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TSして昔の声を取り戻したボクは女性シンガーの歌を熱唱したい!  作者: 武藤かんぬき
第二章

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36/50

34――ボイトレと選択の期限

いつもブックマークと評価、誤字報告ありがとうございます。


「優希ちゃん、ノドを締めずに声出してね。あとまた胸で息吸ってるから、腹式呼吸を意識しよう」


「……はいっ」


 電子ピアノで発声練習の音を出しながら注意してくる先生に、僕は大きな声で返事をした。今までの自分の歌い方のどこが悪くて、どう改善していくべきかというのを最初のレッスンで遠慮なく指摘されたんだよね。それがわかりやすかったのと、自分でも『確かにそうだな』って納得できる部分が多かったのでこのレッスン教室にお世話になることにした。


 初心者のうちは月4回で1回3時間、もちろん休憩も込みだけどレッスンに通うことにした。歌い方の矯正とか基本的なところをしっかりと矯正するべきだというのが先生の意見で、それはごもっともだと僕も思う。それが身についたら自主練習ありきでのスケジュールだけど、レッスンは月に2回でいいみたいだ。僕の場合は自主練というよりひとりで歌を歌いすぎるきらいがあるので、ちゃんと時間を決めてノドをケアしながらやっていくように言い含められている。


 しばらくは月謝として4万円払う必要があるんだけど、新しい学校に編入するまでなら全然余裕で支払えるぐらいには貯金はある。すとりーむらいぶに見学に行ったのがもう2週間前で、その翌日には事前に用意する物やその費用なんかの詳しい資料が欲しいと思い切って鳳さんに連絡した。そしたら仕事の合間に作ってくれるとのことで、現在資料の送付待ちの状態だ。気持ちは結構やってみたい方向に動いているような気はするんだけど、あと一歩背中を押してもらえるような何かが欲しいんだよね。


「優希ちゃん、ちょっとシャツめくってお腹見せて」


 突然先生がそんなことを言うので思わず『えっ!?』て声をあげちゃったんだけど、先生に『早く』と急かされてTシャツの裾を勢いよく捲りあげた。ちょっと力が入りすぎて胸のところまで露わになっちゃったけど、先生はそんなことには目もくれず僕の腹筋のあたりを指で押したりなぞったりした。ちょっとくすぐったい。


「うーん、もうちょっと腹筋をしっかりやった方がいいわね。別に見ただけでわかるぐらいバキバキに割れるぐらいまでは鍛えなくてもいいけど、触って硬いのがわかるぐらいは腹筋をつける必要があるの」


「あ、あの……先生、くしゅぐったいです」


 優しくそっと撫でるような先生の手つきに、子供っぽい言い方になりつつも抗議した。でも先生は今度は横腹から背中に手を伸ばしてきて、思わず笑い声が溢れてしまう。それでも手を震わせながらシャツの裾を放さなかった僕を誰か褒めてほしい。


「優希ちゃん、しっかり食べてる? ほら、腰も細いしくびれてる。若い子はどうしてだか細ければ細いほどいいみたいな価値観持ってるけど、歌を歌うことを生業としている人間としては過剰に太らないならおいしいものをたくさん食べて欲しいわ。食事は元気の源、しんどいことがあったり気持ちが落ち込んでもご飯を食べたらなんとでもなるって気力が湧いてくるからね」


 先生はグッと拳を握りながらそう力説しているけど、きっと食べるのが大好きなんだろうな。僕も女子になってからはさすがに以前と比べて少食になっちゃったけど、それでもおいしい食事は大好きだから気持ちはすごくわかる。でもすぐに『もうアラフォーだから胃が重い』とか『量が食べられない』とか、年齢に由来した愚痴を聞かされるとなんだかすごくかわいそうだと感じた。僕も好きなものは、食べられる時にたくさん食べるようにしよう。


 その後もレッスンしては時々短い休憩を入れて、先生はその時にいろんな話をしてくれた。ノドをケアする基本的なやり方とか、部屋に置いてみて一番ノドの調子が良かった加湿器のメーカーとか。練習はダラダラと長い時間するよりも、メリハリを大事にやるべきことをしっかり集中しつつ、短時間で終わらせることが大事だとかね。先生が試行錯誤しながら実体験で見つけてきたひとつの正解だから、すごく信頼できる。


 ふぅ、2回目のレッスンもすごく勉強になった。来週のレッスンまでの今日言われた修正点をちゃんと直せるように、しっかりと自主練しないとね。先生が言うみたいに歌いっぱなしもダメみたいだから、ちゃんと時間を決めてやっていこう。先生にお礼を言って、汗だくになったTシャツを着替えてから教室を出た。


 ちゃんと制汗剤と汗拭きシートで体を拭いたものの、なんだか汗の臭いがほんのりと漂っているような気がする。早く家に帰ろうと少し歩くスピードを速めたところで、カバンに入れているスマホから着信音が鳴った。レッスン中はちゃんとマナーモードにしてるんだけど、さっき解除しておいたんだよね。街中でも音を出さないようにすべきっていう人もいるけど、僕の場合はぼんやりし過ぎていて音を出してないと気づけないことが多々あるので大目に見てほしい。


 立ち止まって周りの人の邪魔にならないように、歩道の端っこに移動してからスマホの通話ボタンを押した。あ、しまった。誰からの電話なのか、名前を見るの忘れてた。


「も、もしもし」


「あ、YOUちゃん? お世話になってます、すとりーむらいぶの鳳です。今ちょっとだけ時間大丈夫?」


 僕のスマホに電話を掛けてくる人なんてほぼ幼なじみのふたりと家族だけに限られているんだけど、それが確認できるまではちょっと緊張するよね。今日は本当に珍しく鳳さんからの電話だったからびっくりしたけど、相手がわかればその緊張も少しほぐれた。


「あ、あの……こんにちは。時間は大丈夫です」


「なんだかいつもより声が疲れ気味に聞こえるけど、風邪とかひいてない?」


「えっと、ついさっきまでボイトレを受けてたので」


 正直に答えると、僕がボイトレを始めたことを鳳さんも一緒になって喜んでくれた。前に親に許可は取れたけど、まだ始められてないっていう話をしていたからだと思う。さすがの僕も休憩時間を除けば約2時間の間、真剣に声を出し続ければノドも枯れ気味になる。以前1日中歌っていられるとは言ったものの、長く歌う前提なら力を抜いて歌うし声だってそんなに大きく出さないからね。


 鳳さんをすごいなって思うのは、ここで上から『ちゃんとケアしなさいよ』みたいなことを言わないところだ。まだすとりーむらいぶに所属もしてないし、もし僕がそんな風に言われたらちょっとムッとすると思う。でも鳳さんは『お大事にね』とサラッと言ってくれたので、僕も素直に『はい』と返事をして受け入れることができた。


「この間お願いされていた、活動に関する資料の話なんだけどね。昨日できあがったので、今日送らせてもらいました。よく考えて……と言いたいところなんだけど、私個人としては全然時間を掛けてもらって構わないとは心底思ってる。でも会社の方がね……」


「早めに決めてほしい感じですか?」


「結論を急がせたって良い結果にはならないと何度も言ったんだけどね、せっかちな人が多くて。上は一週間後が期限と言ったんだけど、私が無理やり二週間後に伸ばさせたわ」


 なんだか僕が答えを出すのが遅いせいで、鳳さんには無理をさせてしまったみたいだ。そのことについては素直に謝罪させてもらった。でも大事なことだからしっかり悩みたいと思うし、両親とか真奈たちみたいな僕の周りにいる人たちに迷惑や負担もかけたくない。むしろこのままだと延々悩み続けそうな気がしていたので、きっちり期限を切ってもらえた方がかえってありがたい。


「……わかりました、ちゃんと考えて早めに答えを出します」


 そうはっきりと宣言してから挨拶をして、通話を切った。今日ポストに投函したのなら、明日ぐらいには着くのかな。資料が届いたら両親にも相談して決めよう。でも僕も軽く調べたとはいえVTuberについての知識はまだまだ足りないので、前回の話し合いを思い返すとやると決めた時に両親を説得できる自信がない。また達也に同席してもらえないか、聞いてみた方がいいかもしれないね。


 そんなことを考えながら、家路についた。家に着いたらまずはシャワーだ、やるべきことをひとつずつやっていこう。要領の悪い僕にはこういう地道に積み重ねるやり方が向いてると思うんだよね、着実に一歩ずつ進むのが大事な気がする。


第二章プロローグ的なお話です。

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