第七話
ふっと目が覚めた。
自室の文机に頬を乗せ、いつの間にか眠りの世界についていたようだ。
顔を上げると、先ほどまで戯れていた子猫の姿はない。
杏里は慌てて立ち上がると、自室の障子を開けて廊下に飛び出した。
学校から帰宅した杏里は、すぐに田中の部屋を訪ねた。
けれど彼の姿はなく、姿を求めて荘の中を歩く羽目になった。
「まったく、どこに行ったのかしら」
ぼやくいたところ、人影を発見した。
それはあまり面識のない、鈴木だった。縁側で煙草をふかし、紫煙を漂わせる。
彼の前に広がる庭には、桜の樹が咲き乱れ、花弁を散らせていた。
その庭に、花弁を追いかける子猫の姿。
どうやら鈴木が世話をしていたようだ。
杏里は彼の元に駆け寄ると、彼も気付いてこちらを仰ぐ。紫煙が風に乗った。
彼はひどい顔をしていた。目の下には隈ができ、無精髭が顎を覆う。
「やあ、おかえり」
「た、ただいまです。……もしかして、鈴木さんが見ててくれたんですか?」
「田中は、僕が煙草を買いに行かせたんだ」
杏里は鈴木の隣に腰を下ろした。
「ありがとうございます」
「いいや、別に。子猫と遊べて休憩できたし」
子猫が鳴きながら、杏里の足にするりと寄って来た。
鈴木は立ち上がると「じゃあ、これで」と部屋に戻って行く。
彼からは、煙草の匂いがした。
杏里はようやく、子猫の姿を見付けた。
買い物から戻って来た猫撫の足に擦り寄り、物欲しそうな声で鳴く。
彼の笑んで細くなった目が、杏里に向けられる。
「まだ、元の場所に返してなかったんですね」
「ご、ごめんなさい! 今から戻してきますから……」
だから、怒らないでください。
杏里は目を伏せて子猫を抱きかかえると、セーラー服をひるがえし、その場を離れた。
石畳の階段を下りると、緑の斜面と木々の並び立つ沿道に出る。
その下にいる青年の姿を視界に映した。
何かを探すような仕草で、きょろきょろと首を巡らせている。
杏里はその横を通り過ぎようとした。が―――
「あのっ!」
青年が勢いよく振り向いた。
帽子をかぶっていて、全容まではわからない。ただ、兄と同年齢だろう。
形のよい口元と顎の線が見えた。
「突然で申し訳ない。その猫、貴方のでしょうか?」
彼の腰に付いた鈴が、チリリッと音をたてた。
子猫がするりと杏里の腕から抜け出て、地面に着地すると、彼の足首に擦り寄った。
ごろごろと喉を鳴らし「にゃーお」と見上げて鳴く。
「どうやら、貴方の飼い猫でらしたようですね」
「ええ。大変お世話になったようで」
青年は帽子のつばを指でなぞり、微笑んだ。
「それで……お礼がしたいのですが。お名前を教えていただけませんか?
私は、徳本といいます」
「えっ? いえ……結構ですわ。それでは失礼!」
「あっ! 待ってください!」
杏里は逃げるように背中を向け、駆け出した。
背後で呼び止める声が聞こえた。
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