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謝罪代行会社

最初の依頼は、遅刻五分の謝罪だった。

駅前のカフェに、菓子折りを持って行くだけでよかった。

担当したのは私だ。

当時、会社はまだ一室で、看板もなかった。


相手の女性は頷いた。

「丁寧ですね。本人からの言葉もありますか」


私は合成音声の再生ボタンを押した。

スマホの向こうで、男の声が少しだけ震えた。

「このたびは……」


女性は息をつき、領収書にサインをした。

「許します。五分なら」


アプリの画面に、緑のチェックが灯った。

許容率 100%。

投資家の目が、わずかに光った。


ーーー


会社は成長した。

名前もついた。

アポロジー社。

謝罪代行を意味する、覚えやすい英語だ。

ロゴは、うつむく人の横顔を横棒にした簡単なマーク。

デザイナーの案はもっと凝っていたが、私は棒のほうを選んだ。

謝罪は、単純でいい。


アプリは充実した。

罪種を選び、菓子折りの等級を選び、語尾の震度をスライダーで決める。

沈黙秒数、頭の角度、言い換え語彙。

すべてA/Bテストした。

結果はダッシュボードに数字で戻る。

許容率、再炎上率、炎上寿命。

KPIは右肩上がりだ。

投資家の鐘ヶ淵は拍手した。

「誠実は、計測できるんですね」


法務の蟻坂は、文例を増やした。

「このたびは」「この度は」「まずは心より」

語尾に「お詫び申し上げます」をつけると、許容率が2%上がった。

涙声を加えると、さらに1%。

ただし、泣きすぎると逆効果だった。

世の中は、節度のある涙を好む。


現地スタッフの佐渡は、膝にニーパッドをつけた。

「土下座用」と言うと、みな笑った。

笑いは、だいたい一度で終わった。

現場は、笑いの場所ではない。


ーーー


依頼は、個人から公共へ広がった。

学校での喧嘩、近所の騒音、恋人の浮気。

自治体の相談窓口にもAPIを入れた。

謝罪API。

クリックひとつで、謝罪が届く。

本人の顔は届かない。


「本人は」

と、たびたび聞かれた。

アプリのFAQには、丁寧な説明が並ぶ。

「本人出頭義務は重大・再犯のみです」

「迅速な関係修復を目指します」

「感情の衝突を避けます」


学校では連絡帳にスタンプが増えた。

謝罪済。

その下に、QRコード。

読み込むと、合成音声が流れる。

丁寧で、間違いがない。

間違いがないものは、どこかで、何かを落とす。


ーーー


カスタマーケア長の雨宮は、朝の会議で言った。

「受け手の声が、減っています」


「許容率は上がっているはずだ」

私がダッシュボードを示すと、彼女は首を振った。

「数字ではありません。声です。相手が『ここが嫌だった』と言える場所が減っている」


「それは……成功では」


「許すか許さないかだけが残るのは、孤独です」


私はメモに“孤独”とだけ書いた。

字が乱れた。

乱れるのは、珍しくない。

私は起業してから、よく字を乱す。


掲示板にスレッドが立つ。

「謝罪済通知が怖い」

「誰も直接謝らない」

「私の怒りは、どこへ行けばいいの」


蟻坂は肩をすくめた。

「炎上は減りました」

彼に悪意はない。

彼の文例は、美しい。

美しい文例は、傷を浅く見せることがある。


ーーー


ある日、雨宮が提案した。

「二段謝罪をやりませんか」


「二段?」


「一次は今まで通り、代行します。

二次は、**受け手だけのための“慰謝”**です。

謝罪のあと、こちらは何も言わず、相手の話を聴く。

責任や示談の話をしない時間です」


投資家の鐘ヶ淵は即座に反対した。

「スケールしない。売上に寄与しない。美談で会社は回らない」


佐渡が膝をさすった。

「現場ではね、謝られた人が、ときどき泣くんです。

泣きながら『これで終わりですか』と聞く。

こっちも黙るしかない」


私は黙った。

沈黙秒数のスライダーは、アプリにある。

会議室には、ない。


「βでやろう」

私は言った。

鐘ヶ淵は眉をひそめた。

「炎上したら、あなたの責任です」

責任は、いつも誰かのものだ。

責任が風のようになる日は来ない。


ーーー


最初の二段謝罪は、古い団地だった。

玄関のチャイムは、鈍い音。

出てきたのは小柄な老女で、目だけが若かった。


一次の代行は、滞りなく進む。

合成音声は震度1、沈黙は3秒、菓子折りは等級B。

老女は受け取り、頷いた。

「来なくていいのに」


雨宮が二段めに入る。

テーブルに、録音しないことを書いた紙を置く。

老女はそれを見て、少し笑った。


「この間ね、隣の若い子が、夜中にうるさかったの。

あなたの会社から、『謝罪済』って紙がきた。

丁寧で、ちゃんとしていて、何も言えなくなった。

私は、誰に腹を立てればいいの」


雨宮は頷くだけだった。

沈黙は長かった。

アプリのスライダーなら、エラー音が鳴る長さだ。

老女が先に口を開いた。

「怒っている間は、まだつながっているのよ。

怒れないのは、ひとりぼっち」


雨宮は、はじめて言葉を置いた。

「怒っていて、いいです」


老女の目から涙が落ちた。

涙は、謝罪のKPIに入らない。

入れないほうが、たぶん良い。


帰社後、ダッシュボードの許容率は少し下がっていた。

同時に、炎上寿命が短くなっていた。

グラフは、右肩ではない複雑な形になり、鐘ヶ淵の眉はさらにひそんだ。


「見栄えが悪い」


「現場の顔は、見栄えでできていません」

雨宮は背筋を伸ばした。

私も伸ばした。

背筋を伸ばしても、数字は伸びない。


ーーー


予想通り、炎上は来た。

「謝罪を外注して壊した会社が、今度は慰謝で稼ぐのか」

見出しは派手だった。

中身は、想像通りだった。

正義感は、広告と相性がいい。


私は反論を用意しなかった。

代わりに、βの現場を回った。

喫茶店、学校の会議室、公園のベンチ。

受け手はよく喋った。

「本人が怖くて」

「顔を見たくなくて」

「見たいのに、見られなくて」

矛盾は、人間の仕様だ。


佐渡の膝は、とうとう腫れた。

医者は言った。

「土下座の癖が、つきすぎている」

会社は**土下座用ニーパッド(社販)**の改良版を発売した。

皮肉だが、現場は助かった。


ーーー


月例会議。

蟻坂が報告する。

「“誠実プロトコル v8.2”をリリース。

二段謝罪の規約を追加しました。

『受け手が望む場合、怒りの言語化支援を行う』」


鐘ヶ淵がため息をつく。

「KPIはどうなりました」


私は画面を出した。

許容率 82%(-3)

再炎上率 0.6(-0.2)

炎上寿命 1.4日(-1.1)

そして、新しい指標。

孤独度(受け手自己申告)。

目標値は、ゼロではない。

隣に、小さく文言をつけた。

“話せる孤独”。


「これは何です」

鐘ヶ淵の声は、冷たかった。

「測れないものを測る工夫です」

雨宮が答えた。

「話せない孤独を、話せる孤独に変える。

ゼロにしない。

ゼロは、嘘だから」


会議室は静かになった。

沈黙秒数は、誰も測らなかった。


ーーー


二段謝罪は、じわじわ広がった。

受け手の集まりができた。

「謝罪済通知に疲れた会」。

集会所で、お茶とせんべい。

そこに、本人は来ない。

来なくていい。

話すのは、もらった紙の話、届いた声の震え、箱の厚み。

菓子折りは、意外に話題が広い。

人は、箱で話せる。


私たちは、謝罪後に“慰謝ボランチ”を置く仕組みを作った。

サッカーの中盤のように、ボールを受けて、横に流す。

前へは運ばない。

点も取らない。

テレビ受けは良くないが、試合は落ち着く。


学校からの連絡があった。

「二段謝罪のあと、保護者会の口数が増えました」

増えた口数は、時にうるさい。

それでも、空っぽより良い。

空っぽは、音がしない。

音がしないと、壊れているのに気づかない。


ーーー


ある夜、古い団地の老女から手紙が届いた。

便箋に大きな字で、行間が広い。

「この前の若い子が、引っ越す前に、人を通して『ありがとう』と言ってきました。

私は、人を通して『どういたしまして』と言いました。

顔は、見ないまま。

それでも、眠れました」

封筒の中に、薄い飴が一つ。

等級は、ない。


机に戻すと、雨宮がデータを見せた。

「孤独度の分布、谷ができました」

グラフの真ん中に、凹みがある。

ゼロではないが、深呼吸の形に似ている。

私は呼吸を合わせた。

深く、ゆっくり。


鐘ヶ淵は、黙っていた。

投資家にも、沈黙秒数はある。


ーーー


会社の看板を変えた。

古い横棒のロゴの下に、小さな文字を足す。

「謝る人がいない夜に、話を聴く」

デザイナーは首をかしげた。

「長いですね」

「短くすると、嘘になる」


街を歩くと、あちこちで謝罪済の紙を見る。

紙は薄く、剥がれやすい。

剥がれても、跡が残る。

跡は語らない。

語らないものが増えるほど、誰かの声は細くなる。


その夜、私は久しぶりに現場へ出た。

若い男の、浮気の代行。

相手は同じ年の女性だった。

一次は手順通り。

二次の部屋に移ると、彼女は手を握りしめて言った。

「本人に直接は、言わない。

言ったら、私が壊れるから。

でも、誰にも言わないと、私が消えるから」


私は黙った。

雨宮の台本には、沈黙の行が多い。

沈黙は、破ると音がする。

その音は、たいてい、涙に似ている。

彼女の指先が震え、私は箱からティッシュを出した。

渡すとき、手が触れた。

その触れ方は、KPIに載らない。


帰社すると、蟻坂が新しい文例を見せてきた。

「“このたびは、あなたの怒りの場所を、私の言葉で塞いでしまい——”」

私は首を振った。

「そこは、文章ではなく、空白で」


蟻坂は珍しく笑った。

「法務の仕事が減ります」


「減っていい仕事も、ある」


ーーー


翌朝、雨宮が看板の下で立ち止まっていた。

文字は朝日に薄く光る。

「長いけど、いいですね」


「短いほうが、儲かる」

私が言うと、彼女は肩をすくめた。

「長いほうが、眠れる」


私は頷いた。

眠れる夜は、KPIに入らない。

入らない指標は、経営を困らせ、たまに救う。


ダッシュボードには、新しいタブが増えた。

遺跡保護。

人間関係の跡を、無理に埋めない。

囲って、説明する。

「ここに、謝る道がありました」

誰かが読む。

誰かは読まない。

どちらも、正しい。


私は画面を閉じた。

窓を開けた。

朝の風が入る。

風は、謝らない。

褒めもしない。

ただ、通る。


その風の中、電話が鳴った。

鐘ヶ淵だ。

「決算の数字は、派手ではない」

「派手な数字は、今は要らない」

「君は、創業者らしくなくなった」

「謝るための会社を作って、謝られ方を学んだだけです」


電話の向こうが静かになった。

沈黙秒数は、長かった。

私は切らなかった。

彼が先に、ため息をついた。

「次のラウンドは、静かな金を探そう」


私は笑った。

「静かな金は、音が小さい」


窓の外で、誰かが看板を見上げていた。

文字を指でなぞり、うなずいた。

その人は、ふとこちらを見て、会釈した。

私は会釈を返した。

会釈の角度は、測らない。

測らないから、残る。


その日の夕方、アプリに新しい評価がついた。

「怒れた。ありがとう」

星は三つだった。

五つでも、二つでもない。

三つは、中途半端で、現実に近い。

私は画面を閉じ、電気を消した。

暗い部屋で、少し眠った。

眠っている間、誰も謝りに来ない。

それは、良い夜だった。

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