第三話 王宮の影、仮面の裏側
王宮に仕える初日。
ティナは、第一王子シリウス直属の見習い助手として、王家の魔導研究室に足を踏み入れた。
そこは、煌びやかな宮殿とは打って変わって、静寂と冷気が支配する空間だった。
大理石の床、高い天井、整然と並ぶ魔導具と書物。
そして、その中心に――シリウスはいた。
「おはよう、ティナ」
振り返った彼は、昨日と同じように柔らかな笑みを浮かべていた。
黒髪に日差しが透け、漆黒の瞳が一瞬だけ光を反射する。
「今日からよろしく。僕の助手として、まずは資料整理と魔力測定具の管理をお願いするよ」
「承知しました」
ティナは礼儀正しく頭を下げる。
すでに周囲の使用人や研究員の視線が、彼女に向けられているのを感じていた。
(……あの視線。好奇心と、嫉妬)
王宮という閉ざされた世界では、「第一王子付きの平民女性」という肩書きは、否応なく注目を集める。
特に――
「ふうん、新入りね。王子に気に入られたのかしら」
研究室内で彼女に声をかけてきたのは、長年シリウスに仕える侍女長、マリーネだった。
上から下まで舐めるような視線。そして毒を含んだ笑み。
「平民が、王子の傍に立つなんて。身の程、知ってるといいけど?」
「ご忠告、ありがとうございます」
ティナはにっこりと笑った。
だがその微笑の奥には、ベローチェ時代の“悪役”の片鱗がちらついていた。
(私はもう、侍女の皮肉ごときに揺れるお嬢様じゃない)
***
昼休み、書庫に向かう途中。
ティナは廊下の角で、ある人物たちの話し声を聞いた。
「……セレナ、無理はしないで。具合は大丈夫?」
――その声に、ティナの心が瞬間的に止まった。
(レオニス……!)
壁の影から、そっと覗く。
そこには、淡い水色のドレスを着たセレナと、彼女を心配そうに見つめるレオニスがいた。
セレナは王子の腕を取り、上目遣いで甘えるように言う。
「大丈夫ですわ、レオニス様。だって……あなたがいてくださいますもの」
(……)
ティナの心に、かすかな痛みが走った。
だがそれ以上に、自分が完全に「死んだ者」とされていることを確信した。
(いいわ、そのまま信じていなさい。あなたが私を信じなかった報いは――必ず受けてもらう)
物陰から静かに立ち去ろうとしたそのとき――
「ティナ?」
低く柔らかな声が背後からかけられた。
振り返ると、そこにはシリウスが立っていた。
いつの間にか、彼も廊下に来ていたらしい。
「……すみません、資料を取りに」
「そうか。いや、驚いただけ。君が、あんな目で人を見るとは思わなかったから」
「……どんな目に、見えましたか?」
問い返すティナに、シリウスは微笑んだ。
けれどその笑みは、どこか哀しみを湛えていた。
「まるで、全てを切り捨てて生きる覚悟をした人のような目だよ」
――ドキン、と胸が鳴った。
それは、かつてのベローチェにも、誰にも言われたことのない言葉だった。
「君は何者だい、ティナ? 君は……何を望んでここに来た?」
問いかけの意味を理解しながらも、ティナはゆっくりと微笑んだ。
「私はただ……真実が見たいだけですわ。王宮の奥に、何があるのかを」
「……面白い。なら、僕が見せてあげよう。
この宮廷が、どれほど醜く、美しい場所かをね」
黒い瞳がわずかに細められたその瞬間――ティナは確信した。
(この人は、私に似ている)
仮面をかぶって、表の顔と裏の顔を使い分ける者。
冷たく、鋭く、けれどどこかで“何か”を諦めたような、空虚を抱える者。
この第一王子――シリウス・ヴァルフォードは、ティナにとって最大の味方にも、最悪の敵にもなり得る存在だった。
***
こうして、ティナの王宮生活は本格的に始まった。
侍女たちの冷たい視線、かつての恋人との再会、そして仮面の王子との奇妙な関係。
復讐の舞台は、すでに整い始めていた。
――さあ、次は誰を見極める?
1日2回更新で、12時・19時に更新を予定しています。
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