第二話 仮面の王子と、運命の邂逅
小さな街の片隅。
古びた市場の裏手にあるパン屋の二階。そこが、ティナ――かつてベローチェ・ディ・アルヴァレスだった少女の住まいだった。
神が与えた「平民としての生活」は、想像以上に地味で、退屈で、そして――心地よかった。
(……こんなに静かな朝、初めてかもしれない)
貴族の館では、目覚めれば侍女が押し寄せ、衣装や朝食の指示を求めてきた。
今は、自分でパンを焼き、掃除をし、黙々と読み書きをするだけの日々。
だが、ティナはそんな生活に慣れるつもりはなかった。
この静けさは、嵐の前の静寂にすぎない。
――すべてを取り戻す。そのためには、再び「王宮」に近づかねばならない。
***
ある日の午後。
王都で開かれる「魔導適性検査」の告知が街に貼られた。
「王宮直属の研究員・侍女・雑用係を募集中。一定の魔導反応がある者は、身分を問わず王宮試験を受ける権利を得られる」
(これは……チャンス)
ティナの血が騒いだ。
平民という身分では、正攻法で王宮に近づくのは難しい。
だが、魔力という才能を示せば、話は別だ。
「応募します」
受付の係官が目を見張った。
「お前……反応値が異常に高いな。平民の生まれじゃあり得ないぞ……!」
「たまに、いるんですよね。どこかの貴族様の、夜の失敗作が」
にこりと笑って、ティナは書類を受け取る。
口ぶりは柔らかく、だが目は笑っていなかった。
(さあ、王宮へ――戻るわ)
***
王宮の門をくぐるその日、ティナは身なりを整えた。
飾り気のない茶色のワンピース、最低限の装飾。だが、その瞳は誰よりも鋭く、静かな炎を宿していた。
案内された部屋は、見習い魔導助手としての仮配属先。
そこへ、彼が現れた。
「――君が、新入りかい?」
その声は柔らかく、低く澄んでいた。
振り返ったティナの視線の先に立っていたのは、黒髪の青年――
第一王子、シリウス・ヴァルフォード。
黒曜石のような髪。漆黒の瞳。
微笑を浮かべるその顔立ちは完璧で、まるで神が創った彫像のよう。
「僕はシリウス。王家の者だ」
優しく差し出された手に、ティナは一瞬だけ戸惑い、そして取った。
「……ティナ、と申します」
その瞬間、シリウスの瞳が微かに揺れたのを、ティナは見逃さなかった。
(この人……わたしのこと、何か気づいた?)
「面白い瞳をしてるね。何かを隠している――けど、それを見せない強さがある。そんな人を、僕は嫌いじゃない」
その言葉に、ティナの心臓が静かに跳ねた。
――なんて男なの。
外面は完璧に紳士。けれど、その奥底に何か鋭いものがある。
彼は、知っている。
人の心の奥底にある嘘や欲望を見抜く目をしている。
(第一王子、シリウス……この男は、油断ならない)
だが同時に、ティナは思った。
(この男を利用できれば、きっと――私は、もっと高くまで登れる)
「どうかな、ティナ。僕のそばで働いてみないか?」
シリウスは、まるでそれが当然かのように言った。
「君の魔力と、君の――目が気に入ったんだ」
その微笑は、優しい仮面をかぶった猛獣のようだった。
***
その日、ティナは第一王子付きの助手という、異例の配属を受けた。
誰にも怪しまれず、王宮の中枢へと潜り込む。
(さあ、始めましょう。
この仮面を脱がせて、私を貶めた奴らを暴き出すために――)
そしてその傍には、冷たい優しさを纏った黒髪の王子。
彼が敵か味方か、それはまだ誰にも分からない。
ただ一つ、はっきりしているのは――
この出会いは、すべての始まりだった。
以降は1日2回更新で、12時・19時に更新を予定しています。
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