一人暮らしになったわけ
まだショタコンじゃないです
私は中学生のときから一人暮らしをしている。
今は高校1年生だ。
私は養子だ、私が5才の時に両親が交通事故で亡くなり、事故現場にいたお祖父さんに引き取られた。
お祖父さんは事情を説明して私を養子として引き取ると義父と義母に言った、義父は家族が増えるなと今日からゆうちゃんはお姉ちゃんだと私を引き取ることに賛成してくれたが、義母は私を引き取ることに全く賛成していなかった。
だから義母はお祖父さんや義父、弟たちが見ていないときや居ないとき私のことを殴ったり蹴ったりしていた服に隠れて見えにくい場所を何度も何度も痛かったでも声は絶対に出さなかった、出せなかった、だって隣の部屋に弟たちが居たから。
例え血か繋がっていなくても私を「ゆうお姉ちゃん」と呼び笑いかけてくれる大切な大切な弟たちだから家族だから弟たちに暴力をしている母の姿を見せたくなかったから。
私は弟たちには笑顔笑っている幸せなお姉ちゃんであり続けた、お祖父さんや義父、弟たちに学校のクラスメート、先生に近所の人誰にも義母に殴ったり蹴られたりしていると気付かれないように振る舞っていた。
私が中学1年生になり弟たちは小学3年生になった年、お祖父さんが死んでしまった、義父は仕事で家に居ないことが多くなった。
義母の暴力は悪化していった、私の身体は顔と手と足以外おびただしい数の痣で埋まっていた、身体の中もボロボロになっているようで体調にも異常が現れて来ていた。
それでも私は気付かれないように振る舞い続けただが、私の身体はもう限界だったようだ。
中学生になってから約1ヶ月が過ぎたある日私は中学校の教室から出たときに倒れてしまった。
クラスメートが「柊!大丈夫か!」と言っていた。
私は直ぐに起き上がり
「大丈夫」と笑いながら言ったが、「顔色が悪い!大丈夫じゃないだろう!」と先生に言われ抱えあげられ保健室に連れて行かれた。
保健室に連れて行かれた時私の意識はほとんど無かった。
ベッドに寝かせる為に私の着ていたカーディガンを先生は脱がせた後、先生は中に着ていた夏服の半袖から出ている私の腕にあるおびただしい痣を見ていたようだ。
保険医に私のことを頼み先生は教員室のほうに走って行った。
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先生は職員室で柊優の母親に連絡していた
「スミマセン柊さんのお宅でよろしいでしょうか?」と言った。
『柊ですが?どちら様何か様かしら。』
「優さんの担任者ですが優さんが倒れたので迎えに来ていただけないかと。」
『ふ~んあの娘倒れたの、でも生きているんでしょう何でわざわざ私が迎えに行かなきゃいけないの!』
何だこの親「何でも何も貴女の娘さんでしょう?」
『娘ぇ~私そんなの産んだ覚えないわぁ~私の子供は私の産んだ息子たちだけだから、血の繋がらない小娘は私の子供じゃないから!』
こいつは!「迎えに来て頂けないということですか。優さんを一人で帰すのは危険と判断したためご連絡したのですが。」
『最初から言っているでしょ!私が迎えに行かなきゃいけないのよ!私はねぇ!その小娘が死のうがそんなこと知ったことじゃないんだよ』ガチャン
ツーツーツー
私は気付いた彼女に暴力を振っていたのは母親だと
最低な親だと思った、一体何時から暴力を振るわれていたのか、彼女が倒れるまで全く気付かなかった、どうして気付かなかったんだと私は思った。
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その頃柊宅では
「何なのよ、何が迎えに来て頂けないだ!ふざけんじゃないわよ!何であの小娘を迎えに行ってやらなきゃいけないのよ!倒れたから何なのよ!いっそのこと死んでくれたらよかったのに」
母の声を聞いた僕たちは二人でゆうお姉ちゃんの学校に走って行った。