命運三-A フタリサバイバル
「……その前に、名前を聞いてもいい?」
ふたりで腰を下ろし、水を飲み終えたあとの静けさの中で、氷川はそっと尋ねた。
少女は一拍遅れて表情を和らげ、胸を指でとんと叩いた。
「カヤ。……わたしの、名前」
「カヤ……か。いい名前だね」
そう返しながら、氷川も胸を軽く叩いてみせる。
「ヒカワ。氷川って書くんだけど、まあ、ここじゃ漢字も通じないか」
ふたりで互いの名前を呼び合ってみる。カヤは楽しそうに「ヒカワ」と何度か繰り返し、氷川もまた「カヤ」と呼びかけるたびに、その響きが自然になじんでいくのを感じていた。
そこから先は、ぽつぽつと会話を重ねながらの、断片的なやりとりになった。
氷川はクソダイスのことを簡単に説明した。突然出現する“ルート”、振ることで何かが起きること、そして何度もその力に振り回されてきたこと。……いまも、振らずにそっと胸元へ戻した黒いコアがルートを強制で決めたらしいことも。
カヤはと言えば、どうやら本来は集落に住んでいたようだ。ある日、集落の裏山に薬草を採りに出かけ、そのまま道を見失って迷子になったらしい。数日彷徨った末に、水を求めて森の中を移動していたところで氷川と出会った──ということだった。
「太陽が、こっちだったから……たぶん、この方向が、帰る道……」
地図も目印もない中、頼りにしていたのは太陽の方向だけ。カヤの説明に、氷川は思わず口元を引きつらせた。
「……そんなアバウトだったの!?」
けれど、それもこの時代ならではなのかもしれない。なにせ、カヤが語る集落の暮らしは、どこか教科書で見たような光景ばかりだった。
粗末な住居。限られた道具。火は焚き木と石を使って起こし、食べ物は狩猟と採集、そして少しだけ耕作によって得ているという。言葉の端々に混じる独特な言い回しや、自然と共に生きる感覚は、まさに日本史で習った弥生時代後期のそれに近かった。
(……やっぱり、俺は過去に来てるんだな)
信じがたい現実だが、それでも納得はできる。
何もかもが異常なクソダイス。身体に刻まれた焼印、ルートによって得た言語理解や視力の回復。現代ではありえないことを次々に経験した今となっては、「タイムスリップ」程度ではもはや驚く気力すら湧いてこなかった。
(もう何が起きても、おかしくない……)
思えば、出会ったときのカヤはかなり疲弊していた。身体が細く、足取りもふらつき、言葉もろくに発せられなかった。
それが迷子で、数日も歩き続けていたのだと知れば、氷川の中でようやく腑に落ちる。休憩を重ねながらとはいえ、疲れも溜まっていたのだろう。
「じゃあ、集落まではどのくらい……?」
そう尋ねると、カヤは首をかしげた。
「わからない……この道、たぶん合ってるけど……合ってる…かな?」
「マジか……」
呆れながらも、氷川は苦笑するしかなかった。迷子の少女に頼っていた自分も、相当心許ない。
「まあいいや。とりあえず、その方向に一緒に歩いてみよう」
氷川がそう言うと、カヤはほっとしたように笑った。
それから、ふとした疑問が浮かぶ。
「そういえば……この辺って、生き物いないの? 俺、昨日から動物の影すら見てないんだけど」
森の中は静かすぎるほど静かだった。虫の羽音や鳥のさえずりはあるが、鹿や猪のような大型の生き物どころか、小さな動物の姿すらほとんど見かけなかったのだ。
「ううん、いるよ。……場所によるけど」
「……場所?」
「うん。川の近くとか、果実の木があるとことか、そういうとこには、いっぱい来る」
「……なるほど」
今までそれらに遭遇しなかったのは、運がよかっただけということか。これから先は、そうもいかないかもしれない。
氷川は思わずクソダイスへと目をやった。いまは何も表示されていないが──また、いつ“ルート”が現れてもおかしくはない。
クソダイスと、カヤとのふたりきりの旅は、まだ当分続きそうだ。
どれだけ歩けば集落にたどり着けるのか──そもそも、進む方向が合っているのかさえ、まだわからないまま。




