第二話
「参ったわ……」
石段に腰かけ、杏里は肩を落とした。
自分の膝小僧をくっ付けて、縮緬のがま口を開ける。
鈍く光るは小銭だけ。紙幣は一枚も入っていない。
見上げた空には、どんよりと灰色の雲が覆っていた。
今にも泣き出しそうな空だ。
友人宅を点々としてどうにかやり過ごしていたが、さすがに限界がきた。家人に不審に思われのだ。
自宅に電話されたら終わり。連れ戻されてしまう。
そうなる前に友人宅を出てきた。
深い溜息をついて、縮こまるように俯いた。そこへ―――
「住む場所をお探しですか?」
柔らかなアルトの声が降りかかる。
顔を上げれば、堅い壁でも壊してしまえそうな柔らかな笑顔をした少年が立っていた。
買い物帰りなのか、手提げかばんから大根が覗いている。
「え、ええ……」
「なら、家に来ませんか?」
「えっ!? あ、でも……わたし、お金を」
「必要ありません。ちょっとしたテストみたいなのはありますが」
考えあぐねたすえ、杏里は彼について行くことを決めた。
彼女が座っていた長い石段を上がって家の門を目指した。
「あのう、そういえばお名前を……」
「申し遅れました。僕は猫撫といいます」
「猫撫さん……? 名前、それとも名字……?」
猫撫は笑みを崩さず、先を進む。
まさか、猫が名字で撫が名前なのだろうか。
首を傾げたが、コツコツと足音を響かせて階段を上る。温室育ちの彼女は人を疑うことを知らなかった。
―――ひらりっ ひらりっ
階段を上がるたびに、白い紙吹雪のようなものが降ってくる。
肩に乗った一切れを指で摘まむと、それは花弁だった。
しかも桜の花弁だ。今はまだ咲いていないはずである。
「ああ、着きましたよ」
猫撫が振り返って杏里を見た。
彼の横には立派な門構えが建っている。開け放たれた観音開きの扉の向こうに濃緑の木々がさざめいていた。
闇の淵に見えるその奥には―――
「何が見えますか?」
猫撫が問うてきた。
今更のことを尋ねられて虚をつかれたが、杏里はおずおずと答える。
「家が……あります。日本家屋が」
「なるほど」
にこっと猫撫は笑い、杏里の背中に手を添えて、一緒に門をくぐった。
杏里は物珍しげにきょろきょろと見回すと、苔の生した石灯籠が庭の隅に置かれている。
薄暗い中で人影がひるがえった気がした。
「どうされました?」
「あ、いえ!」
猫撫に呼ばれ、ハッと振り向いた。
ざわめいた木々の葉から白い花弁が降り注ぐ。それは全て、桜の花弁だ。
柔和な笑みを浮かべ、彼は言った。
「ようこそ、『開耶荘』へ」
「さくやそう……?」
「貴方のお名前を、まだ訊いていませんでしたね」
猫撫は杏里に向き直った。
彼の瞳の中に、幼い少女の面影が映る。
杏里は少しの間を開けて、すっと視線を合わせた。
「わたし……わたしはさと……う、佐藤杏里といいます」
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