第十四話 対決前夜
そうしてあっさりと宮殿内の客間までたどり着いたリリー。
その先にいたのは、もちろんメルタイアだ。
その隣にいるのはもちろんリリーに代わり王妃となったルリエルだ。
「リリー……」
そう、メルタイアは呟く。
その視線の先にはリリーだ。
リリーは下唇を強く噛む。
そのメルタイアの目が嫌悪感に満ち溢れた目だったからだ。
元より良い目で見られる、なんてことは全く思っていなかったが、想定よりも嫌悪に満ちた目で見られた。
その目からは、なぜここに来た、と言いたげな目だ。
「ここによく戻ってこれたな」
やはりあの日に感じたメルの優しい目は二度と戻ってこないんだ。
リリーは少し悲しい気持ちになった。
だが、怯むわけには行かない。怯んだ瞬間、リリーの負けが決定づけられてしまう。
あくまで凛とした態度を維持しなければ。
「レノルド殿、なぜここにリリーを連れてきたのです。私の元婚約者を」
欺瞞に満ちた声だ。
「なぜ、この悪女を」
そしてそう断言した。
そう言われることは分かっていた。
罵られることは最初から分かっていた。
リリーの目には涙がこぼれる。
強くいようと決意したはずなのに、心の底からあふれてくる、悲しみの感情を抑えることが出来なかった。
リリーは、平然としているつもりだ。
だが、全く抑えられない。
周りの目にはリリーが泣いているなんて、誰の目にも明らかだ。
リリーは一瞬の遅れで、涙に気づき、涙をぬぐった。
「その女は、悪女だ。数えきれないほどの悪行を冒してきた。だからこの国には立ち入るなと言っておいたはずだが」
「ここには、貴方の元婚約者としてではなく、今俺の妃としてきています。それを決めるのは俺です」
レノルドはリリーの手をしっかりと握った。大丈夫だよとでも、言いたげに。
「国際問題に発展させようとするつもりか?」
「それはこっちのセリフですよ。人の婚約者を、個人的な理由で追い出そうとするなんてあっていいはずがない」
リリーは正式には婚約破棄されたわけではない。ただ、自ら出て言っただけだ。
むろん、リリー一人で再び舞い戻ればどうなるかなど、誰の目にも明らかだったのだが。
しかしここにはレノルドがいる。
「っ話にならん。今回の子の交渉自体無かったものにしてやるぞ」
「それも結構です。しかし、あくまでも国力ではこちらの方に利があることをくれぐれもお忘れなく」
そう言ってレノルドが睨むと、メルタイアはビビったかのように後ろへと後退りする。
どちらが優勢か、それは一〇〇人がレノルドだと答えるだろう。
国内の貧富の差問題があろうと、グランセン帝国の国力は少し衰えが見えてきている。
民族問題、度重なる内乱、そして、今までの贅沢の末に金の不足。
そしてリリーが抜けたことにより、外交が上手く立ち行かなくなってきていること。
事実、今までの外交では若干不利となる国家間の条約しか結べていないのだ。
まだ二か月間だけとは言え、メルタイアにはやはりリリーが必要だったと思い知ることとなる。
ただ、レノルドとて、メルタイアたちの協力を求めてこの交渉を受けた。
レノルドはこの交渉を不意にするつもりなどない。
優位とは言え、わざわざアトランガル王国から来たのだ。この交渉を無しにするわけには行かない。
しかし、リリーをないがしろにする言葉を聞き、ついカッとなってしまった。
もう日が遅く、本格的な話し合いは翌日だ。
それに今のままだと、正常な話し合いなど不可能に近いだろう。
とりあえず今は挨拶だけにとどめ、リリーたちは別部屋へと連れられた。
「ちくしょう! 何なんだあいつは」
リリーたちが去った後、メルタイアは椅子を軽く叩いた。
数日前の報告。
リリーが別国で王太子妃になっているというだけでも驚きなのに、しかもグランセン帝国にやってくるなんて。
あの日、完膚なきまでに罪状を告げ、ひねりつぶした。
リリーなど、過去の女だ。なのになぜ再び舞い戻ってきたのだろうか。
だが、それよりも怒りに満ちている人がいるのを見て、メルタイアは目をぎょっとさせた。
「なんで戻ってきてるの?」
怒りに満ちた、そんなような声だ。
あきらかにメルタイアよりも怒っている。
が、即座にそれもそうだなとメルタイアは思った。
彼女はリリーに虐められていたのだ。
恐怖心と、持っていても不思議ではない。
勿論怒りの感情も。
「大丈夫だ、私が守ってやるから」
「はい」
ルリエルは笑顔で答えた。
まるで聖母のような笑顔で。
ルリエルは絶対に守らねばならない。そんな決意をもって。
リリーはもう二度とこの国に立ち入れさせてはならない。
そんな思いをもって。
その頃リリーとレノルドは。
「ありがとう、ございました」
リリーはそうレノルドに感謝を告げた。
毅然とした態度で臨もうと思っていたというのに、実際は逃げ出してしまった。
語彙を失ってしまった。
「レノルド様に助けられてしまいました。私一人で頑張ろうと思っていたのに」
「それは構わないんだ。俺に出来るのは、リリーを守るだけだから。それよりも、あの後ろにいた女性がリリーに嘘をついたんだな」
あの桃色のツインテールの女性、ルリエルだ。
「はい」
「やはりか、奴が一番怪しい。そう思ったんだ」
「え?」
「あれは嘘をついてる顔だと俺は思う。それに本当にリリーがいじめてたとしたら、もっと違う表情をするだろう。あの怯え方はまさにいじめられたか子を思い出してなんかではない。あれは、真実を暴かれるのを恐れている顔だ」
「レノルド様、ありがとうございます」
やっぱりレノルド様は優しい。
私のことを信じてくれる。こんなに嬉しい事は他にない。
「明日は、奴のしっぽを掴まなくちゃな」
「……私の問題ですから、私だけで何とかしますよ」
「大丈夫だ。俺のリリーを貶めたんだ。それだけのバツは喰らわせてやるさ」
レノルドは吠えた。
彼は燃えている。憤怒の気持ちで。
当事者であるリリーと同じくらいに。
「出会ったばかりの時のことを覚えているか?」
「え?」
「あの時のリリーは、君は気づいていなかったかもしれないが、常に悲しそうな顔をしていた。常に辛そうな顔をしていた。明るく接してたと思うけど、俺には気づいていた。リリー、俺は一時でも君をあんな顔にさせたあいつを許せない。それ相応の罪を背負ってもらうさ」
レノルドが頼もしい。
「分かりました。でも、どうやって」
「俺に考えがある」
そう言ってレノルドはニヤリと笑った。この顔は恐ろしいことを考えている。そう、リリーは思った。
そして夜が更けた。