第十五話 仮面の落ちる音
薄曇りの午後。
王宮の回廊を抜けたその先にある、小さな応接室。
王族や高位貴族しか使わないその場所に、セレナとティナは二人きりで向き合っていた。
「ねえ、ティナ」
静かな声。けれど、芯が通っている。
「私、あなたのこと……ずっと引っかかってたの。
香りも、仕草も、声も……思い出そうとすればするほど、“あの人”と重なるの」
ティナは黙っていた。
逃げも、否定もしなかった。だからこそ、空気が張り詰める。
「ベローチェ様。――レオニス様の、元婚約者。
毒を盛った罪で断罪された、わがままで傲慢な、でも……誰よりも誇り高かったあの人」
セレナは、ゆっくりと近づいた。
「あなたは、いったい何者なの?」
その問いに、ティナはふっと微笑んだ。
「私のことを“誰”だと信じたいの?セレナ様」
「……答えになってないわ」
「あなたの問いもそう。問いかけという形で、私に“名乗れ”と迫っている」
「違う。私は……私はただ、確かめたいだけ。
あの夜、何があったのか。“私が何をしたのか”――あなたが、どう思ってるのか」
ティナは、目を細めた。
「なるほど。やっぱり、あなたも覚えてるのね。
“毒を盛れ”と指示を出したことを」
セレナの表情が、ほんの一瞬だけ揺れた。
でもすぐに、誇り高い微笑みが戻る。
「それが事実だったとして……何がしたいの?あなたは復讐のために戻ってきたの?」
「復讐……?」
ティナは椅子から立ち上がった。
「あなたが私にしたことは、私の婚約を壊し、私の名誉を傷つけ、家を潰し、命を奪おうとした――“処刑”まで運んだ、計画的な策略。
けれど私は今、ここにこうして生きてる。そして、あなたと向き合ってる」
「なら、なんのために?」
「“真実を明らかにするため”。
あなたを許すためでも、許されるためでもない。――裁きを、受けさせるため」
セレナの瞳が細くなる。
「冷たいのね。ベローチェ様らしいわ」
「あなたがそれを言うなんて、少し滑稽ね」
室内の空気が、音もなく震える。
互いの呼吸すら、耳に響くほどの静けさ。
「……レオニス様を奪いたかったの。
あの人は、優しくて、でもどこか遠くを見ていて……あなたに心を寄せてるのが、悔しかった。
でも、あなたは自分が“愛されてる”ってことに、全然気づいてなかった」
「愛……?」
「そう。私が欲しくて欲しくてたまらなかったものを、あなたは当たり前のように持ってた」
ティナの胸がざわつく。
「だから、毒を?」
「選べなかった。愛されるのをやめるか、あなたを消すか」
その言葉の響きに、ティナは一瞬だけ、表情を失った。
「……あなたもまた、愛されなかった子だったのね」
「……!」
「あなたが欲しかったのはレオニスの“心”じゃない。“誰かの絶対的な存在”になることだった」
セレナは、沈黙した。
涙は流さない。ただ、肩が微かに揺れた。
「セレナ様」
ティナは、淡く微笑んだ。
「私はあなたを、許さない。けれど――理解はできるわ」
その言葉に、セレナの目が大きく見開かれる。
「あなたが私のすべてを奪った日から、私はすべてを失った。
だからこそ、あなたを“人”として理解できる」
沈黙。
しばらくして、セレナが口を開いた。
「それでも……私は、もう後戻りできないのよ」
「私もよ。だから、最後までやりましょう」
二人の瞳が、正面からぶつかり合った。
「王宮の中で、最も“醜い”決着を、最も“美しい仮面”を被った私たちで、やり遂げましょう」
***
その夜、ティナはシリウスと庭園の外れで落ち合っていた。
月が雲に隠れた夜。彼はいつもよりも静かだった。
「セレナとは、話した?」
「ええ。“最後の一戦”を交わしたようなものね」
「泣いた?」
「泣かせなかったし、私も泣かなかった。……でも、少しだけ息が苦しかった」
シリウスは小さく笑う。
「君は、やっぱり人間だね。安心した」
「王子にそう言われると、不思議な気分」
「王子としてじゃない。“同じく、人を許せない人間”として言ってる」
沈黙。
それは、ふたりだけの温かい沈黙だった。
「……明日、動くわ。証人を集めて、証拠を提出する。そして、王宮裁定にかけてもらうの」
「そのとき、もしセレナが……」
「逃げても、私は追うわ。絶対に。あの日の自分のためにも、もう誰にも踏みにじられたくないから」
その声は、静かで、強かった。
シリウスは、それに頷いた。
「なら、僕は君の剣にはなれないけれど――
“君が刃を振るうときに、盾くらいにはなってやるよ”」
***
ティナはその夜、眠らなかった。
ただ、静かに月を見ていた。
“セレナに勝つ”ためではない。
“かつての自分”を、取り戻すために。
そして、朝が来る。
最後の舞台が、ゆっくりと幕を上げようとしていた。
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