初期症状 笑顔中毒 Day2朝
ーー中学生?誰だろう、この人
「美空って、いっつも笑ってるけど何で?」
「私、ツボが浅いの、みんな面白いことばかりするから耐えられなくて」
目の前の女子中学生が真剣そうに尋ねていたのに、笑いながら返答している私がいた。私は耐えきれず、目の前の少女に「誰?」って尋ねようとしたのだが、口が動かないのでこのまま見続けることにした。
「なんか精神病とか抱えてるの?気持ち悪いから笑わないで」
っと、目の前の少女が私に辛辣なことを言っているのだけれど、あながち間違っていないのかもしれない。この国では笑顔というのは逃げであり、嘲笑であり、侮辱である。それらは周りから見れば不愉快に感じられているものなのだ。だから、私は
「分かった。ごめん」
と、返すことができた。自分の意思で口が動かせたということは、元々そういう記憶だったのかもしれない。醜い記憶だ。
そんなことを思っていると、景色がガラリと変わって、私は廊下に立たされていた。教室の窓から生徒たちがこちらを見ている中、私は笑みを浮かべていた。
「ごめんなさい…」
と、涙をこぼしながら笑う私に先生は口を開いた。
「笑っていればなんでも許せると思うなよ」
と、先生は言った。懐かしい記憶だ。これは私の人格を形成した重要な記憶として、脳内に深く記録されている。そんなことを言う先生に私は
「そんなことをこれっぽっちも思ってません」
「じゃあなぜ笑っているんだ」
と、本心を伝えたのだが、一度作られた病気のような笑顔は治らなかった。そのせいで、私は先生に号泣するまで怒られたんだった。だから、私はこの日から笑わないように生きると、心に決めていた。
笑うこと、それすなわち自殺で償う必要のある重罪なのだけれど、まだ中学生だった私にそんな社会の闇を抑え込むのは少しばかり酷じゃないかと思うと、もしかしたらあの時の先生はこれから先はもっと辛くなるから、今のうちに早く死ねと言う愛情的意志を伝えてくれたのだという結論にいたることができる。
だが、この問題を簡単に考えているとダメだ。笑顔を作らないように過ごしていると、「なんで笑わないの?精神病なの?」と言われてしまうからだ。
人間というのは矛盾が大好きなのだ。笑えば、笑うな。笑わなければ、笑え。そんな結論の出ない論争の結果、一人一人の意見を聞いていても先には進めないと判断した私は、少子高齢化社会を主観的に見た上で、多数派である笑顔は重罪である。という結論を下した。
つまり、君が主人公だ。他者を尊重しろ。人は皆平等だ。なんて大々的に謳っているこの国の大半の人が持つ価値観は、実際には表面上だけということだ。この世界は嘘で固められた世界なんだろう。
「笑うな」
「死ね」
と、私は学校に行く前に自分の映った鏡に言い聞かせながら登校するようにした。
しかし、私があの時まで人前に笑顔を見せていたのは、まだ14かそこらの中学生だったのだから、そんな"常識"を知らなかったのは仕方がないと思うのはいたって普通のことだろう。
それからというもの、私は笑顔を作らせようとしている人たちを軽蔑し、不真面目であるという価値観を形成した。
「おい、西野。授業中に笑うな」
そんな光景を見ながら、私は育った。
であれば、授業中以外であればいいのではないか?と、思ったらダメだ。休み時間であれ、なんであれ、一度、そこで笑みを浮かべて仕舞えば虜になってしまう。例えるのであれば、FPSで敵を殺せた時の幸福感みたいなものだろう。
一度、笑ってしまえば、楽しみを覚えてしまう。快感を覚えてしまう。それはギャンブルの始まりだ。一度、快感を覚えてしまえば、その快感をまた味わうために何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も同じことを繰り返してしまう。例えるのであれば笑みというのは薬物的存在なのだ。
そして、教えを乞う立場として笑顔を作るというのは悪いものだ。真剣に取り組んでない、と見なされてしまう。この世界では、人間から笑顔という感情を奪うことで真剣に取り組んでいると判断していたのだ。
だからこそ、周りの人々は笑顔を作る人を嫌うのだろう?私の主観的事実なのだが、もしもそうであれば笑み中毒についての授業を作って欲しいと思うのは私だけではないはずだ。
「笑うな」
「死ね」
「消えろ」
「カス」
そんな暴言が鏡に映る私を笑顔中毒から救ってくれた。
***
「嫌な夢だった」
手汗が滲む最悪な朝、いい目覚めとはいえないだろう。
今の夢は過去に体験した後悔の記憶、つまりは終焉症候群によるものなのかもしれないが、あの選択は間違いではなかったはずだ。もしも、あのまま笑顔に侵されていれば私は社会から抹殺されていたのだから…だから、後悔の記憶ではないはずだ。
周りを見渡すと、誰もいない病室の中でバイタルの音だけが響いている。
ふと手足を確認してみると、特に異変はなかった。ただ、左手だけが黒いのが気持ち悪い。
そんなことを思っていると、部屋の扉が開いた。
「篠原さん、おはようございます。朝ごはんです」
「ありがとうございます」
と、看護師が無表情でトレーを机の上に置いてくれたのだけれど、用意されたのは白いおかゆと小さな漬物だった。
まるで戦時中のようなご飯に私はテンションを下げることしかできなかった。すると、看護師が
「その腕、痛むんですか?」
と聞いてきたので
「痛くないです」
と答えた。無愛想だけれども、作り笑顔を向けられるよりはマシだったので心地よかったのだが
「死ね」
「ありがとうございます」
と、笑顔で看護師は言ってきたので、私はご飯を持ってきてくれたことに感謝をすると、看護師は部屋を出ていってしまった。
ただ、この病気が感染病である可能性を否定することができない今、確かに人に移す前に早く死んだ方が社会のためだと思うと、それが常識なのだろうと納得できる。
周りに迷惑をかけるぐらいなら早く死んでしまった方がいいのだろう。
そんなことを考えながらも、私は用意された味の薄いご飯を食した。
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