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ファウスト -Terminus Flores-  作者: Blackliszt
第1章Neighborhood
46/71

46 ピクシスの子守唄


──夜、リゲスの訓練場──


「ブート」

「それはなにですか?」


 質問してくれたティナの声色は、昼間より少しだけやわらかくなった気がする。


「これは、空間魔法を応用した外部からの侵入を防ぐもので、外からは中に何もいないように見える上に、もしこれを発動した時に中にいなかった者が侵入しようとするとルームの端から端に通り抜けるっていうすごい魔道具なんだ」


 魔道具の名前はルーム。

 一見、装飾が美しい綺麗なガラスのコップだが、材質は魔石、装飾はいくつもの彫り込まれた魔法陣で、数少ない空間魔法を再現する貴重な魔道具だ。

 起源は勇者ベルが危険な遠征に出向くために作り出したと囃される。

 この魔道具はそのレプリカで、遠征や攻略の難しい地帯に赴くパーティーの必需品、玄人以上の冒険者達に愛用される逸品だ。


 ルームはリゲスから教えてもらい、自分で購入した。

 50万Pもする魔道具だが、2年前に得た約316万Dptを換金して先行投資した。

 他にも鈴屋での食材や刀などの購入も合わせ、既に半分ほど消費してしまったが……これも先行投資だ。


「さぁて、晩御飯の支度だ」


 小麦粉、野菜、冷凍鶏肉、バター、牛乳が保管してある魔法箱と調味料セットを取り出して、調理を始める。


「おてつだいシます」

「ありがとう」


 鶏肉の解凍は10分ほど、微熱の魔法陣の描かれたシートの上で行いつつ、皿、スプーン、そして調理器具を水魔法で濯ぎ、手伝いを買って出てくれたティナと一緒に水気を布でしっかり拭い取る。


 水気を拭き取った鍋に油を引いて、風魔法で一口大に切った鶏肉を塩胡椒を振り掛け火を入れて、そこへカットした玉ねぎを投入し、透明になるまで炒めたら、一度火から鍋を離して小麦粉を振るい、よく混ぜて馴染ませる。


「お肉……」


 ティナが横で、食材を焦がしてしまいそうなくらい熱い視線を鍋の中に向けていた。る。

 今日はストレスのかかる環境で頑張っていた。

 鶏肉の焼ける匂いは、さぞ彼女の食欲を刺激していることだろう。

 何時もはそんなに動かない尻尾が揺れているのが、その証拠だ。


「それはなンですか?」

「これはコンソメって言って肉や野菜からとった出汁だよ」


 続いて鍋に投入したのは水と牛乳、コンソメにバター。これらを入れた鍋を再び火にかけ、じっくり煮込んでいく。


「シチューの完成です。それじゃあ晩御飯にしよっか」

「はい!」


 亜空間から取り出した簡易机に鍋を置き、同様に用意したベンチに座って食事を始める。


「パンの余りがあるからこれをつけて食べても美味しいよ」

「は、はい……」


 それからのティナは終始、何かを口に含んでいた。

 余程お腹が空いていたのだろう。

 僕は、何度も空になる彼女のお皿にシチューを継ぎ足していった。


「お腹いっぱいになったかな?」

「はッ、はい!」


 鍋もお皿も空になり、満足そうにほっこり落ち着いていたティナに感想を求める。


「……はい……美味しいです……美味しかったです……お腹いっぱいです……ッ」


 ゆっくりと、一口一口大事そうに口に含んでは味を噛みしめていた。

 美味しかったと何度も空になった器に垂れる、必死に目蓋が閉ざそうとしている心の丈を見て、ようやく一歩、僕はティナに近づけた気がした。



──食後──


 食事も終わり、大きな布を引いてゴロンと横になる。


「一人で間抜けにも技を声に出して戦っていたリアムは面白かったです」

「いいだろ! わざわざそんなこと言わなくて!」

「フフッ」

 

 距離の近づいたティナを味方に、イデアの調子は絶好調だ。


「あぁーッもう!」


 狸寝入りを決め込んでやる。


「おっと、不貞腐れてしまいました」


 反省なんてしてないくせに。


「リアム様。よろしいですか?」

「……うん、いいよ」


 背中越しに、ティナから話しかけてきた。


「リアム様は、私の国の言葉が分かるんですか?」

「えっ?」

「時々、私言葉が出なくて母国語使っちゃいます。だけどリアム様は分かってるみたいだし、時々母国語使ってます……今もです」

「そういうスキルがあるんだよ」

「そうですか……なら、このまま、私の国の言葉で話を続けてもいいですか?」

「いいよ。多分全部わかるから」

「ありがとうございますリアム様。では今だけ、母国語を使わせていただきます」


 びっくりするほど、綺麗な文体だった。

 先ほどまでの片言に近い言葉が嘘のようだ。


「今日だけと言わずに、僕と二人っきりの時は母国語で話していいよ。これは制限しないでおくね」

「ありがとうございます」


 寝返って、空を見上げる。

 それから暫く、場は沈黙に包まれる。


「……星が綺麗だ」

「ダンジョンにも、星があるんですね」

「見たことなかったの? ここに住んでるのに」

「はい。私はまだここに来て一ヶ月程です。夜には奴隷用の部屋に入っていましたし、そこから星は見えませんでした」


 嬉しいような切ないような、感情を突き起こすような声色だった。


「私の家は……獣国ガルドの中でも有数の名家でした。ガルドでは色んな種族の獣人達が暮らしていて、首長の中から選ばれた王を初めとする、種族を代表する家々によって統治される国です」

「聖戦で勇者と一緒に戦った王様がこっちでも有名だよ。フェザーキング、竜をねじ堕とした空の軍を率いた王、プライム・ソアリング。今の王様はフェザーキングの側近だった、プライドテイルのグローヴァン・ハートだったよね」

「木立の様に整然とした優しい心と王様になってからは一度も傷ついたことのないとても強い力を兼ね備えた人です」

「勇者の伝記『The magic bell』で語られてた。『グローヴ・ハートって言うか、グローヴ・アンハートだ。木立のように吹き抜けた心だからプライドを刺激されても吠えることしかできない無傷の自尊心プライド・アンハートなんだ』って、勇者に言われて受けたレッド・レイザーとの決闘を始まりに、若きプライドテイルは勇者の仲間に加わって、かけがえのない絆を得た。だから、プライムの後を継いで王様になると、惜別に心を痛んで、グローヴァン・ハートに改名した」

「そうです。そんなグローヴァン・ハートは、勇者の時代から尾長猿族の首長です。種族の代表は、より人望厚い人がみんなから選ばれます。よく変わるところもあれば、ハート家や、私の家みたいに世襲でずっと変わらないところもあります」


 他国の政治形態を学べるのは貴族科か高等部に進んだ後のことだ。

 こうして新しい情報を仕入れることができるのはありがたい。


「へぇー……今、私の家のようにって言った?」

「はい。私の家は代々、犬耳族の代表を担ってきた歴史ある家でした。私の家の名はピクシス、昔、お母様が話してくれたその名の由来は ”英雄を導く標べ” 、どんな闇に飲まれようと、音を奪われようと、決して目的を見失わない強い力を持つ者……らしいです」


 それは凄い、と話の腰は折らないでおこう。

 ティナの先祖はグローヴァンのように、何かしら伝承に残るような英雄を導いた一族だったりするのだろうか。


「現にピクシス家の当主は代々、特別なユニークスキルを持っていました」

「ユニークスキル?」

「はい。羅針盤というスキルで、このスキルは……」

「無理しなくていいよ。ゆっくり考えて、話せるところだけ話してくれれば」

「いえ、大丈夫です……話します」


 ティナの決心は固く、身の上の話は続く。


「スキルの名前は《羅針盤》です。私の意中の物がある場所を示してくれる、特殊なスキルです」


 ユニークスキルであることを考えれば、普通のコンパスではない。

 北ではなく、意中の物を指す、というのも興味深い。


「それともう一つ、《獣化》という獣人特有のユニークスキルがあります」


 羅針盤のことを打ち明けた事以上に声が震わされて、もう一つのユニークスキル《獣化》について触れられる。


「それって身体強化の凄いやつだよね。スクールで習ったことがある」


 ユニークスキル《獣化》は、獣人が持つポピュラーなスキルとして有名で、スキルを勉強する上でよく例題に出てくる。


「獣化を使えば、身体の機能がものすごく強化されますが、獣化の深度が底を破って臨界に到達した時、私たちは進化を迎え、体に変化が起きます」

「体って……大丈夫なの、それ」

「はい。たぶん私が進化すると、尻尾が二つになります。私の母は、既に7回進化していて、獣化を使えば八つの尻尾を貯えていましたから」


 どこかで聞いた話だ。

 そのうち九つに別れて妖怪になったりして。


「他には、進化するとどうなるの?」

「私たちの一族以外だと、普通は体が大きくなったり筋肉が発達したりして闘気をより多く捻出できるようになります。獣化した状態だと1度の進化で前の倍以上の力を手にすることができるそうです」


 闘気については、魔力に関する授業で習ったことがある。

 言うなれば、捻じ曲がった魔力、自然界には存在せず獣人の体内でのみ存在が確認されているもの。

 ただし、闘気による魔法行使には至らない。

 裏返しに、闘気があるからこそ、獣人には獣化のスキルが備わる、と考察されているらしい。


「となると、聖戦でプライム・ソアリングは『太陽を覆い隠す体躯の翼、羽が地上に落ちると風が吹き起こる』と表現されて、脚で竜を襲い突き落とす描写があったけど、もしかして、比喩じゃなかった?」

「王になってからは常に獣化し、隙を見せなかったフェザーキングの逸話は、私たち獣人の子供たちの間では憧れでした」


 獣人なのに、人型で描かれてない描写に色々と推測を飛ばしていたけど、凍りついた謎が一つ溶けた。


「それじゃあティナの一族だと?」

「私の一族の場合は、精気が増します」

「精気?」


 またもや、聞きなれない。


「精気は闘気と対をなすもの。体を強化する闘気に対し、精気は獣人の種族に見合った魔法のような力を授けてくれます」


 今夜は新情報がいっぱいで、ちょっと頭が追いつかなくなってきた。


「私には、双子の弟がいました。100年前、勇者様の訪れによって和らぎましたが、獣国には今でも弱肉強食の概念が強く残っています」

「ベルだね」

「はい。ベル様は獣国の内戦を治めた英雄です。その圧倒的な力で当時の6の大種族長をねじ伏せ、今の獣国の基盤を作った方です」


 かつて国境を超え、あらゆる偉業を成し遂げた者。


「《獣化》そして《羅針盤》という二つのユニークスキルを持っていた私に対し、弟は《羅針盤》のスキルは持っていたものの、獣人誰しもが持っている《獣化》のスキルを持っていませんでした。両親は突然変異だと言っていました。普通、犬耳の狐族である私たちの髪や尻尾、耳の色はキツネ色です。しかし、私と弟の毛色はご覧の通り、紺色でした」


 自然における変異は進化において重要なファクターだが、双子に染色体異常が見られる一方で、片方には障害に類する症状が出ているとなると、想像しただけで厄介な気がする。


「母は言いました。『このままでは弟は弱肉強食の世界で生きていけなくなる。だからこそ平和が訪れたおかげで認められた、知恵を絞って皆を導ける職になんとかつかせたい』。それを実現する方法はただ一つ、弟が家名を継ぎ、種族の代表として犬耳族を統治すること」

「家の名前が、力になる……」

「はい」


 餅は餅屋か……大体、察した。


「ですが、話はそう上手くいきませんでした。私がいたから……同じ家、同じ日に生まれたとはいえ私は弟の姉であり継承権は私にありました。他の家の目があるから、権利を賭けて決闘の真似事もできなかった」


 血を分けた双子の弟。

 話の中でしか知らない彼は、一体ティナにとってどんな存在なのか。

 身を奴隷に窶してまで、庇護するほどの情はあったのか。


「強い精気使いである母は私を事故死したことにし、奴隷の待遇の良いこの国に寄こしました。私は普通より強い力を秘めている、もっと厳しい世界でも何とかなるはずだ……だから弟のためにと全てを隠して」


 本当に子供思いの母親なら、一方の子のためにもう片方を手放すような真似はしないだろう。

 もっと別の道を模索するはずだ。

 戦う力を持つことのできなかった我が子を選び、力を持つ子を厳しい世界に隠した。

 なんとも言えない怒りが沸々と湧いてくるが……しかしどこか、ティナの母親の考え方が合理的だとも考える自分もいる。


「母から初めて話を聞いた時はとても驚きました。それまで厳しく育てられて、おかげで礼儀作法も身につけられて、こうしてマクレランドさんの商会に買って貰えたから……」


 子供の時の経験というのはとても大事なもののはずだ。

 前世でそれが希薄だった分、なおさらその大切さを僕は知っている。


 葛藤が生まれる。


 親の気持ちはわからないが、子の立場としては、一緒にいようと抱きしめてほしい。

 愛していると温かく囁いてほしい。

 それでも……僕がじかんをあげるから、泣かないで……。

 今際の際、最後の言葉に家族の幸せを選んだ身として、ティナの気持ちを和らげてあげられる言葉が見つからない。

 だからこそ、ティナの母親を許したくない。

 厳しく躾けたのは、別れの時に我儘を言えないよう丸め込むためだったのか。

 足を踏み入れたことのない外に目を向けられるのだったら、弟に知識を蓄えさせて、弟の方を幾ばくか力の闘争の少ない国外に出してやったりしてはやれなかったのかと、もっと責めてやりたい。

 ダンジョンや奴隷制度がなんだと、歯を食いしばりたくなる。


 話を聞いただけで、これだけの思いを連ねて、どうにかティナの味方でありたいと考えてしまっている。

 自分を重ねてしまい突き放せない……彼女に情が、移ったか。


「それじゃあ、ティナ。ティナの名前は、どう呼べばいい」


 僕は最後に、彼女に名前を尋ねる。 

 ここまで話してくれた上で、ティナはどちらの名前をとるのか。


「私の名前は……」


 今の彼女は一体どんな表情をしているのか。

 悲しい、寂しい、辛い……はたまた開き直ってしまっているのか。

 こんな大事な審判の時でも、空では燦然と星たちが輝いている。


「私の本当の名前はカヴァティーナ・ル・ピクシス。ティナはみんなが私を呼ぶのに使っていた愛称です。だから、ティナと呼んでください」


 ティナは僕に本当の名前を教えてくれた。

 それでも、巡り合わせが訪れればいつかまた家に戻りたいのか、それとも、単なる情報の一つとして教えてくれたのかはわからない。

 ただ一つ、僕の脳裏に浮かぶのは、こうして誰かと夜空を眺めていると思い出す前世の家族との記憶だった。


「リアム様?」


 本当の名前を聞いて黙り込んでしまった僕に、ティナが不安そうな声で話しかける。


「……ちょっとね、思い出していたんだ」


 ティナに名前を呼ばれ現実に戻った僕は、自分の世界に入ってしまっていたことを謝る。


「僕が生まれた時に世界からもらった記憶にね、ベートーヴェンって人が作曲したカヴァティーナっていう曲があるんだ」

「私と、同じ名前?」

「そうだね。カヴァティーナは弦楽器の四重奏でとても美しい旋律、特にこういう綺麗な星空を見上げながら聴くことができれば、それはもう嫌なことを全部忘れさせてくれるくらい」


 ベートーヴェン作 弦楽四重奏曲第13番 第5楽章 Cavatina。

 故郷の秋の夜風、子供の頃両親と空を見上げながら聴いた古い異国の歌。

 カヴァティーナは叙情的な旋律主体が特徴の器楽曲、または声楽曲という意味の一面も持つ。


 生まれつき体の弱かった僕が体調を崩し学校に行けず、家で退屈していたまだ残暑残るある初秋の頃、平日にも関わらず仕事で忙しい両親が時間を作ってくれ、気温の丁度良い夜に星を観に連れて行ってくれた。

 この時、父がかけてくれた曲が、カヴァティーナ。

 荷物を増やして態々レコードで流すあたりが父らしかった。

 あまり有名な曲ではなかったものの、書斎でお気に入りのこの曲を聴きながら読書する父の姿は今でも鮮明に思い出せるし、星の散らばりを子守唄にしたあの日の思い出を忘れられないものとしてくれた。


 感傷に浸り空を見上げていれば、どこからか、そよ風に乗って運ばれてきたように優しい旋律が聞こえてきた。


「これは」

「記憶から、曲を再現してみました。どうでしょうか?」

「なんでもありだな」


 これは、今後ミュージックプレイヤーとして使えるかもしれない。


『今回はティナのためにサービスで流しましたが、今後は私に自由にできる魔力100を払っていただけると、1曲流します』

『おい。って魔力もらってどうするんだよ』

『単なる趣味です』

『……そうか』


 今ではイデアはティナのことを単純な固有名詞呼びだ。

 それほどまでにこの短時間で仲良くなったというのか。

 今はただ、懐かしい思い出の曲に浸りながら、ただただ幸せな時間を過ごしたい。


 スヤスヤと寝息を立てるティナの目尻から一筋の涙が流れる。

 表情はとても穏やかで幸せそのものだった。

 満足してもらえたみたいだ。


「おやすみ、ティナ」


 森の中にぽっかり空いた穴から覗き輝く星々。

 いつの日か、あそこに人の手が届く日がやってくる。

 そんな夢のように果てしなく長い道のりであるが、きっとティナの心が晴れる日も来るはずだ。

 面倒ごとをと思う人もいるかもしれない、偽善だという人もいるかもしれないが、この日、僕はそんな彼女が一日でも早く自由な生活に戻れるようにと手助けすることを願った。

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