命運零-B
氷川は、ひとしきりサイコロの外観を眺めたあと、試しに外殻の一面を親指でなぞった。
そこには、他の面とは異なる微かな窪みがあった。一の目の中央だ。よく見れば、その窪みだけが指先に吸い付くような感触を持っている。
「……押せる?」
軽い抵抗を押し返すように、カチ、と乾いた音が鳴った。
その瞬間、サイコロの内側――白く小さなサイコロが、突然カラカラと転がり始めた。透明な外殻の中で、独立した空間を持つかのように、宙を舞う。
「なにこれ……どうなってんだ?」
中で回転する様子はまるで手品のようで、遠心力を感じさせない動きに思わず見入ってしまう。だがどこにもモーターらしきものは見えないし、構造的にそんな仕掛けがあるとは思えなかった。振動も、熱もない。音だけが不気味に響いている。
完全な静けさのなかで、内側のサイコロだけが動いて音を立てている。
「機械じゃないよな……?」
そう呟きながら、氷川はふと現実に引き戻された。手にはまだ検品用のチェックシートが握られている。
「……って、やべ。仕事中だった」
首を振って気持ちを切り替えると、サイコロをそっとカウンターの奥に置いた。値付けは保留。なんとなく、今はそれでいい気がした。
そのあとは、いつも通りの一日だった。店番、品出し、掃除、簡単な接客。岸本と軽口を交わしながら、夕方まで業務は順調に進んだ。
閉店時間になり、シャッターを下ろす音が街のざわめきに溶けていった。
「じゃあ、また明日ね、お疲れ様でした」
「うん、岸本もおつかれ〜」
岸本と別れて、氷川は再び自転車にまたがった。夜風は昼よりも冷たく、シャツの上から身震いしそうになる。
そのときだった。
「……あれ?」
首元に、微かな違和感。胸元に触れた指先が、硬質な感触をとらえた。
慌ててジャケットを少し開くと、あのサイコロが、まるで初めからそこにあったかのように首からぶら下がっていた。
「……これ、いつ……?」
誰かが勝手に付けた? いや、それなら気づかないはずがない。そもそも、紐なんて通してなかった。
確認のために手に取ろうとした――その瞬間、サイコロの外殻の面に文字が現れた。
――全ての出目に、文字が浮かんでいた。
① 身近な人間の病が、完治する
② 誰もいない場所へ、移動する
③ 明日の昼食が、少し豪華になる
④ 五感のうち、ひとつが失われる
⑤ 絶妙なタイミングで、誰かがくしゃみをする
⑥ 一週間以内に、靴紐が三回切れる
六面すべてに、日本語で書かれた短い文章。
見間違いかと思ったが、何度まばたきをしても、そこには確かに、まるで選択肢かのような六つの文があった。文字は内側から淡く光っているようである。
氷川は言葉を失った。
「……ふざけたジョークグッズか……?」
だが、一の目に書かれた文から目が離せなくなっていた。
『身近な人間の病が完治する』
――莉子?
妹の顔が脳裏をよぎる。
そうは言っても、所詮は変なアクセサリーの一種に違いない。どこかの誰かが作った、自己満足のオカルトグッズだ。
だけど。
「……試してみるだけ、なら」
覚悟も決意もなく、ただ好奇心とほんの少しの願いを込めて。
氷川は、一の目の中央にある窪みに親指をあてた。そして、押した。
カチ。
再び、内側のサイコロが動き出す。今度は先ほどよりも力強く、くるくると回転する。
そして――
②