命運二-D
少女は、手元の包みを丁寧にたたみ始めていた。食べ残したチーズとパンをまとめ、小さな巾着に収める。その動きが、どこか落ち着かない。落ち葉を払い、枝を拾い、足元の土をならす。──ここを出る準備をしているのだと、氷川にもすぐにわかった。
やがて少女が、あの大きな食料袋を抱えようと手を伸ばしたそのとき、氷川がひょいとそれを先に持ち上げた。水樽も自分の肩にかける。
「持つよ。……大丈夫だから」
言葉は通じなくても、その意志は伝わったらしい。少女は一瞬きょとんとしたあと、ふっと微笑んだ。その笑顔が、朝の光の中でやけに眩しく見えた。
焼印の痛みは、まだうずく。だが動けないほどではない。氷川はかすかな安堵とともに、少女の背を追いかけた。
歩き出してまもなく、クソダイスのフレームに六つのルートが表示された。手に取って確かめると、コアの色は──黒。
「……また黒か」
① どうでもいい妄想が脳内にずっと流れ続ける
② 片耳の聴力を失う
③ 強烈な吐き気と空腹が交互に襲う
④ 近くの動物が異常に警戒・敵対的になる
⑤ あらゆる食べ物が、強烈な酸味を帯びて感じられる
︎︎ ⑥ 言葉の壁が消え、あらゆる言語を理解し、伝えられるようになる
ルートのうち五つは、ただの不運では片づけられないような、危ういものばかりだった。
だが、⑥──このルートだけは違った。
言葉が通じさえすれば、少女に事情を説明できる。頼ることも、謝ることも、感謝を伝えることもできる。
どれほどこの力が欲しかったか。昨日から、何度思ったことか。
(……それでも、振るわけにはいかねえ)
望みが叶うのは六分の一。
残る六分の五には、あまりにも重すぎる代償が待っている。
氷川はクソダイスを握りしめ、振ることなく、黙って胸元へと戻した。
「……どこか、行くところがあるの?」
そう口に出しても、少女は何も答えなかった。
当然だ。言葉が通じていないのだから。
(どこから来た? どこへ行く? ひとりなのか? 仲間は?)
歩きながら、氷川の中に次々と疑問が浮かぶ。が、それらは霧のように広がっていくだけで、ひとつとして解消されることはなかった。
(やっぱり……言葉が通じないって、こんなにも不便なんだな)
さっきのルートがちらりと頭をよぎる。──けど、ダメだ。
⑥が出れば、この子と会話ができるようになるかもしれない。
一つだけ、心から望むルートがあるとはいえ──残りの五つは、どれも引きたくないものばかりだった。
どの目が選ばれるかはわからない。それがこのクソダイスの理不尽さだ。
そんな賭けに、今は出られない。
しばらく歩いたところで、少女が足を止めた。目の前には太く広がった大樹。その根元に腰を下ろすと、少女は氷川のほうをちらりと見て、小さく頷いた。どうやら、休憩の合図らしい。
氷川もそっと水樽を下ろす。腰を落とし、のどの渇きを潤す。少女が器を探すような仕草を見せると、氷川が黙ってそれを差し出した。少女は、どこか安心したように微笑んだ。
そして、その器を両手で持ち上げ、口元へと傾けながら、ぽつりとつぶやいた。
︎︎「ああ……生き返るぅ……!」
「っ……!?」
氷川は思わず、水を吹き出した。目の前で、少女が首をかしげる。
「ちょっ、なにしてるの!? もったいないじゃん!」
「え、まって、え? ……言葉……通じてる?」
「え……なんで急に、普通の言葉になったの……?」
少女は自分の口元に手を当て、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。
氷川の視線が、胸元のクソダイスへと落ちる。見れば、コアは白に戻り、フレームには何も映っていなかった。
「……黒コア、やっぱり……」
(時間経過で……勝手に、ルートが選ばれた……)
手のひらにクソダイスを乗せてみる。フレームの一の目が上になるように持ち直すと、コアの出目は⑥だった。あのルート──言語の理解と伝達。それが、選ばれた結果なのだ。
氷川の中で、確信が生まれる。黒は、振らなくても、時間で強制的に選ばれる。
「……信じてもらえるかわからないけど、聞いてほしいことがある。君にも、聞きたいことがたくさんあるんだ」
少女は氷川を見つめ、緊張の面持ちで頷いた。
ようやく、ふたりは“言葉”を共有できた。




