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奨学生の私は、学費のために黄泉比良坂を配信しています。

作者: 華洛
掲載日:2026/06/10


※Part1



「はぁ……雷臥くん、格好いいなぁ……」


 思わず漏れた声は、自分でもちょっと気持ち悪いと思う。

 でも仕方がない。だって格好いいのだから。


 国立八咫万護学園の第一体育館。

 普段は実技訓練や模擬戦に使われるその広い空間の中央で、霊装甲冑《毘沙門天》が白い照明を照り返していた。


 白、青、赤の三色塗装。

 大和国立霊装技術研究所が、アメリカの軍事技術供与を受けて開発した対妖魔用霊装甲冑。いわゆるパワードスーツだ。

 同系統の霊装甲冑には、中国から技術供与を受けた高機動型《哪吒》、ロシアから技術供与を受けた重武装重装甲型ペルーンがある。

 その中で《毘沙門天》は、近接・射撃・機動のすべてを高水準でまとめた万能型。換装や拡張性にも優れ、搭乗者の技量次第でいくらでも化ける機体だ。


 親友の狭武望結は「なんか海外の鋼鉄ヒーローっぽい」と言っていた。

 たしかにそう見えなくもない。

 でも今の私にとって大事なのは、そんなことじゃない。


 その《毘沙門天》を、たった一人で圧倒している人がいることだ。


 健速雷臥くん。

 私の幼馴染で、憧れの人で、好きな人で、たぶん私の人生をだいぶ駄目にしている人。

 開始の合図と同時に、雷臥くんの姿が消えた。

 いや、消えたように見えただけだ。

 次の瞬間には《毘沙門天》の左側面に回り込んでいる。


 速い。


 床を蹴った瞬間、雷臥くんの全身に青白い雷光が走った。

 霊力を雷へと変換し、肉体に纏わせて加速する――健速家の術式。単純な身体強化とはまるで違う。爆発的な瞬発力と、神経伝達そのものを研ぎ澄ませたような反応速度。

 人が動いているというより、雷が人の形を取って駆けているみたいだった。

 《毘沙門天》の右腕が霊銃を構える。

 圧縮された霊弾が三連射。普通の相手なら、回避どころか照準を見てから反応することすら難しい。

 けれど雷臥くんは、撃たれるより先に動いていた。

 一発目を半歩で外し、二発目を身を沈めて潜り、三発目は逆に踏み込んで射線の内側へ入る。

 その動きに一切の無駄がない。

 避けるために避けているんじゃない。最短で懐に入るために、結果として全部躱しているだけだ。


「ひゃ……」


 変な声が出た。

 だって今の、格好よすぎる。

 《毘沙門天》が左腕の簡易霊剣を起動する。

 白い刃が空間に伸び、横薙ぎに振るわれた。まともに食らえば訓練用出力でもただでは済まない。

 それでも雷臥くんは止まらない。

 踏み込み。

 沈み込み。

 紙一重で刃の下を抜ける。

 そのまま《毘沙門天》の懐へ潜り込むと、雷を纏った掌を胸部装甲へ叩きつけた。


 ばちん、と空気が裂ける。

 青白い雷が装甲表面を這い、霊力回路へ干渉する。

 《毘沙門天》の駆動音が一瞬乱れ、姿勢制御が鈍った。

 そこを逃さない。

 雷臥くんは床を蹴って跳ね上がり、今度は肩口へ回り込む。

 機体が追いきるより早く、肘、膝、掌底――雷を帯びた連撃が装甲の継ぎ目へ正確に叩き込まれていく。

 力任せじゃない。

 ちゃんと急所を知っていて、そこだけを壊しにいっている。


 《毘沙門天》が背部バーニアを吹かし、距離を取ろうとする。

 けれど雷臥くんは、その噴射に合わせてさらに加速した。

 まるで雷鳴が追いすがるみたいに。

 空中で身を捻り、腰だめに構えた右拳を、今度は背部ユニットの基部へ打ち込む。

 閃光。

 次の瞬間、《毘沙門天》のメインバーニアが沈黙した。

 機体が片膝をつく。

 まだ終わらない。雷臥くんは着地と同時に前へ滑り込み、最後に胸部中央へ掌を当てた。


「――落ちろ」


 低い声。

 雷が奔る。

 霊装甲冑の全身を青白い稲妻が走り抜け、各部の駆動光がひとつ、またひとつと消えていく。

 やがて《毘沙門天》は完全に沈黙し、その巨体を床へ預けた。

 体育館に、わずかな静寂が落ちる。

 それから遅れて、見学していた生徒たちのどよめきが広がった。


「すご……」


「また雷臥先輩が勝った」


「甲冑戦を生身で戦って勝つなんて、ほんと強すぎるだろ」


「今の霊銃の避け方見た?」


 見た。

 見たし、たぶん一生忘れられない。

 私は胸の前で手を組み、熱っぽい息を吐いた。


「はぁ……やっぱり雷臥くん、格好いい……」


 速くて、強くて、真っ直ぐで。

 ああいう人が、私の幼馴染なのだ。すごい。えらい。世界に感謝したい。

 できることなら今すぐ駆け寄って「今の見た!? 見たよ! すごかった! 格好よかった! 世界一!」って伝えたい。

 でもそんなことをしたら、たぶん望結に「キモい」と言われるので我慢する。

 いや、言わなくても言われるかもしれない。


「あ、いたいた。夜希、そろそろ部活の時間だよー」


 案の定、背後から聞こえてきたのは親友の狭武望結の声だった。

 振り向くと、望結は呆れ半分、諦め半分の顔で立っている。


「ぅぅ……もうちょっとだけ。もうちょっとだけ雷臥くん成分を吸収したら行くから」


「なにその気持ち悪い成分」


「生きるのに必要な栄養」


「人として終わってる言い分なんだよなあ」


 望結はずかずかと私の隣まで来ると、体育館中央で軽く汗を拭っている雷臥くんを一瞥した。


「はいはい、拝むのはあとにして。配信部の集合時間、もう過ぎるよ」


「でも今、雷臥くんがすごく格好よくて……」


「それは知ってる。あんたが毎日百回くらい言ってるから」


「今日は特に格好よかったの」


「毎日更新されるのやめてくれる?」


 ひどい。事実だけど。

 私が名残惜しく視線を戻すと、ちょうど雷臥くんが模擬戦の相手に手を差し伸べて立たせているところだった。

 勝っても驕らない。そういうところも好き。


「ほら、行くよ。奨学生なんだから、きちんと義務を果たさないと」


「はぁい……」


「単位と免除が飛んだらどうなるかわかってる?」


「……雷臥くんと同じ学校に通えなくなります」


「そう。だからさっさと歩く」


 私はしぶしぶ体育館をあとにした。


 国立八咫万護学園は、武士や陰陽師を育成するだけの学校じゃない。

 黄泉比良坂――各地に伸びるダンジョン災害への対処も、教育課程の一部に組み込まれている。

 特に奨学生は、在学中に学園が承認した黄泉比良坂関連の活動へ従事することで、学費や装備費の一部を免除される仕組みだ。

 つまり、私がここにいられるのは、だいぶ命懸けの制度のおかげである。

 別に承認欲求が欲しいわけじゃない。

 私は雷臥くんだけが認めてくれたら、それでだいたい満たされる。


 それでも黄泉比良坂に潜るのは、学費のためだ。


 二年前。

 高知から東京へ移ることになった雷臥くんを追って、私も転校を決めた。

 我ながらだいぶ重いと思う。けれど仕方がない。好きなのだから。

 ただ、問題はお金だった。国立とはいえ、国立八咫万護学園の学費は決して安くない。むしろ高い。かなり高い。


 だから私は頑張って奨学生になった。

 その対価として選んだのが、配信部だ。


 配信部は、黄泉比良坂へ潜って内部状況を実況・配信する部活である。

 探索記録、危険域の可視化、一般向け広報、そして収益化。建前はいろいろあるけれど、要するに「ダンジョンに潜って配信する部活」だ。

 使用するのは対妖魔用霊装甲冑《毘沙門天》。配信機材と護身装備を兼ねた、だいぶ物騒な部活である。

 ドローン配信という手もあるにはある。

 でも根本的に危険だし、霊波障害の強い領域では機材だけでは対応しきれない。だから結局、人が乗って潜るのが一番確実なのだという。

 その点、《毘沙門天》ならある程度の安全は確保できる。

 配信者本人が画面に映り込まないのも、私には都合がよかった。目立つのは苦手だし、知らない人に顔を覚えられるのも嫌だ。


「まあ、夜希は喋りはそこそこいけるのに、顔出しだけは絶対嫌がるもんね」


「だって嫌だもん」


「雷臥くんには見てほしいくせに?」


「…………」


「図星だ」


「見てほしいというか、もし見てくれて、ちょっとでも「頑張ってるな」って思ってくれたら、その、嬉しいなって……」


「重い重い重い」


 望結がげんなりした声を出す。


「ほんと、雷臥くんのことになると気持ち悪いよね、夜希」


「ちょっとは自覚はあるよ」


「えっ……ちょっと?」


 望結は呆れたように言った。

 ちょっとだよ。


 配信部の部室へ向かう渡り廊下の窓から、夕方の光が差し込んでいた。

 体育館はもう見えない。

 それでも頭の中には、さっきの雷臥くんの戦い方が焼きついて離れない。


 霊弾を躱す動き。

 雷を纏った踏み込み。

 《毘沙門天》すら沈黙させる、あの掌。


 はぁ。

 やっぱり格好いい。

 あんな人の隣に立てるようになりたい。

 せめて、同じ場所で戦えるくらいには。


 ――たとえ私が、人ではないものだとしても。





※Part2




 黄泉比良坂は、七つの階層に分かれている。


 上層――現世境。

 中層――幽世路。

 下層――根国。

 深層――黄泉戸。

 深淵――穢界。

 奈落――禍津奈落。

 最深部――黄泉国。


 その名を全部覚えている生徒は、案外少ない。

 試験前だけ必死に詰め込んで、終わったら忘れる。そういうものだ。

 でも私は、こうして実際に潜る側なので、嫌でも覚える。


 そして今、私がいるのは下層――根国。


 常夜の国。

 各地の黄泉比良坂支脈は、主としてこの階層から地上へ伸長している。

 そのため他の階層と異なり、根国は一階層しかない。その代わり、馬鹿みたいに広い。

 地図上では一層でも、実際に歩くと終わりが見えない。根が枝分かれするみたいに通路が伸び、空間が歪み、同じ場所を回っているようで少しずつ景色が違う。

 ダンジョンというより、巨大な生き物の腹の中を歩いている気分になる。


『映像、音声、霊波同期、すべて正常。夜希、聞こえる?』


「聞こえてる」


 通信越しに、狭武望結が小さく息をついたのがわかった。


『ならよし。根国は上層より霊波ノイズが強いから、配信が途切れても慌てないで。あと、今日は絶対に無茶しないこと』


「分かってる。安全第一。死んだら雷臥くんに会えなくなるもん」


『無茶をして雷臥くんに心配されたいとかも思わないこと』


「……し、しないよ?」


『今の間は何』


「何でもないです」


 私は咳払いで誤魔化した。

 コクピットの内壁に映る自分の顔が、少しだけ熱い。

 毘沙門天の起動音が、低く胸に響く。


 白・青・赤の三色塗装を施された霊装甲冑《毘沙門天》は、根国の闇の中でも妙に目立つ。高強度霊鋼装甲に、結界防御機構。背部メインバーニア一基、両腕・両脚・腰部左右に六基のアポジモーター。剣にも銃にも即応する三次元機動戦闘用の機体。

 学園のパンフレットには「対妖魔戦闘の未来を担う国産霊装甲冑」とか何とか書いてあった。

 因みにこの《毘沙門天》は二世代ぐらい前のものだけど、それでも中古価格で数千万から一億円近くする。

 視界の端にコメント欄が流れ始める。


【きた】

【今日は根国!?】

【死なない程度に頑張れよ ¥500】

【ヌエちゃんこんばんは】

【根国配信は当たり回】

【いや外れ回だろ怖いし】


「こんばんは、ヌエです。本日は黄泉比良坂下層・根国より探索配信を行います。あ、スパチャありがとうございます。死なない程度に頑張ります」


【死なない程度(重要)】

【今日も声かわいい】

【顔出ししないのほんともったいない】


 本名ではなく、配信名の『ヌエ』で活動している。

 私の名前が朧野夜希で、そこから望結が「夜だし妖しいしヌエっぽいじゃん」と軽いノリでつけた。

 そのときは心臓が止まるかと思った。

 いや、正確には一瞬止まった。

 だって、よりによって鵺だ。

 本人は何も知らない顔で笑っていたけれど、あれは本当に寿命に悪かった。


 コメント欄の下には同時接続数が表示されている。

 十五。


 顔出しなし。

 学校の部活動の一環。

 しかも配信内容は「女子高生がダンジョンに潜って配信する」である。

 多いのか少ないのかよくわからないけれど、まあこんなものだろう。


「今日は根国なので、いつもより景色が暗いです。たぶん画面越しだと見づらいところもあると思うんですけど、怖かったら無理せず閉じてくださいね」


【配信者の鑑】

【優しい】

【でも見る】

【根国ってどんなとこ?】


「ええと、簡単に言うと……ずっと夜で、広くて、じめじめしてて、たまに壁とか床が脈打ってる場所です」


【最悪】

【説明がホラー】

【観光地紹介みたいに言うな】

【行きたくなさすぎる】


「私もできれば私用では来たくないです」


『仕事では来てるけどね』


「学費のためなので」


【切実】

【学費は命より重い】

【いや重くはないだろ】

【死なない程度に頑張ってくれ \1000】


「ありがとうございます。がんばります」


 少しだけ笑って、私は毘沙門天を前進させた。

 根国の地面は、土というより巨大な樹木の内側みたいな質感をしている。繊維質で、ところどころ黒く湿っていて、踏みしめるたびにわずかに沈む。天井からは無数の根が垂れ下がり、遠くの闇の中では、壁なのか幹なのか判然としない巨大な影がゆっくり脈動していた。

 空気は冷たいのに、どこか生ぬるい。

 死んだ場所というより、死にきれていない場所。

 そんな感じがする。


【雰囲気やば】

【ほんとに地下?】

【夜空みたいなの何?】


「空じゃないです。たぶん天井です」


【たぶんで済ませるな】

【怖い怖い怖い】


『ヌエ、前方二十。小型反応三』


「了解」


 索敵表示に、赤い点が三つ灯る。

 根の陰から這い出してきたのは、犬ほどの大きさの屍鬼だった。皮膚は干からび、目玉はなく、代わりに口だけがやけに大きい。地面を嗅ぐみたいに首を振りながら、こちらへ向かってくる。


【きた】

【雑魚?】

【でも普通に怖い】


「小型の屍鬼です。単体ならそこまで危険じゃないんですけど、群れると面倒です」


 霊銃を構える。

 照準補助が三体を捉え、私は引き金を絞った。

 圧縮霊弾が闇を裂く。

 一発目で先頭の頭部が弾け、二発目で右の個体の胸が抉れた。残る一体が跳びかかってくる。


「っと」


 背部バーニアを短く吹かし、半歩だけ後退。

 同時に右手の簡易霊剣を起動する。白い刃が伸び、私はそのまま振り下ろした。

 屍鬼の体が、肩口から斜めに断たれる。


【おお】

【手際いい】

【ヌエちゃん普通に強い】

【今のかっこよ】


「ありがとうございます。今日はちょっと調子いいかも」


『さっき■■さま見てたからでしょ』


「…………」


【図星】

【分かりやすい】

【好きな人ブースト草】


 一応プライバシー反故の観点から人物名にはノイズが自動で被さるようになっている。

 言いながら、私は残った一体へ霊銃を向けた。

 けれど屍鬼は、撃たれるより先に根の陰へ潜り込む。


『ヌエ、左上!』


 反射的に見上げる。

 天井から垂れた根にぶら下がるように、もう一体。さっきの三体とは別の個体が、口を裂けるほど開いて落ちてきた。


「うわっ」


 咄嗟に左腕のアポジを噴かし、機体を捻る。

 屍鬼の爪が毘沙門天の肩装甲を掠め、火花が散った。


【今の危な】

【奇襲かよ】

【根国いやらしいな】


「こういうのがあるので、根国は嫌なんです」


 着地した屍鬼が、四肢をばらばらに動かしながら再び飛びかかってくる。

 私は霊剣を逆手に持ち替え、踏み込んだ。

 真正面からではなく、少しだけ右へ。

 屍鬼の噛みつきを外し、その首筋へ刃を滑り込ませる。

 断ち切る。

 黒い霧みたいなものを散らして、屍鬼は崩れた。


「はい、これで四体。根国はこういう待ち伏せが多いので、見えてる数だけだと思わないほうがいいです」


【勉強になる】

【でも行く予定ない】

【ないけど面白い】

【ヌエちゃん解説助かる】


 私は少しだけ肩の力を抜いた。

 雑魚相手とはいえ、配信しながら戦うのは意外と忙しい。喋る、索敵する、戦う、コメントを見る。全部を同時にやる必要がある。

 でも、その忙しさが逆に落ち着くこともある。余計なことを考えなくて済むから。


【そういえばヌエちゃんってなんで顔出ししないの?】

【声かわいいのに】

【絶対美人だろ】


「え、ええと……そんなことないです。私は地味で普通です。」


 少しだけ頬が熱くなる。

 こういうやり取りは嫌いじゃない。

 知らない誰かと話しているはずなのに、画面越しだと距離が曖昧で、変に気楽だ。


 ――雷臥くんが見ていなければ、だけど。


【好きな人とかいるの?】


「ぶっ」


 危うく変な声が出るところだった。


【動揺してて草】

【いるなこれ】

【分かりやすい】


「い、い、いない、……よ?」


【もうその反応で答えが出てるんだよなぁ】


 私は咳払いをして、無理やり話題を戻した。

 この話題が続いて万が一にでも雷臥くんに見られたら死ねる。


「えーと、前方にまた反応がありますね。今度は二体です」


 根の絡み合った通路の先、地面を這う影が二つ。

 今度は屍鬼ではない。猿に似た骨格に、異様に長い前脚。顔の半分が剥き出しの歯で埋まった小型妖魔――餓猿だ。


『ヌエ、右の個体、跳ぶよ』


「見えてる」


 餓猿が地を蹴る。

 私は霊銃を一発。空中で腹を撃ち抜く。

 もう一体が低く滑り込んでくるのを、今度はアポジで機体を浮かせて回避。すれ違いざま、左脚で蹴り飛ばした。


【蹴った!?】

【今のうま ¥1500】

【近接もいけるじゃん】


「毘沙門天は万能型なので、このくらいは」


 着地。

 振り向きざまに霊剣を一閃。

 餓猿の首が飛ぶ。

 最後の一体はまだ息があった。腹を撃ち抜かれながらも、歯を鳴らして這い寄ってくる。

 私は少しだけ息を整え、霊銃の銃口を向けた。


「黄泉比良坂では、倒したと思っても油断しないこと。こういうふうに、しぶといのもいるので」


 引き金を引く。

 圧縮霊弾が頭部を貫き、餓猿はようやく動かなくなった。


【おつ】

【解説助かる】

【ヌエちゃん思ったよりしっかりしてる】

【思ったよりは余計】


 コメント欄が笑うように流れていく。

 同接は、いつの間にか二十を超えていた。

 ほんの少しだけ、嬉しい。

 でもそれ以上に、もしこの中に雷臥くんがいたらどうしよう、という気持ちのほうが大きい。


 頑張ってるな、って思ってくれるだろうか。

 少しくらい、格好いいと思ってくれるだろうか。

 そんなことを考えた瞬間、我ながら重いなと思う。

 でも仕方がない。好きなのだから。

 私は霊銃を下ろし、根国の奥へ視線を向けた。

 闇は深く、静かで、どこまでも続いているように見える。


 このときはまだ知らなかった。

 この先で、あんなものに出会うなんて。




※Part3




 根国を探索していると、たまに他の探索者と遭遇することがある。


 それは当然といえば当然だった。

 大和各地に口を開けた黄泉比良坂の支脈は、最終的にこの根国へと繋がっている。

 地上では離れた土地にある侵入口同士でも、根国では思いがけず近い場所へ出ることがあるのだ。

 だから、他班の武士や陰陽師と鉢合わせること自体は珍しくない。

 ――ただし、たいていはもっと穏当な形で、だ。


「「「「封印術――鬼縛爻鎖!」」」」


 四方から重なる声。

 根の絡み合う広間の中央で、狩衣姿の陰陽師が四人、陣を組んでいた。

 彼らの足元から放たれた霊力が、青白い鎖となって空間を走る。

 幾重にも枝分かれした鎖は、標的へと絡みつき、肉体と妖力と動きを同時に封じるように締め上げていく。


『……あれは鬼種の拘束・封印を目的として編み出された封印術、鬼縛爻鎖。術者の霊力を鎖として具現化し、対象へ多重に絡ませることで、肉体・妖力・行動を同時に封じる術式……の、はず』


 通信越しの望結の声は、霊波ノイズのせいで少しざらついていた。


「さすが陰陽師。術に詳しいね」 『知識があるだけだってば』


 謙遜する声に、私は少しだけ口元を緩めた。

 でも本当に、知識があるというのは武器だと思う。

 少なくとも、何も知らずに死ぬよりはずっといい。

 鎖の中心にいた「それ」が、つまらなそうに呟いた。


「微温いわ」


 次の瞬間、ぞっとするほどあっさりと、霊力の鎖が引き千切られた。

 ばき、ばき、ばき、と嫌な音が連続する。

 封印術を構成していた霊力が逆流し、四人の陰陽師が一斉に顔を歪めた。

 そのまま反動に耐えきれず、全員が尻もちをつく。


 鎖から解放された妖魔は、女だった。


 上半身は、豊かな黒髪を垂らした艶やかな女。

 ただし、その髪にはところどころ血のような紅い筋が混じり、額からは二本の角が伸びている。

 さらに異様なのは腕だ。左右三本ずつ、計六本。細く長いその腕の先には、鉤爪めいた指が光っていた。

 まるで蜘蛛の足腕が鬼と融合したような姿。


 尻もちをついた陰陽師たちへ向けて、鬼の鉤爪が振り下ろされる。


 考えるより先に、私は霊銃を構えていた。

 照準補助が鬼の頭部を捉える。

 引き金を引く。

 圧縮霊弾が一直線に飛ぶ。


 ――だけど。

 鬼は、ありえないことをした。

 六本の腕のうち一本を軽く振り、飛来した霊弾を掴み取ったのだ。

 霊力を圧縮した弾丸を、だ。

 鬼はそれを面白くもなさそうに眺めると、指先で摘まんだまま、適当な方向へ放り捨てた。

 投げられた霊弾は遠くの根壁に着弾し、遅れて爆ぜる。

 鬼の視線が、ゆっくりとこちらへ向く。

 ぞわり、と背筋が粟立った。


『データ照合……鬼蜘蛛。オニグモに四死妖・酒呑童子の血肉を与えて妖魔化した個体。危険度、甲三級相当……!』


【は。甲三級ってマジかよ】

【丙級(一般妖魔)、乙級(危険妖魔)、甲級(大妖)に大分類されてるんだっけ。その甲級って】

【ヤバくないか】

【ヤバイに決まってるだろ! ヌエちゃん、逃げて!】


 その単語だけで、喉の奥がひやりと冷えた。

 言われなくても、逃げるべきだとわかる。

 たぶん、さっきの一撃で私は完全に標的にされた。

 なら、この場から引き離せば、少なくともあの陰陽師たちは助かるかもしれない。

 私は背部バーニアを最大出力で噴かした。

 ――なのに、機体が動かない。


「えっ」


 警告音が鳴り響く。

 モニターに表示された機体状態には、赤字で《妖糸付着・推進阻害》と出ていた。

 いつの間に。見えなかった。

 いや、見えないほど細い糸が、すでに毘沙門天の脚部と腰部、背部ユニットに絡みついていたのだ。

 鬼蜘蛛が、口元を歪める。


「それが最近流行りの絡繰甲冑か。どれほど耐えられる?」


 次の瞬間、鬼蜘蛛が消えた。

 いや、違う。

 速すぎて見失っただけだ。

 モニターが正面に鬼蜘蛛を捉えたときには、もう遅い。

 六本の腕が、同時に閃いていた。

 霊銃を構える暇もない。

 咄嗟に両手の簡易霊剣を交差させて受けようとする。けれど妖糸に絡まれた影響で姿勢制御が鈍い。防御が間に合わない。

 金属音。

 結界防御機構が火花を散らし、毘沙門天の右肩装甲がひしゃげた。


【は!?】

【硬いだろ毘沙門天!?】

【今ので装甲いった!?】


 重い。速い。

 そして、容赦がない。

 鬼蜘蛛は笑った。

 女の声なのに、その底には獣の唸りが混じっている。


「良い甲冑だ。砕き甲斐がある」


 再度の連撃。

 一、二、三、四、五、六。

 六本腕の拳撃が、間断なく襲いかかる。上から、横から、死角から。

 まるで巨大な鉄槌に囲まれているみたいだった。

 一撃ごとに装甲が軋み、結界が削れ、コクピットが揺れる。

 完全にサンドバッグだ。


『ヌエ……とりあえず……距離……!』


 望結の声が、ノイズ混じりに途切れる。

 霊波障害か、機体損傷のせいか、もうまともに通信も保てない。

 鬼蜘蛛の三本の腕が同時に振り下ろされた。

 避けきれない。


 衝撃が襲い、視界が激しく揺れた。

 警告音が一斉に鳴り響く。

 正面モニターに、赤い文字が次々と浮かんだ。


 《機体損傷率五十%超》

 《結界防御機構限界値超過》

 《結界防御機構――消失》


 まずい。

 まずいまずいまずい。

 鬼蜘蛛は、壊れかけた毘沙門天を見上げて、愉快そうに言った。


「人間が蟹を食べるときの気持ちが分かる。こうして殻を砕き、中身を取り出す時が一番楽しいの」


 ぞっとする台詞と同時に、鬼蜘蛛の腕が胸部装甲へ叩き込まれる。

 轟音。

 毘沙門天の前面装甲が砕けた。

 衝撃で首元のチェーンが切れ、制服の下に隠していたペンダントが宙へ跳ねる。


「あ……」


 銀色の小さなペンダント。

 私の宝物のひとつ。

 鬼蜘蛛はそれを空中で器用に掴み取った。

 そして、半壊したコクピット越しではなく、今度は直に私を見下ろしてくる。

 六本の腕をゆっくり広げるその姿は、獲物をいたぶる肉食獣そのものだった。


「まだガキじゃあないか。陰陽師を助けるために身を差し出すとは、覚悟だけは認めてやる」


「…………」


「お前が助けた陰陽師どもは、ワタシを封じられぬと悟ると、方々へ逃げていったぞ」


 胸が痛んだ。

 でも、それでも。


「……見捨てるよりは、まし」


 声が掠れる。

 自分でも、綺麗事だと思う。

 あのとき、見捨てることもできた。

 でも、そうしたら私は、雷臥くんのいる側に立てなくなる気がした。

 あの人が守ろうとするものを、私も守りたかった。

 だから、この選択に後悔はない。

 鬼蜘蛛は、そんな私を嘲るように笑い、胸元から飛び出たペンダントを指先で弄んだ。


「か、返してっ」


 鬼蜘蛛は面白がるように留め具を弾いた。

 ぱちり、と蓋が開く。

 中に入っているのは、小さく切り抜いた写真。

 少し前、学園行事の集合写真から、どうしても捨てられなくて切り取ったもの。

 笑っている雷臥くんの顔。

 鬼蜘蛛の目が細くなる。


「クク……これは素戔嗚家の片割れか。こんなものを肌身離さず持つとは、想い人だな」


「…………」


「いいだろう。お前の後に喰ってやる」


 その瞬間、頭の中で何かが切れた。

 音がしたわけじゃない。

 でも確かに、切れた。

 恐怖でも、焦りでも、羞恥でもない。

 もっと濁っていて、もっと深くて、もっと獣じみたもの。

 怒りだった。


「…………あ゛」


 鬼蜘蛛が、ぴくりと身を引いた。

 私に絡みついていた妖糸が、ぷつり、ぷつりと音を立てて千切れていく。

 許せない。

 赦せない。

 釈せない。

 雷臥くんに危害を加える存在は、人間だろうと、妖魔だろうと、妖怪だろうと、絶対に。

 鬼蜘蛛の顔から、初めて余裕が消えた。


「妖力……? 顔は鬼、狸の足、背には天狗羽、尾は狐、河童の手……新旧四死妖の部位。お前は――鵺か!」


 私はゆっくりと顔を上げた。


「……それを返せ」


 喉の奥から出た声は、自分のものとは思えないほど低かった。


「この状態の私は、手加減ができないぞ」


 鬼蜘蛛は、なおも強がるように鼻で笑う。


「ふん。返してほしければ、自力で奪ってみろ」


「なら、そうする」


 鬼蜘蛛が言い終えるより先に、私は踏み込んでいた。

 同時に、半壊した《毘沙門天》をパージする。

 次の瞬間、《毘沙門天》の各部装甲が爆ぜた。

 肩部、胸部、腰部、脚部。

 固定具が強制解除され、ひしゃげた霊鋼装甲が火花を散らしながら弾け飛ぶ。

 背部バーニアが千切れ、アポジモーターが根国の床へ転がった。

 白・青・赤の三色装甲が、ばらばらに闇へ散る。


 私はその中心から、ほとんど投げ出されるように飛び出した。

 制服の上着は裂け、腕や脚には装甲の固定痕が赤く残っている。

 それでも、体は軽かった。

 信じられないくらい、軽い。

 背中が熱い。

 肩甲骨のあたりが裂けそうに痛むのに、同時にそこから何かが広がっていく感覚がある。

 羽だ。

 見えなくてもわかる。

 人のものじゃない、巨大な何かが、私の背から空気を掴んでいる。


 学費のための甲冑。

 人の側に立つための鎧。

 雷臥くんのいる世界に、ちゃんと立っているための証。

 でも今は、それすら邪魔だった。

 私は空間を蹴るように跳び、鬼蜘蛛へ肉薄する。

 鬼蜘蛛も迎え撃つように腕を振るった。


 一撃目。

 右上から振り下ろされた鉤爪を、私は首を傾けるだけで外した。

 ――遅い。

 二撃目。

 左脇腹を抉ろうとした腕を、私は手首ごと掴み止めた。

 鬼蜘蛛の目が見開かれる。


 そのまま捻る。

 骨とも殻ともつかない硬い感触が軋み、鬼蜘蛛の喉から苦鳴が漏れた。


「おぉぉおおおお!」


 三撃目、四撃目、五撃目。

 残る腕が嵐みたいに襲いかかる。

 私はその隙間を、滑るようにすり抜けた。

 見える。

 全部見える。


 腕の起こり。

 筋肉の収縮。

 妖力の流れ。

 次にどこから来るのか。

 どこへ逃げるのか。

 どうすれば一番壊れるのか。


 そして――ペンダントを掴んでいる腕が、どれかも。


 私はその腕へ指先を滑り込ませ、肘の関節を逆向きにへし折った。

 鬼蜘蛛が悲鳴を上げるより先に、手首を裂き、銀色のペンダントを奪い返す。

 掌の中に収まった小さな重み。

 少しだけ、心が落ち着いた。


 ――でも。

 こいつは雷臥くんを知った。

 そして、喰うと言った。

 生かしておく理由は、もうない。

 私はペンダントを握り込んだまま、鬼蜘蛛の懐へ潜り込む。

 そして、そのまま拳を振り抜いた。

 拳にまとわりついていた青白い妖雷が、鬼蜘蛛の腹部を内側から爆ぜさせる。


「が、ぁっ!?」


 鬼蜘蛛の巨体が浮いた。

 蜘蛛脚が床を掻き、根国の繊維質の地面に深い溝を刻む。


 私は止まらない。


 背中から、ばさり、と何かが広がる感覚がした。

 実際に翼が生えたのか、それとも妖力の奔流がそう感じさせただけなのか、自分でもわからない。

 ただ、空気を掴める。

 重力が軽い。

 鬼蜘蛛が後退しながら妖糸を撒く。

 見えないほど細い糸が、空間そのものを縫い止めるように張り巡らされる。

 さっきまでの私なら、また絡め取られて終わっていた。

 でも、今は違う。

 糸が見える。

 いや、見えるというより、そこにある悪意がわかる。

 なら、回避するのは簡単だ。

 私は空中で身を捻り、妖糸の網を紙一重で抜けた。

 そのまま鬼蜘蛛の頭上へ回り込む。


「なっ――」


 驚愕に見開かれた目。

 その顔面へ、踵を叩き落とした。

 轟音。

 地面が大きく陥没する。

 根国の床が砕け、黒い土と根の繊維が跳ね上がった。


 ――けれど、手応えが浅い。


 鬼蜘蛛の姿が、そこにない。

 陥没した穴の縁を蹴り、私は即座に身を翻す。


「やぁやぁやぁ。しばらく見ない内に、ずいぶん怒りっぽくなったじゃあないか。今日は女の子の日かい?」


 軽薄で、掴みどころのない声。

 その声を聞いた瞬間、背筋が粟立った。

 不快だった。

 耳にしただけで、喉の奥に苦いものが込み上げてくる。

 陥没した地面の向こう。

 根の影から、ひとりの男が姿を現す。


 黒に近い濃紺の髪。

 私とよく似た顔立ち。

 けれど、その目に宿る色だけは決定的に違う。

 人を人とも思わない、昏く濁った愉悦。

 その横には鬼蜘蛛がいた。


「空陽!」


 私の双子の兄。

 私が鵺なのに対して、空陽は鵼。

 本来なら人間と一定の距離を置きながら共存する妖怪側にいたはずなのに、こいつは自分から人を貪り、喰い、殺す妖魔側へと堕ちた。

 裏切り者。

 同族の面汚し。

 そして、私が一番会いたくなかった相手。


「おいおいおい。悲しいなぁ。昔はお兄ちゃんお兄ちゃんって、ボクの後をついて来て、将来はお兄ちゃんと結婚するー、なんて言ってくれた夜希はどこへ行ったんだい?」


「寝ぼけてるの?」


 吐き捨てる。


「それ、空陽のイマジネーションシスターでしょ。私が結婚したいと思ってるのは、昔も今も、ずっと雷臥くんだけだから」


 空陽の笑みが、ぴたりと止まった。

 次の瞬間、口元だけを吊り上げる。


「悲しいなぁ。あまりに悲しいから――……殺しちゃうぞ☆」


 殺気。

 それは鬼蜘蛛のものとはまた違っていた。

 もっと粘ついて、もっと昏くて、もっと底がない。

 泥みたいに重い殺意が、空間そのものを満たしていく。

 肺が潰されるみたいに息が詰まる。

 足元の根国の空気まで、ぬめりを帯びて淀んだ気がした。


「くぅぅぅぅやぁぁぁぁぁああ!!」


 その瞬間。

 私と空陽の間に、幾重もの雷が降り注いだ。

 轟音。

 青白い閃光が、根国の闇を一瞬で塗り潰す。


 この雷を、私は間違えない。

 この声を、私は聞き間違えない。

 雷臥くんだ。


「てめぇ。実の妹にあんな殺気を向けるなんて――そこまで堕ちたのかよ」


 雷光の中から現れた姿に、胸が跳ねた。

 全身に宿る神威。

 迸る八色の雷。

 怒りを滲ませた低い声ですら、どうしようもなく格好いい。


 神術・八雷神。

 己の神力を解放し、八柱の雷神をその身に宿す術。

 八種の雷を纏った雷臥くんは、神々しくて、眩しくて、格好よくて、素敵すぎて、ちょっと直視できない。

 脳内フォルダには何百回だって保存しているけれど、できることなら今すぐ現実でも保存したい。

 録画したい。静止画も欲しい。連写したい。

 《毘沙門天》をパージしたの、ちょっと失敗だったかもしれない。


「……早いねぇ。しかも神術・八雷神かぁ」


 空陽が肩をすくめる。

 軽い口調のくせに、その目だけは笑っていなかった。

 雷臥くんは、そんな空陽から視線を外さないまま、少しだけ私のほうへ顔を向けた。


「夜希、立てるか」


「……うん」


「なら下がってろ。無理はするな」


 それだけだった。

 鵺の姿を見ても、声色は変わらない。

 目も逸らさない。

 怖がりもしない。

 畏れもしない。

 まるで最初から、こういう私ごと受け入れているみたいに、いつも通りに言ってくれる。

 ――そういうところが、好きなんだよ。


「ごめんな。俺がもう少し早く来ていれば、お前をこんな目に遭わせずに済んだのに」


「ううん。雷臥くんが来てくれただけで、私は十分だから」


 本当は十分どころじゃない。

 嬉しいし、安心したし、好きだし、格好いいし、今すぐ抱きつきたい。

 でもさすがにそれは無理。今は戦闘中。えらい、私。ちゃんと我慢してる。


「おいおいおいおい。ボクがいるのにアオハルかい?」


 空陽が呆れたように笑う。


「しかも、妹の発情した顔を見せられるなんて。なんて罰ゲームだい」


「く、空陽!」


 顔が一気に熱くなる。


「ら、らら雷臥くんがいるのに、変なこと言わないで!」


 思わず叫ぶと、空陽はますます面白そうに目を細めた。

 最悪だ。ほんとうに最悪だ。

 よりによって雷臥くんの前で、何を言ってるのこの兄は。


 そのときだった。

 ばさり、と羽音がした。

 一羽の鴉が、どこからともなく飛来して、空陽の肩へと止まる。

 真っ黒な羽。

 異様なほど賢そうな目。

 ただの鴉じゃない。霊的な使いだ。

 空陽は鴉の嘴に挟まれた小さな札を受け取ると、ざっと目を通して、ふっと笑った。


「……へえ。晴明さんの用事も終わったことだし、今日はここまでにしようか」


 その言葉に、雷臥くんの気配が鋭くなる。


「待て、空陽」


「やだよ。今日は挨拶に来ただけだし」


 空陽はひらひらと手を振る。

 まるで本当に、道端で知り合いに会って別れるだけみたいな軽さで。


「護衛の鬼蜘蛛を連れて帰るよ。せっかく晴明さんから預かってるのに、ここで壊されたら困るしね」


 鬼蜘蛛が、悔しげに牙を鳴らす。

 けれど空陽に一瞥されると、素直にその後ろへ下がった。

 空陽は最後に、私へ視線を向けた。


「夜希。またね」


 その声音だけが、妙に柔らかい。

 だから余計に気味が悪い。


「次に会うときは、もっとちゃんと殺し合おう」


「……二度と会いたくない」


「ひどいなぁ」


 空陽は笑う。

 そのまま鬼蜘蛛を従え、根の闇の向こうへと溶けるように下がっていく。

 肩の鴉だけが最後までこちらを見ていて、やがて羽ばたきとともに闇へ消えた。

 あとに残ったのは、雷の残滓と、嫌な気配だけだった。





Part4





 翌日。

 配信部の部室で、私は床に額を擦りつけていた。


「どうか、どうかご慈悲を……!」


 机と機材に囲まれた部室の真ん中。

 その中央で、私は見事なまでの土下座を決めている。

 正面には、椅子に座った望結。

 腕を組み、じっとこちらを見下ろしていた。


「……で?」


「《毘沙門天》を壊した件につきまして、どうか寛大なるご処置をお願い申し上げます……!」


 声が震える。

 だって怖い。

 ものすごく怖い。

 昨日、根国から回収された《毘沙門天》は、機体損傷率が高すぎて修復不能と判断された。

 つまり――廃棄決定である。


 学費のための甲冑。

 人の側に立つための鎧。

 そして何より、めちゃくちゃ高い。

 そんなものを大破させたのだ。

 賠償責任とか請求されたら、私はたぶん卒業まで毎日もやし生活でも足りない。

 いや、卒業後も足りないかもしれない。

 人生が終わる。


「私、反省してます。とても反省してます。深く深く反省してます。なのでどうか、どうか分割百二十回払いとかでもいいので命だけは……!」


「夜希」


「はいっ」


 望結が、深いため息をついた。


「まず結論から言うけど、損害賠償はないよ」


「……へ?」


 思わず顔を上げた。

 望結は呆れたように眉を寄せる。


「甲三級の妖魔が出現した時点で、あれは完全に想定外の緊急事態。機体損傷もやむを得ないって判断になった。だから、今回の件で夜希個人に賠償責任は発生しない」


「ほ、本当に?」


「本当に」


「ほんとにほんと?」


「しつこい」


 私はしばらく固まったあと、じわじわとその言葉を噛みしめた。

 賠償なし。

 請求なし。

 人生、継続可能。


「よ、よかったぁぁぁ……」


 全身から力が抜け、その場にへたり込む。

 危なかった。

 いや本当に危なかった。

 精神的な意味で死ぬところだった。

 望結はそんな私を見ながら、もう一度ため息をついた。


「ただし」


「ひっ」


 反射的に背筋が伸びる。


「無茶をして壊したこと自体は事実だからね。そこはちゃんと怒られると思って」


「はい……」


 しゅん、と肩を落とす。

 それはそうだ。

 甲三級相手だったとはいえ、結果として《毘沙門天》は廃棄になった。

 しかも途中から完全に頭に血が上がっていた自覚もある。

 反省は、している。

 ……している、はずだ。たぶん。


「だから罰として、ひとつ作業をお願いされてる」


「作業?」


 望結が机の上の書類を一枚持ち上げる。


「ゴールデンウィーク明けに転校してくる生徒の学校生活サポート」


「転校生?」


 何気なく聞き返して――次の瞬間、嫌な予感がした。

 望結は、にこりともせずに告げる。


「素戔嗚神奈」


「…………」


「雷臥さまの妹」


「………………えっ」


 思考が止まった。

 数秒遅れて、言葉の意味が脳に染み込んでくる。


 素戔嗚神奈。

 雷臥くんの妹。

 転校。

 学校生活サポート。

 私が。


「か、神奈ちゃんが来るんだ……」


 口から出た声は、自分でも驚くほど複雑だった。

 嬉しい、わけではない。

 嫌、というのとも少し違う。

 でも、ものすごく落ち着かない。


 だって神奈ちゃんは、雷臥くんの妹だ。

 血の繋がった家族。

 雷臥くんが大事にしている相手。

 そして、私がどう頑張ってもその位置にはなれない存在。

 望結がじっとこちらを見る。


「何その顔」


「いや……その……複雑で……」


「まあ、気持ちは分からなくもないけど」


 分かるんだ。

 分かってくれるんだ、望結。

 私は膝を抱えたくなる衝動を堪えながら、ぼそぼそと呟く。


「雷臥くん、家族のことすごく大事にしてるし……神奈ちゃんにも絶対甘いし……」


「それはそうでしょ。妹なんだから」


「それがもう、ずるいんだよ……」


「何が?」


 私は顔を上げ、真剣な声で言った。


「神奈ちゃんはずるいんだよ。子供のころまで一緒に雷臥くんとお風呂に入れてたのに、私は入れなくなったのに神奈ちゃんは一緒に入ったりしてさ」


「うん。ずるくもないし、それは普通だからね」


「ぅぅぅ」 「逆にそれ以上、一緒に入ってたら引くから」


「ぅぅぅぅ……」


 正論が胸に刺さる。

 痛い。

 でも納得したくない。

 だって羨ましいものは羨ましいのだ。

 家族って強い。

 幼なじみも強いけど、家族はもっと強い。

 しかも妹属性までついている。強すぎる。


「でもまあ」


 望結が少しだけ声を和らげた。


「神奈さまのサポート役に夜希が選ばれたのは、たぶん悪い意味じゃないよ」


「……そうかな」


「そうだよ。少なくとも、信頼されてなかったら任されないでしょ」


 その言葉に、少しだけ胸が静かになる。

 信頼。

 そういうものが、もし少しでもあるなら。

 ……いや、でも。


「それはそれとして、雷臥くんの妹と仲良くしすぎて距離を詰められたらどうしよう」


「発想が重い」


「だって神奈ちゃん、家での雷臥くんをいっぱい知ってるんだよ?」


「そりゃ家族だからね」


「私の知らない雷臥くんをいっぱい知ってるんだよ?」


「だから家族だからね」 「ずるい……」


「ずるくないって」


 望結は呆れたように言ってから、ふと机の端に置かれた端末へ視線をやった。


「それにしても、昨日の記録は本当に何も残ってなかったね」


「あー……」


 私は少しだけ視線を逸らした。

 回収された《毘沙門天》は、録画機能も配信機能も完全に壊れていた。

 つまり、昨日の後半は映像として残っていない。

 私が鵺化したところも。

 空陽が現れたところも。

 そして――雷臥くんが八雷神になったところも。

 前者については、正直かなり助かった。

 あれが記録に残っていたら、いろいろと面倒どころでは済まない。


 でも後者については。


「……ちょっとだけ残念」


「何が?」


「いや、その……八雷神の雷臥くん、すごく格好よかったから……」


「そっちかあ」


「そっちだよ」


 むしろそっちが大問題だ。

 あの神々しさ。

 あの雷。

 あの登場。

 映像で残っていれば、一生の宝物になったのに。


「静止画でもいいから欲しかった……」


「夜希」


「はい」


「気持ちは分かるけど、本人にバレないようにね」


「善処します」


「善処じゃなくて自重して」


 私は小さく咳払いをした。

 でも、記録が残っていないのは悪いことばかりじゃない。

 あの姿を、あの怒りを、あの手触りを、誰にも見られていない。

 それはきっと、今の私には救いだった。

 望結が椅子から立ち上がる。


「とにかく、罰は神奈さまのサポート。決定事項だから」


「……はい」


「あと、転校初日から変な圧を出さないこと」


「出さないよ」


「雷臥さまの妹だからって変に張り合わないこと」


「張り合わないよ」


「お風呂の話をしないこと」


「それは……努力する」


「しなさい」


 ぴしゃりと言われて、私はしょんぼりとうなだれた。

 けれど、胸の奥には少しだけ別の感情もある。

 雷臥くんの妹。

 素戔嗚神奈ちゃん。

 きっと、これから私の日常はまた少し騒がしくなる。


 それが面倒なのか、怖いのか、嬉しいのか。

 今の私にはまだよく分からない。

 ただひとつ分かるのは――。


「……負けない」


「何に?」


「いろいろ」


 望結が、ものすごく嫌そうな顔をした。


「お願いだから、転校初日から面倒ごとを増やさないでね」


「前向きに検討を重ねて対応させていただきます」


「その政治家みたいな返答はよけいに信用できないの!」


 部室の窓から差し込む昼の光は、根国の闇とは正反対に明るかった。


 昨日、《毘沙門天》は壊れた。

 配信記録も消えた。

 いろいろ失ったものはある。

 それでも、私はまだここにいる。

 そしてたぶん、これからも懲りずに、誰かを好きで、誰かに嫉妬して、望結に怒られながら進んでいくのだろう。


 ……とりあえず今は。

 雷臥くんの妹が転校してくるという現実に、心の準備をするところから始めようと思う。




読んでいただきありがとうございました。

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またこの作品は連載中の【華には修羅がある~修羅道より回帰した令嬢は運命を覆す~(https://ncode.syosetu.com/n2016mf/)】になります。

よろしければコチラも見ていただける大変嬉しいです。

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