68 False start
──エリアCとDの境界、幽霊橋──
「俺たちの分まで、なんか悪いな」
「いいって。ポンと僕が最初から作ってれば済んだ話だったんだから」
「だが、あまりお前に依存するのも違うだろうに」
ウォルターの謙虚な態度に、あまり依存しすぎるのもよくないとするアルフレッドが、それぞれの励まし方で慰めてくれていた。
「ホントホントー。イチカやニカたちに聞いてた通り、とんでもない魔力量でしたー」
ついでに、さらっと傷に触れる声も一つ付いてきているのだが。
「ミカさん、お仕事の方は?」
「だってあんな魔力を管轄内でポンポン使われちゃこっちもたまんないし、これも仕事だって。監視監視〜」
「はぁ、そうですか」
「それよりほら。その線が境界線です」
「うわッ! あぶねッ!」
ミカの注意から、あと一歩で線をまたぎそうだったウォルターが、橋の木から離れそうになっていた自分の足を慌ててつま先からまた戻す。
「何にもないけど?」
「そうだな。なぁ、確かこの橋は渡る人間を選ぶんだったよな?」
「そりゃあ見えない壁だから。ほら、そこの手すりに傷がつけてあるだろ。それが境界線の証だ。よく見るとこっから反対側までの床にもうっすら線が入ってるだろ」
「「本当だ」」
ウォルターの言う通り、目を凝らせば木の板と板の境目とは別の、うっすらとした線があった。
しかし変だ。
ここにあるのはうっすらとした線だけで、とりわけ仕掛けがあるようにも見えない。
「でもさ、どうしてあんなに慌てて足を戻したの?」
「そ、それは……ミカ、代わりに説明を……何してんのお前」
こちらの質問に引きつらせたウォルターの顔が、更に引きつった。
ミカの手には、人一人を縛るにはちょうど良い縄が握られている。
「ミカ……そのロープは、なんだ?」
「幽霊の噂は一見にしかず、ハッ!」
「いきなり何するんだミカ!それにそれを言うなら精霊の噂は一見にしかずだ! なんだ幽霊の噂は一見にしかずって!」
ミカの投げた縄にぐるぐる巻きにされたす巻きウォルターが一丁出来上がった。
「なぁんだー。自分でもこれから何されるのかわかっているじゃないですかー?」
「お、お前まさか」
何か悟ったウォルターが恐る恐る後ずさりすると、──パァン!と、銃声のような手と手が弾く乾いた音が橋の上に響き渡る。
そうして、眼前で鳴った音に踵を躓かせたウォルターが後ろに倒れて、境界線を超えていく。
「イッ!」
「「「イッ?」」」
「イッテェーーー! 魔力が刺さる!」
ミカの不意打ち拘束猫騙しコンボを決められて倒れたウォルターが、首を絞められた鶏のような声をあげて地面をのたうちまわり始めた。
「うぉ、ウォルター!?」
「リアム!足を持って一斉に引くぞ!」
「わかった!」
「「せーの!」」
咄嗟の判断を下したアルフレッドの下、こちら側に出ているウォルターの足を二人で持ってこちら側に引き入れる。
「ダァ……た、助かった」
こちら側に戻ってきて、息も絶え絶えに相変わらず縛られながらも安堵する様が痛ましい。
「これは、魔力のまだ育ちきっていないあなた達が無理に一線を越そうとすると、こうなるぞと言う極端な例でーす」
空気や順序など一切、自分のしたことも棚にあげた場に似合わない素っ頓狂な解説が始まる。
「おい!お前何も俺じゃなくてもいいだろ!」
「と言われましてもー、私はすでにエリアCのボス戦はこなしてますから、対象には入りませんしー、この子たちはまだ小さいですし、後輩に同じ体験をさせるのは酷でしょ?」
こちらにチラリと目配せしたミカが、後輩という単語を言葉巧みに使い、言い逃れする。
「でも、ウォルターは……一体何があったんだ?」
「それは、ここから先、大気中に含まれる魔力の質が一気に変わるんですよー」
「しつ?」
「そう質です! ここから先に行くと、資格を持たない者の体内にある魔力はジリジリと外部の魔力に吸われていく!」
シャキーンと決めポーズをとってアルフレッドの質問に応じている。
まあミカのキャラ性の迷子はともかく、左目の後魔眼を発動させて、彼女の魔力の流れを見る。
「本当だ……魔力の色が違うし、密度もケタ外れだ」
「それは、魔眼ですか?」
「はい。最近ようやく、ちょっとした魔力の流れなら見分けることができるようになってきたんです」
「へぇー、そんなことまで……天才なんだね、リアム君は……」
「リアム。ついでだからアルフレッドとミカを並べ比べて、ついでに境界線の向こうの魔力も見てみろ」
まだ縛られたまま地面に寝転がっているウォルターに下から言われた通り、ミカを真ん中に3つの魔力を見比べてみる。
「あ……アルフレッドの中に流れている白い色の魔力と向こうの黒い魔力の二つがミカさんの中にある」
アルフレッドの中には人種にある白色の魔力が見えるのだが、ミカの中には白と黒の2色の魔力があった。
「どちらかというと黒い魔力の中で白い魔力が燃えているような……いや、白の中に緑の跳ね火? とにかく、魔力が吹かした煙草の煙みたいに揺れてて……」
何故だろうか。
見れば見入ってしまうほどに非常に表現に困る。
黒色といえば、闇の魔石を思い浮かべるが、どうも普段見慣れたものとは違って見える。
黒い魔力の夜の深淵さ、その中でまるで炎のように揺れる白の煙に、僕は惹かれていた。
思わず、ジーッと二つの魔力を見つめていると、時折、白と黒の魔力が混じり火の粉のように鮮やかな緑色に弾ける。
その後に、数秒、蛍火のように泡沫と漂い点在する緑の鮮やかさにも──。
「ハーイストーップ! そ、それくらいでいいでしょ!」
ミカに恥じらいを感じさせるほどに、もっと観察しようとしたところ、急に上から頭を押さえられて、視線を床へと逸らされた。
「つまり、僕たちの中にはない魔力の色、つまり向こう側に漂う魔力と同じ性質を持つ魔力が、少なくともミカの中に存在していたと言うわけだ。合ってるか?」
「そ、そうなんだよアルフレッド」
「そうか」
アルフレッドが話を進めるために仕切りなおしてくれる。
この状況で話を切り出してくれたのは僕としては非常にありがたいのだが……なぜ顔が赤い、ウブフレッド。
「エリアCのボスを倒すと、《中級冒険者》の称号が手に入る♪」
「なにせエリアCのボス難易度は中級のそれと変わらない。だから、エリアCは中級者入門として中級者エリアに分類されてる」
「むッ! 私の説明に解説を被せてくるとは!」
「いや、悪気はなかったんだが」
今度は自分の明るくポップな説明に解説を被せてきたウォルターに、対抗心を燃やしている。
「ふーんだ!ウォルターの脳筋!そんなんだから繊細な乙女心を踏みにじっちゃうし、魔法も下手なんだよ!」
「おい!お、乙女心?てのはわからないけど! 俺が魔法下手なのとそれは関係ないだろ!」
「本当はねー。この向こう側、魔力をコントロールして自分の体に纏うことができれば短期間だけどさっきみたいな激痛を感じることなく滞在はできるんだよねー」
「聞いてるのか!?」
そんな彼女の暴走が、縛られながらその場でジャンプしてしまうほどに、ウォルターを動揺させる。
「ん? だとすると、ウォルターに先陣を切らせた意味は?」
「それは君たちの人生勉強のために、一肌脱いでもらったということで」
「だとしてもだ。縛るのはやりすぎだろう」
「ああ。それはほら。激痛に悶えるあまり暴れて橋から落ちると危ないからー。それとも溺死したかった?」
「……」
僕たちは今、一体何を話しているのだろうか。
会話が全て不毛なものと処理されていくから、妙な感覚に襲われ不思議でたまらない。
「それにさーッ!私、君たちとは今日が初対面だから、ウォルターみたいに魔力が少なかったりすると危険でしょ?」
私が正義ですと言わんばかりにビシッ!とウォルターを指差し、そのままアルフレッド、僕へ標的をズラし変えながら、どうだと威張る威張る。
『『『あれ、でもさっき』』』
この時、僕ら3人は同じことを考えていた。
そう、ここに来るまでのとある彼女の発言と、今の発言の意味が噛み合わないことに気づいたのだ。
彼女は少なくとも、さっきのカイロを作った時の魔力が僕が使っていたものだと確信していたはずだ。
僕はこの時、とても疑心暗鬼な白い目で彼女をみていたことだろう。
なにせ他の2人が同じ表情をしていたのだから。
「そんなに見つめても、服は透けて見えないよ?」
ジーッと視線の圧力を受けるもなんのその、似合わないセクシーポーズをとってからかう。
そこへ、アルフレッドが歯に衣着せぬ物言い、アルフレッド節を炸裂させる。
「はしたない女だ」
「んなッ!?」
「それに自分から傷を抉るとは、貴様さては実はバ」
「だぁーアルフレッド!ば、ば、バタフライ!」
するとどうしたことだろう。
ウォルターが、とても慌てた様子でアルフレッドの追撃を口を塞いで遮りにいった。
「モゴォ!……ご?」
「ウォルター?」
彼の行動の意図が本気でわからず、首を傾げてしまう。
もしかして、さっきの激痛で頭のネジを一本どこかに落としてしまったのだろうかと心配になるレベルで理解不能だった。
「馬鹿! ミカの前で、それは禁句だ!……ハッ……」
「バカじゃない……もん」
「いや、ミカ別に今のはお前に言った訳じゃなくて……」
「バカじゃなーい!」
「ゔッ!」
突如、体が震え始めたと思ったら、なんとも華麗な回し蹴りを腰を引かせながら諫めていたウォルターの腹に決めたミカは、そのまま綺麗に両足を橋に着けると、境界線を突っ切ってエリアDの方に走り出して行ってしまった。
「「えぇー……」」
これには、僕とアルフレッドもただただ呆然とする。
「あぁー……やっちまったぁ」
ウォルターはやっちまったと自分の発言を悔やんでいるが、こちらはイマイチ理解が追いつかない。
「ウォルター、あれって」
「ほら、あいつの家、大姉妹だろ?」
これまでイチカにニカ、そしてナノカと言うミカ以外の3人の姉妹に僕は会ってきている。
もし、彼女たちの名の由来が数からきているのだとすれば、少なくとも彼女らは7人姉妹ということになるだろう。
「あいつは7人姉妹の内の3番目。親は二人ともギルド職員の家系で、一応姉妹で言えば妹の多い姉分類に入る訳だが、その中では一番下、生まれた時は姉二人でそれはもう可愛がられていたらしい」
まあ、ウォルターの言わんとしていることは分かる。
姉妹の中でも姉分類ができるというほどに姉、妹ばかりというのは驚きであるが。
「そしてあいつが生まれて二年後。4番目の姉妹が生まれ、あいつも晴れて姉の一人となった訳だ。しかし、その4番目がそれはもう優秀だった。ヨンカはスクールに通っていなかったから勉学はからっきしだが、魔法と戦闘の才能はピカ1で、俺はニカに聞いただけだが、それはもう強いらしい」
「へぇ……」
「そしてあいつら姉妹は親の背中を追うべく、みんなギルド職員になっている。ギルド職員、特に出張所に遣わされる職員には、ヨンカの才能はもってこいだ」
こうしたセーフエリアにあるギルド出張所まで来るにも、モンスターとはエンカウントする。
だから、エリアを進めるほど、駐在する職員には相応の戦闘能力が求められる。
「そんな中、どんどん上級エリアへと昇格していく妹の存在は、直近の姉としてはかなりのプレッシャーがあったらしい。そしてある日、とうとう姉であるあいつが抜かれる日が来る」
「あいつが抜かれた!?ここはエリアCだぞ!?それを抜いたってことは、少なくとも中級冒険者の実力はあるってことだろ!?」
「その通りだ。しかも、驚きなのがギルドの昇格試験を全て単騎で合格したらしい。昇格試験は基本的にエリアボスを相手どって執り行われ、試験には1人だけサポートをつけることが許されているにも関わらずだ。ヨンカは現在、エリアFとエリアGの境の最後の出張所に滞在している。既に上級冒険者クラスにして、ダンジョン出張のギルド職員の中では最強クラスだな」
エリアCに駐在しているミカもある程度の実力はあるはずだけど、彼女より若くてそんなに馬鹿強い実力者がノーフォークにいるとは、初耳だ。
「話は戻ってミカの件だが、姉はスクールにも通っているというのに、妹より劣り、抜かれた。その時ミカはかなり落ち込んでいたらしい」
それは悔しいし、落ち込むだろうな。
僕でもきっと、落ち込む。
「そしてそれは、周りの評価も同じだった。更に悪いことに、メーテールでのとある演習中、同じクラスの生徒が陰口言っていたのをタイミング悪く聞いてしまったんだ」
気の毒だ。
だが、判断基準が違うだろうとその陰口を言っていたという生徒に言ってやりたい。
スクールはどちらかというと戦闘力より学力を磨く場所。
そこに通わず実戦を続けていた妹と差が開くのは必然といえば必然だ。
姉妹だからと比べるのもよくないし、もっとミカ本人を見て評価をしてあげてほしい。
他を比べることでしか評価ができないあなたには、いったいどれほどの点数が付くのだろうと。
『私は百点ですね。だとすると、リアムは何点でしょうか』
自分の意見を、批判だけで固めるなんてよくない。
お互い助け合って、相乗しないと、うん。
「『あの子って勉強だけじゃなくて仕事もできないんだねー。バカの子じゃん』……と」
……あれ?
「それを聞いてしまったミカは激情にかられ、所構わずあたり暴れまくって十数本の木々を蹴りでなぎ倒したとか」
「ちょ、ちょっといいかな!?ミカってそんなに成績悪かったの?」
「ニカの話では、一応ミカの方がヨンカより頭はいい……らしい」
待ってなにその間!気になる!
「キレながら泣き、暴れまくる。馬鹿の一言であそこまでキレることのできるミカもミカだが、勉強も戦闘訓練も他の姉妹たちに付き合ってもらいながらすっごい頑張っていたらしいし、相当にプレッシャーだったんだろうなー」
……なんか、もうね、涙がちょちょぎれそう。
きっと、負けないように必死に耐えてきたミカの努力を思うと、胸が痛んで手を差し伸べてあげたくなるが、努力を怠らなかったミカを哀れむなんて何様だと、どうしてあげるのが正解なのか全く思い浮かばない。
今日が初対面なのに、感情移入が止まらないよ。
どうしてだろう、特段、自分と重ねる事なんてないのに。
「まあとにかく、その時の経験がトラウマになってるから、馬鹿はミカの前では禁句だ」
ふぅ……と一息、ミカのバックグラウンドを話し終えたウォルターが息をつく。
「……」
「……」
「……」
訪れる沈黙。
やっぱりね、今の話を聞いても何も言えないよ。
「まあ俺は元々魔力に先天性の異常があって魔法がうまく使えない。極端に魔力が少ない体質だからな」
やはり年長者は偉かった。
少々自虐に走りつつも、会話を微妙な雰囲気で途切れさせまいという努力が涙ぐましい。
僕も、気持ちを切り替えるとしよう。
「あのさ。僕もちょっとこの境界線を越えてみたいんだけど」
「急にどうしたんだ? さっきの俺の悶えようは見てただろう。ミカはああ言ってたしリアムの魔力と魔法のセンスも十分に知ってるが、ちょっとでも纏った魔力に穴が開けば途端に激痛が襲ってきて、修正どころじゃなくなるぞ?」
「……それでも」
ミカが走って行ってしまった先、もうずっと僕の欲求を刺激し続ける黒。
それともこの底知れぬ危さに惹かれているのだろうか。
「はぁ……僕もだ」
「アルフレッドまでどうしたっていうんだ?」
「いや、あのバ……カバ女が走って行ってしまったそもそもの原因は僕だしな」
生き返るとはいえ、自分が原因で死なれでもしたら目覚めは悪い、いくらギルドから遣わされた出張員とはいえ、一人で夜の森にいれば危険だとアルフレッドが僕に続いた。
「行こう」
「ああ」
高揚するように、体から魔力が噴き出す。
「おい!待てお前たち!」
ウォルターが強引に手を伸ばして止めようとした時にはもう、己の魔力を引き出し体に纏った僕たちの片足は、境界線を越えていた。
『……今の痛みは』
境界線を体が通過する最中のことだった。
右足、踏み込んだ左足とは反対側の足の首あたりにピリつく違和感を覚える。
しかし違和感が走ったのは本当に一瞬だった。
右足が無事にこちら側に着地した今は、もう何も感じないし、異常も見当たらなかった……まあ、いっか。
「あいつら……行ってしまった」
逢魔が時、二人の少年は境界線を越える。
資格を持たない一人は予期しなかった失態を取り戻すため。
もう一人は──……ぼくは…………
……わたしは。




