魔穿のホワイトブラスト
1
振り下ろされた長剣をすんでのところで躱して、俺は引き金を引いた。〝破壊弾〟の直撃に、剣を地面にめり込ませた骸骨戦士の頭骨が爆散する。頭を失った骸骨戦士は全身の骨もバラバラになり、土の上に崩れ落ちた。
「おいハクア! このままじゃキリがねぇぞ!」
カイヴァンが三体の骸骨戦士を同時に相手取りながら叫んでいる。叫びながらも大剣の横薙ぎで一気に三つの骸骨の頭を粉砕したのはさすがだったけど、そんな彼の肩は激しく上下している。新調したばかりの鎧にも傷が目立っていた。
「下手すりゃ全滅だ! ここらで撤退するか決めねぇと!」
「わかってる!」
カイヴァンに指摘されるまでもなく事態は理解している。俺たちの前には、まだ五十を超える数の骸骨戦士がカタカタと骨を鳴らしていた。一体一体がたいした強さでなくても、まとめてかかって来られたらひとたまりもない。
敵集団を警戒しながら、背後を盗み見る。村人たちの後ろ姿が遠くに見える。ここまで時間を稼いだかいがあった。あれなら逃げ切れるだろう。
だけど問題は──
「アズリさん、そっちはどうですか! ハナの容態は⁉︎」
「……まだ動けぬな」
青いつば広帽子をゆるく振って答える間も、アズリさんは応急処置の手を休めない。その手は真っ赤に染まっていた。
地面に膝をつくアズリさんの前には、背中を斬られたハナが気を失ったまま横たわっている。青ざめた彼女の顔を見ていると、失策を後悔せずにはいられない。
最初はこちらが有利に戦いを進めているはずだった。
骸骨戦士から村人たちを助けるために、俺たちは奇襲を仕掛けた。まずアズリさんが爆撃の魔術を敵集団に叩き込んで、俺とカイヴァンが突撃して囮になる。
そのまま殲滅できそうだと思ったところで異変が起きた。敵の数が一気に増えたのだ。
どこからともなく現れた増援に俺たちは押され、村人たちの避難誘導に当たっていたハナがとうとう凶刃を受けた。それからはハナと、治療を行うアズリさんを守るため、防戦一方だ。
舐めていた。たかが骸骨と心のどこかで侮っていた。そのせいで──!
「だが、これ以上の治療はここでは望めん。退却するぞ」
アズリさんの提案にカイヴァンが頷いた。俺も益体のない思考を打ち切る。
「ハナの傷が塞がっておらんゆえ、そう速くは動けぬ。二人とも、殿は頼むぞ」
「おう! 任せな、アズリ姐さん!」
自身を鼓舞するように応じたカイヴァンが大剣を構え直す。飾り気のない兜の下、その眼に決死の覚悟が満ちているように見えた。
「……いや、カイヴァン」
そんな彼の前に進み出て、俺は右手に持つ大型拳銃──〝天刻銃〟を両手で構え直し、その銃口を骸骨の群れに向けた。
「殿は俺が引き受ける。君はハナを抱えて、アズリさんと先に撤退してくれ」
「バカ言え! おめぇ一人で食い止められるわけねぇだろうが!」
「二人いたって同じだ!」
口論しながらも俺は銃身に意識を集中した。それに伴って天刻銃の抜き身の剣を思わせる銃身に白い光がまとわり、徐々に輝きを増していく。
増幅状態で放つ破壊弾なら、骸骨どもをまとめて倒せる。まあ一撃で全滅させるのは無理だろうし、増幅は連発できないから、結局その後は敵の物量に押されることになるだろうけど。
そうなったとき、力持ちのカイヴァンがハナを抱えてアズリさんと全速力でここから離れてくれていた方が、厳しくとも、俺も逃げの手を打ちやすい。
「これが最善手のはずだ……ハナを頼む、カイヴァン」
「ハクア……!」
背中に仲間の声を聞きながら、俺は引き金にかける指に力を込める。
──銃口の先で、骸骨戦士が崩れ落ちたのはそのときだった。
脚の骨が砕けて、背骨が折れて、頭蓋骨がヒビ割れて、地面に硬い音を立てて白骨が転がる。一体だけじゃない。ひしめいていた全ての骸骨戦士が一斉に、まるで生者じゃないのを思い出したかのようにバラバラに崩壊したのだ。
「なんだ……? おめぇ、何かしたのか?」
カイヴァンの疑問は俺が言いたいものだった。
耳が痛くなるほどの音の後、残ったのは大量の骨の山。それとまるで実感の湧かない『助かった』という事実だった。
2
〝魔王〟を名乗る侵略者の軍勢が各国へ侵攻を始めてから、じき半年になる。
国がいくつか滅ぼされ、〝魔王〟の支配圏が拡がる中で、小さな集落が魔物に襲われるのは珍しいことじゃない。今回のように住民の救助が間に合ったのは幸運なことだったし、助けた村に医療施設があったのは奇跡的なことだった。
「医者によると、もう出歩いても大丈夫だそうです」
診療所の寝台で半身を起こしたハナの表情は、回復の報告をしているとは思えないほど暗かった。
「ただ傷に障るから激しい運動は避けるようにと……申し訳ありません、ハクア様」
「……いや、いいんだ」
白い患者服に長い金の髪を垂らして詫びるハナに、俺はなんとかそれだけ返した。椅子を勧められたが座る気にもなれない。
骸骨戦士との戦いから丸二日たっていた。
俺たちは天刻銃の封印を解くべく旅をしている。天より授かったこの武器こそが魔物に対抗できる手段なのだけど、今の天刻銃は本来の力が封じられているのだという。〝魔王〟を倒すためにも一刻も早く、全部で七カ所の封印の地を回らなければならなかった。
だというのに治療のために二日も旅を足止めさせてしまったことに、ハナからすれば忸怩たる思いがあるんだろう。だけどその負傷は俺の失策が招いたことだ。彼女の責任じゃない。
そこは問題じゃないんだ。
「私が怪我してなければ、きっと今頃は予定通り、天刻銃の第二封印が解けていたはずですのに……」
「そのことだけど、ハナ」
後悔に身を震わせる彼女に追い討ちをかけるのは気が引けた。だけど、言わなくちゃならない。
「ハナ、君をここに置いていく。怪我が治ったら、故郷の街に帰ってくれ」
「え……⁉︎」
ハナと目が合った。怯えたように揺れる瞳が何かを強く訴えていた。それから目を逸らしたかったけど、俺は我慢して、言葉を重ねることにした。
「もう君とは旅を続けられない。故郷に帰って、俺たちを待っててくれ」
「ハクア様! 怪我ならすぐに治ります! どうか私をそばに置いてください!」
「そうはいかない。怪我だけが理由じゃないんだ」
取りすがろうとするように伸びた彼女の指から、俺はさっと離れた。
「封印の地に近づくにつれ、魔物がどんどん強くなってる。骸骨戦士のときみたいに追い詰められることも、今後きっとあると思う。そんなときに、君を守りながら戦う余力なんて、俺にはない」
ハナには魔物と戦う力がない。武器を扱えないし、魔術も使えない。
それでも俺を手助けしたいと言い張る彼女を連れて、ここまでやって来た。だけどもう限界だ。
「足手まといだ。自力で戦えない人をこれ以上連れて行けない」
「……わ、私」
ハナ自身、自分の非力さについては反論できないようだった。その痩せた白い頬に涙がつたう。
「私、ハクア様のお役に立ちたいです……どうか……」
「……どうやって? 戦いの場で、丸腰の君に何ができるんだ?」
「……ハクア様を、お守りします」
聞きたくない返答だった。
「この命あるかぎり、ハクア様の盾になります」
「……話にならないな」
言うべきことは言った。溜め息をついて、俺は彼女に背を向ける。
「ついて来ないでくれ。迷惑だ」
言いすぎかとも思ったけど、このくらい強く言わないとハナには伝わらない。すすり泣く声を意識的に無視して、俺は診療所を後にする。
痛いくらい日差しがきつかった。春から夏に移ったのだと嫌でも実感する。木陰には、大剣を背負った金属鎧の大男と、つば広帽子にローブ姿の、精霊樹の杖を携えた妙齢の女性──カイヴァンとアズリさんが待ってくれていた。
「……もういいのかよ?」
「ああ。こんな暑い日に長く待たせてたら、カイヴァンが蒸し焼きになっちゃうからな」
「冗談言ってねぇでよ。ハナちゃん、わかってくれたのか?」
ハナの力不足と今後の旅の危険性に関してはカイヴァンも頷いてくれていたけど、俺より少し上の年齢にしては老けた顔には、眉間に皺が寄っていた。
「幼馴染なんだろ、おめぇら。別れるにしたって、もっとしっかり話しとかなくていいのか?」
「ないよ、話すことなんて」
この二日間で考え抜いた結論だ。ハナが嫌がったって変える気はない。尽くす言葉はもうないはずだった。
「カイヴァンこそ、話して来なくていいのか?」
「はっ、よせやい。サヨナラが辛くなんだろ」
笑い飛ばしながらカイヴァンがそっぽを向く。診療所を視界に入れないようにしているようだった。
対照的にアズリさんは俺たちが話してる間もじっと診療所に青く澄んだ瞳を向けていた。アズリさんは最後まで、ハナを旅から離脱させることに否定的だった。
「怒ってますか?」
「……いや」
ローブの裾を翻して、アズリさんが木陰から歩み出る。
「少し寂しいだけだ」
そのまま村の外へ歩いていくアズリさんに続いて俺とカイヴァンも木陰を出た。
地図によれば二つ目の封印の地は、この村からほど近い森の中にある。魔物との戦闘を考慮しても、日が暮れるまでには封印を解いて森を出られるだろう。
ハナが抜けて三人になったことで移動速度が上がったのもそれに一役買っていた。
「もしもあの子に……」
目的の森が見えてきたところで、アズリさんがポツリと沈黙を破った。
「あの子に魔術の才覚があったなら、我が手ほどきしてやれたのだがな。儘ならぬ物よ」
「そういやアズリ姐さんが仲間になる前はハナちゃん、魔術師になろうとがんばってたんだぜ」
「そうだったのか」
カイヴァンの言葉がよほど意外だったのか、帽子の下には珍しく驚きの顔があった。
「さぞ苦労したろうな。魔術は棒振りとはわけが違う。志一つで成せるものではない」
「お言葉ですが姐さんよぉ、棒振りだってバカにしたもんじゃねぇんだぜ? 俺の大剣捌きだって長年の技術がぎゅぎゅうっと凝縮してんだ」
「はは、剣だって簡単に扱えるものじゃないよな。実はカイヴァンが来てくれる前はさ、ハナは剣士になろうとしてたんだ」
「は? マジかよ」
俺の言葉に今度はカイヴァンが驚く番だった。驚きながら記憶を浚うように顎を撫でる。
「言われてみりゃ小っせぇ剣を持ってたな。護身用かと思ってたが、ひょっとしてその名残か」
「ハナの体力だとあれが精一杯だったから。カイヴァンが仲間になったからすぐお役御免になったけどね」
あのときのハナは、天刻銃で戦う俺を守るために前衛になろうとしていた。〝私、ハクア様のお役に立ちたいです〟──診療所で泣きながら言っていた、あの言葉を口にして。
彼女の涙を最後に見たのは、旅に出る少し前だった。燃え落ちる屋敷の中、炎に巻かれて諦めたように座り込んでいたハナを、俺は「俺の家族と、ほかの使用人たちは無事だ」と嘘をついて強引に外へ連れ出した。泣きじゃくるハナを、俺は謝りながら懸命に宥めた。
今回はあのときみたいには謝れない。
「──嘘のように冷えたな」
森に踏み入ったアズリさんの呟きは俺の感想と同じだった。枝葉で太陽の光が遮られているだけでこんなに気温が低く感じられるなんて。涼しいを通り越して肌寒いくらいだ。
「日光浴びまくってた俺の鎧はポカポカしてるぜ。どうだい姐さん、温まるぜ」
「暑苦しい。間に合っておる」
ポカポカを通り越してギラギラする金属鎧から離れながら、先へ進む。湿った泥土に靴が沈むのが気持ち悪かったけど、その不快感を長く味わうことはなかった。目的地が見えたからだ。
封印の地──木々の開けたそこには、この世界の創造神を象ったとされる像がまるで大地の一部であるかのように立っていた。いつ、誰によって作られたのかも定かじゃないこの純白の像に天刻銃をかざすことで、本来の能力が解放されるはずだ。
「よっしゃ到着! これで強ぇ必殺技が増えるな、ハクア!」
「ああ、そうだと助かるな」
第一封印のときに解放された能力は増幅だった。最初から撃てる破壊弾の威力を上げられたのはありがたかったけど、できれば今回は、戦術の幅が広がるような能力であってほしい──
「待て、ハクア」
神像に近寄ろうとした俺の足を、アズリさんの鋭い声が止めた。振り返れば、彼女の杖の先端に魔術の光が灯っている。
「アズリさん⁉︎」
「随分と魔物のおらぬ森だと思っておったが、よもや神像の前に陣取っておるとはな。二人とも構えよ!」
鋭い警告をアズリさんが発した次の瞬間──
神像の周りの泥土が破裂したようにめくれ上がった。
3
噴き上がった土塊の向こうに、地中に潜んでいた魔物が立ち上がるのが透かし見えた。
「おいおい、また骸骨戦士かよ!」
「気を抜くな。先だって遭遇したものと様子が違うぞ!」
アズリさんの言う通り、現れた十体の骸骨戦士は全身の骨が赤黒いという、第一印象から異常なものだった。加えて骨の一本一本が長くて分厚い。しかも首周りといい肋骨といい、明らかに骨の数が多かった。どう考えても人間の骨じゃない。
「──なかなか目端の利く女じゃないか」
そしてずらりと並ぶ骸骨戦士の後ろ、神像の側に細身の影が現れていた。
黒ずくめの服を着た背の高い、若い男だった。短く収まった銀髪の下では憂いを含んだ赤瞳がアズリさんに向いている。
男の俺でもハッとするほどの美形だったけど、その声は耳を疑うくらいに、老爺のようにしわがれていた。
「誰だおめぇは! 姐さんに色目使ってんじゃねぇぞ!」
「誰だ、か。儂の名はツィンドロという。この骨どもの主、と言えば通りが良いかね?」
ツィンドロと名乗った若者──いや、そう見える魔物は嘆かわしげに首を振った。
「貴様らが神像に近付いたところで襲う算段だったが、いささか見くびっていたか」
「ハッ、そんな小細工が通じるかよ、バカヤローが!」
自分が見破ったわけでもないのにカイヴァンがここぞと罵倒する。
「ま、敵に名前訊かれてバカ正直に答えてんだから、頭の中身はお察しだけどな」
「心外なことを言う。儂ばかり知っているのも不公平と思ったから教えたまでだよ、カイヴァン君」
「なっ……⁉︎」
名前を呼ばれてカイヴァンが声を詰まらせた。たぶん俺もカイヴァンと同じような表情をしていただろう。
「そう驚くこともない」
ツィンドロの表情に変わりはない。けど、その声には俺たちの反応を面白がる響きがあった。
「二日前、貴様らが互いに呼び合っていただろう。ハクア、カイヴァン、アズリ……そういえばもう一人いたな。ハナとかいう小娘はどうした? 死んだか?」
「……村を襲った骸骨戦士は、やはりこやつの仕業か」
アズリさんの呟きに、俺の頭にあのときの光景が浮かぶ。
ハナを斬られて、なんとか撤退しようとする俺たちの前で、骸骨戦士たちがなぜか勝手にバラバラに崩れたあの光景が。
「骸骨戦士を自壊させたのも其方だな。何ゆえそんな真似をした? あの物量で攻めれば我らを一網打尽にできたであろうに」
「心にもないことを。あの程度では貴様らを滅ぼすには至らなかったろうよ」
アズリさんが冗談で言ってるとでも思っているのか、ツィンドロの声には低い笑いが含まれていた。だというのにその表情に動きがないのが気味が悪い。
「……?」
そのとき俺は、アズリさんが横目で俺を見ていることに気付いた。
「たしかに深手は負わせられたろうが、そうすれば貴様らは骨どもを警戒するようになっていたに違いない。儂の前に現れる頃には何らかの対策をしていたかもしれん。それは面倒だ……人間に負ける気などせんが、不確定要素は排除しておきたい」
アズリさんは杖を両手で構え、光を灯した先端を敵陣に向けている。その杖に添えた細い指をアズリさんはゆっくり伸ばし、そして杖を握り直すように一本ずつ折っていく。
これは奇襲するときのサイン……秒読みだ。
五秒前──
「だから使い捨てたまでよ。案の定、貴様らは何の備えもせんまま儂の懐に──」
「撃てハクア!」
号令に魔術の閃光が重なった。
アズリさんの杖から放たれた光が宙を切り裂いて、骸骨戦士の胸元で炸裂する。そのときには俺も、右手に握った天刻銃を突き出し、引き金を絞っていた。魔術の爆発にたじろいだ骸骨戦士の頭に破壊弾を撃ち込む。
一般的な拳銃と違って、天刻銃に弾丸はない。破壊弾は俺の意思で装填される、魔術の光弾に近いものだ。だから弾切れの心配はない。十体の頭蓋骨を一気に壊すつもりで撃ちまくる。
「やれやれ……無駄な行いは、備えのない者の特権よな」
「⁉︎」
魔術の爆裂と破壊弾の連射を浴びながら、赤黒い骸骨戦士はまるでダメージのないように長剣を持ち上げた。間違いなく頭に破壊弾を命中させたのに、着弾箇所は少し削れているだけだ。
「人間の脆弱な骨と一緒にしてくれるなよ。そやつらは同胞、魔族の骨だ。耐久性は比べものにならんて」
ツィンドロの嘲笑に合わせるように、骸骨戦士たちが地面を蹴った。四体がまったく同じ動きで長剣を振り上げて迫ってくる。
しかし迫る長剣は、風を巻いて振るわれた巨大な刃にまとめて受け止められた。
「俺にも送ってくれよなぁ、奇襲の合図!」
刃同士の奏でる高い音に負けずに怒鳴りながら、カイヴァンは身の丈程もある大剣を振り抜いた。押し飛ばされた骸骨戦士たちが背骨から泥土に倒れ込む。最も吹き飛ばされた個体は神像に頭から激突し、その頭蓋骨を半壊させて動かなくなった。
「軽い軽い! 魔族の骨だか何だか知らねぇが、肉も血もねぇカスカスなのは変わらねぇな! おいハクア、今のうちに増幅やっとけ。その間こいつらは──」
「うむ、我らが抑えよう」
アズリさんの杖が再び光を発射した。
爆裂魔術は骸骨戦士にではなくその足下、泥の地面に着弾した。轟音とともに土砂が飛び散り、骸骨戦士たちを大きく後退させる。たとえダメージが通らなくても、あれなら敵の前進を食い止められる。
「うおりゃああああ!」
魔術の範囲外だった骸骨戦士の突進はカイヴァンが迎え撃った。地面を削りながら振り上げた大剣の切っ先が弧を描いて、敵の胸骨を断ち切る。
人間だったら間違いなく心臓を破壊されてる斬撃だったけど、赤黒い骸骨はまるで怯まない。長剣で斬りかかってくる。
「頭を潰さねばこやつらは倒せぬぞ!」
「心得てらぁ!」
魔術を放ち続けるアズリさんに叫び返したときには、カイヴァンは大剣を振り抜いた勢いのまま体を素早く横にずらし、敵の斬撃の軌道から逃れていた。のみならず、回避の直後には、大剣を敵の手首に叩きつけている。
強靭な骨そのものは大剣に斬り落とされはしなかったけど、半端ない衝撃にその手は長剣を取りこぼした。無手になった骸骨戦士の顔面を大剣の横薙ぎが強打する。骨片を撒き散らして骸骨戦士が仰向けに倒れた。しかしすぐに立ち上がってくる。
「んだよ、今のでぶっ壊せねぇのかよ! 何回ぶん殴れってんだ、この石頭が!」
カイヴァンが悪態をつく間にも、骸骨戦士が数体、突進してくる。さらには爆裂魔術の足止めをすり抜ける個体も出てきた。
合計八体。いくら怪力のカイヴァンでも同時に相手取るのは無茶だ。
「やっべ! ハクア、増幅はまだか!」
「あと三秒!」
振り返ったカイヴァンの目には、俺が両手で構える天刻銃の銃身が眩い白光に覆われているのが映ったはずだ。
「今だ! 撃つぞ、カイヴァン!」
「ぶちかませ!」
カイヴァンがアズリさんのいる方へ跳び退くと同時に、俺は引き金にかけた指に力を込める。
次の瞬間、銃口が生み出した白色の光球は通常の破壊弾の何倍もの規模で、赤黒い骸骨戦士の群れを貫いていた。
骸骨どもの上半身が光の中でバラバラに砕け散っていく。八体中、後ろを走っていた二体の頭部は巻き込めなかったけど、代わりに体の半分以上を失って転倒していた。あれじゃあもう戦えない。
これで敵は九体が戦闘不能だ。
「たいしたものだ」
増幅破壊弾の光が木々を薙ぎ倒しながら霧散する中、ツィンドロの声は数の優位を失ったとは思えないほど穏やかだった。
「天刻銃といったか。魔族の骨を一撃で砕くとはな」
「へっ、せいぜいビビってな! 次はおめぇがこうなる番……」
煽るカイヴァンを黙らせたのは、突如、空中に浮かび上がった無数の赤黒い骨だった。
それはたった今倒した骸骨戦士を構成していた骨だった。それだけじゃない。転倒していた、まだ動いている骸骨までもが見えない手に解体されたかのようにバラバラになって、空中に浮かび上がる。
それらが一斉に、無数の棘のようにカイヴァンとアズリさんに殺到した。
「姐さん!」
「伏せよ、カイヴァン!」
とっさに大剣を盾のようにかざして躍り出たカイヴァンと、降り注ぐ骨を魔術で迎撃するアズリさん。結果から言えば、二人の行為はまったくの無駄に終わった──急襲した骨は二人に一切触れることなく、周りの地面に深く突き立ったからだ。
降り注ぐ骨はその上へ折り重なっていき、瞬く間に円状の壁を築き上げていく。
閉じ込められる!──俺と同じく二人もそう気付いたようだったけど、脱出に動くよりも壁の完成の方が遥かに速かった。二人の姿を覆い隠した赤黒い骨の壁は、彼らの真上で骨同士が固く縛るように結びつき、まったく隙間のない円蓋型の檻を形成していた。
「カイヴァン! アズリさん!」
破壊弾を連発するも表面で骨片が弾けるだけでびくともしない。こうなるのは骸骨戦士相手でわかっていたことだ。あれを破るには増幅破壊弾しかない!
「っ!」
走りくる骨の音が耳に触れて、俺はとっさにその場を跳び離れた。直後、俺がさっきまでいた空間を長剣が切り裂いている。最後の骸骨戦士だ。
「このっ!」
銃口を敵に向けて、集中する。
でもダメだ。再増幅には時間がかかる。そして敵も待ってくれるわけがなかった。集中を中断して、斬撃から身をかわす。
骸骨戦士がいるかぎり増幅は使えない!
「仲間のことが心配か?」
全力で逃げ回る俺の耳にツィンドロの余裕を帯びた声が聞こえた。いつの間にかその姿は骨の檻の側にあった。
「焦らなくともいい。人間にしては腕の立つ者どもだ。時間をかければ地面を掘るなりして出て来る。貴様は我が身だけを案ずるべきだ」
「……?」
まるで、閉じ込めただけで、殺す気がないかのような発言だった。
だけどその発言についてはそれ以上考えられなかった。頭上から振り下ろされる長剣──よけられない。
長剣と、掲げた天刻銃の銃身が高い音を立てて噛み合った。膝が折れそうになるのを泥の上で踏ん張る。カイヴァンはこれを何本もまとめて受け止めてたのか……。
仲間の強さを死の瀬戸際で再確認する俺の頭上で、長剣の重圧がふっと消え去った。
骸骨戦士がバラバラに崩れたからだとわかったときには、骸骨を構成していた骨は俺へと飛来していた。まるで無数の赤黒い虫のように俺の体に取りついて、骨同士が連結していく。剥がす間もなくそれらは鎖のように俺の全身に巻きついた。
「しまった……!」
腕ごと拘束されたうえに締め上げられて、俺の体の内側から嫌な音が鳴った。息苦しさを覚えながら泥の上に倒れ込む。すぐ近くに最初に倒した骸骨戦士の体があった。逃げ回ってるうちに神像の近くにまで来ていたみたいだ。
天刻銃をかざせば第二封印を解除できていた距離。だけど今天刻銃は俺の手にない──締め上げられたときの衝撃で取り落としてしまっていた。
「計算通り、骨どもは十体でちょうど良かったな」
相変わらず表情を変えないままツィンドロが含み笑った。
「それとも過剰だったかね? 元々は貴様らが四人だと想定しての準備だったからな。そういう意味では計算違いだったか……」
「何を、言ってる……」
肺まで圧迫されてるみたいで、呼吸をするのも苦しい。だけど黙っていたら殺されるのをただ待つだけになる。天刻銃を拾って反撃するためにも、少しでも時間を稼がないと……
「過剰で、いいだろ……勝つためなら、多いに越したこと……」
「……根本から勘違いしているようだから教えよう。儂はな、貴様らと決死の殺し合いなぞをしているつもりはないのだ」
ツィンドロが人差し指を立てた。細いその指を水平に伸ばす。
その指のずっと先には、地面に転がった天刻銃があった。
「これは殺し合いではない。儂の狩りだ。いかに無駄のない手勢で獲物を得るかの狩りだ。だが獲物は貴様らではないぞ。儂は貴様らの生き死になぞどうでもいい。殺して骨にしたところで、脆弱な人間の骨は使い道が乏しいからな。せいぜい集落を襲わせるくらいか。だが──あれは違う。あの不確定要素は確実に確保するか、破壊しなくてはならん」
ツィンドロの人差し指が伸びた。正確には伸びたのは、指の先の皮膚を突き破った細い骨だ。
矢のような凄まじい速度で突き進んだ骨は、吸い込まれるように天刻銃に突き立つ──
耳を覆いたくなるような高音が響いた。音が収まっていく中、衝撃で高く舞い上がった銃身は地面をバウンドしながら転がっていく──最悪なことに、俺から遠ざかるように。
「硬い……いいや、触れる前に弾かれた手応えがあったな」
伸ばしたときと同じ速度で指の骨を縮ませてツィンドロが唸った。
天刻銃にはたしかに、魔物を拒絶する性質がある。それを利用して盾代わりにすることもあったし、銃身で魔物を殴りつけたこともあった。
「〝世の脅威を認知したときに天が産み落とす抗体兵装〟──魔王様から伺ったときは眉唾物と思ったものだが、これまでを振り返るに認めざるを得ないか。しかし破壊も、触れて持ち帰ることもできないとなると……使い手を殺して満足とするか?」
人差し指の先端が、無造作に俺の方に向いた。
「あるいは使い手の貴様なら、骨になってもあの銃を持ち運びできるかもしれないな。試してみようか」
「ふざ、けるな……!」
あの速度で伸びる骨を、転がることしかできない俺が避けるのは、悔しいけどほぼ不可能だ。
だからといってそんな実験めいたことを受け入れるほど、俺は生きるのを諦めちゃいない。自由の利く膝から下に力を入れて、起き上がろうと試みる。
「お前の言う通りに持ち運べたとしても、俺は絶対に従わない……! お前の拠点に着いたらお前を撃ってやる。魔王も撃ち倒す! 死んだ後まで利用されてたまるか!」
「愉快に吠える小僧だな。本当にその通りにできるか確かめたくなってきたぞ。だが安心しろ……たとえ貴様があの銃を運べる稀な骨になったとしても、儂は貴様を重用する気はない。用が済めば処分してやろう」
「……人間の骨だから、か?」
しわがれた笑声をこぼすツィンドロに、俺は皮肉を込めて問いを投げた。
この魔物は配下を消耗品として使い潰すあまり、活かすということをしていない。だから価値判断が強靭か脆弱かという基本性能に偏りすぎている。
二日前にしても、五十体もの骸骨戦士なんて使い道はいくらでもあったはず。それを自ら壊したのは、いくら独自の考えがあったとしても俺からすれば愚かだ。
「その通り。言ったはずだ。人間の骨なぞ役に立たん」
俺に侮辱されてるのに気付くふうもなく、ツィンドロが嘲笑する。
「役に立たん物を連れたところで邪魔なだけだ。足手まといを切り捨てるのは、貴様ら人間にとっても当たり前のことだろう」
「……!」
殴られたかのような感覚が頭に走った。
俺は──
〝足手まといだ〟
〝ついて来ないでくれ。迷惑だ〟
俺は魔物と同じことをしている……
「もがくのは終わりか? 芋虫のように逃げ回りたいのなら、それも貴様の自由だが」
美貌の口からあふれ出る、嫌悪感をもよおす笑い声に、俺ははっと我に返った。身をよじり、止めてしまってた足で地面を蹴りつける。
あと少し、あと少し反動をつければ立ち上がれる……!
「まあ、逃がしはせんがな」
死の宣告に風切り音が重なった。鋭利な指骨が俺とツィンドロの間にあった長い距離を瞬く間に埋め尽くした。
次の瞬間、俺を貫いたのはツィンドロから伸びた骨じゃなく、硬い高音だった。ツィンドロの指骨は俺から逸れて、少し横の神像を突いていた。
「何者だ⁉︎」
当然、ツィンドロがわざと外したわけじゃない。横合いから飛んできた小剣がツィンドロの腕に直撃したせいで狙いが狂ったのだ。欠けた指骨を引き戻しながら怒りもあらわに声を荒らげる。
地面に落ちた小剣──剣身が折れてしまった、頼りない短さのその安物は、俺も見慣れた物だった。
「ハクア様!」
俺とツィンドロの視線が向かった先で、剣を投げた体勢のまま金色の髪の少女が──ハナが、俺の名を呼んだ。
4
「ハ、ハナ……⁉︎」
ここまで走ってきたのか、肩は激しく上下していて、前髪は額に貼り付いている。服装は診療所にいたときの患者服じゃなく、いつもの地味な色合いの一枚布衣に皮の胸当てだった。
どうしてここに──俺の頭が混乱する間にもハナは何かに気付いたように、俺の方へと駆け出していた。
その途中で走りながら前屈みになって──天刻銃を拾い上げる。
「小娘が!」
指骨を引き戻したツィンドロの声に苛立ちが混じって聞こえた。奴にしてみれば今頃になって現れたハナは〝不確定要素〟だ。しかも天刻銃を持ち出されたら無視できるはずもない。指を俺から、走るハナに向け直す。
直後、ハナに伸びた骨は一本だけじゃなかった。五指から突き出した骨が彼女を串刺しにすべくかかる。とうていハナの防具で凌げるものじゃない。
絶望そのもののような攻撃に、甲高い音が響いた。
拾った天刻銃を、ハナは顔を庇うように持ち上げていた。顔や首、胸に伸びていた骨が銃に〝拒絶〟されて弾かれる──だけど腹や脚への攻撃は防げていなかった。
「あぁっ……」
悲鳴をあげるハナの走る速度が目に見えて落ちた。切り裂かれたスカートがみるみる赤く染まっていく。
危ない足取りで今にも倒れてしまいそうなハナの、汗と涙でぐしゃぐしゃになっている顔は、それでもまっすぐ俺に向いていた。
「ハナ……ッ」
転がってる場合じゃない。ツィンドロが血のついた指骨を引き戻している。銃を持ってくるハナを待ってたら間に合わない。俺が迎えに行かなくちゃ!
〝丸腰の君に何ができるんだ?〟──今そう問われているのは俺の方だ!
「うああああ!」
背中を反らして振り上げた頭を、俺は地面に思いきり叩きつけた。覚悟していた以上に泥土が固くて視界が揺れる。
だけどそれで生じた反動を俺は無駄にしない。膝をつき、靴裏で地面を踏みしめ、一気に身を起こした。視界がくらくらしたまま、俺はハナではなく、神像に突進する。
さっきツィンドロの骨をくらったはずなのに、神像に破損はなかった。それに思い返せば、最初に倒した骸骨戦士はここにぶつかって頭蓋骨が砕けていた。神像にも魔物を拒む性質があるのか、それともただ神像が固いだけなのか……どっちでもいい! これは魔物の骨を壊せる!
全身ごとぶつかって、跳ね返される。神像に頭を打った。額から血が顔に流れるのを感じる。頭どころか体中が痛い。けど地面を蹴ってもう一度ぶつかっていく。急げ。急げ、急げ急げ急げ!
三回目の体当たりで拘束の割れる音を聞いた。自由を取り戻した両腕を広げながらハナのいる方へ取って返す。
振り返ったとき俺の目に映ったのは、幾本もの骨に切り裂かれて、血しぶきの中で前のめりに倒れるハナの姿だった。
「────」
完全に倒れる寸前、天刻銃を放り投げたハナの唇が何かを紡いだ。何を言ったかわからなかった。けど、その想いに俺は応えなきゃならなかった。
地面を蹴って、前に飛び込む。伸ばした両手に天刻銃の銃把が綺麗に収まった。
胴体から着地した衝撃を、転がることで散らして、俺はハナを背後に守れる位置で身を起こし、立て膝をついた。
そのときにはすでに俺の手の中の銃身は、眩い白光に輝き始めている。
「撃たせると思うか、小僧が!」
〝狩り〟をしていたときの余裕はまったく感じられなくなっていた。美貌を動かさないまま激昂するツィンドロの指骨が、俺の肩を抉っていく。熱い激痛に叫びそうになるのを歯を食いしばって耐えた。
顔前に構えた天刻銃に守られるから、頭や心臓への即死するような攻撃は防げる。死ななければ、奴を撃てる。
いや、たとえ死んだって撃つ!
ツィンドロの腹が裂けた。そこから急速に飛んできたのは六本の湾曲した肋骨だ。指よりも凶悪な太さと鋭さの凶器が眼前にまで迫ったとき──俺は最大まで膨れ上がった光を解き放った。
増幅破壊弾の爆発的な光は迫っていた肋骨を瞬時に溶かした。さらにはこちらへ突き進んでいた十の指骨を消し飛ばしながら直進する。
──森を白く染め上げた光弾が消えたとき、その軌道上にいたツィンドロは、変わり果てた姿で棒立ちしていた。
「コ、このチカラ……儂ト相反スル……」
黒の衣服は焼け落ち、その下の胴体は破壊弾に撃ち抜かれ、空洞になっている。まだ体が繋がっているのが不思議なくらいだ。
そして美貌は半分以上が溶けるように剥がれていて、その下から赤く光る眼窩の頭蓋骨が表出している。
おそらくはあれが、ツィンドロの本来の顔だ。
「無事か、ハクアァ!」
俺が狙ったのはツィンドロだけじゃなかった。狙い通り外壁だけを破壊した骨の檻から、カイヴァンとアズリさんが出て来る。
「よくも閉じ込めてくれたな骨野郎! とどめ刺してやるぜ!」
「……それハ困ル。狩リで殺サれてハ堪らなイ」
苦渋と憎悪を煮えたぎらせたような声の直後、ツィンドロの足下から黒い何かが噴き上がった。
熱波を生みながら揺らめくそれはまるで黒い炎のようだった。その黒炎にツィンドロの全身が呑まれていく。
「認めヨウ。たかガ人間ト侮っタ儂ノ負けと。次に会ッタときハ、決死ノ殺し合いダ──」
最後にひときわ大きく揺らめいて、黒い炎は跡形もなく消え失せた。ツィンドロの姿もどこにもない。散らばった赤黒い骨だけが戦いがあったことを証明していた。
「ハクア……様……」
「ハナ! アズリさん、来てくれアズリさん……!」
後ろからの細い声に俺は慌てて振り向いて、息を呑んだ。
ズタズタに切り裂かれたワンピースは初めからその色であるかのようにほぼ真っ赤に染まっていた。
「これは……」
駆けつけてくれたものの、仰向けで血にまみれたハナを見るなり、アズリさんは彼女の傍らにただ座り込んだ。大事そうにハナの小さな手を取る。けど、それだけだ。
「アズリさん⁉︎ 頼む、ハナの手当てを!」
「手遅れだ」
帽子のせいでうつむくアズリさんの顔が見えない。ただ何もかも捨て去るような返答だけが、帽子の下から聞こえてきた。
「斬られておるのは動脈……致命傷だ。この出血ではもう助からぬ」
「そんな……そうだカイヴァン、手伝ってくれ! 診療所までハナを運ぼう!」
動脈とかよくわからないけど、医療施設に行けばなんとかなるはずだ。
それなのにカイヴァンは、ハナを抱えようとする俺を邪魔するように肩に手を置いてきた。
「カ──」
「ハクア、今度はちゃんと話せよ」
俺の耳元にそう残してカイヴァンが離れる。
肩の重みがなくなったのに、その言葉がなぜか重くて、俺は立てなかった。
話す? 何を? 話すことなんて……
「……なんで来たんだ」
話すことはあった。言わなきゃいけなかった。
「故郷に帰れって言っただろ」
君のおかげで助かったってお礼も言いたかった。
だけどこんなの望んでない。
「なんで来たんだよぉ……」
こうなるのが嫌だったから君を置いていったのに!
「泣かないで、ハクア様」
ハナの指が、俺の頬に触れた。冷たかった。血や泥に汚れたその口辺が、何かを思い出したように笑みの形をとった。
「覚えていますか、お屋敷が燃えた日。旦那様も奥様も、ほかのみんなも無事だと言って私を連れ出してくださった。泣かないでと言ってくれた……ハクア様が一番辛いはずだったのに……」
忘れるわけがない。俺たちの人生が変わった日だ。
「あのとき私決めたんです。この命を、ハクア様のために使おう、って……だから、戦えもしないのに、無理を言ってついていって……ご迷惑をかけて」
「迷惑なんかじゃない!」
あんなの嘘だ。そう言えば従ってくれると思って口走ってしまっただけだ。
「ごめん、ハナ……本当にごめん……」
「わかってますよ……ハクア様はひどいことを言うときも、いつだって相手のためですもの……」
俺の頬に触れている手が、落ちていく。死者のものに近いそれが、俺が掴む間もなく地面に落ちる。
「わかってたのに……申し訳ありません。言いつけを破って申し訳ありません……でももう破りませんから……これっきりですから……」
「ハナ! ダメだ、ハナ!」
眠るように目蓋を閉ざすハナに俺は叫んだ。まだ話し足りない。頭が熱い。話したいことが頭の中を巡ってる。まだ終わってほしくない──
「おいハクア⁉︎ おめぇ、デコの傷が!」
こんなときなのにカイヴァンが俺を見て、信じられないものを見たように喚いた。
額の傷がなんだって言うんだ。さっき神像に体当たりして怪我しただけだ。触ると、半乾きの血が指について…………?
傷が、どこだ。ない……
「まさか──ハクア!」
額だけじゃなく、抉られたはずの肩の傷もなくなってることに俺が気付いたとき、アズリさんが血相を変えて叫んだ。
「天刻銃をハナに持たせよ! 第二封印が解けておる!」
「!」
一も二もなく俺は、地面に落ちたハナの手に天刻銃を押し付けた。指を包んで握り込ませる。
次の瞬間に起きたことは奇跡としか言いようがなかった──
春のように暖かな風がハナの上を吹き抜けた。そう思ったときには、彼女の命を垂れ流していたすべての傷口は最初から存在しなかったとばかりに塞がって、綺麗な白い肌に戻っていっている。
「──あれ、私……」
「ハナ……ハナ!」
血色の戻った艶やかな唇を開きながら、ハナが目を開けた。身を起こそうとするのを彼女の肩を引いて手伝う。
それから俺は彼女の背に腕を回し、抱きしめた。
「あ、ハ、ハクア様⁉︎」
動転したような声を無視してかき抱く。温かかった。さっきまでの冷たさはもうどこにもなかった。
「第二封印は回復の力だったってことか? いつの間に解除できてやがったんだ」
「ツィンドロめを撃つときだろう。ハクアがいたこの位置、神像に充分近い」
泣いているのか鼻声のカイヴァンに、アズリさんがいつもの調子で答えているのが聞こえてきた。
「神像は望む力の封印を解き、授けてくれると言われている。死者の骨を操るツィンドロにとって、生者を治癒する力は相反するもの──弱点だったのだろう。ゆえに授けられたというわけだな」
その推察は違うと思う。あのとき俺はツィンドロの弱点なんて望んでなかった。
「ハクア様、痛いです……それに恥ずかしい……」
抗議が聞こえないふりして、俺は抱きしめ続けた。
もう置いて行きはしない。そう強く思いながら。
「さあて分かれ道だ! 右に行けば第三封印がある山岳地帯。左に行けば、ちぃと歩くが村がある」
街道の真ん中で標識板と睨めっこしていたカイヴァンが細めた目を青空に向けた。
「まだ日が高ぇけど、どうする?」
「我は右でも構わぬ」
おにぎりを片手にぱくつきながら答えたのはアズリさんだ。ひと口が小さいから食べるのが遅い。
「ハナの作った絶品弁当もまだあるゆえ、たとえ夜になっても支障はなかろう」
「絶品だなんて。おにぎりなんだから誰が作っても同じです」
真顔のアズリさんはお世辞じゃなく、たぶん本気で言ってる。それがわかってるのかハナもほんのり嬉しそうだった。
「ハクアはどうだ?」
「村に行きたい」
旅の目的を考えれば神像を目指すのが正しい。だけど俺は迷わず答えた。
山岳用の準備が必要、という理由もあったけど──
「先日の戦いでわかった。俺たちにはまだ力が足りない。多少回り道をしてでも、強くなる手段を模索したい──その一環として、ハナの武器を調達したいなと」
「ハナちゃんの? 新しい剣か?」
「いや、できれば遠距離系がいいかなって思ってる」
ツィンドロとの戦いで見せたハナの投擲は正確なものだった。ひょっとしたらあれはハナの才能かもしれない。それを活かすことができたら──
「でも拳銃は反動がきついから諦めたことがあるんだ」
「てこたぁ、弓矢とか投石機とかか?」
「投げナイフという手もあろう。どれにせよ修練は必須であるがな」
「私、やります!」
思わず向いた俺たち三人に決意表明するように、渦中のハナは小さな両拳を胸の前でぐぐっと固めた。
「私でも使える物が見つかるまで、何でも試して、練習して──」
そこで言葉を切って、ハナが俺を見つめて、微笑んだ。
「ハクア様のお役に立ちます!」
役に立とう、なんて思わなくていいのにな。
だけど、ハナのこの笑顔が見れて良かったと思う。
俺たちは旅を再開した。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
「追放した側の話」をテーマに短編を書きました。
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