プロローグ
草を編んだ籠を、水際にそっと置いた。
中には、今朝採ったばかりの木の実と、乾かした魚。
集落の決まりで、取った分の一部は神棚へと納めることになっている。
風が吹くたびに、焚き火の煙がたゆたう。
土の匂いと、湿った空気。
山の端には、細い月が浮かんでいた。
言葉の通じる仲間がいて、腹を満たせる食べ物があって、眠る場所がある。
いびつで不便だが、ようやく築いた「暮らし」だった。
「……また、出たか」
首から提げた、もう見慣れてしまった透明な六面体に、今回も文字が浮かび上がる。
① 頭上にフタが現れる(取り外し不可)
② 近くの石が村人たちの顔になる
③ 周辺の地面がちょっとだけ柔らかくなる
④ 集落の存在すべてが、“ねじれて”消える
⑤ 一瞬だけ空に“笑顔の月”が浮かぶ
⑥ 全方位からバナナが飛来する
色は黒。つまり、時間はない。
④だけが、明らかに異質だった。
それでも、止めることなどできやしない。
震える指で、一の目を押す。
カチリと小さな音を立てて、中のサイコロが回り出した。
ガラス細工のように繊細な動きで、くるくると回転する。
そして──
──④
風が止んだ。焚き火の音も、虫の声も、消えた。
そして、世界が“引きちぎれる”音がした。
「そんな……」
目の前の子どもが、縦に裂けて消えた。
その両親が、逆方向にねじれ、霧のように散った。
地面が、建物が、空気が、“歪む”ようにして壊れていく。
何も、残らなかった。
血も、煙も、瓦礫も。
ただ一瞬で、存在そのものが削ぎ落とされたように。
「……やめろ……っ」
思わず口をついて出た。
意味などない。止まるはずもない。
それでも、言わずにはいられなかった。
そこにあった暮らしも、人も、笑いも――
すべて、なかったことにされた。
ただ俺だけが、元のまま立っていた。
風が戻り、音が戻る。
焚き火だけが、まだ静かに燃えていた。
白く戻ったサイコロが、胸元で小さく揺れていた。