第五話 静かなる一矢
朝の王宮は、どこかピリついた空気に包まれていた。
ティナは、いつものように早めに研究室へ向かう。足音は軽やかで、昨日までの沈んだ気配はもう、そこにはなかった。
(昨夜……泣かなかった。壊れなかった。それなら、もう大丈夫)
廊下に差し込む朝陽は、どこまでもまっすぐで、冷たい。
だがその光は、今の彼女の心に少しだけ熱を宿していた。
***
第一王子付き助手の仕事は、地味で単調だ。
魔導具の整備、書類の整理、使用記録のまとめ――
だがその中で、ティナは見ていた。
人の流れ。視線。誰が誰と親しくし、誰が冷たくされているのか。
(派閥がある。これは……見ていく価値がある)
特に、目をつけたのは侍女長のマリーネ。
彼女は王宮内でも有力貴族の出身で、シリウスの周囲に強い影響力を持っている。
昨日も、彼女はティナにわざとらしく重い魔導具の運搬を命じた。
文句を言えば「王子の前で騒ぐなんて」と悪評になるし、黙っていれば「調子に乗っている」と言われる。
(うまい立ち回り……さすがは王宮)
でも――ティナは、かつてその“駆け引き”の最前線にいた。
伯爵令嬢ベローチェとして、社交界を泳ぎ切ってきたのだ。
そんな彼女が、黙ってやられっぱなしで終わるわけがない。
***
昼過ぎ。
シリウスの執務室に、ティナは用件で呼ばれていた。
「君が昨日、魔導具の修理台帳を整理してくれて助かったよ」
シリウスは、いつも通りの柔らかい笑みでそう言った。
「いえ、お役に立てて光栄です」
「ところで……侍女長のマリーネが、君の勤務態度に問題があると報告してきたよ」
その瞬間、室内の空気が一段冷えた。
ティナは、表情を変えず答える。
「それは、どういった点でしょうか」
「“王子付きとしての礼儀がなっていない”“他の侍女との協調性に欠ける”……そんなところかな。僕としては、あまり気にしていないけどね」
ティナは静かに一礼した。
「ご報告の件、光栄ですわ。ですが、あわせてお伝えしたいことがございます」
「……ほう?」
ティナは、懐から一枚の書類を差し出す。
それは、昨夜遅くに片付けていた台帳――マリーネが勝手に他部署の魔導具を“横流し”していた証拠の記録。
「他言するつもりはありません。ですが、私の“礼儀”や“協調性”について話す前に、管理職としての“誠実さ”を、ご自身に問うべきではないかと――思いました」
その声には、かすかな微笑が混じっていた。
――ベローチェの面影を残した、知的で冷ややかな笑みだった。
***
執務室を出たティナは、ひとつ深呼吸をした。
廊下の光が、ほんのわずかに温かく感じられた気がした。
(これは、ただの始まり。けれど、私にもまだ――“武器”がある)
派手な言葉も、魔法も使わずに。
けれど確かに、今――ティナは“第一手”を放ったのだ。
それが静かに波紋を広げていくことを、誰もまだ知らない。
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