36――面談当日
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「名前、ですか?」
今日はイラストレーターさんに会う日。僕としてはまだ学校にも通ってないし毎日がお休みみたいなものなので事務所に行くのはいつでもよかったんだけど、相手のイラストレーターさんが僕に不信感を抱いている可能性もあるし、そもそも男性・女性のどちらなのかもわかっていない。
『万が一の時に事務所のスタッフさんが止められずに、優希が怪我をする可能性もあるかもしれないから一緒に行く』と達也が言うので、僕と達也と真奈といういつものメンバーで今週の土曜日に行くことにした。イラストレーターという仕事は締切が迫っている時以外は結構融通が利くらしく、僕たちのスケジュールに合わせてもらえた。
今回は伊織さんたちには声を掛けていない。ないとは思うんだけど達也が言ったみたいな暴力沙汰が起こる、なんてことが起こったら大変だ。本当なら真奈も誘わないでおこうと思ったんだけど、両親との話し合いにまた真奈を呼ばなかったことを責められて仕方なく同行してもらうことになったのだ。
『前にも言ったけど、たっちゃんだけじゃなくて私にも頼ってよ』とぎゅうっと抱きしめられながら言われたら、僕としては真奈を仲間外れにするなんてできない。僕のことを思って言ってくれてるんだしね。多分僕が男だった頃は女子ひとりだけだった真奈からしてみたら、僕と達也に混ざれない部分もあってずっと寂しかったんじゃないかな? 僕が女子になってやっと仲間に入りやすくなった、と思うところもあるのかもしれない。
それはさておき、3人でまた電車に乗って東京にあるすとりーむらいぶの事務所にやってきた。前に達也たちが時間を潰した休憩室ではなく、6~8人ぐらいの人数で会議ができそうな小さめの会議室に案内された。そして席について飲み物が運ばれてきた少し後ぐらいに、鳳さんが『名前はどうしようか?』と唐突に僕たちに尋ねた言葉に対する返事が冒頭の僕の言葉だった。
「ソレイユの動画でもあなたが歌い手のYOUさんだという話が出たし、周知の事実になっているわよね。こういう界隈では前にやっていた活動をやめて新しい活動をはじめる場合には、名前や容姿を変えてまったく別の存在としてやり直すのが一般的なの。例えばストリーマーをやっていた人がその経験を買われて、Vtuberになるとか」
「あの、ストリーマーっていうのは?」
「配信者の一種なんだけど、ゲームのプレイ配信とか解説動画で主に活動している人たちのことよ」
鳳さんの説明に、いろいろな人たちが動画を配信して活動しているんだなぁと思わず感心してしまう。パソコンとかスマホとかの機械類を動画で紹介している達也も、広い意味では配信者の中に含まれるんだもんね。
うーん、名前かぁ。名字と名前があって、全部で大体6~8文字ぐらいのものがポピュラーなんだって。全然思い浮かばないから、視線で真奈に『何か候補ある?』とヘルプを求めてみる。
僕からの視線を受けた真奈は、少し考えるように空中を見つめてから口を開く。
「とりあえずの取っ掛かりだけどアバターから連想して、兎の文字を入れたらどうでしょう?」
「あら、いいわね。名字で使うなら兎田とか兎乃とか。名前ならいっそダイレクトになんとかうさぎみたいにしちゃうとか?」
「かわいいですね、うさぎちゃん。インパクト重視で変わった名前をつけるよりも、馴染みある単語の方がファンの人に覚えてもらいやすいかもしれませんし」
鳳さんと盛り上がっている真奈が僕に『どう?』みたいな感じに視線で尋ねてきたけど、僕としては微妙としか言いようがない。だって元男の僕がうさぎって名乗るの、正直なところ気持ち悪くない? まぁVtuberってアイドルみたいな要素も必要みたいだから、女性っぽい名前になるのは仕方がないとは思うけど。僕には似合わないような気がする。
「YOUちゃん的にはしっくりこないみたいだね、じゃあYOUちゃんはどんなのがいいの? 他人のアイデアを否定するなら、代わりの案を出さないと」
さすが長年いっしょにいる幼なじみ。僕の不満がしっかりと伝わったのか、真奈が厳しくそう告げてきた。ここで代わりの名前がすんなりと出せるなら、そもそも最初から真奈にヘルプなんて出さないんだよね。そりゃあせっかく考えてくれた名前なんだから、真奈がムッとするのもわからなくはないけど。
理性では僕のわがままだとわかっている、でも感情は納得できなくてぷくっと頬が無意識に膨らんだ。そんな僕を見た真奈があきらめたようにため息をついて、膨らんだ僕の頬を軽くつついた。思わず口から空気が漏れた僕の姿を見て、真奈がクスクスと笑う。なんだかふてくされているのがバカバカしくなって、僕も小さく笑った。
「まぁ名前は数日後でも大丈夫よ、急いで決めちゃって後悔するって話もよく聞くものね」
僕と真奈の様子を微笑ましそうに見ていた鳳さんが、そんな風にまとめた。そう言えば今ここで決めろとは一言も言ってなかったっけ。Vtuberとしての活動名なんだから、僕も頑張って考えなきゃだね。
その後は鳳さんがまとめてくれていた必要な機材と相場が書かれた一覧を見ながら、揃えないといけないおおまかな期限などを打ち合わせる。機械については達也という強い味方がいるので、今度秋葉原に一緒に行ってもらう約束を取り付けた。ネット通販で注文してパソコンを買うにしても、実物を見てからの方が納得できるのではないかというのは達也の言葉だ。高い買い物だしね。両親に借金してまで買うんだから、確かに納得できるかどうかは大事だ。
行く場所が大体パソコンショップとかパーツショップだから女子は退屈かと思ってふたりで行くつもりだったんだけど、真奈も行くと言うので3人で一緒に行くことにした。一応前もって『真奈の興味がないお店にばかり行くことになるかもしれないけど、大丈夫?』と聞いてみたら、強く頷いたので本人の意思を尊重しよう。僕の用事が終わった後で、真奈が行きたいところがあるなら足を伸ばすのもいいかもね。
そんなことを話していると、ドアをノックする音が聞こえた。鳳さんが返事をしてドアへ近づいて少しだけ開けると、外側にいる人と二言三言話をしてドアを大きく解放した。
最初に目に入ったのは首から社員証をぶら下げたスーツ姿の人、多分すとりーむらいぶの女性社員さんだと思う。お客さんを案内してきたのか、ドアの外にいる誰かにペコリと頭を下げて『コツコツ』とヒールの音を廊下に響かせながら立ち去った。
その代わりにこの部屋に入ってきたのは、パーカーにジーンズという服装の20代前半ぐらいの女性だった。髪がちょっとだけピンクがかった茶髪に染められていて、おしゃれな雰囲気を感じる。
「ごめん、ちょっと遅れた」
入ってきて早々に、そのお姉さんは軽く右手を挙げながら鳳さんにそう言って謝った。鳳さんもお客さんだというのに、まるで身内みたいに『遅刻するなって前から言ってるでしょ、これも一応仕事なのよ』とお説教しながらお姉さんの背中をペシンと叩く。
僕たちの視線がふたりに集まっていることに気づいて、鳳さんが誤魔化すような苦笑を浮かべた。そしてお店の人がするみたいにお姉さんを手のひらで示して、僕たちに紹介してくれた。
「ええと、こちらが今日YOUさんとの面談を希望したイラストレーターのササミさんです」
「ササミです、どーも」
鳳さんの言葉を受けて自己紹介したササミさんは、僕に小さく会釈みたいに頭を下げた。僕も立って挨拶しないと失礼だよね、ササミさんは僕がちゃんとした人なのかを見定めるために面談を申し込んできたんだし。
「あ、あの……歌い手のYOUです、はじめまして」
「うん、よろしくね」
僕の自己紹介に軽い感じにそう言って、僕たちの対面の席に腰を下ろした。僕の両隣には真奈と達也、テーブルを挟んだ対面には鳳さんとササミさんという席順になっている。
「実はねこの子、私の姪っ子なのよ」
突然鳳さんにこんなカミングアウトをされて、僕は驚きながら正面に座るふたりの顔を見比べてしまった。姪っ子っていうことは、鳳さんの兄弟の娘さんってことだよね? うーん、そんなに似てないような気がする。もちろんおふたりとも美人だとは思うけど。年齢もそこまで離れているようには見えないし。
中学校入学と同時期からイラストを本格的に描きはじめたササミさんは、卒業する頃にはプロを目指せるぐらいの実力を身につけたらしい。高校に通いながらSNSなどで仕事の依頼を受けつつ頑張っていたんだけど、なかなか成果は上がらなかったそうだ。
高校3年生の時に鳳さんが依頼をして、あの3体のアバターのデザインを担当したんだって。その仕事を終えた頃にライトノベルの挿絵のオファーがきて、あれよあれよと大ヒットした。もうインターネットで依頼を募らなくても仕事が舞い込むようになり人気イラストレーターになったササミさんだったけど、あの3体のアバターは思い入れのある仕事だったらしい。
アバターが使われたという話を全然聞かないので、何度も鳳さんに『使わないなら自分が買い取るから返して』と言ったらしいけど、契約書を交わしている以上はもうあのアバターはすとりーむらいぶのものになっている。信頼する叔母の会社なので大丈夫だとは思うけど、このままお蔵入りになるぐらいなら自分がVtuberデビューしてでも使う。そんな思いをずっと抱えていたとササミさんは言った。
年単位で時間が過ぎた折、納品した3体のうちの1体がようやく使われるという話を鳳さんから聞いたササミさん。ようやく日の目を見るのかという喜びと、そのアバターを動かす中の人が常識人なのかどうかという心配がないまぜになったような複雑な気持ちだったそうだ。人気Vtuberといえど中身は人間なので、失言や炎上騒ぎでイメージを落として引退する人も少なくないらしい。自分が頑張って描いたアバターには、できればそんなマイナスイメージをつけてほしくない。長い時間ファンに愛されて欲しいと思うのは、何かを創り出す職業に就いている人たち共通の想いなのだろう。
「実際に会ってみたら、まさかこんなに小さい子だったとはね。ソレイユの動画を見た時はしっかりしている感じだし、声が幼めの大学生なのかと思ってた」
「あの、ちなみに実際に会って、僕のことを何歳ぐらいだと……?」
恐る恐る聞いてみたら、『12歳ぐらいだと思った』という答えが返ってきた。小学6年生か中学1年生かぁ、歌い手のYOUは中学2年生の設定だからそれほど外れてはいない。でもなんというか、少しだけ釈然としない気持ちになった。だって中身は高校生なのに、なんか子供っぽいって言われてるみたいだもん。見た目よりも中身の印象で僕のことを判断してもらえるように、これからもちゃんと礼儀正しく頑張ろう。いつまでも子ども扱いされるのは、ストレスが溜まりそうだしね。




