45――先輩へのご挨拶
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あれ、僕なにしてたんだっけ? あったかくてふかふかなものに全身が包まれているような安心感と、ふんわりと優しい香りがすごく心地良い感じがする。体が少し揺らされる感覚と、頭上から聞こえる話し声が少しずつ意識を浮上させていく。
「……あ、起きた?」
優しげな声に釣られるようにしょぼしょぼとした目で視線を上げると、少し茶色がかった髪色のお姉さんが僕の方を優しい視線で見下ろしていた。
「あの……ここはどこでしたっけ?」
「ここは私たちの楽屋だよ。スタジオで撮影してて、休憩に戻ってきたらあなたが椅子に座ったまま寝ていたの」
説明してくれるお姉さんの声に、寝ぼけていた意識が急速にはっきりしていく。確かマネさんに『先輩に挨拶しておいで』って言われて、ひとりで送り出されたんだっけ。言われた通りに楽屋に来たんだけど、部屋の中に誰もいなくてパイプ椅子に座って待っていたんだった。
どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようで、さっきまで感じていた心地よさは夢の中だったからなのかもしれない。
いや、今も頭の後ろはふかふかして柔らかいし、いい匂いも続いている。というか椅子に座っている僕のすぐ後ろに、お姉さんがいるっておかしくないだろうか?
おそるおそる周囲を見回してみると、何故か正面に僕を微笑ましそうに見ているもうひとりのお姉さんがいた。そのお姉さんのことは今のところ置いておいて、僕のお腹に後ろから回されている細くて女性らしい両腕がすごく気になる。
どうやら僕と椅子の間に誰かが座っていて、その人をクッション代わりにしちゃったままグースカと眠っていたようだ。しかも女性だなんて、いくら中学生相当の体躯の僕だとしてもすごく重いだろうに。
慌てて立ち上がって後ろを振り向くと、さっき見上げたお姉さんが驚いたように僕を見ていた。というかジロジロ見たら失礼なんだけど、僕がマクラにしていたと思われる彼女の胸がすごく大きくて視線が引き寄せられる。スイカは言い過ぎだけど小さい種類のメロンぐらいはありそう。そりゃあふかふかで気持ちよかったはずだ。
「ご、ごめんなさい、胸をマクラにしちゃってて……あの、僕は最近デビューした新人の歌音ゆうひです!」
『よろしくお願いします』とおふたりに自己紹介と挨拶すると、気軽な感じで『よろしくねー』と返事をしてくれた。
「あの、本当にごめんなさい。ご挨拶に来たんですけどお部屋に誰もいなくて、待ってる間についついうたた寝しちゃったみたいです。先輩を下敷きにして寝ちゃってて、本当にすみませんでした」
「ああ、全然大丈夫だよー。むしろ椅子からゆうひちゃんが落ちそうになってたから、私が自分から抱っこしただけだし。気にしないで」
ペコペコと頭を下げる僕を、お姉さんは笑顔で許してくれた。というか、彼女が僕を膝の上に座らせて自分にもたれかけさせる間も、全然目が覚めなかった僕ってさすがに鈍感過ぎるんじゃないだろうか。
今日は朝早くに地元を出発したし、マネさんとの打ち合わせだからちょっと緊張して眠れなかったのは確かだけど、こんな風に他の人に触れても全然起きもしなかった自分にちょっと呆れてしまった。
「じゃあ、私たちも自己紹介をするね。すとりーむらいぶ2期生の仙石アメリです……知ってるかな?」
「はい、傭兵団の団長さんなんですよね。あと、ソレイユさんと同期だとうかがっています」
「リアルでそれを言われるとなんだか恥ずかしいけど、その通り。これからよろしくね、ゆうひちゃん」
一応すとりーむらいぶに所属すると決めて、今活動している先輩方の情報はサラッと確認しておいた。2期生といえば入りたての僕からすれば雲の上の大先輩なのでなかなか話し掛けづらいけど、せっかく面識ができたのだからお会いした際は勇気を出して声をかけてみよう。
「次はあたしね。同じく2期生のクラリス・デュボワです、エルフの狩人やってまーす」
アメリ先輩の対面に座っていたもうひとりのお姉さんが、明るい声で自己紹介してくれたので僕も名乗り返して挨拶する。さっきのアメリ先輩もだけど、当然エルフの狩人というのは配信上に映るアバターの設定の話なので、目の前のクラリス先輩は黒髪の日本人女性だ。
ただアメリ先輩もクラリス先輩もテレビで見かける芸能人アイドルぐらい美人さんなので、それなりにかわいいぐらいの容姿でしかない僕としてはふたりの間に立っていると場違いっぽくて少し居た堪れない気持ちになる。
そんなことを考えていると、いつの間にかすぐ傍まで近づいていたクラリス先輩が突然僕のうなじ付近に顔を寄せて『すぅーっ』と深呼吸した。突然の行動にすごくびっくりしたけど、僕が急に飛びあがったりしたらクラリス先輩とぶつかってしまうかもしれない。
吐き出された息がくすぐったかったけど、なんとかジッと我慢して動かないように頑張った。
「ゆうひちゃん、いい匂いするね。何か特別なシャンプーとか香水とか付けてるの?」
「クラリス、突然他人の匂いを嗅がないの。ごめんね、さっきゆうひちゃんを抱っこしてたときに、私が『ゆうひちゃんからいい匂いがする』って言ったものだから」
クラリス先輩の質問に答える前に、アメリ先輩からそんな風に謝られてしまった。別になにか嫌なことをされたというわけでもなく、僕が必要以上にびっくりしてしまっただけなのだから特に問題はない。『全然大丈夫です』と返事をすると、アメリ先輩は少し表情を緩めて微笑んでくれた。
「クラリス先輩の方がいい匂い、します」
「あたしのは香水だからねー、ゆうひちゃんも制汗スプレーとかつけてるの?」
さっきものすごく距離が近かったときにふんわりと香ってきた匂いがすごく大人の女性らしくて良い匂いだったので素直にそう言ってみたら、逆にクラリス先輩に質問されてしまった。もちろん何もつけていないので首をふるふると横に振って否定すると、『素の体臭がこんなにいい匂いなのってズルくない?』と言いながら更に僕の体の匂いをくんくんと嗅ぎはじめた。
アメリ先輩が苦笑しながら『変態みたいだからやめなよ』と止めてくれたから助かったけど、耳のあたりにクラリス先輩の吐息が当たったときが一番大変だった。すごくくすぐったくて、笑い出しそうになるのを必死に我慢していたのと恥ずかしさに、今僕の顔が多分ものすごく赤くなってると思う。
そこからはいろいろと雑談しつつ、配信者として活動していく上でのアドバイスをたくさんもらった。まず最初は慣れることが大事で、その次は自分がやってみたいことを楽しみながらやっていたら自然と視聴してくれる人も増えるそうだ。
確かにつまらなそうにやってる配信なんて、誰も見たくないだろうからね。難しいかもしれないけど、僕も見てくれる視聴者さんたちも両方楽しいと思える配信を心掛けたい。
「そう言えば、歌とかダンスのレッスンってどうするの? おうちが遠いなら、ここまで通うの大変でしょ?」
アメリ先輩が小首を傾げながらそんな問いかけをしてきたので、歌は2週間に1回、ダンスは1ヵ月に1回東京に来て指導を受ける予定であることを話した。ボイトレは今通っている先生のところで教えてもらいながらできるけど、ダンスはどうしようかな。小学校・中学校で体育でダンスを習ったけど、全然本格的な感じではなかったんだよね。
「できればダンス練習できる場所は確保しておいた方がいいよ。私たちは東京に住んでるからダンスレッスンが毎日入っても来れるけど、やっぱり間が空くと体がリズム感とか体の動かし方を忘れちゃうんだよね」
「あー、わかる。本番前にすごく詰めてレッスンして、それからしばらく何もせずに普通に過ごしていたら体は硬くなるしすぐ息が切れるしで、すごくしんどいよねぇ」
アメリ先輩のアドバイスをふむふむと頷きながら聞いていると、クラリス先輩が愚痴まじりに体験談を話してくれた。それに強く同意するようにアメリ先輩が頷いているところを見ると、ダンスを習ったことがある人の共通の『あるある』なのだろうか。
しかし練習場所かぁ、駅の近くにある公園で夜に踊ってる高校生ぐらいの子たちを見たことはある。でもガラというか、ちょっと雰囲気が悪い感じだったんだよね。
絡まれたらイヤなので、そこは候補から外しておこう。そうなると公共の体育館とか踊っても大丈夫な貸会議室とか、そんなところがいいのかな?
先輩たちがお仕事に戻るということで、別れの挨拶をして楽屋を辞した。その際にすとりーむらいぶに所属するタレントがプライベートでやり取りをするアプリのトークルームに招待してもらったので、帰りの電車の中で最初の挨拶を送信しておいた。
そっけない返事の人もいれば、文字からもテンションの高さが伝わってくる人もいる。いろんな人がいるなぁと思いながらも、少なくとも歓迎されていることを実際に感じてホッと安堵のため息をついた。
声変わり以降無気力だった僕は地元の情報にすら全然詳しくないので、ここは頼れる幼なじみたちを頼ることにした。あ、さっきのダンスを練習する場所の話ね。
残念ながら達也はそういう施設について全然知らないとのことであっさりと『わからん』という答えが返ってきたんだけど、真奈からはヒントがもらえた。
『優ちゃん、ダンスと言えば相談相手に適任な人がいるじゃない』
『え……そんな人いたっけ?』
後から考えればこれはすごく薄情な返事だったと思うけど、正直すっかり忘れていたんだよね。確かに真奈が言うとおり、僕は最近この相談にピッタリな人と出会っていた。
『奏はダンスめっちゃ得意だよ、Baby’s Breathの振付担当だし』
名前を聞いて、思わず『あっ!』と声を出してしまった。ずっと伊織さんとばかり会っていたから他の人のことをすっかり忘れていたけど、確かにはじめて会ったときに奏さんはそう自己紹介していたよね。
すっかり彼女のことを忘れていた僕が奏さんに図々しくも相談していいのか迷ったものの、真奈の『とりあえず相談だけしてみたら? 力になってくれるかどうかは奏が決めることだし』との言葉に背中を押されて、『相談ごとがあるので今度お時間もらえますか?』と勢いに任せてメッセージを送った。
とりあえず『全然いいよー』との気軽な言葉が返ってきたので、お互いの予定を合わせて明後日の放課後に初めて会ったファーストフード店で待ち合わせすることになったのだった。




