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魔力ゼロですが、魔法はぜんぶコードなので問題ありません 〜前世プログラマーの少女、キーボードで異世界をデバッグする〜  作者: せい | 健康優良不良プログラマ
第1部 ④「水路を動かす」

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第64話 機械を組み上げる

それから三日、歯車を待つあいだに、わたしと父は作業台の上で水門側の機構と判断機構の組み付け部品を一つずつ磨いていた。グスタフが鍛冶場で精密歯車を仕上げているはずの夜は、屋根の向こうから細い鎚音が遠く響いていた。


紅の月九日の朝、グスタフ親方が大きな袋を抱えて父の工房に来た。


「アルベルト、嬢ちゃん。出来たぞ」


袋の中には、新しい歯車が四つ。太いぜんまいが二本、それと長い軸が一本。グスタフが頼まれた論理ゲート用の精密歯車と、水門の動力源だった。


「グスタフさん、ありがとう」


「ふん」


グスタフが机の上に袋を置いた。歯車を一つ取り出して、机の縁に置いた。歯の数を数えた。十二歯、十六歯、二十四歯——前に渡された分と同じ仕様。誤差は爪の幅の五分の一。


「精密だな」


父が短く言った。


「ああ。今回は前より神経を使った」


「なぜだ」


「水路に置くからな」


グスタフがそれだけ言って、椅子に腰を下ろした。


頭の奥で、その言葉の重みがじわりと広がった。


(——水路に置く)


(——村のものの隣に、機械が立つ)


これまでの試作は全部、父の工房の中で完結していた。動くか動かないかも、机の上で確かめられた。

今度は違う。試作機が水路に運ばれて、本物の水を相手にして、村人たちの暮らしの隣で動き始める。


「お父さん、グスタフさん」


「うん」


「最後の組み立てをします」


◇◇◇


その日一日かけて、判断機構を組み上げた。


論理ゲート(AND 二つ、XOR 二つ)を机の中央に並べた。AND の組み合わせは「朝の二刻、かつ、水位が三本目以下」を判定する回路。XOR は「水位が三本目以下」と「四本目以上」を排他的に区別する回路。


設計上は、エマの織った穿孔布をかけて条件の組み合わせを切り替える予定だった。けれど、家で組んだ机上の読み取り装置はそのままでは水路の屋外には持ち出せない。風雨や砂塵にさらされる場所で動かせる大型の布送り部はまだ間に合っていない。代わりに、布で指示する予定だった条件を木片の差し込みで固定して、ゲートを直接動かす形に切り替えた。穿孔布を組み込むのは、装置が動くと確かめてからだ。


それぞれの歯車を細い軸で連結した。父が軸の高さを測り棒で揃えてくれた。八歳の手では測り棒の目盛りを爪の幅五分の一まで合わせきれない。父の太い指が、わたしの手の上から軸を一度押さえて、軽く位置を直してくれた。グスタフは離れた場所から作業を見守って、時々「噛み合わせが甘い」「軸が傾いてる」と短く指摘した。


午後遅くなって、判断機構が骨組みとして立ち上がった。


時刻歯車(振り子時計の出力)→ 中継歯車 → 二つの AND ゲート

水位歯車(浮きの出力)→ 中継歯車 → AND ゲートの片側+ XOR ゲート

AND ゲートの出力 → 出力機構(水門上下の信号)


頭の中で何度も配線図を確かめながら、机の上の歯車を実際に動かしてみた。


時刻歯車を朝の位置に手で回す。

水位歯車を二本目(三本目以下)に手で回す。

AND ゲートの両方の入力が満たされた瞬間、出力が「開ける」の方向に動いた。


水位歯車を五本目(四本目以上)に動かす。

AND ゲートの片方が満たされなくなって、出力が止まる。


「動いてる」


声に出した。


父がドライバーを置いて、机のこちら側に椅子を回した。


「これが、判断する機械か」


「うん」


「条件が揃った時だけ動く、ということか」


「そう。前世の——ごめん、夢で見た仕組みと同じ」


父はそれ以上は問わなかった。机の上の歯車をじっと眺めた。


それから、ふっと顔を上げた。


「グスタフ。村の連中に説明するなら、これは、どう言えばいい」


机の縁に座っていたグスタフが顎を撫でた。


「ふん。『歯車が、考える』で十分じゃろ」


「それだけで」


「『時間と水の高さが両方揃った時だけ、縄を引く仕掛け』だ。難しい言葉は要らん」


グスタフの言葉に、父が小さく頷いた。八歳の口から出る『論理ゲート』も『AND』も、村の集会所では一度も使わない。代わりに『歯車が、考える』『両方揃った時だけ、縄を引く』。

それで足りる。


頭の中で、もう一段、組み立て直された。

わたしの説明を父とグスタフが受け取って、村人向けの言葉に絞り直す。

その役割分担が、机の上で組み上がりつつある装置と並行して、見えない設計図として動き始めていた。


◇◇◇


二日目。


机の隣に振り子時計の試作機と水位センサー(浮きと歯車)を並べた。判断機構と組み合わせて、装置全体の最終形を組み立てる。


時刻測定(振り子時計)→ 時刻歯車

水位測定(浮き+糸+歯車)→ 水位歯車

時刻歯車+水位歯車 → 判断機構

判断機構 → 出力機構(ぜんまい+ラチェット+縄巻き軸)


四つの部品を一つの大きな木の台の上に並べて、それぞれを細い軸で繋いだ。


組み上がった装置は、机の半分ほどの大きさだった。木と歯車と軸でできた、見た目は単なるガラクタの塊。けれど中身は、時刻と水位の二つを読み取って、水門を上げ下げするかどうかを歯車に決めさせる仕掛けだった。


机の上で水位の浮きを手で持ち上げると、対応する歯車が回って、判断機構の入力が変化した。

振り子時計のぜんまいを巻いてしばらく動かすと、時刻歯車が朝の位置に進んだ。


両方の条件が揃った瞬間、出力機構のラチェットが一段だけカチリと前に進んだ。


(——動く)


(——歯車が、判断してる)


机の上で歯車が止まった。完成、と言える。


「お父さん」


「うん」


「机の上では、ちゃんと動きます」


父はしばらく装置を眺めた。


「ふん」


「あとは、水路の脇に設置するだけ」


父は短く息を吐いた。


「それが、たぶん、一番大変だ」


◇◇◇


五日目。


グスタフが朝から手伝いに来てくれた。判断機構の試運転を全員で見守った。


時刻歯車を朝の位置に。水位歯車を二本目に。

ぜんまいを巻く。手を離す。


振り子が揺れ始める。時刻歯車がゆっくり進む。水位歯車は二本目のまま。

判断機構の AND ゲートが両方の入力を受け取って、出力歯車を動かす。

出力歯車から細い軸を伝って、ラチェットが一段だけカチリと進んだ。


水位歯車を五本目に動かす。

時刻歯車はそのまま朝の位置。

判断機構の AND ゲートの片方が成り立たなくなって、出力は止まる。

ラチェットも止まる。


何度も同じ操作を繰り返した。条件が揃った時だけ、ラチェットが進む。揃わない時は止まる。動きは安定していた。


「リナ嬢ちゃん」


グスタフが机の脇に立って、装置を見下ろしていた。


「うん」


「これは、本当に水門を動かすのか」


「うん。試運転で確かめる」


「明日か」


「明日、村人たちに説明してから」


グスタフがふっと笑った。


「村人説明か」


頷いた。


「あれは、機械よりずっと厄介だぞ」


短く言って、グスタフは机の縁に腰を下ろした。


◇◇◇


その日の夕方、わたしは一人で工房に残った。


父は夕食の支度を手伝いに家へ戻り、グスタフは「明日来る」と言って帰った。


机の上で装置が静かに止まっていた。木と歯車と軸の塊が、夕陽の光の中で薄い影を作っていた。


ぜんまいを軽く回してみる。装置が一瞬だけ動いて、また止まる。動きは何度確かめても同じ。完成度は高い。


(——明日、村人たちに見せる)


(——タール爺さんは賛成してくれてる)


(——村長さんも、条件付きで許してくれてる)


頭の中では、何度も交渉のシナリオを組み立てていた。


ここまでは、わたしの中で順調に積み上がっている。


——でも。


椅子に腰を下ろして、装置を見つめた。


(——もし、間違えたら)


胸の奥で、これまでとは違う感覚が立ち上がっていた。


これまでの発明は、家族の中だけで動かしていた。失敗しても、家族が困るだけ。次の日には別のことを試せた。

プレヴェルティスは、エルナさんが祭司の権威で守ってくれた。リナの「眼」のことも、エルナが盾になってくれていた。


今度は、違う。


機械が間違えると、村のどこかの家の麦が、一年分台無しになる。

タール爺さんが信用してくれた「身体の仕事は機械、見守る目は人」が崩れる。

村長さんに「失敗したら困る」と言われた、その「困る」が現実になる。


(——マルダさんの孫が、朝食を時間通りに食べられなくなる)


(——あの朝の景色が、わたしのせいで止まる)


指先がじりじりと机の縁を押した。


前世のわたしは、いくつもの本番リリースを経験した。リリース前の夜は何度も眠れなかった。コードを書く時は冷静でいられたのに、本番投入の前夜だけは、何度経験しても怖かった。


(——今のわたしも、同じだ)


(——八歳の体に、PMだった時の怖さが、戻ってきている)


胸の奥で、何かがじくりと小さく音を立てた。


頭の中で組み立てた配線図は完璧。机の上での動作は完璧。何度確かめても、同じ動きが返ってくる。


それでも怖かった。


机の上で動くことと、村の暮らしの隣で動き続けることは、全く別の試験だった。


◇◇◇


家に戻った頃には、空がもう深い藍色になっていた。


エマが粥を温めていた。鍋から白い湯気が立ちのぼっていた。


「リナ、お帰り」


「ただいま、お母さん」


「お父さんはもう食べたわよ。お風呂の時間まで、ゆっくりして」


椅子に座って、椀を受け取った。湯気が顔に当たって、指先の冷たさが少しだけ戻った。


エマが向かいに座って、わたしを見た。


「リナ。なんだか、いつもと違う顔ね」


「えっ」


「明日、何か、大事なことがあるの?」


少し迷ってから、頷いた。


「うん。村の人たちに、機械を見せに行く」


エマが少しだけ目を細めた。


「怖い?」


——あ。


エマには、たぶん見えていた。


「ちょっと、怖い」


「そう」


「失敗したら、村の人たちに迷惑がかかるから」


エマは粥の椀を両手で握ったまま、しばらく黙った。


「リナ」


「うん」


「迷惑をかけたくない、って思える人は、ちゃんとした大人になれる」


「お母さん——」


「お母さんは、リナのことを応援しているけれど、無理はさせたくない。もし明日、リナがどうしても怖いと感じたら、一度引き返してもいいのよ」


胸の奥で、何かが温かくなった。


それと同時に、もう一つ、別の感覚もあった。


(——引き返さない)


(——タール爺さんと村長さんとエルナさんが、わたしを待ってくれてる)


(——わたしはちゃんと、明日、行く)


「お母さん、ありがとう」


「うん」


「行ってくる。怖くても」


エマが少し笑って、わたしの頭を撫でた。


冷たくて柔らかい手だった。


外で紅の月の風が、家の屋根を撫でていった。


机の上で完成した装置が、工房で静かに眠っていた。


——明日、わたしは、村の人たちの前に立つ。


■あとがき・解説


第64話は、グスタフから精密歯車が届いて、装置全体の最終組み上げを進める回でした。机の上での試運転は何度繰り返しても安定して動く——配線図は完璧、動きも完璧。それなのにリナは夕方の工房に一人で残って、これまで一度も自覚したことのなかった「失敗への恐れ」を、初めて自分の中に見つけることになります。エマが「怖い?」と短く聞いてくれた場面が、この回の静かな核でした。今回はその「達成と不安が同時に立ち上がる」感覚について、少し長めに書いていきます。


■この話で出てきた言葉


■「机上テストと本番の違い」——同じ装置でも、置かれる場所で意味が変わる


机の上で何度試しても、装置はいつも同じ動きを返してくれます。時刻歯車を朝の位置に。水位歯車を二本目に。ぜんまいを巻く。手を離す。ラチェットが一段だけカチリと進む。条件を変えると、ちゃんと止まる。動きは安定している。完成度は高い。


それでも、机の上で動くことと、村の暮らしの隣で動き続けることの間には、大きな段差があります。前世の言葉でいうと「単体テスト」と「本番投入」の違いに近い。単体テストは、装置が設計通りに動くかを確かめる試験。本番投入は、その装置が想定外の状況に晒されながら、それでも動き続けられるかを試す本物の試験。


水路の脇の装置は、机の上では想定できない出来事に毎日晒されます。秋の朝の冷気、夕方の風、雨の日の水量の急増、虫が浮きにまとわりつくこと、子供が触ろうとすること、鳥が止まること——机の上の試運転では、これらは一つも再現されない。動きが完璧でも、それは「机の上の動きが完璧」というだけのことで、村の暮らしの隣で完璧かどうかは、置いてみるまで誰にも分からない。


■「責任の範囲が広がるという感覚」——失敗の影響が、自分の外に出ていく


これまでのリナの発明は、家族の中で完結していました。失敗しても、家族が困るだけ。プレヴェルティスや計算珠盤の時は、エルナが祭司の権威で表に立ってくれて、リナの「眼」のことも盾になってくれていた。


今度の装置は違います。機械が間違えると、村のどこかの家の麦が一年分台無しになる。タール爺さんが信用してくれた「身体の仕事は機械、見守る目は人」が崩れる。村長が「失敗したら困る」と言った、その「困る」が現実になる。マルダさんの孫が、朝食を時間通りに食べられなくなるかもしれない。


リナの胸の中で「あの朝の景色が、わたしのせいで止まる」という想像が立ち上がった瞬間。これが前世の言葉で「リリース前夜のプレッシャー」と呼ばれていたものでした。設計の段階や試作の段階では冷静でいられるのに、自分の作ったものが本当の世界に出ていく直前だけ、何度経験しても怖い。


これは技術者や PM の側の弱さではなくて、自分の仕事が誰かの暮らしに繋がっていると本気で理解している人だけが感じる、ある種の健全な怯えです。


■「八歳の体に、PM だった時の怖さが戻ってきている」


リナがこの夕方に自覚したのは、前世の感覚が新しい場面でまた一段濃く戻ってきたことでした。


前世のリナは、いくつもの本番リリースを経験しました。リリース前の夜は何度も眠れなかったと、本人が振り返っています。コードを書く時は冷静でいられたのに、本番投入の前夜だけは怖かった。今のリナは八歳の体で、机の上で歯車を組み立てている小さな発明家ですが、その胸の奥では同じ感覚がはっきりした輪郭で立ち上がっていました。


前世のスキルが新しい世界で役立ったり、設定や交渉の発想として活きたりする場面はこれまでもありました。今回は少し違います。前世のリナが「乗り越えなければならなかった怯え」までもが、八歳の体に持ち越されている。これは才能の側面というより、責任を負う立場に立った人が引き受ける感情の側面で、誇らしさよりも重さの方が先に来る種類のものです。


■「迷惑をかけたくない、と思える人」——エマの一言が引き受けたもの


家に戻った夕方、エマが粥の椀を両手で握ったまま置いてくれた「迷惑をかけたくない、って思える人は、ちゃんとした大人になれる」という言葉。


ここでエマは、装置が動くかどうかの話を一切していません。代わりに、リナの中に立ち上がっている怯えを「ちゃんと立ち上がっていい感情だ」と肯定してくれた。「無理はさせたくない。もし明日、リナがどうしても怖いと感じたら、一度引き返してもいい」という選択肢を、わざわざ言葉にして置いてくれた。


技術的な励ましでも、根拠のない楽観でもなく、「引き返す権利は、いつでもあなたの手の中にある」と確認してくれる種類の言葉。これは前世のリナが本番リリースの前夜にいちばん欲しかったけれど、職場では誰からも貰えなかった種類の言葉でもありました。


リナが「行ってくる。怖くても」と答えた瞬間、エマの撫でた手の冷たさと柔らかさが、明日の朝までリナの中に温かいまま残ります。


机の上で完成した装置が、誰もいない工房で静かに眠っている。窓の外で紅の月の風が屋根を撫でていく。装置と少女と母と父と村が、それぞれの場所で同じ夜の空気を呼吸している——絵にすれば短い場面ですが、この夜の静けさが、明日の朝に向けた最後の溜めでした。次の話もお楽しみに。


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