命運二-C
朝が来た。
──いや、正確には、ようやく夜が終わりかけていた。
地平線の向こうにわずかな明るみが差し込み、空の色がほんのりと変わり始めている。氷川はかすかに目を開けた。体を横たえていた地面はまだ冷たかったが、火のぬくもりが残っているのか、昨夜ほどの寒さは感じなかった。
小さな焚き火の前に、少女の姿があった。足を投げ出して座り、なにかを口に運んでいる。
──食べ物だ。
氷川の体が、思わず動く。胃がきしむように痛み、強烈な空腹感が意識を覆った。
「……それ、どうしたの……?」
思わずこぼした声に、少女がぴくりと肩を揺らす。だが怯えることはなく、むしろ少し照れくさそうに、両手で抱えていた包みを差し出してきた。
「……いいの?」
氷川はごくりと喉を鳴らし、その包みをそっと受け取った。
開くと、そこには乾燥パンとチーズのようなものが詰められていた。どちらも見慣れない形だったが、包装には明らかに現代的な印刷が施されていた。真空パックに近い構造だ。どこかのメーカー名らしきアルファベットも読み取れる。
──これって、まさか。
急いであたりを見渡すと、火のそばにはさらにいくつもの包みが置かれていた。干し肉、ナッツ、クラッカー、乾パン、チーズ、スポーツようかん、ウエハース、エネルギーバー……アウトドア用品店で見かけるような、長期保存食が十食分以上はある。
しかも、それらはすべて、ひとつの大きな袋に入っていたようだ。今はその袋の口が開いており、まるで宝物をばらまいたように食料が並べられている。
「……これ、どういう……」
氷川は戸惑いながらも、目の前の食料に手を伸ばした。チーズを口に運び、ナッツを噛みしめる。塩気が体に染み渡り、ひと口ごとに意識がはっきりしてくる気がした。
気がつけば、少女と目が合っていた。
ふたりは何も言わず、ただ小さく笑い合った。言葉は交わせなくても、今はそれだけで十分だった。
ひと通り空腹を満たしたあと、氷川は改めて食料の山を見つめた。
──これは、絶対に偶然じゃない。
森の中に、真空パックのウエハースなんてあるはずがない。どう見ても、現代の保存食。こんな物がここにあること自体、異常としか言いようがなかった。
氷川は胸元を見た。そこには、いつの間にか発光を終え、静かに揺れているクソダイスの姿があった。
(やっぱり……また、こいつが何かを起こしたのか)
クソダイスの発光があったのは、昨夜のことだ。あのとき、自分は「振らない」と決めた。確かに手を離したのだ。
──それでも、ルートは選ばれたのか?
ふと、サイコロを手に取る。フレームに浮かんでいたルートは、もう消えていた。何も表示されていない。コアも黒くはない。異様さは消え、そこにあるのは、見慣れた“クソダイス”だけだった。
(寝てる間に、自分で振った?)
一の目を押し込んだときの、あのわずかな抵抗感を思い出す。
あれを、寝返りでやるだろうか? フレームの向きを調整して、目を押し込むなんてそんな都合のいい寝相があるだろうか?
──いや、そんなはずはない。
となれば、これは……。
「……勝手にルートが、決められたのか?」
氷川は、胸の奥に小さな不安が湧き上がるのを感じた。
自分が振らなかったにもかかわらず、現象が起きてしまった。
振らなくても、ルートが勝手に選ばれてしまうことがあるのか?
──まさか、コアの色もなにか関係しているのか?
(だったら──ルート、ちゃんと確認すべきだった)
どれが選ばれるかはどうにもならなくても、どんな可能性があったのかくらいは見ておくべきだった。
反省と警戒が入り混じる中、氷川は首にかけたクソダイスへと手を伸ばし、その重みを確かめるように指先でなぞった。
食料を得たのは幸運だった。けれど、その裏にある仕組みを見逃すのは、あまりにも危険だ。
(次からは……たとえ振らないとしても、せめてルートには全部目を通そう)
そう、静かに決意する。
その視線の先で、少女が小さな果実のようなものを差し出していた。顔には、どこか楽しげな表情が浮かんでいる。
氷川はそれを受け取り、またひと口、かじる。
また、あの“焼印”のようなことが起きたら──今度は彼女が巻き込まれるかもしれない。
このクソダイスから、目を背けてはいけない。
ルートを読む。振るべきかを判断する。仕組みを探る。
腹を満たせるときに、満たしておく。
その全てが、守るために今、できることだった。