37 Scorch
── 翌朝──
「ん……朝」
窓から差し込む日の光を受け、目を覚ました。
「なんだか体が重い……エリシア?」
胸元から下肢にかけて、いつもは感じることのない重みを感じた。
重さの原因を確かめようと、両手をついてゆっくりと抜け出す様に下半身を後ろに引くと、エリシアがスヤスヤと寝息をたてて膝の上で眠っていた。
「ん……ん〜、リアム……?」
目を覚ましたエリシアが目をこすりながら片手をついて体を起こし、僕の目の高さまで顔をあげる。
体勢は、エリシアが僕に覆いかぶさる、そんな感じだ。
「……」
「……」
訪れる沈黙の中、外の庭で小躍りする小鳥たちの鳴き声のみが部屋に響き渡る。
「はぅ……」
沸騰するお湯につけた温度計の灯油のように、エリシアの顔が真っ赤になる。
「エリシア様、リアム様、朝食のご用意ができました。準備ができましたら、ダイニングまでお越しください」
部屋の扉を叩く音。
朝食の準備ができたことを知らせに来たバットの声が廊下の方から聞こえてきた。
「わ、わかったバット! 直ぐに行く!」
聴きなれた声にハッとなったエリシアは、直ぐ様、後ろに跳びのき少し距離を取ると返事をする。
「では、お待ちしております」
バットはエリシアの返事を聞くと、そのままダイニングへと向かっていった。
──ダイニング──
「おはよう」
「おはよう二人とも、昨晩はゆっくり眠れたかしら」
朝食の並べられた机に僕たちが着くと、先に食事を始めていたヴィンセントとリンシアと、挨拶を交わす。
「おはようございます。お父様、お母様。今日はお母様も一緒に朝食を摂ってるのね!」
「ええ、昨日の今日ですもの。あなたたちの様子が心配でね」
丁寧に朝の挨拶を交わしたが、エリシアは、普段は一緒に朝食を摂ることがないリンシアがいることに興奮を隠せない。
「おはようございます。あの、父さんと母さんは?」
「ああ、ウィルさんたちなら先に朝食を摂られてお仕事に行かれたわよ。なんでも、ウィルさんは今日約束していた仕事があるとかで、アイナさんもその準備をお手伝いするために先に家に帰られたわ」
「そうですか。わかりました、ありがとうございます」
「アイナさんとはもっとお話をしたかったのだけれど……また是非、いらしてくださいとお伝えいただけるかしら?」
「はい、もちろんです」
バットがクロッシュの被せられた朝食を取り去ると、初めにソーセージの香りが広がった。
「これは我が家の毎朝の食事だ。気に入ってくれると嬉しい」
「とても美味しそうですね」
プレートの上にはソーセージ、黒い胡椒が一つまみまぶしてあるスクランブルエッグ。
ボウルに入った野菜を空いたお皿に後ろからバットが盛り付けてくれる。
テーブル中央に置かれたバケットから更に注文した個数のパンもとってくれた。
僕は1つだけ頼んだ。
スープを口に含みながら食べきるには十分だ。
「おいしい」
理想の朝食だった。
白パンだがポソポソと口触りが滑らかでなかったり、サラダにドレッシングはなく塩とオリーブオイルでの味付けだったりと、食べ方には多少のギャップもあったが、この世界に来て、この様に贅沢な朝食を摂ったのは初めてだった。
「ところで、昨日は上手く事は進んだかな? よければ契約の印を見せてくれ」
「契約の印?」
朝食を終えた後、食休めの間に吸血による魔力契約が上手くいったかどうかを聴くヴィンセントに、質問を返した。
「我々が吸血によって魔力を交わらせて繋がりを作ると、それぞれの体のどこかに印が刻まれるものだ。この様に」
ヴィンセントは左手を掲げて見せた。
その薬指に指輪の様に絡みつく紫紺の印を出現させる。
「普段は見えないが、魔力を込めれば自然と浮き上がる。リンシア同様、大抵は左手の薬指に浮き上がるが、リアム君たちにもそれがしっかり刻まれているかを確かめてほしい」
印をしまったヴィンセントは、印の確認を勧める。
「あった! 出たよ、お父様!」
左手に集中して魔力を巡らせたエリシアが、薬指に描き出された印を掲げて見せる。
「あれ、出ない……」
「ふむ。他の場所、指や腕、足はどうかな」
「……ありません」
魔力を巡らせた僕の体のどこにも、印が現れる事はなかった。
「なぜだ……エリシアの指には印が刻まれている。それに君から本当に僅か、微かにだが私の中の魔力と類似する小さな魔力を感じるのだが」
「魔力? あの、もしかしなくても、魔力契約ってお互いに何か影響があったりするんでしょうか」
「ああ。魔力契約を結ぶ際、そこに魔力量の差があればあるほど、相手に何かしらの影響を与えやすい。エリシアは人の血も引いているから、特に多少の差があってもマイナスな影響はないだろう。一方で、君は、エリシアの持つ魔族の魔力を身に宿すことになるのは先に説明した通りだ。君の魔力は相当なものだと聞いている。消え入りそうなロウソクの火の様に弱々しいが、確かに君の中にそれを感じるのだよ」
ヴィンセントは、どこにも印の顕れなかった僕を時折見ては、そのままブツブツ唱え始めた。
「エリシア様、リアム様。 とりあえず、ステータスを確認してみてはいかがですかな?」
「そうね、魔力契約が結ばれていれば称号の欄にその事が追加されているはず。それに、ああなったヴィンスには、暫く何を言っても無駄よ」
いい案だ。
「「ステータス」」
僕たちは自分たちのステータスボードを静かに確かめる。
「どう? 二人とも、魔力契約の表示はあったかしら?……エリシア!? リアム君!!」
一度目の呼びかけに返事をしなかった事で異変を感じ取ったリンシアの声が荒くなる。
「あっ……」
「お母様?」
「二人とも大丈夫?」
「すみません。ちょっと想定外の変化があって」
「私も、ごめんなさい」
「エリシアも?」
「うん。その、よくわからないけど、魔力の値が見たこともない数字になっていて」
「エリシア……よかったらそのステータス、私にも見せてくれないかしら」
「どうぞ」
「ありがとう。《魔力契約:リアム》。魔力契約は上手くいったよう……ッ魔力1万と920!? なにこの異常な数値!!?」
「なんだと!?」
独り言を呟いていたヴィンセントもエリシアのステータスボードを食い入るように見る。
「エリシアの魔力は1000に届くかどうか。それでも、人種の成人平均魔力と同等程度であったはずだ。少なかったわけではない」
「リアム君も魔力が増えていたとか?」
「いいえ、魔力は元の数値から変化なかったです。でも、称号の他にスキルが変化していました」
「なに?」
「魔眼が、《魔眼:魔族の血胤》と変わっています」
「ヴィンス……これって」
片眉を上げていたヴィンセントの両目が大きく見開かれる。
青天霹靂か、曇天霹靂か。
「リアム君は魔眼持ちだったのか……素晴らしい。まさか、我が母を模倣するものが現れるとは」
ヴィンセントが目頭を押さえ、俯いた。──と、緊張していたら、顔を上げて天井を仰ぎなんとも感慨深そうな素振りを見せた。
「模倣という事は、前例があるんですね?」
「そうだ。君は魔眼についてどのくらい知っている?」
「確か、先天的なものと後天的なものがあって、先天的なものは種族的に生まれつき所有している魔眼。後天的なものは大量の魔力が眼に集積した結果、誘発的に獲得する眼の力を強化する。自分のステータスの説明にも『純粋な魔力が集積した眼』と出ていました」
「大方はあっている。中には生まれつき種族的な能力が内在的に存在しながら、後から覚醒する魔眼もあるが、リアム君が言ったように、基本的には先天の魔眼と後天の魔眼とでは特徴が大きく違ってくる。先魔眼と後魔眼と区別され、君は後天的な魔眼であるから後魔眼を有していることになる。人種であれば母から聞いた話、3千ほどの魔力でも保有していれば誰でも習得ができるはずだ」
貴族等を除く人種の平均保有魔力量は成人で千程度、その値には3倍ほど足りていない。
「純粋な魔力が集積した後魔眼はあらゆる魔法の媒体となり得る。私が把握している話では、父と魔力契約をするときには既に、母は後魔眼を獲得していたようだ。そして、我が母は父と魔力契約を交わした際に、新しい魔眼に目覚めた。それが《魔族の血胤》だ。血胤といえども、君の体が変質したわけではないから、安心して欲しい」
リンシアのこともあるから、宥めるのもわかる。
「リアム君、左目に少量でいい。吸血の時、君が感じたエリシアの魔力を意識しながら、魔力を通してみてはくれないか」
「はい」
「……違ったか、では右目で同じように頼む」
「わかりました」
右目の魔力が少し、吸われた。
しかし、失ってはいない……変質した?
「……この浮かび上がった印はまさに魔力契約と同じもの。リアム君は母と同じ力を手に入れたということか」
瞳は青色。
魔眼を使おうと魔力を目に集中すれば、普段はうっすら淡い青白い光を含む。
それが今は、右の瞳の中央に魔力契約と同じ印が浮かび上がっているらしい。
窓の方を見て確認してみると、右目に印が入っていた。
「魔眼の力は使いたい時に使えるはずだ。魔力の扱いのように、君の意思によって従来の後魔眼と容易に切り替わるだろう。それより、せっかくだから、君が授かった力の使い方を教示したい。どちらの腕でもいい。こう、自分の腕が大気中に溶けるようなイメージを頭の中で浮かべてみなさい」
言われるがまま、自分の両腕を数秒見つめた後、目を瞑ってイメージに集中する。
「リアムの手がッ!」
エリシアから、悲鳴のような声が上がる。
「……手が、手がない!!」
目を開けると、手首から先が無くなっていた。
代わりに、腕から黒い霧が出ていた。
「成功だ」
「ヴィンス、ちゃんと説明してあげないと驚きと混乱で制御もままならないわよ」
「ああ、そうか。すまない」
「ヴィ、ヴィンセントさん、これは!?」
「リアム君、落ち着きなさい。大丈夫、君の手はちゃんとある。見なさい……どうだ? 私の手も霧になって……戻ったであろう?」
ヴィンセントの右手が黒い霧になって、無形を象った後、元の肉付きある手に戻してみせた。
「感覚は残っているはずだ。元の自分の手の感覚と漂う霧の感覚が混じった感覚だ」
「はい、あります……」
「霧の感覚を、残っている手の感覚に集中させてみなさい。そうすれば元通り、綺麗に戻る」
「……戻った」
「だが、これから先を考えると、今みたいに自力で戻す練習も行っていた方がいいだろう。とても有用な力だ……我が母は偉大な母だ。人の世では勇者を父とともに支えた友人であり、魔族の理においてはブラッドレイク家が一角を担う、ダン・スカーよりスカアハを名乗ることを認められ、今では父に代わり魔国で吸血種の代表として評議会に参加するほどだ」
「お義母様はお忙しい人だから、まだ私もエリシアも会った事がないの。魔国は遠い所にあるし、私の体がこんなだから中々訪問が難しくて」
そういえば、エリシアの祖母はまだ魔国で生きているらしいが……何歳なんだ。
魔力量が寿命に影響するという説をケイトから聞いたことがあるが、魔族の血胤が、寿命に影響を与えることがあるのだろうか。
「リアム君は多才ね。昨日だって、初見で私の魔力変異も見抜いたし」
「なんだって……リンシア、君から魔力変異について話したのではないのか?」
「私がお話しする前に、見抜かれました。慧眼です」
「……リンシア、今すぐに魔力の調整を始めなさい」
「えっ?」
「エリシアは席を外していてくれ。私はリアム君に頼みたいことができた。バット、頼む」
「お父様?」
「畏まりました。さあ、お嬢様」
「ば、バット!?」
バットに背中を押されて、エリシアは一旦退出となる。
「ヴィンス、どう言うこと?」
「彼が飛び級し、スクールでエリシアと同じ学年であったこと。そんな彼とエリシアがこうして魔力契約を結び、早くに種族癖を克服できたこと。そして、魔族の血胤まで所得してみせたこと。それぞれが大切な過程であり運命。しかし、神の導きか、まさか彼がここまで我が家に影響を与えられる存在だとは思いもよらない」
「やめて、ヴィンス。リアム君にはもう、十分力になってもらってる。巻き込まないであげて」
「……まだ幼い君に私は既に願いを聞いてもらい、これ以上君に頼る厚かましさは自粛すべきでとても恥ずかしいことなのかもしれないが、君に、改めてリンシアの診察をお願いしたい」
先日のエリシアとの婚約を持ち出した時を思わせるような真剣さだ。
だが、この願いは……眉間に皺が寄るようだ。
 




