エピローグ
「いいかい? アネモネ、ショウ。今から私の言う事をよく覚えておくんだ」
遠い記憶、遠い場所、しかして離れない記憶。
「『花は一人じゃ咲けない』。私たちは誰かと結びつき、そして助け合うからこそ生きていられるんだよ」
「おいおい師匠」
そんな言葉に、アネモネは肩をすくめた。
「そんなの耳にタコができるぐらい聞いてるよ。当然だろ? 忘れるわけねえって。なぁショウ」
「うん。僕はこの前夢に出てきたよ」
「あはは、二人とも。───だからこそだよ」
優しく微笑んで、師匠は言う。
「忘れるわけがない。あたりまえだと思うからこそ、ずっと願い続けるんだ。人は異常事態に遭遇した時、常識を忘れてしまう生き物だからね。何度でも何度でも繰り返して、ようやく人生にそれが活きるのさ」
「だーかーらー、それも聞いたって!」
「いい反応だ! 嫌がるぐらいがちょうどいい」
「……ししょー」
「うん? どうしたんだい?」
元気な兄弟子よりも、更に小さな弟弟子の言葉に、彼女は優しく耳を傾ける。
「僕、忘れないようにするね!」
「───あぁ」
そして彼女は再び微笑んで、視線を合わせるためにその場にしゃがんだ。
「誰かが折れそうなら、この言葉を思い出して支えてあげてほしい。そして支えられた誰かが、また知らない、知ってる誰かを支えて、その連鎖が続いていく。世界平和には程遠いけど、そうやって繋がった連鎖は君たちの人生をほんの少しだけ豊かにするだろう」
二人を抱きしめ、染み入るように。
「約束だ。二人とも───どうか幸せに生きるんだよ」
~~~~~~~~~~~~~
───そこは地獄だった。
見込みのある開花者が誘拐され、拷問され、意志を折られ、その上で戦闘員として働かされる、この世の地獄。
そしてそこは、失踪した師匠の痕跡を追って触れすぎた少年の行きついた場所でもあった。
沢山の仲間がいた。同じ境遇の友がいた。
だがその全ては、やがて藻屑のように消えていった。
『開花者は病が進行すればするほど強力になる』。
めぐりあわせも、仲良くなったことも、そして目の前で友人が殺された事も全ては仕組まれていた。
『アネモネ』
聞こえる。
『アネモネ』
きこおおえる。
『後は』
きいいおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
『後は頼んだぞ』
死んだ仲間たちの、絶叫に似た懇願が耳に残っている。
同時に、忘れてはいけない師匠の言葉も。
『花は一人じゃ咲けない』。
あぁ、分かってるよ師匠。
『後は頼んだぞ』
あぁ、分かってるよみんな。
開花者は一人だけでは、何もできない。個の力には限度があり、大きなことを成すには誰かと協力する必要がある。
これ以上悲劇に見舞われる開花者を出さない方法。世界を丸ごと救えるような、そんな方法。
俺は一人になってしまった。誰かがいたとしても、小さな集団じゃどうしようもできない。
───ならば、どうするか。
「そんなの分かりきってる」
独りじゃどうしようもないなら、強力な力を持つもう一人を作り出して───その果てに世界を救う。
「ッハハ!!!」
───覚えてるよ、師匠。俺頑張るな
■
「ってな訳で」
とある病院の病室で、一人の少女が目を見開いた。
「気が付いたら全てが解決してぬくぬくベッドにいた件について~~~~!!」
「お前は無駄に元気だな……」
他に病人はいないため多少騒いでも問題はないが、それにしても病室で発するべき声量じゃない事に苦言を呈しつつ、シロは苦笑いする。
「……」
───アネモネとの一件があってから、早二十日が経過した。
あの後、崩壊した研究所を脱出したシロたちは、観察を続けていた『H.T』に回収され、無事に自分の居場所へと戻っていった。
周辺一帯は死んだ狂花人や戦闘の余波によって荒れていたが、それらも全て『H.T』、そしてBAR.GOTの従業員たちが対処してくれた。
元々開花者というのは色々な意味で騒がしい存在。一般人に青春病の存在をバレないようにするためにも、何か事が起きた場合は業界全体で隠ぺいを行うものなのだ。
シロを含め──というか、ヒガンとコケバラ以外は全員大小あれど傷を負っていたが、大事に至ることはなかった。ユキに関しては一日寝た後に傷跡もなく全快していたし、シロは元々細かな傷だけだ。
かなりの傷を負っていたサイネリアも、異能の影響かは知らないが回復。
最後に残ったグラジオラスは外傷こそ残っていなかったものの、意識がしばらく戻らなかった。
本人曰く、外骨格という強靭な異能を持っている代償に、一度響いてしまえば長引くのだという。
「ほれ、りんご食え」
「わーいリンゴだ! シャインマスカット?」
「それはぶどうな」
不思議な事を言いつつリンゴをしゃくしゃくするグラ。シロは突っ込みつつ、自身も剥いたりんごを食べる。
「ね~私まだ病院にいなきゃだめ? さっきお見舞いにきてくれたけど弟のところ帰らないといけないんだけど」
「我慢しろ。まだもう少し検査が残ってるらしいからな」
「え~……」
「文句言えるぐらいなら元気そうだな」
みんな代償は負ったが、それでも生還し、こうして日常を送れている。
───ただ一人、あの場所で死んだアネモネ以外は。
(……)
アネモネの死体は、秘密裏に処理した。通常の手段で処理するには少々彼の行いが邪魔をするのと、単純にシロが手ずからどうにかしたかったのがある。
崩壊した建物からは彼の遺品や、生活の痕跡が見つかった。
どうやら彼は、シロや師匠の事を大切に思っていたらしい。
アネモネの部屋は崩壊に巻き込まれぐちゃぐちゃになっていたが、唯一無傷で残っている物があった。それは『写真』だ。正確に言えば、写真と写真立てである。
何が起きても無事であるように、壊れない素材を使った写真立てが使用されていた。
そこに映っていたのは、シロ、アネモネ、そして師匠の三人で最後に撮った家族写真である。
どこまで狂っても、どこまで人の心を失おうとも、家族の事だけは忘れられなかったらしい。
(……本当におかしいのなら、最後までおかしい振りをしてくれたらよかったのに)
狂人。にしては、義理に溢れすぎている。
結局どこまでいったとしても、アネモネは『アネモネ』であり続けた。彼が家族を大切にしてくれていた事実は嬉しいが、それと同時に未練が増えた。
写真はいまシロの手元にある。当時の写真はごたごたがありすべて失ってしまったため、実質的に当時を思い出せる唯一の物だ。
そしてアネモネの唯一の遺品でもある。
(───今朝の夢)
シロは今朝、不思議な夢を見た。
それは今より少しだけ小さなアネモネが、争いの絶えない地で仲間と出会い、戦い、そして死んでいく夢だ。
不思議だが、妙にリアルな夢だった。特にアネモネの行動が、シロの思う『アネモネならそうする』という行動と同じだったからだ。
そして彼の狂っていく過程も、妙に納得できるものだった。
彼は強い意志を持つが、同時に壊れた時はとても弱ってしまう。弱った時に毒を差し込まれれば、当然更に弱るというものだ。
やってしまった事に同情は出来ないが、もし夢の事が本当だとしたら、その過程には同情が出来る。
(……)
結局、シロに出来る事は一つなのだ。
「僕そろそろ帰るわ」
「あれ、もう帰っちゃうの? もう少しいればいいのに~。消灯時間まで」
「十時間ぐらいあるじゃねえか。とりあえず、またな。ビリアさんにもよろしく言っといてくれ」
■
「よう」
「サイネリア」
帰り道の途中、道を塞がれた。
「元気そうだな。仕事の帰りか」
「あぁ。手ごたえのねェ仕事だった」
口ぶりから察するに、また戦闘系の仕事だったのだろう。見える肌の範囲に包帯が見えるが、これは先日の一件で出来たものだとすると、彼はまだ無傷で仕事をやり終えたらしい。
「そんな事はどうでもいい。この前の件、忘れるなよ」
「分かってるよ。『貸し一』だろ」
「いい。お前たちは気に食わねェが、実力と人脈だけは利用価値があるからな」
サイネリアは悪い笑みを浮かべた。
「お前らは俺の頼みを断れねェ。ハハッ、気分がいい……!」
「んな事言われても、対価さえ払われれば僕は元々断らないよ。僕だってお前の事は気に食わないけど、仕事は別だ」
「つまらねえ回答だ」
そう吐き捨てると、サイネリアはため息をつきながらシロの隣を通り過ぎていく。
「サイネリア」
「あ?」
「ありがとな」
「やめろ」
舌打ち一回。
「慣れ合うつもりはねえ。お前とは過去の清算が済んでねえんだからな」
「だとしても、ありがとうだ」
「一生そうやって感謝してろ。世の中にはもうどうしようもない事もある」
「……ああ」
そう言われれば、シロは黙るしかない。
謝罪もまた、手遅れなのだから。
「───俺の姉を殺したお前を俺は赦さない。忘れずに苦しめ」
そう言い残し、サイネリアは去っていった。
■
「おかえりなさいませ、シロクン」
「マスター」
事務所の玄関に辿り着いたシロを迎えたのは、ドアの隣で整然としたまま立つコケバラだった。
「どうしたんだよ。中入ればいいじゃないか」
「いやはや、その通りなのですが……姉様に実は追い出されまして」
「追い出された?」
シロは少し眉を顰める。
「姉さんが追い出したのか? 何が起きたのかを話してくれ。命の恩人で世話にもなってるマスターを追い出すなんて、流石に失礼にもほどがある。俺が言っておくよ」
「シロクンの部屋に侵入しようとしてリビングに戻された上に、来客されていた依頼者様の異能に興味がわいたのでちょっかいをかけて泣かせました」
「流石は姉さんだ。いつだって姉さんは正しい判断をする!」
前言撤回。フォローのしようもないほどの変人っぷりである。
「まあとりあえず、部屋への侵入はなし。あと大人しくしてくれるのなら中に入れてやるよ」
「約束はしかねますが───ん」
「……?」
と、ドアを開けようとしたシロの顔をコケバラは覗き込んできた。
「シロクン」
「なんだよ?」
「何があったかは存じませんが……今は一先ず、胸を張ったらどうでしょうか」
「……顔に出てたか?」
「ええ、とても」
肩をすくめて笑うコケバラ。
「貴方は『除想屋』の主で、方法はどうであれ、今回の件をどうにか収めたのです。他に心配事や、対処しない事は数多あれど───しばらくは胸を張っていきましょう」
「そんなもんかな……」
「それがメリハリというものです。それに心配そうな顔をしていたら、貴方のお姉さまや、あの子が心配してしまいますよ」
「まぁ……それは確かに」
こわばった表情筋に触れて、少し解すように。
「暗い顔のままじゃ──アイツに申し訳ないもんな」
■
アネモネは死んだ。
シロもまた救えなかった。
全員が幸せになるハッピーエンドは訪れなかった。それは何も今回ばかりではなく、むしろ現実は中途半端な着地点で終わる方が多い。
だが少なくとも、今回は納得のいく終わり方が出来た。やりたいと思う事を貫き、師匠の願いも守る事が出来た。
青春病は消えないし、日常が劇的に変化した訳ではない。
過去との決別も出来ていないままに明日はやってくる。
ただ一つ、小さな変化があるとすれば。
「おかえりなさい! 遅かったわね!」
家族が一人、増えた事ぐらいだ。
「悪いな、色々あったんだよ」
「お客さん待ってるわよ。早く早く!」
彼女はあの一件の後、完全に異能を失った。
だが人工開花者とは厄介なもので、普通の開花者と異なり、その治療の進度が大きく異なる。
普通の開花者ならば異能の喪失と治療は同時なのだが、人工開花者は『目的をもって作られた人工物』。故に、病が切除されたとしても、花から完全に逃れる事は出来ないのだという。
正直、彼女の青心が何だったのかも不明だ。治ったタイミングはアネモネとの件が解決した時だろうが、それでもまだ謎は多い。
結果として、彼女は異能と花を失いつつも、開花者たちの事を認識したままに過ごせている。即ち実質的に明星と同じ状態になっているのだ。
故に、彼女はいま学校に通いながら、『除想屋』の助手としてバイトのような形で働いている。
白い髪はそのままに、周囲からは黒髪と認識されているようだ。
「おいおいヒガン、走るなよ」
「だって待たせてるもの! それにもうヒガンじゃないわよ!」
「……そうか、そうだったな」
そう。
未だに慣れないが、青春病が消えた彼女は、もう既に名前を取り戻している。
「今行くよ──みらい」
それはアネモネが彼女に送った、唯一のプレゼント。
『明るい未来を』。少なくとも愛を以てつけられたその名には、彼の全てが詰まっていた。
■
全員が救えた訳じゃない。
死んだ人も大勢いる。
でも、少なくとも納得のいく終わり方を迎えられた。
後は生きている者が何を成すかだ。
彼岸の花は受け継がれ、紡いだ悲願は叶わずとも──それでも未来に繋がっていく。
ハッピーバッドエンド。
おめでとう。
これから彼らは、苦しみつつも、どうにか頑張っていくだろう。