71 Flores -Lewisia cotyledon-
「オ゛ッ オ゛」「ヒューヒュー」「グーーーー」
「お前たち、長い間辛かったでしょう」
傅くゴースト、そして集まってきたアンデット達。
『ヒメ゛サマ゛ オガエリ゛』『オガエリ゛』『オガエリ゛』……
不気味な風貌の彼らの声が、頭の中に次々と入ってくる。
「ただいま」
そして己が風貌を一瞬にして変えた彼もまた、亡者の声に耳を傾ける。
「さぁ、みな輪廻へと──」
『『オ゛ーーーー!』』
だが、集まってきた亡者達に蘖の息吹を吹かせようと、ゴーストから受け取った赤い光を持つ手を彼が掲げると同じくして、還りたくないあの日へ、時が巡る。
「……違う。私が冠るのは、幻日幻月の暈の冠。私の王冠は……王冠は……シエルにッ」
なぜ、私はここにいられる。
そうだ、リアムが──。
「お前たち? 眷属? 私は何を言って──」
忙しなく歓喜の声を上げる亡者達の声の中から、波紋のように体に浸透する異質な声を聞く。
『かえりたい……前世へ』
「やりなおしたい……すべて」
身体中から、魂が噴き出してきて、ひき裂かれてしまいそうだ。
「そもそも私は『僕は』」
激しい頭痛。
「『何者?』」
全身の血は沸騰したように熱く滾り、思考は深い霧の中に誘われる。
しかし、しっかりと感じることができる痛みには悶えてしまう。
「あぁああぁあぁア゛!」
どこか、そこにいる空に向かって、咆哮する。
「みんな。あともう少しだけ、待って……て」
咆哮し、一言を残して、力が尽きる。
『ア゛ルジ オデタヂ』
『マッデル』『マッデル』『マッデル』……
亡者達は姿を元に戻したリアムを囲み、跪く。
だが、この別れの劇場に似つかわしくない招かれざる客が二人、舞台に迷い込む。
「なんだー?変な風が吹いたと思ってきてみれば、グールにゾンビにゴースト、リッチーまで……なんでアンデットどもがこんなにたむろしてるんだ?」
彼女は忠誠心など、お構いなしに切り裂いていく。
「それにさっきの奇妙な雄叫び。狼男でも──」
「カミラ! あの中央に子供がいる!」
「あ? なんであんなところに」
男と女、招かざれる客が二人。
その来訪をよく思わない亡者達と対峙する。
「オ゛ッ オ゛」「ヒューヒュー」「グーーーー」
「早く助けてあげて! アンデットの放つ瘴気は体に毒だ!」
「はぁーい♡ ダー……リン!」
女が腰の鞘から剣を抜刀すると、光の一閃が亡者達の体の軸を横薙ぎに捉え、真っ二つに切り裂く。
「な、なんだったんだあの光の刃は!」
「ぎゃー切られる切られる!」
「ば、カバ!お前のせいで避けられなかっただろう」
「ぎられだー、ガク」
「おいおい」
「あ、あれ? 切られてない?」
「だから、動揺しすぎだバカ!……あ」
「ば、バカって」
「お、落ち着け! 今はそんなことしてる場合じゃ!」
「バカッって言う方がバカなんだー!」
「グフッ!蹴りじゃなくて、腹パン、だと……」
「はっ! 蹴りじゃなくて腹パン! 手加減できてる!」
同刻、リアムを助太刀するために近くまで来ていたアルフレッドとミカは……じゃれ合っていた。
どうやらミカの心境にも、アルフレッドとの問答でなんらかの変化があったらしい。
彼女十八番の回し蹴りではなく、腹パンとは。
「呼吸は……よかった、瘴気の痣もないみたいだ」
切られた場所から、光の粒子となって消えていくアンデット達の傍らで、倒れるリアムの側に駆けつけた男が安堵する。
するとそこへ、暗闇の向こうから、明るく嬉しそうに手を振る少女と、みぞおち辺り腹を押さえながら調子の悪そうな少年が二人、やって来た。
「すいませーん!」
「ずみばぜん……リア──」
「おっと、あんたらこいつの連れか?」
合流すると、先ほどまで腹を押さえて苦しそうだったアルフレッドが男の看るリアムの元へ駆けていこうとすると、剣を抜いたままの女が行く手を峰で阻む。
「なぜ邪魔をする!」
「敵か味方か! それだけはっきりさせろ!」
一喝。
女は背筋を、大気を震わせるほどの声でアルフレッドに怒鳴りつける。
アルフレッドとミカは女の喝に一歩後ろに退きかけるが、なんとか踏みとどまり、女の質問に恐る恐る応える。
「そ、そうだ」
「そうか。それでいいんだよ」
女は一つ、ニコリと口角を上げて、剣を腰の鞘に収める。
「おい!しっかりしろ!」
「大丈夫。君のお友達は魔力を消耗してただ気絶しているだけみたいだ。アンデットの瘴気に当てられた様子もないし、このポーションを飲ませて安静にしてれば数時間で目が覚める」
「そ、そうか。すまない。感謝する」
男がポーチから取り出したポーション瓶の蓋を開けて、気絶しているリアムの口に薬を流す。
「これでよし」
「ハッハッハ!うちの旦那の腕は国一、いや世界一だ! 安心したまえ少年!」
「よしてよカミラ、照れるじゃない」
「はぁ、それはどうも……」
応急処置が終わると、一気に緊張の糸が途切れる。
「おいどうかしたのかお嬢ちゃん?」
ミカは、ここにたどり着いて女の姿を目にしてからずっと黙りこくっていた。
「赤……薔薇」
女に話しかけられたミカは改めて、女を見直して、赤薔薇という言葉を発する。
「赤薔薇?」
アルフレッドは首を傾げる。
ミカの言った通り、確かに、女はその背に赤い薔薇のマークを背負っていた。
「なんだ私のこと知ってるのか?」
赤い髪に赤い瞳。
「あ、私はギルド職員……なので」
言われてみれば、そんな2つ名をこの女が持っていたとしても不思議ではないだろう。
「そうか。だったらさっさとセーフまで戻って坊主を手当てしてやんな。悪いが私たちも先を急ぐんでね。行こう、エド」
「わかった。最後まで看てあげられないのは少し心残りだけど」
そして、女と男は去っていった。
方向からして、キャンプのあるセーフエリアの方であろうか。
「綺麗な人だったなぁ……」
細すぎず太すぎず、キュッとしまった筋肉にスラッとした体型。
先ほどまで目の前にいた女の残像を追って、ミカは理想を呟く。
「何ぼーっとしてるんだ! 手伝えカバ!」
「そう言えば! なんなのそのカバっていうの!? ちょームカつくんですけど!」
「いまさらか!?」
その後、アルフレッドとミカもなんだかんだ、気絶した僕を背負って、仲間の待つキャンプへの帰路につく。
──レウイシア・コチレドン──
中央のキャンプファイアーとそれを囲うそれぞれのパーティが起こした焚き火が、セーフエリア一帯を明るく優しい光が包み込んでいる。
「夜になってしまったが、なんとか間に合ったようです」
「はい。先生」
フード付きのマントを纏い、そんなキャンプ地の日常を直ぐ側の森の空から見下ろす2つの影。
その2つの影は、森からの川岸へと降りると、自然の暗黒の中にポツンと存在する夜の喧騒の中へと身を隠す。
「これで仕込みは完了ですよ、ゲイルくん」
「無駄のない素晴らしい手際でした。臭いはなし、味は少々変わるが元がこれだし奴らも気づきませんね」
「こんな小賢しい策で褒められても、せいぜい銅貨1枚、いや3枚ってところかな?ハハハ!」
先生と呼ばれる影が商人特有のジョークを言って、得意げに笑う。
自画自賛もいいところだ。
「さて、奴らが戻って来る前に、退散を──」
「待てッ!」
仕込みは上々と、その場から早々に退散しようとした二人組の背後から、何者かが彼らを呼び止めた。
「「ギクリッ!!!」
あまりのタイミングの悪さに、フードマントの2人組は心臓が胸から飛び跳ねそうに苦しくなるほど息を吸い込んだ拍子、蓄えた空気の行き場を無くすと「ギクリッ!」と声を発してしまう。
「おいこいつらギクリッて言ったぞギクリッて」
「そうだね。もし悪巧みしていたのだとしたら、滑稽だね」
これには、彼らを呼び止めた声の主達も疑惑の目で訝しがる。
確かに、これではあまりにも滑稽である。
「お前らなにやってんの? コソコソと、怪しいなー?」
「いえ、我々はその……」
フードマントの2人組は、人生でもそうそうないシチュエーションでの知恵を振り絞り、言い訳をフルサーチする。
「そう! 先ほどから何やら激臭漂っていたため、原因が何かを突き止めようとしていた所存! 決して怪しいマネなど!」
「激臭?」
すると意外や意外。
なんと大きいフードマンとを先生と呼んでいた方の、小さい方の片割れが、訳を取り繕った。
「たしかに、臭いな」
「カミラ。これは香辛料の臭いだよ。それも複数を大量に混ぜて焦がしたような……」
「う゛ッ! キッツー! 誰だよこんな劇物生み出したやつぁー!」
……劇物。
「香辛料は高級品だし、嫌がらせにしても食べる前にこれが毒だとわかる。だとすれば、彼らがこんなイタズラをする必要もないか……」
「まぁ、そもそも食いもんダメにするって嫌がらせの可能性もあるが、やっぱりこれだけの香辛料の量だと割りに合わん!それに──」
この考察は、疑いをかけられた2人組にとってとても都合の良い筋道だった。
「これ作ったのゼッテェろくなやつじゃないな! うん! 普段どんな料理食ってんだか底が知れる」
普段の生活の質が知れる、これを作ったコックは実にひどい言われようである。
これを作った、もといこの劇物に仕上げてしまった者がどんな地位にいる誰ということも知らずに。
「そうでしょう? 我々もこれを作った方に一言、言ってやりたくて」
「だよな。これを食うとか絶対ないよな! 臭いだけでもう鼻腔がぶっ壊れ始めた、ズズッ」
カミラが、刺激のあまりでできた鼻水をすする。
実際、とある毒をシチューに盛った彼らであったが、これでは、そもそも対象がこの料理に手をつけるかどうかも怪しい。
「でも異国には、たくさんの香辛料を混ぜて作る料理があるらしいよ。これが案外やみつきなる味らしい」
「本当かエド?」
「……」
「……私は、エドのそんな優しいところが好きだ」
「ありがとう」
この料理がうまいかまずいか、毒物か劇物かは関係ないのだ。
問題は、誰が誰のために作ったのかである。
『『それを作ったのは領主の娘だがな』』
そう。
誰が、誰の、ために作ったかである。
「そうか。お前たちは公共のモラルを守るために劇物を作り出した張本人に抗議するべく立ち上がった正義だったのか」
「はぁ……」
「まぁ……」
ここまで都合よく解釈されると、嘘をつく方も多少戸惑うという。
「急に突っかかって悪かったな。是非、任務を全うしてくれ給え!」
「ごめんなさい。僕たちも先を急いでるもので」
結果、なんとかフードマントの2人組は危機を乗り切って、やり過ごすことに成功した。
「急ごうエド。明日は私たちの天使の晴れ舞台だ♡」
「そうだね」
カミラとエドガーは再び、森に入り目的地に向け駆ける。
「いい判断でしたよ。ゲイルくん」
「いえ。なんてことはないですよ先生。これでも商家の子息ですから」
「あの2人……そこらにいる初級中級とは明らかに一線を画しています。妙な揉め事を起こすのは得策ではなかったですからね」
「先生がそこまでいうほどにですか」
一方、このフードマントの2人組も再び森に入り木の陰に隠れると、怪しげな薬包紙の包みを2つ、それぞれ手に取る。
「さて、高みの見物をするために、我々も急いでノーフォークへ戻るとしましょう。全て飲み干しなさい」
「は、はい」
「臭いも味もきついですが、その分効果は保証付です。さぁグイっといきますよ!」
「はい!」
そして、粉状の薬を口に含むとその酷い臭いと味をなるべく感じぬように、もう片手に準備していた水瓶の水で一気に喉の奥へと流し込む。
「んぷッ!」
「グッ! まずい!」
ほどなくして、二人は地面に倒れ伏す。
「……ここは」
カミラとエドのように、身体強化を維持して休憩もなしに超スピードで走りつづけることは難しい。
一晩でエリアCからノーフォークまで走り切る、あんな芸当はかなりの実力者しかできない。
だがメーテールでは、物理的な帰着とは別に転送陣のある街に速く、それも瞬時に戻ることのできる手段が2つある。
1つはかなり限定された人間しか使えないが、空間魔法の、あるいは瞬間移動系魔法道具を使うことである。
空間魔法、魔道具両方の希少性から、これを実行できるものはかなり限られるが、現実世界でも使えるかなりレアな手段である。
そして2つ目は、どうしようもなくなった時、遭難してしまったり身動きが取れなくなってしまった時に、ほとんどのオブジェクトダンジョンでだけ使える手法である。
特殊なスキルも道具もいらない。
ただ、痛みを感じないことに越したことはない。
「着きました。リヴァイブの門です」
「先生……俺はホントに……」
「やぁ、着きましたよ。どうです? 痛みはなかったでしょ?」
「はい……でもこれなら、あの薬を……」
「さあ、高みの見物といきましょう」
先に転送された大きな片割れは、リヴァイブの門を目の前に不敵に笑って、皮肉だけが耳をつんざく繊細な告発を捧げる。
一部の例外を除いたオブジェクトダンジョンに、贖罪の名目を盾に命を遊ぶコトを許した。
わざと自害し、リヴァイブの門から生き返る。
なんと悍ましい、神の人形遊び。
「聞こえてますか!今夜また、神の犠牲者がまた生まれました!これでいいんでしょう!ねぇ!……ねぇ、お母さん!」
そうしてやり直せてしまう……ここは、誰かの空想が形になってしまった幻の世界。
私は私でいたいだけなのに私の運命の針は、いっときの漏れもなく持針器に挟まれている。
 




