第三話
猫撫に案内され、屋敷に足を踏み入れる。
裸電球の灯された廊下を歩くと、ギシギシと軋んだ音をたてた。
ふと、前を歩いていた彼が足を止める。
「おや、雨が降ってきましたね」
彼の言葉に庭を見やれば、ぽつぽつと小粒の雫が落ちてきた。
植えられた楓の葉が雫に揺れて、あちこちに首を向けている。
生温かく湿った空気が頬を撫でた。
「そうですね……」
頷き、杏里は猫撫の背中に視線を戻す。と、その先に人影が横切った。
濃紺の着流し姿の男性だ。
「田中さん、ちょっといいですか?」と猫撫が呼び止める。
しかし、相手は気付かなかったのかパタンッと障子を閉める音が聞こえた。
「すみません。佐藤さん」
あははっと苦笑いを浮かべて猫撫は言った。
角を折れると障子の部屋が列をなしている。僅かに人が身じろぎしている気配がした。
右手には四角く切り取った中庭があり、桜の大樹が花を咲かせていた。
「綺麗ですね」
「ありがとうございます。開耶荘の由縁なんですよ」
猫撫は体を捻ってこちらを向き、再び立ち止った。
すると、杏里たちの気配を察知して、すぐ傍の障子が開く。薄暗い室内には二人の男性がいた。
一人は先ほどの着流し姿の男性。障子を開けたのは彼だった。もう一人、奥に黒いワイシャツ姿の男性がいる。文机を前に、何故か頭を抱えていた。
二人とも、二十代後半から三十代前半といったところだろうか。
「田中さん、無視しないで下さいよ」
「ああ、それはすまんな。少し考え事をしていた」
それから田中は杏里を一瞥する。
「こちら、新しい住人の佐藤杏里さんです」
「よろしく。田中寒菊だ。後ろの奴は同室の、鈴木光文」
「あ……よろしくお願いします」
腰を折って、深々と頭を下げた。
それを片手で制し、田中は苦笑する。
「じゃあ、挨拶はそれぐらいにして。佐藤さんの部屋はもう少し先です」
挨拶は夕食時にもできますから、と言って猫撫は歩き始めた。
杏里はその後を追い、庭に視線を向ける。
角の部屋から、生垣越しの離れた場所に建物が見えた。白漆喰の蔵だ。二階の鉄格子窓から、明りが洩れている。
「猫撫さん、あちらには……?」
不思議に思って尋ねてみると、猫撫は背中越しに答えてくれた。
「ここの管理人が住んでいます。あまり近づかないように」
「はあ、わかりました」
「人付き合いが苦手な方なんですよ」
彼が足を止めた。
桜の中庭に面する部屋だ。
「佐藤さんの部屋はこちらになります。夕食時になったら呼びに来ますので、それまでくつろぐなり、散策するなり、自由にしていてください」
「ありがとうございます」
じゃあ、と猫撫が廊下の角に消える。
障子を開けると、光が差し込む。がらんとした室内に杏里は淋しさを覚えた。
春雷とともに、雨は激しくなるばかりだった。
一週間に一回は更新したいですね。
もそもそ書いていきます。