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歓声は、しばらく止まらなかった。
ついさっきまで死を覚悟していた兵士たちが、互いの肩を叩き、抱き合い、生きていることを確かめ合っている。
泣いている者もいた。へたり込んだまま笑っている者もいた。
その中心で、バンビはまだ呆然とメガントボアの亡骸を見つめていた。
(僕たちで、メガントボアを倒せたんだ)
そう思った瞬間、膝から力が抜けた。その場に崩れそうになる身体を、ガゼルが慌てて支える。
「ちょっと、バンビ!」
「あ……ご、ごめん」
「胸を張っててよね。あなたが、最後に決めたんだから」
そう言ったガゼルの目も赤かった。 興奮だけではない。別の感情が混ざっているのが分かる。
その時だった。
歓声の外側で、誰かの押し殺したような嗚咽が聞こえた。
兵士たちの空気が、少しずつ変わっていく。
勝った。僕たちは生き残った。
だが――全員ではない。
丘の下、踏み荒らされた草地のあちこちに、倒れた仲間たちの姿があった。
本当ならただの行軍演習のはずだった。
この丘には本来モンスターは滅多に現れない。メガントボアどころか、Cランクモンスターでさえ発見事例はほとんど無い。
突然の襲撃で、僕らの盾になり命を落とした教官。
兵士志願のタイミングが同じで、受付で気さくに話しかけてくれた同期のポニーちゃん。他にも、たくさんの仲間が死んだ。
血に濡れた鎧は、もう動かない。
バンビの喉が、ひゅっと鳴った。
「教官……ポニー……」
誰も、すぐには動けなかった。
勝利の熱が、現実に冷まされていく。命を拾った実感と、失ったものの重さが、同時に胸へ落ちてくる。
そんな中、我応だけは少し離れた場所からその光景を見ていた。さっきまでの豪快な笑みは消えている。
代わりに、静かな目で兵士たちを見つめていた。
バンビは唇を噛みしめると、倒れている教官のもとへ歩き出した。
ガゼルも、他の兵士たちも続く。
バンビが剣を地面に突き立て、教官の胸元で手を組ませた。震える手で、死者の目蓋を閉じる。
「……教官」
バンビが膝をつく。
ガゼルも俯いたまま、小さく呟く。
「私たちが、もっとちゃんとしていれば……」
「生き残れただけでも奇跡だよ。まさかBランクモンスターが現れるなんて。」
「急いで国に戻って報告しないと。」
「話してるところすまないんだが。」
振り向くと、我応がゆっくりこちらへ歩いてくる。さっきまで戦場を震わせていた大声ではない。
それでも、不思議と全員の耳に真っ直ぐ届いた。
「一つ聞きたいんだが、ここは……どこなんだ?」
兵士たちが顔を上げる。
「どこって……ここはダルタニア王国の南に位置する、ダルメシア森林に続く丘ですけど」
「そうか……」
もう認めざるを得ない。
ここは"異世界"というやつだ。
何かのドッキリ、テレビ番組、はたまた夢や幻を疑う余地もない。
なによりーー眼の前で冷たくなっている亡骸が、作り物ではないことは我応の目から見て確かだった。
バンビは何かを察したような顔を浮かべる。
「もしかして、お仲間とはぐれてしまったんですか?」
「そう……だな。実は、この辺りの地理に明るくなくてな」
「それなら、ダルタニア王国まで来てください!今回のお礼もしなきゃですし」
風が優しく吹く。草が揺れ、血の匂いを薄めていく。
ガゼルは涙を拭い、ぎこちなく頷いた。
「私からもお願いします。ただ……少しだけ、待っててください」
それから兵士たちは、死んだ仲間たちを一人ずつ集めた。折れた槍を傍らに置き、剣を胸元に添え、土をかける。
教官には全員で敬礼した。
我応はその間、何も言わなかった。ただ、黙って見届けていた。
やがて簡素な弔いが終わる頃には、日が少し傾き始めていた。
バンビは立ち上がり、我応の前へ進み出る。今度はさっきと違う意味で、背筋を伸ばしていた。
「団長」
「うむ」
「改めて……ありがとうございました」
ガゼルも、他の兵士たちも頭を下げる。
「あなたが来てくれなかったら、僕たちはここで全滅していました」
「教官たちが守った命も、無駄になっていた」
「ダルタニア王国へ向かいましょう」
「ちなみに、ここからどれくらいだ?」
「すぐです!歩いて、順調にいけば10日ほど!」
「そ……そうか」
(すぐ……?)
この世界の基準は、自分と大きくズレていると認識を改めた我応。
「バンビの足じゃ、20日くらいかかるんじゃないの?」
「そ、そこまで遅くないよ!」
ほどなくして、一行は歩き出した。バンビとガゼルは必要以上に明るく振る舞っていた。
仲間たちの"死"を、痛感しないように。
◆
20日後
ダルタニア王国、王城。
「新人育成部隊が……メガントボアの討伐だと?」
玉座の間に、低い声が響く。
報告を受けた将軍も、文官たちも、皆一様に険しい顔をしていた。 無理もない。
メガントボアは本来、新人兵士が相手にできるような魔物ではない。Bランクモンスターは、存在自体が町一つ滅ぼせる程度の災害。
それだけでも異常なのに、バンビたちの報告はさらにその上を行っていた。
「それだけではありません」
将軍が一歩、前に出る。
「討伐中、メガントボアは凶暴化したとも…」
「何だと!?」
場の空気が凍る。
老齢の魔物学官が、青ざめた顔で呟く。
「凶暴化したメガントボアは……実質Aランク。天災級です」
「新人どころか、我が国軍でも損害を覚悟する相手……」
ざわめきが広がる。
「ありえん……」
「そんなものを少年兵が?」
「しかも死者を出しながらとはいえ、討伐だと……?」
「さすがに出鱈目だろう」
王は、玉座の肘掛けを指で叩いた。
「ダルメシアの森付近でBランクモンスターが出現したというだけでも大騒ぎだ」
「それを討伐……もちろん"何か"があったのだろう?」
その問いに、将軍は唾を飲み込んでから答えた。
「兵たちの報告によると、一人の男が援護してくれたらしく」
「一人だと?」
「はい。黒い異国の服を着た、大柄な男だそうで。」
「そやつが…討伐したと?」
「いえ、その者は武器を持っておらず…」
「武器なしで、Aランク個体に介入したというのか!?」
「いえ、そもそもその者は戦っていません」
「ど、どういうことだ?全く話が見えん」
将軍の眉がひそむ。
王の間の空気が張り詰めていく。
将軍は手元の報告書に目を落とし、静かに読み上げる。
「その者が、少年兵たちに"支援"魔法をかけたと思われます」
場が静まり返る。
文官の一人が、聞き返すように呟く。
「……支援魔法?」
「はい」
「聞いたところによると、その声を聞き、兵たち全員の身体能力と判断力を大幅に引き上げたそうで」
「バフを体験した兵によると、身体が白く発光し、周囲がスローモーションのようにゆっくりと感じたとのこと」
「全員にそれほどのバフを?」
「そ、そんな馬鹿な話が…」
「その支援を受けたことで、メガントボアの硬い皮膚を容易く斬り裂けたというのです。
……少年兵が」
「事実であれば、効果は間違いなく最上級支援魔法を超えています」
魔術師長が険しい顔になる。
「ありえぬ」
「それほどの広域支援、更に能力をそれほど極限まで底上げするような術者は、記録に存在しない」
「歴史上、居ないということか」
王の声は重かった。
「はい」
沈黙。
やがて王は、静かに問う
「その男は何者だ?」
「ガオウという男で、自らを“オーエン団の団長”と称していたそうです」
「オーエン団……?」
「詳細は不明です。恐らく、傭兵団の類かと」
誰も聞いたことのない名だった。
だが、その場にいた誰もが理解していた。
その正体不明の男は、国家の勢力図を変えかねない存在だと。
王は立ち上がる。
「して、その者は今どこに?」
「途中までは一緒に同行していたそうなのですが、どうやらマルチー村で別れたらしく…」
「マルチー村だと?何をしておる!すぐにここへ連れて参れ!!」
「すでに迎えの者を送っております」
「お前も行かんか!」
王の怒声が広間に響く。
「は、はっ!」
一斉に臣下たちが頭を垂れた。
その頃。
「こんなに村の祭りを盛り上げてくれてありがとうねぇ」
「なに、応援は俺の生き甲斐だ。それに"村の活気が足りない"と嘆いていた村長さんを、無下には出来んさ」
「ガオウさんに応援してもらうと、皆活気が出るねえ」
「また来年もよろしく頼むよお〜」
我応はマルチー村の人たちに手を振られ、一人歩き出す。
「あれ?ガオウさん。この後ダルタニア王国に行くとか言ってなかったっけ?」
「あっちは南だぞ…?」
◆
空の色。草原の広さ。鎧姿の兵士。 メガントボアとかいう怪物。ダルタニア王国。
どう考えても、ここは異世界だ。
「いや、分かってはいたけどな!」
自分で自分にツッコミを入れる。 だが実際、認めるとなると少しだけ足が止まりそうになった。
会社はどうなった。社員たちは。明日の応援は。
考え始めると、少しだけ胸の奥がざわつく。
だが。
我応は立ち止まらなかった。
遠くを見れば、街があり、村がある。
この世界にも、人がいる。
ならきっと、この先にもいるのだろう。
諦めそうになっている者が。
負けそうになっている人が。
ーー応援を必要としている場所が。
我応は深く息を吸い込み、にやりと笑った。
「世界が変わっても、やることは同じか」
旗はない。太鼓もない。ホイッスルもない。
それでも、腹の底からは声が出る。
「よォォォし」
歩き出す。今度は迷いなく。
「異世界一、応援の似合う男になってやるか」
青すぎる空の下、我応燕太郎は新しい世界へ向かって進んでいく。
「あれ、ダルタニア王国はここから南だと言っていたか……?」
我応は立ち止まって少し悩んだが、またすぐに歩き出した。
「ま、南でも北でも、行った先に応援はあるだろ」
この世界がどれほど広く、どれほど過酷で、どれほど理不尽だとしても。
誰かが立ち上がろうとする限り。 その背中を押す声は、きっと必要だ。
だから今日も、我応は行く。
応援をするために。
世界を回るために。
その第一歩を、いま確かに踏み出した。




