51 Flores -Astragalus sinicus-
──エクレール──
「ではエクレアさんにコロネさん。これからもよろしくお願いします」
「はい。よろしくお願い致します。ほら、コロネ?」
「ひゃ、ひゃいッ! よろしくお願いします!」
緊張して下を向いている娘に、返事を、と促す。
この子が来て半年が経ったが、新しい発見は日々絶えない。
今日もこうして畏まった場では、我が子が意外とあがり症なことを知った。
これからも色んなものを母親として与えてあげられることを願う。
「はっはっは、そう緊張しないで……おや?」
「こんにちはーッ! こちらにピッグさんがいらっしゃってるって聞いたんですけど」
「あッ! リアムくんいらっしゃい!!」
「おやおや」
「すみませんピッグさん。まだまだあの子は経験が足りなくて」
「いえいえこれからですよ。それに彼とは十分打ち解けているようですね。ならば安心だ」
「ええ、そうですね」
店のドアベルを鳴らした仕事仲間の元へ駆け寄っていってしまう娘。
娘の無作法を謝るのもまた、初めてだ。
ピッグはこれからだと言ってくれたが、母親として後でしっかり注意しておかないといけない。
でも、優しい眼差しで子供たちを見守るピッグにつられて、今は私の表情も綻ぶ。
たった半年というかなり早い発進となったがいよいよデビュー、まだまだ見習いだが、娘の作ったパンが売り出されることとなったのだ。
少し説教した後は、めいいっぱい祝ってあげよう。
話は移り変わりリアムへ、店の中でエクレアたちと話していたらしいピッグとは、半年ぶりの再会となる。
「お久しぶりです。ピッグさん」
「ご無沙汰してます若。挨拶もままならず申し訳ありませんでした。如何せん、昨日少々商会の方で面倒事がありまして、挨拶に伺おうと思っていたのですができなかった次第、本日はこうしてエクレールさんにお邪魔した後にご自宅の方までお伺いしようと思っていたのです」
「それは全然大丈夫ですよ。それは……なんですが、実は僕の方からも謝っておかないといけないことがあります」
店に迷惑をかけたのだ。
しっかり謝っておかないといけない。
「お店に迷惑をかけてしまいました。申し訳ありません」
「連中を気絶させたついでに店にいたお客様たちも皆んな腰をぬかしてしまったと?」
「はい」
「で、ピンピンしていたグラバーに後の始末とお客様へのお詫びするよう言いつけてから、こちらに来たのですな?」
「はい。本当に申し訳ありません」
ピッグの質問に答えながら、今一度、深く頭を下げて謝罪する。
あと、グラバーというのは店長の名前だ。
だが僕にとって店長は店長なのである。
「ぐわっはっは! それは実に愉快!こんなに笑える話を聞いたのは久しぶりですぞ!」
「愉快!?」
彼は口を大きく開けて豪快に笑った。
普段、紳士なピッグがこんなに大口開けて笑う姿を見るのは初めてだ。
「若。初めに絡んで来たのはあちら側、自分の身を守るために防衛することは至極当然であります」
「でも、無視し続けることもできたわけです」
「まあ、そうですな。しかし、私からすれば、店の中で起こったいざこざにお客様である若を巻き込んだわけです。それなのに若は商会のためにしっかり後の対策を立て挽回の機会を作ってくれました。そんな若に感謝こそすれど、責めるなどありえません。テーゼ商会の会頭として、若にはお礼を述べさせていただきます。尻尾さえ掴めればあんな奴らこちらから蹴飛ばしてやったのですが、手間が省けました。若のおかげで他のお客様に危害が加わる前に追い出すことができたというもの。本当にありがとうございます」
ピッグはそうして礼を述べた後、「見てくださいこのキレのある拳を」と軽快なステップとともにジャブしてみせる。
彼のおおらかで懐の深い対応に、『それじゃあ殴り飛ばすでは?』と、つい楽しくなって本題を忘れ心の中で笑ってしまった。
しかしまあ……とりあえずピッグがよしとしてくれるのであれば、今回はそれに甘えるとしよう。
迷惑費用はやはり払うし、今回は痛み分けとして、次の話題に移らせてもらいたい。
「よかった……それでピッグさん。別件で僕から一つご相談があリます」
ホント、僕って図々しいね。
自分でもいい性格してると思う。
アオイと現在プランニング中の飲食話を、ピッグに説明する。
「それは、若がレシピを?」
「ええ、協力しようかと思っています。ただ、何の下調べもなしに話を進めるわけにもいかず、こうしてご相談を差し上げました。ピッグさんにご意見をいただければ」
「そうですな。お話を聞く限りとても素晴らしい案であると思います。しかしこれは……」
「なにか問題がありますか?」
「卑しくも、まずはその料理を食べてみねば判断しかねますな」
「確かに」
そりゃそうだ。
苦笑いが浮かぶ。
だってそうだろう、そもそもこの辺の人たちが食べたこともない味の料理の飲食店を出そうとしていて意見を求めているのに、その店で出る料理を実際を知りもせず助言などできるわけがない。
ノーフォークの食文化を教えてもらうにしても、より参考になる意見を貰うためには、面倒くさがらずに一回作ってみるのがいいかもしれない。
「……ですな。です……です……そうです! 是非、検証のために試食をしなければと思いますが、いかがですかな!?」
開拓には試食が必要だと熱く語られる。
……まさか、ただ食べてみたかっただけ?
「そうですね、では今日の夜にでもどうでしょうか?」
「私は構いませんよ。この後の私の予定もなくなりましたことでありますし、是非、ご相伴にお預かりさせていただきます」
まあ、ピッグの発言の真相はともかく、思い立ったが吉日、早々に約束を取り付ける。
「エクレアさん、よろしければ厨房をお貸しいただけませんか? コロネさんにも手伝ってもらいたいことがありまして、使わせていただけると助かります」
「いいわよ〜。ただ、もし大きいお肉やお魚なんかを捌くのなら、その時だけは家の方の厨房でお願いできる? お店の方でそれをすると後始末できないから」
「わかりました! ありがとうございます!」
調理と試食の場所を確保。
それなりの数の料理を今から作らなければならないのなら、出来るだけ作業を並行してできる仕事場並みの厨房が望ましい。
ついでに、コロネに手伝ってもらいながら一部料理を教えれられれば、今後の彼女の助けにもなるかもしれない。
必要な場所は確保できた。
あと、残り足りないのはアオイさんだ。
お客さんもいないし、ゲート使ってもいいよね。
「ゲート」
空中に手をかざし、《ゲート》の魔法鍵を唱える。
鈴屋の店内をイメージし、探り、開く。
「アデッ!……イッテー」
直径2メートル程の輪が現れる。
するとその中から、見覚えのある頭と背中がバターンと倒れ込んできた。
……まるでシャチホコだ。
「シャチホコ……じゃなくて! 大丈夫ですかアオイさん!?」
一旦ゲートを閉じて、急いでアオイの元へと駆け寄る。
商品整理のため店の中を歩き回っていたらしい。
偶然にも、開いたゲートの縁に躓いたようだ。
「うぅ……うぇ!? リアム!?……ここはどこだ!!?」
よかった、私は誰、と続かなくて。
「アオイさん、説明しますね」
・
・
・
「今から店に出す料理を作るから私を呼ぼうと」
「はい」
「ねぇ。そのゲートってもう一回鈴屋まで出せる?」
「大丈夫ですよ」
「よし。じゃあもう一度開いて欲しい!」
「ゲート」
「ちょっとそのまま待ってね!……──よしッ! 目星い材料ありったけ持ってきてついでに店の鍵閉めて札かけてきた! ということで、早く始めよ!」
ゲートを繋げると、そのまま維持しているようにと言い残して、早々に向こう側に行ってしまう。
それから1分もかからないうちにエクレールに戻ってきたかと思うと、両腕には大量の食材を抱えていた。
──店のドアベルが、再び鳴る。
「ややッ? これは見知った顔が揃いぶみだ」
「リアム!!」
「エリシア? それにヴィンセントさん?」
来客者は、ヴィンセント、そして、嬉しそうにこちらに駆け寄ってきたエリシアだった。
「新しい商品ができたと聞いたのでこちらに赴いたのだが、どうやら良いタイミングだったようだ」
本当に良いタイミングだ。
すかさずヴィンセントにも飲食店の話をし、これからしようとしている試食会に参加して欲しいとお願いする。
「それは、異国の料理を食べられる会の招待と言う認識でいいのかな?」
「はい。ヴィンセントさんにも試食していただいて評価をいただきたく……少し失礼。エクレアさん。お客さんが増えますがよろしいですか?」
「ええ。どうせならウィルやアイナたちも呼んじゃったら? あ!あとマレーネさんやカミラたちの子も〜」
「ありがとうございますエクレアさん。ちょっとした食事会になりそうですね。……お待たせしました。というわけでして、どうでしょう?」
「わかった。ならば今日はこちらでご馳走になるとしよう。妻も呼んでも?」
「もちろんです。是非」
ヴィンセント達の訪問から、試食会の話がどんどんと膨れ上がっていく。
「エリシアも一緒に料理しない?」
「いいの!? ……その、私、料理はじめてなんだけど、下手でも笑わないでね?」
「笑ったりしないよ。ちゃんと教えるからね」
ここまできたら、楽しんだもの勝ちだ。
どうせなら料理もみんなでした方が楽しい。
さて、賑やかになりそうだ。
エクレアの快諾で、急遽、試食パーティーを開くことになった。
ゲートを繋げて、ウィルとアイナを初め、マレーネ一家、リンシアとバット、貴族街に繋いだついでにアルフレッドとフラジールにも声を掛けた。
「アオイ殿は店の方向性をどのように考えているのかな?」
「そうですね……レシピを考えてくれるリアム次第だけど、私の実家の食事処は港町にあったからいつも活気があって明るかった。そんな店がいいかな」
「ならちょうどいいですね。実は僕もその方向性で考えてたんです」
「で、できるの!?」
「活気があるかどうかは結局繁盛しているかどうかにかかってくるんですが……僕はですね、居酒屋なんていいんじゃないかと思ってるんです」
「居酒屋?酒場ですか、若?」
「はい。イメージはまさにその通りですね」
日本料理 inノーフォークともなれば、作られる料理も大体限定されてくる。
目新しく、食指が伸びないというのなら、酒の力を借りてやる。
真っ先に居酒屋が思いついた……僕はダリウスに汚染されてしまったのか。
店のコンセプトを設定したところで、調理に取り掛かる。
すると、作業に移っていきなり、隣で作業を見ていたヴィンセントから質問が投げられる。
「それは?」
「これは 除去の魔法シートです。アイスクリームを作った時にイデア……えーっと最上級相当の状態回復 をイジって命令式状態異常検出機能を取り出して、特定の要素を除去する応用魔法を魔法陣化したものです」
卵や肉一式を殺菌するための自作シート。
話の流れでぽろっとイデアのことを言ってしまいそうになった。
「最上級は人種の一つの壁、これを超えるとなると導師級の魔導師となるはずですが……」
「リアム、そんなにすごかったの?」
「といっても最上級魔法は少ししか使えないんですよ。能力があるってだけで、まだまだ熟練度が足りなくて。ステータスに現れる属性魔法の項目につけられた階位は、それを扱える実力はあるはずですよっていう指標であって、習熟を表しているわけではないですから」
「しかしてですな。どうりで、若の魔法の才を改めて目の当たりにしました」
「へぇー。うんうん、それでもすごいよ」
そういえばアオイとピッグ、この二人は僕が最上級を通り越し階位Ⅴ、既に超級相当の能力があることを知らなかった。
これからの付き合いも考えて、話しておいてもいいだろう。
「リアム。この方達に私のことを隠すのは最早、デメリットしかありません」
……なんだと。
「な、なんだ……?」
「なんですか、この声は?」
「ヒィッ!?」
どこからともなく聞こえてくる声に、当然のことながら、ヴィンセント、ピッグは驚き、アオイに至っては驚きのあまり蹲ってしまった。
「このでしゃばり! 別に今じゃなくてよかっただろ!」
「そんなじれったいことを言っているから、普段から余計なことに振り回され、いつまで立っても成長しないのです。時には先ほどテーゼ商会でしたように、大胆な一手に打って出ることが大事なんですよ」
「い、言わせておけば……」
「それにシート自体は魔法陣で機能しているのですから、そういうものだと伝えれば全て丸く収まったはずです」
「あ……」
さて。
この3人とエリシアの母リンシアと執事のバットを除き、ここにいる皆は、既にイデアのことを知っているものばかりだ。
ウィルとアイナ、ポーション作りでお世話になっているマレーネ一家はもちろん、エリシア、アルフレッドにフラジールは友人として話してあるし、リゲスは特訓を始めた頃に、エクレアとコロネは新しいお菓子を作る際に色々と道具を作るにも一々隠していられなかった。
「どうしよ、どうしよ、どうしよ……!」
「アオイさん、大丈夫ですか?」
「リアムは今の聞こえなかったのか!? やっぱり幽霊だ!!」
「幽霊とは失礼な。こんにちはヴィンセント、ピッグ、そして、アオイ。私はイデア、リアムの可愛い相棒です」
「ほう?」
「相棒、ですか?」
「ま、また聞こえた!?」
幾分か冷静なピッグとヴィンセントに対し、アオイの怯えようが異常だった。
「紹介します。今どこからともなく皆さんに語りかけたのは僕のオリジナルスキルの《イデア》です」
「いいえ。『オリジナルスキルの』ではなく『相棒の』イデアです」
「はいはい。相棒ね、相棒」
「ゆ……幽霊じゃないのか?」
「はい。アオイさんは幽霊苦手なんですね」
「に、苦手じゃない! ただビックリしただけで……」
「あ、人魂」
「ぎゃーッ!!ってこの野郎!!!」
「待って! 包丁はダメですって洒落にならない!」
「じゃあくすぐりの刑に変更だ!」
がっしり僕をホールドして体をくすぐりにょおぉおおッ──。
「あ!ワタシもワタシも!」
「じゃ、じゃあ」
「私も」
「ふん、仕方ないな。フラジール」
「は、はぃ!」
こういうことが大好きなラナが参戦、それを皮切りにエリシア、レイア、アルフレッドに続きフラジールまでもが、体をくすぐり始めた。
「ワハハハハッ!み、みなさん笑ってないで助けハハハ!」
年長組の人間は、面白おかしそうに笑って観察に徹していた。
早速調理は脱線、だがこういうのも悪くはないと止まらない笑いの中、ちょっぴり思いながら、体をくすぐった人たちにはもれなく、盛ってやると決意する。
辛子マヨネーズか、胡椒か、唐辛子ソースか。
「はぁー……は、話を戻しますね」
よ、ようやく解放された。
「卵を生で食べるとダメな理由ってなんでしょうか?」
「腹を壊したり熱が出たりすると聞いたことがありますな」
「そうですね。では、なぜそのようなことが起きるかは──」
「はーい! 卵の殻の表面には細菌っていう小さーい生き物がいて、それが悪さするからでーす!」
「その通りですコロネさん。ちゃんと覚えていましたね」
「ふふ〜ん」
身近では細菌、そして、ウイルスなどの概念が存在していなかった。
そもそも、回復魔法が存在するため、この世界の医療事情は大抵の軽い病気にかかっても医者が魔法でサクッと回復するから、よほど重い病気にかからないと助からないなんてことは少ない。
おかげで、悪魔の仕業などといった迷信が少ない気がする。
だが、それはあくまで病気にかかった後の話、予防ができていればいいことに変わりはない。
「あら〜、コロネったら」
「エクレアもコロネちゃんとは順調みたいね」
「ええアイナ。これもリアムちゃんのおかげよ」
少し離れたところで、こちらを見守っていたエクレアも、娘が活躍している姿を見て鼻が高そうだ。
「ほう、それは……つまり、そのシートは、我々の目に見えない悪さをする生物を除去する魔道具だと言う認識で合ってるかな?」
「類推通りです」
「リアムくん、あとで話があるのだが」
「わ、わかりました。では後ほど」
「よろしく頼む」
コロネの話を聞いたヴィンセントの目が、キラリと光る。
商機! と感じれば即行動、捉えた獲物は一撃で……それがヴィンセントの商人としての心得だ。
「割った卵は卵黄と白身に分けて卵黄のみを使用、卵黄の入ったボウルに酢、塩、レモン汁、マスタードを適量加えてかき混ぜて」
「こうでいいの?」
「そうそう、そうして混ざったらまた油を少しずつ加えながらまた混ぜていくんだ」
「ムッ! ボウルが回ってうまく混ざらないぞ!」
「あ、アルフレッド様! ちゃんとボウルを握って混ぜないと!」
卵黄と材料を混ぜるのは料理初心者のエリシアと主従アルフレッド・フラジール組。
僕はエリシアの方についてゆっくり教えていたのだが、あちらの方はアルフレッドが暴走しててんてこ舞い、フラジールは大変そうだ。
「あとはこのまましばらく置いておくだけ。お疲れ様」
「これで終わりなの?」
うまく撹拌が済んだのでこれでマヨネーズは完成した。
あとは念には念を入れて、酢での殺菌を待つばかり。
「ええい!かくなるうえは!!」
「あ、アルフレッド様待って!!」
「スプリングフィールド家秘伝! 身体強化!」
うまく材料を混ぜることのできなかったアルフレッドがヤケを起こし、身体強化(普通)を使って勢いよくボウルの中身をかき回す。
「な、中身が消えてしまった……」
「アルフレッド。そんなに強く混ぜたら飛び散るに決まってるよ……はいこれ、とりあえずこれで顔を拭いて」
清潔な布を亜空間から取り出して、アルフレッドに差し出す。
「ありがとうございますリアムさん、お借りします」
「あ、はい。どうぞ……」
布を横から間に入ってきたフラジールに渡してしまった……彼女のいつも通りの笑顔に、ちょっとゾッとした。
「ま、待て! それくらい自分でできる!」
「動かないでください!」
「は、はい……」
息をつく暇もなく、速攻でアルフレッドの顔についた汚れを拭う。
「はい、拭けました。アルフレッド様の所為でエプロンがべちょべちょです。とりあえずシミ抜きして洗わないといけません」
暴走したアルフレッドとは同い齢とは思えない対応だった。
人見知りしてサポートもままならなかった2年前から、プロとして、フラジールは急成長している。
「あ〜らアルフレッドちゃん達ったらたーいへーん! 洗い場はこっちよこっち!」
「は、はいぃ……あ、ありがとうございます……」
修正。
まだやはり初対面の人間に対しては人見知りしてしまうようだ。
顔は拭いたがまだ全身汚れてしまっている二人を見て、洗い場へと案内するリゲスにたじたじ……本当に人見知りか?
「アルフレッド様、いきましょう」
「あ、ああ……」
アルフレッドは、呼びかけに生返事する。
フラジールに顔を拭いてもらってからというもの、顔が赤い。
「いつもの態度はどうしたのかしらね」
「だね」
いつもと立場逆転、黙ってフラジールに手を引かれ牽引されていくアルフレッドを見ていたエリシアが、僕にボソッと呟いた……つまりはそういうことだ。
フラジールの若干のお母さん感が否めないのはあれだが、頑張れ、アルフレッド。
「リアム! 肉さばいてきたぞ!」
「肉だ肉だー!」
「はい、どうぞ」
「ありがとう。ウォルター、ラナ、レイア」
「へへーん!感謝したまえ?」
「次は野菜をお願いします」
「えぇーッ!まだあるの!?」
「がんばろうね、お姉ちゃん」
「労働の後の飯は最高だぞラナ」
「うへへぇ」
「今度はゆーっくり落ち着いてしましょうね」
「わ、わかっている!」
「そうね。料理は真心、私がじっくりその心を教えてあ・げ・る・わ〜」
「い、いいやそんな気を使ってもらわずとも結構だ。な、フラジール」
「ぜひお願いしますリゲスさん」
「まっかせなさ〜い!」
パチッ!と、油面に小麦の花が咲く。
「ヒッ!け、怪我してないリアム!?」
「大丈夫だよエリシア。とまあこうやって衣を落として油の表面で散るくらいが天ぷらやフライには良いです」
「ふむふむ、ああーッ! 天ぷらかー。思い出しただけで涎が止まらないーッ!」
「海老とかあれば最高なんですけどね」
「なに!?ピッグ!」
「ええ、確かお土産の中に海鮮を買い込んで……」
「こうして乾燥しているパンを粗めに砕きます」
「へぇー、パン粉ってこういうのもあるんだ」
「私も初めて見るわ〜」
「お母さんも?」
「ええ。もっと細かいのなら王都で見たことがあるんだけどね」
「これを衣に纏わせて揚げるんだ」
「ウィル!野菜!」
「はい!」
「ベーコン!」
「はいはい!」
「騒がしいね〜、相変わらず尻に敷かれてるね」
「そう思うんなら手伝ってくれよマレーネ!」
「私は今商売中だから無理だよ……それにしても本当にいいハーブですね」
「これらはウチの執事に手伝ってもらいながら育てているんです。ね、バット」
「はい、リンシア様」
「マレーネ〜、バットさんリンシアさん〜」
「ウィル塩!」
「はいぃ!」
調理に取り掛かってからは、もう終始、ずっと賑やかだった。
「それじゃあ鈴屋食堂ノーフォーク支店のメニュー選抜試食会に加え、コロネさんのパン職人デビューを祝って、カンパーイ!」
「「「かんぱーいッ!」」」
・
・
・
「ぷはぁーッ! 冷えたビールはうまいなぁ!」
「これも若が魔法箱を発明した恩恵の一つですな」
「魔法箱のお求めは是非ブラド商会に……ヒック」
「ぷはぁーッ!冷えたストロベリーミルクはうまぁあああああ!?」
「アルフレッド様!?」
「秘伝、レッドソース混入。一服盛らせてもらいやした」
「大人の真似したってあなたはまだまだ子供よ。ね、フラジール」
「ふぇ!? た、確かにそうですね。飲み過ぎはダメですよ、アルフレッド様」
「飲めるかぁ!」
「ごめんねアルフレッド。はい、本物のストロベリーミルクで口直ししてね」
「本物だろうな……ぷはぁーッ!冷えたストロベリーミルクはうまい!」
「リゲス、そっちのお皿をコロネに取ってあげてくれる?」
「お安い御用よ♪ はい、コロネちゃん」
「ありがとう、お父さん」
「ウィル。リアムが作ったものばっかりじゃなくてこっちのスープも食べてね♡」
「んあ? はぁー……両方うまい!」
「こらラナ! それは俺が狙ってた天エビだぞ!」
「早い者勝ちだよウォルター! あぁーッ!レイアが私の狙ってた揚げ唐食べた!」
「へへっ、早い者勝ちでしょ?お兄ちゃんの仇はとらせてもらったよ、お姉ちゃん」
「こら!たくさんあるんだから3人とも仲良く食べなさい!」
「あら、こっちのフライドチキンはあのハーブを衣に混ぜて揚げてあるのね。熱と一緒にいい香りがしますね」
「こちらは下味の生姜とニンニクが口いっぱいに広がり、塩のアクセントも絶妙で実に美味ですよリンシア様」
各々が各々で好きな料理を取り、食事を楽しむ。
「この唐揚げというのはおにぎりといったか、これと食べるのはクセになりそうヒック!」
「私はサラダにかかったこのマヨネーズというものが気に入りました。ホッ!こっちのチキン南蛮なるもののマヨネーズも格別ですな!」
「ピッグさん、それはタルタルって言ってキュウリの酢漬けや玉ねぎを刻んで混ぜているんです」
「この冷や汁ってのは私も食べたことないぞリアム! そしてうまい! この揚げだしも!」
「それはどっちもアオイさんが作ってる豆腐がないとできない料理ですからね。冷や汁は紫蘇の葉なんかがあればもっと幅が、揚げだしはモチなんかで作ってもいいんですが」
「紫蘇の葉ならうちにあるぞ?」
「え?」
「だって、リアムはうちで紫蘇漬けの梅干買っていくじゃん。あれは漬けたのを実家から仕入れているものだけどさ、紫蘇は趣味で育ててるんだ。それに餅米も確か取り扱ってたはずだ。言ってくれれば実家への注文票に書いておこうか?」
「お願いします!」
とりあえず僕は、商人集団に混じり食事をしながら解説、感想を聞き改善点を洗い出していた。
今日はこれがメインだしね。
「そうだリアムくん!あのシートクリーンについてなんだがね!」
「は、はい。クリーンシートですね」
「そうそう、そのシートクリーンを我がブラド商会で販売させてくれ! もちろん面倒な手続きは全て引き受ける!」
そういえば、ヴィンセントが後で話があると言っていたこと、すっかり忘れていた。
「ヴィンセントさん。それは先ほどお話を伺うと言った時点で大体予想していたので別に構いませんが……」
「本当か!!」
「あの、大丈夫ですか? お見受けしたところ相当酔ってらっしゃると……」
「酔ってない! 私は酔ってなどいないぞヒッキ!」
いや、酔ってる、完全に酔ってるよ!
だってさっきからヒックとかヒッキとか言ってるもん!
「ピッグさん、もしかしてヴィンセントさんかなりお酒に……」
「ええ、弱いです」
「それを早く言ってくださいよ!」
「すみません、若。ただどうにも楽しそうでいらっしゃったので、お止めするのも悪いかと……」
マジか……と、唖然としてしまうほど、ヴィンセントの酒弱体質は意外だった。
「だっはっは!愉快愉快!」
「もうしょうがない人ね。ほらヴィンス、あっちで一緒に食事しましょ?」
「ん?リンシアか!? よし一緒に食べよう!」
「ごめんなさいねリアムくん。この人は私が見てるからどうぞお話を続けてね」
やがて、大声で笑い始めたヴィンスを見兼ね、妻であるリンシアが後を引き受けるべく自分たちの机の方へと彼を連れて行くのであった。
「魔族の方は、酒に弱い方が多いそうです。一説によれば、百年以上前に勇者が閉戦に導いた人魔大戦は、ある日うっかり酒を飲んでしまった魔王が、酔った勢いで我が国や神帝国で暴れて宣戦布告したことが始まりだったとかいうシニカルジョークがあるほどです」
「ジョーク、ですよね?」
「さあ、真実は当事者たちにしかわかりません。当時の和解条約により魔国・我が国両国の意向で、真相は闇に葬られましたから。ただ、ヴィンセントさんの変わりようを見て、私は完全に否定する気にはなれません」
「ビールお代わり!」
「ビールはもうダメ!」
ピッグの話した魔族酒乱開戦説はあまりにも馬鹿げた話だが、今のヴィンセントの様子を見るとあながち真実に聞こえてくるから不思議だ。
「はぁ……」
「『はぁ……』って他人事じゃありませんぞ、若。若の身近にも、あの方の血を引いたお方がいらっしゃるのですから……!」
「ハッ──!」
「用心に越したことはありませんぞ」
「肝に命じておきます」
ヴィンセントは人と魔族のハーフ、そしてエリシアはよりその血が薄まったクォーターであるが、ロガリエの時、魔族の血のせいで暴走した前例がある。
あれか?
もしかすると魔族が酒に弱いのってヴィンセントの言っていた『七つの罪源』とやらが関係しているのか。
「とまあ忠告はこのくらいにしておいて、若、私にも商売の話をさせてください」
「調味料のことですか?」
「はい。よくお分かりになられましたね」
そりゃあ色々と、あれだけ絶賛していたのだ。
きっとピッグからも商売の話が出るとは思っていた。
「いいですよ? ただ、調味料の加工はエクレールでは発注できないと思いますが……」
「若、お忘れですか。我が商会は食品加工の店ですよ」
「そうでした!」
これはうっかりしていた。
テーゼ商会は畜産から精肉、酪農、また魚から野菜、それら加工品までを広く取り扱う商会だった。
「よろしければアオイ殿。お店を出店なられるのであれば、肉や魚の材料は特別価格で我が商会から卸しますよ?」
「いいの!?」
「ええ。ただその折には、我が商会の宣伝をそれとな〜くしていただきたい」
「アオイさん、どうしますか?」
「うーん、それはとても嬉しい提案なんだけどね……」
「何か問題がありましたかな?」
「いや、宣伝ってどうすればいいかわかんなくて」
「それなら、店の中にテーゼ商会のポスターでも作って貼ったらどうです?」
「「ポスター?」」
「大きめの広告紙の事です」
「それは素晴らしい!どうでしょうか、アオイ殿?」
「逆にそんなんでいいんなら、私は全然いいよ。じゃあ──交渉成立」
「交渉成立です」
「であれば私も名乗りを上げさせてもらおう。中心街の近くにちょうど空いてしまっている物件があるから、そこを店舗として提供しよう。どうだ?」
「ヴィンセントさん! あれ、酔ってない?」
「不甲斐ないところを見せた。今日は大丈夫だと思ったのだが……マレーネ殿に酔いに効くきつめのポーションをいただいてな。復活というわけだ。ただし──」
「わかりました。魔道具と場所の提供ということで、ブラド商会の名前を載せたポスターを貼りましょう。それでよろしいですか?」
「私は良いよ」
「よし。成立だ」
こうして、アオイの経営する鈴屋食堂ノーフォーク支店、居酒屋”?”の開店は現実味を帯びていく。
まだまだメニューの厳選、価格の設定に店員の雇用や料理人の確保などいろいろ課題は残るが、見通しは明るくなってきた。
「こうなったらどっちが大人か、ストロベリーミルク耐久で勝負だ!」
「いいわよ! 今日こそ白黒はっきり決着つけてやるわ!」
「り、リアムさ〜ん! お二人をお止めしてくださいぃ!」
「わかったよフラジール。はいはい二人とも! あんまりミルク飲みすぎるとお腹壊すから止めようね!」
今日の試食会は大成功と言ってもいいだろう。
この賑やかさが、その証拠だ。
──アストラガルス・シニクス──
「また腕を上げたねアイナ」
「ありがとうマレーネ。でもリアムが教えてくれたコンソメを使ってるから美味しいだけよ」
「エドとカミラもいればよかったんだが。是非、食べさせてやりたかった」
「ふん!エドはともかくカミラはゴメンだ!」
「そうかい? あれはあれで情が深くて私は義娘として信頼しているんだがね。それにしても、リアムは本当に面白くて不思議な子だ」
「ええ、自慢の息子よ」
賑やかな店の片隅で、酒を飲みながら机の上に並べられた料理に舌鼓を打つ。
妻の料理も絶品だが、息子の考案した料理たちもまた、驚くほどにうまい。
「ウィル、なんかこうしてリアムたちを見ていると、昔を思い出さない?」
「……ああ。だがあの頃は色々あった」
「そうね。楽しくて、嬉しくて悲しくて、必死で……それを乗り越えた先に新しい出会いがあって……この街に来て、本当に良かったと思ってる」
皆の真ん中に立って、友人に囲まれ笑う我が息子。
そんな息子たちを見て昔を懐かしむ妻の浮かべる表情は、大人になって子供を持った今と昔で比べても、ちっとも変わってなんかいやしない。
「でもね、ウィル。リアムもどんどん大きくなって後三年もすれば、あの子は必ず王都の学院に行くわよ」
「もうそんなに、経ってしまったのか……」
最近は、時間が流れるのが妙に早い。
長女のカリナは王立学院にも推薦されるほど優秀で弟想いの強い子なのだが、一年前に学院に入学するため王都に行ってしまった。
父さんに会いたいと泣いていないだろうか……パパは寂しいぞカリナ。
ちゃんと然るべき時が来たら、子離れできるか俺の方が心配だ。
そして、我が息子にして長男であるリアム。
こいつがまた優秀も優秀、精霊と契約できなかったことで一時落ち込む時期があったが、その後ステータスが分かると魔力は異常に高く、スキルも豊富で称号すら持っていた。
精霊契約ができなかった原因も分かり、元気を取り戻した息子はそれから大躍進!……スクールに飛び級で入学し、初めての魔法で森を吹っ飛ばす。
公爵のジジイにも認められる才能を開花させたかと思ったら、今はこうして隣人を助けるために皆をまとめている。
俺はこんなにたくさんのことをリアムくらいの齢でできただろうか……ここは俺の息子はスゲェんだぞと、親バカであろう。
俺は大切な家族のために働き、この幸せを守るだけだ。
過去を引きずっていないと言えば嘘になる。
しかし目の前にある事実こそが、俺にとっての最大の幸せなのだから。
「あいつがこの街を出るまでには話すさ。リアムはそれだけの力と才能を持っている」
話すべき時は近い。
あまり昔のことは思い出したくない。
だが、それは大切な家族であるあいつを守るために、俺が果たさなければならない義務だ。
「ありがとうウィル、愛してるわ」
「アイナ、俺も愛してる」
ああ、俺はこれほどの幸せを手に入れた。
それだけで、充分だ……。
これにて、第一編一章は終わりです。
本話と同時に題名"アストラガルス・シニクス"の一話目を投稿しました。
こちらは、Dr.ファウストのアナザーストーリーとなります。
初っ端から、本作の進行度に関係なく、真相に迫る描写もしておりますので、アナザーストーリーの閲覧は注意してください。




