉄郎は結論を先読みした。
「だから君達は僕達に似ているわけか。遺伝子を模倣したのなら、似ていて当然だ」
「いいえ」
先読みして結論を導き出した鉄郎に、月女は一言で否定する。
「それだとわたし達が『箱船』に乗ってくるような生物的に弱い存在でいるという前提条件と合わなくなるわ。言ったでしょう? 名残だって」
その言葉に鉄郎が「おっと」と気付いたようだった。
「早合点だったね。その通りだ」
その鉄郎の反応に端から見ていたハーマイオニーが呆れていう。
「あなた、実は見かけによらず興奮しているでしょ? いつもの冷静さを落としてるわよ」
「まあね。僕は既存概念が壊れていく感覚が好きだからさ」
と、鉄郎はにやりとどこか笑顔の仮面の下に楽しさが浮かんでいた。
そんな鉄郎に呆れ顔のハーマイオニーが「落ち着きなさい」と諫めていた。
そう、もし吸血能力が現在も可能な器官なのだとしたら、わざわざ箱船に乗ってくる必要性はないのだ。箱船で身を守らなければならない程度ならば、そんな遺伝子情報の模倣能力が必要な場面は存在しない。
何故なら一つの惑星という生態系の中でそんな生命体が生まれたとして、それを活用する場がそもそも存在しない。何故なら、自分もその生態系の一員だからだ。
だとしたらその存在自体が『外』から来る必要があるだろう。そして、『外』から来られるのならば『箱船』に乗ってくるとは考えにくい。『箱船』を作れる技術力があるのならば、そもそもそんな能力が生まれるとは思えない。
だったら、前提条件がおかしいことになる。
どこまで疑うのかを『合理的なところまで』とするにしても、前提条件は信じないとどうにも前に進めない。そこで鉄郎は「前提条件は信じよう、キリがないからね――それで?」と先を促した。
促された月女は蕾の理解の範疇を越える事を言った。
「そして、この惑星の原生物の人間が我々に似ているのは――我々に似せたから」
そう、わたしは聞いているわ――と月女は言い放った。
「あくまで『神話』で、だけどね」
その言葉にも鉄郎は納得顔で「なるほどね」と、皮肉げに口の端を歪めた。
「じゃあ、君達は『神様』なわけだ。僕達を創った創造主――で、そのよくあるフィクションの自分達の星を滅ぼしちゃったから逃げてきたよん的な理由で、実験場の中のここに移住してきたってわけかい?」
鉄郎の皮肉混じりの言葉に、月女はその小さな肩を竦めて応えた。
「さぁ。そんな何千年か、何万年か分からないぐらい前の話の事なんて正確なところ分からないわ。でも、少なくとも理に適っているでしょ?」
「確かに、それなら矛盾はないね」
少なくとも反論材料が僕にはない――と、鉄郎は少し残念そうに言った。
ハーマイオニーは「よくある話ね。特に珍しくもないわ」と切り捨てた。
「意図的パンスペルミア説とその末路――」
人類進化の空白はこうして繋がるわけだ、と鉄郎はにんまりして続ける。
「そうして、話は進むわけだね」
「ええ、その吸血行為がどの様にか伝聞し、それがいつしか一人歩きして、『吸血鬼』なるものが生み出され……十三世紀にある人間の男が、それを妄信的に信じ込んだ」
「それが妖精と誓約して、現実になる、と」
話が戻り、鉄郎が月女の言葉を先読みしてさっさと結論をいう。
溜め息を吐き、「そう言うことよ」と月女は疲れを滲ませながらいう。
「この世界のもともとの吸血鬼像は、コミュニティーから離反した妖精のなかの一部風習がフレームアップされただけの話よ――それ以上でも、それ以下でもないわ」
ソファーに深く沈んでいた小さな身体を横にぱたっと倒して、その長い長い絹のような艶やかな流れるストレートの金髪の後れ髪を舞わせていた。その側でふわりと香った月女の甘い香りは、女の子を感じさせ、どきりとして蕾は顔を逸らせた。
「ところで、どうして半不死なんだい?」
「それはわたしも知りたいわ。同じ人型なのにどうして不死的存在なのかしら?」
その鉄郎の質問に、ハーマイオニーも食い付いた。
しかし、その二人の質問に至極呆れたようなエミリアが怠そうに言った。
「えー、不老不死なんて珍しくなぁいじゃん。理由はまちまちだけど、そんなの光世界のどこにだって転がってる普遍的なもんだぜ?」
ついでにあたしたち『妖精』もそうだしな――と、いう言葉にハーマイオニーは、
「わたし達限りある命の者の永遠の議題なのよ」
と言うが、それにまた呆れるエミリア。
「人類だって広義の意味じゃあ不死だっつーの」
「はい?」
「魂=タキオンの存在なんだから、器の狭義の生命じゃあ限りあるだろーが、魂の広義の意味じゃあ不死だってばさっ」
エミリアが普遍的なことを言うように続ける。「もっと言えば分子だって、 〝世界〟 という器の中でリサイクルされてんじゃねえか」それにハーマイオニーは「それは生命じゃ――」と、反論するが途中で言葉を止められる。「『生命』なんてそもそもなんよ? その定義も人間はできてねーじゃん。同じだよ。この世界にはそうした不滅物が溢れてる。人間は複雑だから壊れるのであって、アメーバみたいな単細胞なら既に不老不死なんだぜ? ベニクラゲだってポリプに戻って生き返るの繰り返し――結局、そーいうことぉ」エミリアはその小さな身体で肩を竦めてハーマイオニーを見た。
ハーマイオニーは、それに一つ嘆息を吐き、言葉を投げた。
「じゃあ、そもそも死後の保障なんて誰がするのよ?」
「あたしらとか、自称『天使』とかじゃない?」
その言葉に「球面人? はっ」と、嘲笑するように笑った。
天使に何かあるのかと蕾は思ったが、鉄郎は話を勝手に修正して月女に訊ねていた。
「その存在も妖精に依ってかい?」
「いいえ、違うわ。わたしが聞いている限りでは、箱船に乗ってきた人達は遺伝子を書き換えて――そう、今で言うところの寿命遺伝子を無くしたんじゃないかな。今の我々(シー)の科学者達はそう言っているわ」
「なるほどね、不老半不死≠吸血行為だったんだね。医学の進歩と宇宙の放浪種としての特性、二つが混ざっていたからややこしかったんだ」
そう鉄郎が結論づけると、
「それってわたし達の世界よりも進んでるじゃないっ」
と、会話に復帰したハーマイオニーは口を真円にして驚いていた。
ハーマイオニーの世界の科学レベルは知りようがないが、その驚きから寿命遺伝子をコントロールするところまでは至っていないのと、ハーマイオニーから見てこの世界が自分達の世界より科学水準が下だと認識していたようだった。
「なるほどね。テロメアは人間の場合、約五十回ほどで約一二〇歳までだったけ? 確かにそれを無くせば、寿命は暫定的になくなるし不老にもなる。半不死なのは、事故などでの死は不可避だからだね」
「そう言うことよ」
月女が自分の手の内を見せて疲れたようにそう言うと、鉄郎は「と、言うことは」と面白そうな本を本屋で見つけた程度の小さな笑みを浮かべていう。
「その『箱船』に乗ってきた人達というのはかなり進んだ世界の住人だったらしいね」
小さな笑みを継続した納得顔の鉄郎に対して、蕾はどんどん発展していく会話にだんだんと付いていけなくなってきた。
鉄郎は納得顔を崩して、軽い口調で本当に訊きたかったであろう核心を月女に投げた。
「ぶっちゃけ、現在の軍事力は?」
「平和主義の上の世代がいる、って言えば分かって貰えるかしら?」
そう鉄郎を真っ直ぐに見据えて投げ返す月女。
平和主義なだけで、別にそれがないとは言っていない。
その互いの立ち位置を対等に持ち込んだ月女に鉄郎は「じゃあ、」と質問を重ねた。
「『箱船』に乗ってきた世代の技術はどれぐらい継承されているんだい?」
「そこはノーコメント。取引にはそこまでは含まれていなかったでしょう」
月女の言葉に「そうだね。その通りだ」と頷いて「と言うことは、」と質問を続けた。
「その妖精達は今もなお、この世界のどこかでひっそりと隠れて暮らしているわけだ」
「そうよ」
鉄郎の言葉に、だからそれがどうしたという顔で答える月女。
「だって人間てば人間同士でも迫害し合うぐらいだもの、異種である我々(シー)をそのコミュニティーに受け入れるとは到底思えないでしょ?」
月女の言葉にハーマイオニーはどこか感心するような呆れるような感想を漏らす。
「へー、同じ種族同士でもそれしか居なければどこでも同じことが起きるものなのねー」
そんな軽い呆れ顔のハーマイオニーにエミリアは、
「でも、異種族という共通の『敵』があらわれりゃー、団結して纏まったりするんだぜ?」
そして結局、その異種族というものがどんなに好戦的であろうと、友好的であろうとも迫害されんだけどなー、あッはは――と、エミリアの淀んだ笑いに誰も笑えないぐらいにそれを実体験として実感していた。
「まあ、人類の歴史は民族レベルのいじめの歴史だからね。そうならざるを得ないのも納得だね――しかし、僕はリベラルだからそうした考えは持たないよ。いや、むしろ今のこの状況を喜んでさえいる」
「え?」
いきなりの論点の切り替わりに、理解が追いつかなかったのか月女が、「どう言うこと?」と聞き返していた。その月女の疑問符の顔に、嬉々した笑顔で鉄郎は応える。
「つまりだ。世界中は今、君たちのことを『吸血鬼』として認定しているわけだ。それも漫画や小説や映画のようなフィクションにいるような吸血鬼像として。そしてその誤認は、また大きな迫害が始まる切っ掛けになるだろう」
「……でしょうね」
月女は砂を噛んだような不快感を滲ませる顔になった。
そんな苦々しい顔をしている月女に、構わず鉄郎は言葉を続ける。
「君たちの存在が世に知れれば、おのずとまたそうした大きな迫害が始まるだろう。そして、昔と違って今は情報伝達が遥かに早い。君たちは一人残らず殺されるだろう」
「……何が言いたいの?」
笑顔で述べられた厭な現実に月女は顔を歪めて、先を急がした。
それに対しても鉄郎はどこか楽しそうに指を一つ上げて、軽快に言った。
「つまりさ、先手を打たないかってことだよ」
「先手?」
「君たち――『日本人』に成る気はない?」
その言葉に月女がフリーズしたように固まり、「は?」とだけ返した。
その提案を拒否するまでに理解が追いつかないぐらいの唐突な提案だった。
「つまりさ、君たち妖精と我々日本人は今、迫害仲間ってことだよ。だから、『迫害されて堪るか同盟』でもして、世界中の野蛮人達から団結して身を守ろうよって話だよ」
その続く言葉に思考がだんだんと回ってきたように月女は深く沈んでいたソファーから跳ね起き、鉄郎を訝しんだ。
「……つまり、日本国は我々妖精を受け入れる、と?」
月女のゆっくりと、事実を確かめる言葉にも鉄郎は軽く「そう言うこと」と頷く。
「そして表向きは『吸血鬼種族』として発表する。そうすれば君の力が=全体のひとりひとりの力だと世界は誤認する。つまりは核の抑止力と同じで、君たちは使用期限の切れた憲法九条があるこの国でも遣える『抑止力』となるのさ」
日本国憲法第九条[戦争の放棄、戦力と交戦権の否認]。一、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。二、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
という憲法を蕾は思い出した。一応憲法内に『その他の戦力』とはあるが、この世界に『魔法少女』や『吸血鬼』というものが戦力として認定されていない以上、現時点ではこの憲法に反しない――と言うのだろう。
皮肉に歪む頬はそもそもこの第一項の『正義と秩序を基調とする国際平和』という言葉自体が実に皮肉的だと笑えてきた。今回のこと以外でも、それまでいつ正義と秩序が国際的に基調とされたのやら。基本が利益主義の政治でしか動いていなかったくせに。
そして今回も、今まで迫害されてきた妖精種族を受け入れるのも正義と秩序ではなく、利益を基調としているのに、政治の――いや、人間の醜さを肌で感じて蕾は厭な気分になった。
「我々(シー)が日本の『抑止力』になれば、日本人はもとい我々(シー)自身も守られる、と?」
「その通りだよ」
月女はその軽く頷く鉄郎に呆れた溜め息を吐き、「信じられん」と言い切った。
「そう言って世界中から我々妖精を集め、根絶やしにするとも考えられる」
その月女の警戒の言葉に「え?」と、至極不思議そうな顔で首を傾げる鉄郎。
「それをして今の日本人に何のメリットがあるんだい?」
「……は?」
あんぐりとしてしまった月女に、本当に何を言っているのか分からないという風な鉄郎。
ぼそっと、「うわ……政治家だ、こいつ」と、ハーマイオニーが呟いたのが聞こえた。
「いやいや、だって今の僕達がそれをして、なんのメリットがあるんだいって訊いているんだよ。そんなことをしても今の日本の危機的状況が改善されるわけでもあるまいし、逆に敵を多くしてどうするんだい?」
両手を大きく横に広げて、当惑のジェスチャーをする。
「それにもともとこの国は神様だろうが妖怪だろうが良しも悪しも全部そういうものだと受け入れてきた文化があるんだ。だとしたら、別に不思議な話ではないだろう?」
「……日本の包摂文化は知っている、でも――信じられないわ」
暗い表情で目を下に逸らす月女が呻くように言葉を落とす。
「人間を信じるには、我々はあまりに裏切られすぎた……」
そんな月女に面倒臭そうに呆れた短い溜め息を吐いて、鉄郎は言い放った。
「じゃあ、先にこう裏切っておこうか?」
伏せられていた月女の頭が「ん?」と疑問とともに上がり、「なに?」と訊ねた。
それを待っていたように鉄郎はその月女の深淵の碧色の瞳を覗き込んで言った。
「日本と手を組まないのなら、君たちの存在を公に晒すぞ」
「なっ!」
その大きな目を見開いて怒りを示す月女。その両手は強く握り締められていた。
その言葉を前提があるのだとしたら、最初からこちらに拒否権はないのだ。
蕾もその言葉に驚き、緊張が走った。
「――とかね」
しかし、急激に弛緩した顔で道化のように戯けてみせる鉄郎。
そんな鉄郎に月女は分が悪いと感じたのか、至極困り果てた疲れた顔になる月女。
そんな月女にもお構いなしに、鉄郎は次々に言葉で追い詰めていく。
「君の存在は強い。君は妖精なだけではなく、吸血鬼なのだから。でも、他の人達はただ単に寿命がないだけの人間と変わらないんだろう? なら、手早く手を打っておかないと、こんな情報社会だ、いつどこから漏れて迫害されるか分かったものじゃないよ? 君たちはたまたま白人ちっくだったから今までバレなかったのだろうけど、白人至上主義者が跋扈するこの世界で、正体がバレたら……一発だね」
手で首を横に引き、舌を出す鉄郎に冷や汗を額に浮かべている月女。
「まあ、日本人にも保守な人達から大反対が起きるだろうけど――所謂移民だからね、いや難民かな? 日本が難民を受け入れない国だって知っているでしょ? それは日本人独特のアイデンティティが築き上げたこのモラルの高い国を守るためなんだけど、君たちは隔離自治区で保護するとか、なんとか言えば彼らも説得できるだろう。そして君たちが無害なもので、日本人のモラル水準まであるのなら、自然と百年もすれば馴染むさ。君たちにとって、百年なんてあっと言う間だろう?」
不老不死なものは時間の流れが早く感じる、違う?――という言葉に、月女は溜め息混じりの息を小さく吐き、額に浮かんだ冷や汗を手で拭いながら反論する。
「……長いよ、百年は」
「ん? どーして? 時間の感覚が脳による認知度合いなら、物事を知り尽くしている者はその時間の流れが速く感じるはずだけどね――哲学的にもジャネーの法則ってあるしね」
ジャネーの法則。年齢に伴って時間が加速する現象について、フランスの哲学者ポール・ジャネーは、経験される時間と時計や暦で謀られる時間との間の対比から、年齢とともに時間が加速されて見える現象について、こう説明した。
二十歳の時の一年は二十分の一であるが、六十歳の一年は六十分の一である。五歳の一年は五分の一、八十歳の一年は八十分の一なのである――簡単に言えば、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例し、年齢に反比例する。
さすがに蕾もそれは知っており、なるほど、と思ったが――月女はそれを否定する。
「時間の流れとは、細胞の代謝速度に比例するのよ」
「……あ、そっちか」
人間などの生物の細胞代謝速度は、年齢と比例して落ちていく。細胞代謝速度が落ちていくとその分、時間の流れが反比例して速く感じる。故に、人間は年を取ると時間の流れが早く感じてしまうという分子生物学的見地。
ここら辺りで蕾は、徐々に頭が追いつかなくなってきた。
「あと、わたしの場合、身体が子供だからあなたより時間の流れが長く感じられるから余計ね」「生物学的見地の『時間は体重の四分の一乗に比例する』だね」と、その後も『エネルギー消費量は体重の四分の一乗に反比例する』云々、「大きい身体ほどエネルギーを使わないから」云々、「だから、子供は同じ時間内にたくさんのことをして、大人よりも長く感じられる」云々、と会話は続いていたが、蕾の理解力はそれに追いつけなかった。
しかし、その会話に見た目小学生ぐらいのハーマイオニーは追いついているようで、「それはこっちも同じよ」と同調していた。「寿命の長い我々からしたら常識的なことだけどね」とも。それにエミリアは「時間の流れなんて体感的ではなく観測的なものでしかねー」と別の見解を示していた。
「そう、だから我々(シー)の細胞代謝速度は一定で、それ故に時間の流れが速くなることはない。永劫と続くような長い一日、その積み重ねの一年――なんと長いことか……」
月女が疲れたようにそう呟いた。
それに鉄郎が「う~ん」と唸って、
「だとすると、百年は長すぎるね」
うむ、じゃあプランの練り直しもしよう――と、目を伏せた。
が、すぐさま目を開いて、何かを思い付いたように柔和な笑みを浮かべる。
「日本国と君たち妖精の橋渡しは僕が責任を持ってするよ。正直言うと、君の存在が明るみになって、実際いろいろ世界中の年を重ねない人、っていうのが多数報告されていてね。君たちの存在は僕が言わずとも、いずれ明らかになるだろうと思う。そして何より、君たちの存在が死に絶えるのは、実に我々にとっても勿体無いのだよ」
出来ることなら、手を組んでその君たちの技術や知識を我々日本人に与えて欲しいと思うんだ、どうだろう? これだけ本音をいえば信じて貰えるかな?――と、鉄郎はさらに柔らかく微笑んでいた。
「この国のため?」
「そう、日本が外国から潰されないようにするためのものだよ。君たちのことを世界中が誤認している今だからこそ出来るんだ」
鉄郎は少し真顔になって改まって頭を下げた。
「頼む――一緒に戦ってほしい」
その小手先の外交術を全て捨てて、誠実を体現したかのような切願に、月女は困り顔を浮かべた。今まで人間からこんな風に頭を下げられたことがなかったのだろう、その対応の仕方に完全に困り果てていた。そしてしばらく唸った後に、ついに月女が折れた。
「……う~ん、これはわたし一人じゃ判断できないわね」
頭をぽりぽり掻いて、項垂れた。
「首長に連絡するわ」
その言葉に「ありがとう」と、優しく微笑んだ鉄郎に月女は照れたように頬を掻いていた。
そして月女は「パソコンとケータイある?」と、鉄郎からスマートフォンを一つ受け取り、パソコンのある部屋へと向かった。
どうやら履歴を残さないようにするほどには、まだ疑っているらしい。
すると月女が部屋を去った後、鉄郎がもう一台の折り畳み式ケータイを取り出した。
誰かに掛けるのかと思ったが、しかし、コールする前にケータイと話し出した。
「――話は聞いての通りだよ」
これが今の日本を救う唯一の方法だよ――と、誰かに告げていた。
今までの一連の会話は、ずっとその電話の相手に筒抜けだったらしい。
どこまで計算深い男なのだと、蕾は寒気を感じた。




