雨に流す一つの感情
私がその青年に会ったのは、ある雨の日のことだった。雨が好きな私がその日散歩に出かけるのは必然で、雨が好きな彼がその日公園に出かけたのも必然。
ならきっと、私たちが出会ったのも必然……だったのだろう。多分。
もっともこんなこと、今はあの出来事が笑い話だから言えることで、当時の私にとってそれは大問題だったのだけれど。
「楽しそうだね」
そんな声が聴こえたのは、ベンチの傍を通りかかった時だった。雨音の中で、けれどはっきり聴こえたそれを放ったのは、座っていた一人の青年。
誰に言ったのかと見回すと、青年は呆れたように嘆息する。
「君だよ、君。浮かれて鼻歌なんか歌っていた君だ。その曲、良い曲だよね。君のは半音ずれていたけれど」
「なっ……余計なお世話ですぅ!」
ちょっと格好良いかも、とか思った私のときめきを返せ!
「大体、何よ貴方! 何でこの雨の中、傘も差さずにぼんやり座ってるわけ!?」
傘も差さずに、ここが重要だ。降り続く雨はそれほど強くないとはいえ、傘を差さないでいられるほど弱いわけじゃない。呑気に座ってたりしたらあっという間にびしょ濡れだ。なのにこんなあほなことをしでかすなんて、変人か変質者かのどちらかだろう。
私の考えていることなど当然知らず、青年は無表情で肩をすくめる。
「雨で煩悩を洗い流していたんだよ。涅槃したかったんだ」
決定。こいつは変質者だ。
そんな微妙な表情で見つめる私に気づき、彼はクッと笑う。……え?
「冗談だよ」
「からかわれた!?」
「声に出ているよ、君。……実際は、傘を忘れただけだ。雨が止むのを待っていたんだよ」
「屋根のあるところで待ちなさいよ!?」
「その発想は無かったな」
「無かったの!?」
変質者じゃなくてただの変人でした。
「……失礼な」
「心読まれた!?」
「いや、今思いっきり声に出していたからね、君、気をつけなさい」
彼は無表情でツッコみ、次いで僅かに笑みを浮かべる。
「で? 何か悩みがあるんだろう。話してみたらどうかな? 少しは気が楽になるかもしれないよ」
ギクリ、と。心臓が一瞬、跳ね上がる。
「……何で、そのこと」
「君は雨が好きなんだろう? その割に楽しそうな表情じゃなかったからね。無理してテンションを上げようとしているように見えた。鼻歌も然り。だから普段の君なら犯さない、『半音間違える』などという初歩的なミスを犯してしまったのでは?」
「貴方……普段の私、知ってるの?」
「さて、どうだろうね」
面白そうに笑う青年。……ああ、物凄く変人だ。むしろやっぱり変態なのかもしれない。っていうかストーカーっぽい。確かに造形は整ってるけどちょっと頼りなさげだし。そういうのってストーカーになりやすそうだし。
「だから、言葉に出ているからね」
「不覚っ」
私としたことが。うっかりうっかり。
「それで、一体何があったんだい? 人に話すと楽になると思うよ。知り合ったばかりの、君の言葉を借りれば変人? 変態? に話すのは嫌かもしれないけど」
「いや……まぁ、良いわ」
私は傘を閉じ、青年の隣に座る。
「……何も君まで濡れろとは」
「素面じゃ話せないことなのよ」
「未成年がお酒飲んじゃいけません」
「二十歳よ」
「ダウト」
「……何で貴方、個人情報まで知ってるのよ。まぁ良いわ」
足元に傘を立て掛け、嘆息。
「別に、大した話じゃないんだけどね。失恋しただけよ」
「おやおや」
何でもなさそうに肩を竦める青年。……若干イラッと来るが、この方が楽なのも確かかなぁ。
「それもさ、別に告白して振られたわけでも、付き合ってて別れたわけでもなくて。最初っから相手に好きな子がいるのなんて知ってて、それは私の幼馴染で、だからずっと応援してて……今日二人がくっついたって、それだけの話なんだけどさ。だから失恋するのも振られるのも最初から知ってたし、叶わないって分かってたし、そこまでショックじゃないわけよ」
嘆息。長く、長く。全て吐ききるように。
「でも。でも、さ。……やっぱり、悔しいじゃん。私、凄く頑張ったのよ? そりゃ恋を叶える努力は、幼馴染裏切るような真似はしなかったけど、二人をくっつける努力しかしなかったけど、でも手抜いたりしないで本気で協力したのよ。だから」
ぐっ、と握りしめた手。さっきから、ずっと隠していた本音。
「……ちょっとくらい、私が報われたって良いじゃない」
そう、それが悔しかった。幼馴染も彼も感謝はしてくれたけど、それじゃ空っぽの心は満たされない。友人が少ないわけじゃないけど悩みを相談出来るほど仲がいいのは幼馴染だけで、けれどこの悩みだけは相談するわけにはいかなかった。
だから。
「雨で全部洗い流そうと思ってたのは私の方、か」
「そうみたいだね。それで人を変人呼ばわりしたのかい? 失礼にもほどがあるね。やーいバーカバーカ」
「子供かっ!?」
無表情で言うから怖い。せめて笑顔で言うとか怒るとかしてください。貴方は人形ですか。思わず敬語になっちゃうレベルの怖さよ貴方分かってる?
「いや、正直分からないかな」
「また心読まれたっ!?」
私の叫びには答えず、ただくすりと笑って彼は立ち上がる。
「それじゃ……また、いつか。雨が降ったら、また会おう」
綺麗な笑みを浮かべ、私の返事を待たずに立ち去る彼の背に、私は大声で叫んだ。
「今梅雨だから下手すると毎日会うんですけどおおおおおおお!」
そう、梅雨。……なのだが。
「あ、あれ?」
空を見上げると、眩しいあいつがやっほーとばかりに輝いている。
……晴れ渡った空の下、それに似合わないびしょ濡れの私が、ぽかんと一人。けれど心に渦巻いていたもやもやは、いつの間にか無くなっていた。
彼とは次の日にまた会ったり、まぁ色々あったりするのだけど。
私が新しい恋を見つけるまで、そう時間はかからないのだけど。
それはきっとまた、別のお話。
ぶっちゃけコメディーというジャンルが合っているのかどうかも分からないです。
部活用に一時間で書いたSS。
通称、雨で煩悩を洗い流すお話。