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〈リーバル国〉に全二十校ある〈孤校〉は、六歳ごろに入舎すると、休みに帰省する以外は、十五歳の卒業試験まで寮生活をするものがほとんどである。途中で編入する存在は特異で、人身売買の商品であったところを政府に助けられた、などという事例が大方であった。
――団長を目指すなら、〈孤校〉で学んで、自分でその資格を勝ち取っておいで。
クロエはその言葉を受けた二年前の春に、〈リーバル国〉の首都・ランセルではなく、北の片田舎にある〈孤校〉へ編入した。かつて姉と暮らしていた地と雰囲気が似ていると感じたことが、ここを選んだ理由であった。
周囲は遠巻きにクロエの様子をうかがうだけで、近づこうとはしなかった。それはクロエ以前に編入してきた者たちの多くが、近づくものを嫌悪の対象にしていたことが大きな要因であるだろう。クロエはそれに対して何も感じてはいなかった。誰かと関係を築くつもりもなく、ただ優秀な成績を収めて、適度な自由を満喫しながら卒業して、資格を獲得しようと考えていた。
それは特段不満もない生活を送っていた春の終わりごろだった。梅雨のはじまりを告げるように、小雨が降っていた。古傷である左目の傷が痛み、クロエは隠れるように人気のない教室に入り、壁に沿って座り込んでいた。悪天候の際に古傷が痛むことは時々あることで、痛みから目を逸らすようにして、クロエはぼんやりとして窓の外を見つめていた。すると不意に誰かと目が合った。大きな瞳が特徴的な、短髪の少女。
(ああそうか、ここは訓練場の通り道だ)
窓の向こう側にいる彼女は、少し呆然としたようにクロエを見つめて、口を動かした。
(あ、え、お?)
クロエは首をかしげる。意図がわからなかった。
その少女は踵を返して、もと来た道を戻る。そしてクロエの視界から消えた。
(もしかして、待ってろって言った?)
クロエは思考をやめて、瞼を下した。じくじくと痛む、もう二度と光を映さない左目に、過去の記憶がよみがえる。
――クロエ、お姉ちゃんが起きたら、一緒にお月さま見ようね
目頭が熱を持つ。
すると突然教室の扉が開いた。クロエは驚いて扉の方へ振り向く。そこには先ほどまで窓の向こう側にいた少女が立っていた。彼女はその大きな瞳にクロエをまっすぐに見つめる。
「大丈夫か?」
「え?」
「顔色が悪い」
少女はクロエと目線を合わせるようにしゃがみこんで、クロエを見つめる。
「えっと、大丈夫」
「本当か? 顔が真っ白だ」
「そう、かな。それより授業に行かなくて大丈夫? もうすぐはじまるよ」
無垢な瞳が見つめてくることに居心地の悪さを感じて、クロエは目を伏せ、話を逸らした。
「おまえ、いつもはもっと、しゃんとしてるから」
クロエは思わず再び視線を少女へ向ける。彼女はいまだまっすぐにクロエを見ていた。揺るがない瞳で、じっとクロエを見据えている。
「いつも背筋伸ばして、前を見てるから、すごいなあって思っていたんだ」
胸元にかっと熱が宿り、喉から迫り上がってくるような感覚に息を詰め、とっさに右手で口元を覆う。
(この、ひとは……)
「もしよければ」
少女はふと緊張するように言葉を切った。
「あたしと、友だちになってくれないか」
(きれいな、ひとだ)
クロエは刹那的にそう思った。目の前にいるこの少女は、きっと残酷な世界を知らない。美しく鮮明な色に満ちた世界で、受けるべき愛を受けて、まっすぐ素直に生きてきたひとだ。自分とはまったく異なるものを見て、感じて、生きてきたひとだ。
――団長になるなら、ある規則を知っておく必要がある。これは他の学生には言ってはいけないよ。
その言葉はいま、クロエに枷を与えた。
左目がじくじくと痛んだ。左目の痛みがクロエを咎めているように感じる。汚物にまみれた世界に身を浸し、これからも嘘をつき続ける必要のある自分が、この無垢な存在に触れていいわけがないと、伝えてくる。しかし触れてはならないとわかっていても、ただひたすらにまっすぐに射抜くこの瞳を、そのときのクロエは突き放すことはできなかった。
「私も、友だちになりたい」




