第十六話 裁定の鐘、動き始める世界
朝の王宮に、鈍い緊張が満ちていた。
高位貴族たちが集まる「臨時裁定の申し立て」が行われるという報せが、王宮中に瞬く間に広がっていた。
その提出者――第一王子直属侍女・ティナ。
(いよいよ、ここまで来た)
ティナは、手に持つ封書を強く握った。
その中には、証人・ローザの署名入り証言、アデルによる補足、そして――“あの日”の器の記録簿の写しが入っている。
「仮面」を被った王宮の真実を、今こそ暴く時だった。
***
裁定委員会が開かれるのは、正午。
その数時間前、ティナは書類の提出と同時に、王宮監査局へ呼び出された。
案内された部屋で彼女を待っていたのは、セレナだった。
「やっぱり、あなたは……本気だったのね」
セレナの笑みは美しく整っていたが、その奥にある焦りは、微かに震える指先に現れていた。
「この場であなたを脅す気はないわ。ただ、最後に一度だけ聞いておきたかったの」
「何を?」
「この先、誰かが傷つくかもしれない。それでも、あなたは――止まらないの?」
ティナは静かに頷いた。
「止まらない。
私は、私自身の尊厳を取り戻すために、ここまで来たのだから」
「そう……なら、私も引かないわ」
セレナは立ち上がる。
その表情には、もはや恐れも迷いもなかった。
「私には“味方”がいる。あなたが思っている以上に、強大で、静かな支配者よ」
***
昼、裁定の場。
議長に座るのは、老齢の大公爵。
その両脇には王族数名と枢密顧問たち。
その中央に、ティナと証人のローザ、アデルが並ぶ。
周囲には貴族たちがざわめいていた。
そしてその列の向こうには、堂々と立つセレナと――彼女の後ろに、意外な人物の姿が。
「……レオニス様」
ティナは目を見開く。
第二王子であり、セレナの“今の”後ろ盾。
(これがセレナの切り札……!)
議長が開口する。
「ティナ殿。あなたは本日、セレナ・ミルフォード殿の不正を訴えるとのことでよろしいか?」
「はい。私は、本日ここに“証人”と“物証”を持参しております」
ティナは落ち着いた声で答え、封筒を差し出す。
「証人、ローザ・エニスの証言。
当日、ミルフォード令嬢が銀器のすり替えを命じる現場に居合わせたとされています」
審査官がそれを読み上げると、室内の空気が明確に揺れた。
そして、ローザが震える声で語る。
「……私は、あの夜……確かに聞きました。
セレナ様が、“あの器が合図よ”と、他の使用人に……」
セレナの顔は、凍りついたまま動かない。
だが、すぐに静かに立ち上がる。
「反証があります」
セレナは、後ろに控えていたレオニスに目をやる。
彼は、淡く、苦しそうな表情を浮かべながらも、口を開く。
「私は、あの夜――確かに“すり替えが行われた”とは思っています。
けれど、それがセレナの指示だったかは……判断がつきません」
その言葉に、空気がざわつく。
「レオニス様、あなたは……!」
ティナの声が震える。
(彼も、真実には辿り着いていた。それでも“何か”に縛られてる……)
そのとき。
沈黙の中に、もう一人の男が歩み出た。
シリウス。
王族としてではなく、“第一王子個人”として。
「私が、証言します」
その場の空気が一瞬で張り詰めた。
「私は、以前より本件について“非公式な調査”を進めていました。
その中で、セレナ・ミルフォード嬢が、“器の管理情報”に関与していた記録も掴んでいます」
顧問たちがざわめく中、シリウスは静かに続ける。
「私は、この場で“ティナが訴えること”を支持する。
そして、王宮における真実の軽視を、私は断じて許さない」
その一言により、審議の流れが変わった。
議長が深くうなずく。
「本件は重大な政治的問題に発展する可能性がある。
我々は“追加調査”をもって裁定を進行するものとし、被疑者であるミルフォード令嬢の“謹慎措置”を仮命令とする」
ティナの目が見開かれた。
勝ったわけではない。だが――確実に、セレナは“落ちた”。
***
その帰り道。
ティナは、王宮の外れでシリウスと肩を並べて歩いていた。
「あなたがあんなに強く言うなんて、思ってなかった」
「僕も思ってなかった。でも……君が“何も言わずに戦っていた背中”を見たら、言いたくなったんだ」
ティナは黙って笑う。
「“盾になる”って言ってたの、今日、本当にしてくれたわね」
「そうだね。
でも本当は、君の隣で“ただ、同じ方向を見てた”だけかもしれない」
***
その夜、王宮の一室で、セレナは窓辺に立っていた。
自分が“謹慎”という形で部屋に閉じ込められたことを、誰よりも早く理解していた。
「ベローチェ……いえ、ティナ。あなたは、やっぱり私の想像の何倍も……冷たくて、強かったわ」
月光の中で、セレナの瞳にわずかな涙がにじむ。
それは悔しさか、喪失か――誰にも分からなかった。
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