47――ダンススタジオにて
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駅から少し離れた古びた雑居ビル。
1階がコンビニになっていて、その上には司法書士事務所の名前が窓に書かれている。葵さんに連れてこられたのは、そんなビルの3階だった。
「このビル自体をババアが持ってるらしくてね、贅沢しなければ賃料だけで食べていけるぐらいの収入があるとか、前に自慢してたよ」
「そ、そうなんですか……」
階段を上りながらそんな話をする奏さんに、僕としては苦笑しながらもそんな風にしか答えられなかった。だってこのビルにはそのおばあさんがいる可能性が高いってことでしょ? もしババアなんて言葉が耳に入っていたら、初対面なのにイメージが悪くなってしまうのではと不安になる。
「奏、あんまり乱暴な言葉を使わないで。優ちゃんの教育に悪いでしょ」
真奈がそんな風に奏さんに抗議しているけど、果たしてどの立場に立っての抗議なのだろうか。僕の中身は同い年の男子高校生だって、真奈は知っているだろうに。
でもそんな事情をまったく知らない奏さんは、誤魔化すように笑いながら『ごめんごめん』と軽い感じで真奈に謝っていた。まぁこれでお婆さんの僕に対するイメージダウンの可能性が少しでも減るのなら、それでいいかな。
3階に到着すると、白い壁に鉄の扉が1枚だけ設置されているのが目に入る。奥の方にはトイレと給湯室の看板があるので、必要十分な設備があるのだろう。
鉄の扉の横にカードキーを押し当てるタッチ式のカードリーダーが付いていて、奏さんがおサイフからカードを出してドアを開けてくれた。
「それじゃあ、中に入って」
奏さんに先導されるがままに、僕と真奈はおっかなびっくりドアをくぐった。古びたビルの外観とは似つかわしくないぐらい、中はワックスが丁寧に掛けられた板張りの床に磨かれた大きな鏡が何枚も設置されたキレイなダンススタジオだった。
「何だい、小娘。今日は来る日だったかね?」
突然声が聞こえて、情けないけど僕は驚きでビクッと体を震わせてしまった。でも目の前のダンススタジオには人影がなくて、どこから声を掛けられたのかと周りをキョロキョロと見回す。
「今日は来る予定じゃなかったんだけどね。でも年下のかわいい友達に頼られたら、力になってあげたいと思うでしょ。ああ、ババアから見れば年上に出会う方が少ないよね」
奏さんが不敵な笑みをこぼしながら、何故だか壁に向かって謎の声にそんな風に返事をした。何の変哲もない壁にしか見えなかったのに、奏さんの返事に反応するようにゆっくりとした重みを感じさせる動きで扉が開いた。
分厚い扉の向こうにいたのは、これまた何故か修道女の人が着ているような服を身につけたお婆さんだった。僕はあんまりくわしくないから合っているのかはわからないけど、多分頭にヴェールっぽいものを被っているから間違いないと思う。
あ、いくら奏さんが一緒にいるからといっても、許可もなく知らない人の部屋に勝手に入ってきたのは僕たちなんだから挨拶ぐらいはちゃんとしないと。僕が『はじめまして、勝手に入ってごめんなさい!』と緊張しながら言うと、小柄なおばあちゃんはなんだか優しく笑ってくれた気がした。
「小娘、あんたの友達にしては礼儀正しくてかわいい子じゃないか。この子と同じ年頃の頃、はじめて会った私に噛みつくようにキャンキャン喚いてきたアンタとはえらい違いだ」
「あー、もう! そんな昔のことをいつまでも、これだから年寄りは!! そんなことより、この子にここを使わせてあげたいんだけどいい?」
奏さんがそう言うと、お婆さんの目が少し真剣な色を帯びて僕に向けられた。事情を代わりに説明しようとしてくれた奏さんを視線で制して、自分で話すように促してくる。ひと言も言葉を発していないのに、何故だかそれがわかるのはなんだか不思議だ。
でも僕のことなんだから、確かに自分の口で説明しなきゃおかしいよね。同い年の女の子に頼りっぱなしなんて、元男としてちょっと情けない。いや、確かに真奈にはずっと頼りっぱなしだけど、真奈はおさななじみだし別枠というか家族みたいなものだからヨシ。
とりあえず辿々しくなりながらも、『自分がVtuberとしてデビューした』ことと『ダンスの自主練をするための場所を探している』こと。だけど『残念だけどボイトレにも通っているので、さらにダンススタジオを正規料金で借りる金銭的余裕がない』ことをなんとか説明する。そしておさななじみを通じて友達になった奏さんに相談したところ、ここを紹介してもらったことも忘れずに付け加える。
「まだちっちゃいのに、ずいぶんと生き急いでるじゃないか。まぁ、そういうのは嫌いじゃないけどね」
なにやら感心したように、お婆さんが吐息混じりに言った。ごめんなさい、ちっちゃいのは見た目だけで中身は高校生なんです。まぁ精神的には中学生のころから全然成長してないような気がしないでもないけど。
お婆さんはチラリと真奈に視線を向けたが、真奈はしれっと『私はこの子の付き添いです』と答えていた。本当にこのお婆さん、言葉よりも視線で語るって感じで問われていることがすぐにわかるんだよね。目は口ほどに物を言うってこういうことなのかな?
「この小娘から聞いてるかい? 使わせてやりたいのはやまやまだけど、そのためには試験を受けてもらうことにしてるんだよ。じゃないと、ここを安く使いたいクソガキどもで溢れかえって収拾がつかなくなるからね」
「試験って……?」
「言ったでしょ、このババアに気に入られればいいって。自分が一番得意だと思っているものを見せて、ババアが認めたら使ってもいいってルールなの」
なるほど、確かにそんなことを奏さんは言ってたような気がする。『気に入られるってどういうこと?』と思っていたんだけど、ちゃんとそのきっかけは用意されているっていうことなんだね。
「すまないね、お嬢ちゃん。どうせこの小娘が適当な説明をしていたんだろう。本当に、なんでこんなのに許可を出してしまったのかね」
「それは昔のババアに聞いてもらわないと、私にはわかんないよ。まぁ私は好きなときに集中して思う存分踊れるんだからありがたい限りだけど」
目の前でポンポンと言葉のやり取りをするお婆さんと奏さん。言葉だけ聞いているとなんだか仲が悪そうなんだけど、声色とか表情とかに注目するとまったく真逆に見える。なんだかんだ仲良しだろうね、このふたり。
真奈と目が合って、どうやら考えていることは同じだったのか、思わずふたりで吹き出すように笑ってしまった。歳は離れているけど、多分ふたりはケンカ友達みたいな感じなんじゃないかな?
それはさておき、僕が一番得意だと思っているのは言うまでもなく歌だ。
ボイトレを受けつつ自主練もこなして、自己流だった頃と比べると少しは技術的には向上していると思いたい。
お婆さんに気に入ってもらえるかわからないけど、精一杯の気持ちを歌声にのせよう。
早速大きく息を吸いこんで歌い出そうとしたんだけど、声を出す直前でストップがかかった。
「歌声を聞かせてくれるならこんなせまくるしいところじゃなくて、フロアの真ん中で歌っておくれよ」
お婆さんがそんな風に言いながら、フローリング張りの部屋の奥へと招き入れてくれた。そう言えば入口のドアから少しだけ入った場所で立ち話してたんだった。
ちなみにお婆さんが出てきたところは、前にテナントとして貸していたときにその会社が小さな金庫室を作ったらしい。それでこのビルから引っ越すときに借りる前の状態に戻すかどうかという話になったそうなんだけど、お婆さんがそのままでいいと言って残したそうな。
金庫って気密性が高くてカビとか生えやすかったり、換気があんまりされないから吐いた息に含まれている二酸化炭素が多くなって息苦しくなるとか、人が住む部屋としてはすごく使いづらいらしい。そこを改造して天井に換気する機械を埋め込んだりして問題点を解決し、今は物置兼おばあさんの趣味部屋として使っているそうだ。
真奈たちがフローリングの上に座って、お婆さんは自分の椅子を持ってきてそこに腰を下ろした。傷がついたりしないのかなとちょっと心配になったけど、僕の視線の意味を正確に読んだお婆さんから『ちゃんとカバーをしてるから大丈夫なんだよ』と教えてもらった。
わざわざ自分のダンススタジオの床に傷をつける人もいないだろうし、持ち主がそう言うなら大丈夫なんだろうね。
さて、なんの曲を歌おうかな。お婆さんに気に入られるという目的を第一に考えるなら、少しでも彼女が知っているような懐メロをチョイスすべきだと思う。
でも短い間だけどお婆さんと話した印象を考えると、なんとなくそれはものすごい悪手なんじゃないかと僕の勘みたいなものが警報を鳴らしている。なんというかそういう小賢しい絡め手よりも、正々堂々真正面からぶつかっていく人間の方が彼女の好みなのではないかと直感的に感じたのだ。
「それでは、歌います。タイトルは『三度目のはじめましてから』です」
これも達也のおじさんの車で覚えた、美少女パソコンゲームの曲だ。ゲーム自体はもちろん遊んだことはないのだが、泣けると界隈では大人気だったのだとおじさんが教えてくれた。
記憶を失くしたヒロインとそれを取り戻すために奮闘する主人公、他のヒロインたちの誘惑に負けずに彼女を想い続けることができれば、タイトル通りに三度目のはじめましてから物語を再び紡ぐことができるというストーリーなんだそうだ。
生まれてからはじめて会ったときのはじめまして、記憶を失ってからのはじめまして。そして記憶を取り戻してからのはじめまして、確かに三度目だなぁと思ったのが印象深くてお気に入りの曲になったのを覚えている。
そういうストーリーも歌声から少しでも伝わればいいな、そう考えながら僕は『すぅ』と大きく息を吸い込んだのだった。




