1-05【姉妹】神様に会う。
◇神様に会う。
ザザァ…ザー…ザザァ…
私は海に来ていた。ユピーちゃんも凪恋もいない。椅子にしていた根っこは透明な正方形のガラスに変わっていて、下を向くと緩やかな波がブーツのつま先を撫でるように寄せて返していた。
コレ……現実…なのかな?
試しに少し力を入れて砂にブーツを沈めると、競り上がった砂粒が波に攫われて白波に消えていく。
現実っぽい…、でもやっぱりなんか変だ。
意識もハッキリしているし見えているモノもリアルなのに、何処か希薄な感じがして私は周囲を見渡してみた。
日本の砂浜だよね、テトラポットに松の並木…。ん?…あれは?
よく見ると遠く離れた所ほど磨りガラスごしに見ているようにボンヤリとしていることに気がついた。
なんかやっぱり変だよね、アレは海の家?……と、ピンクと白の大きなパラソルが……。アレ?、なんか、なんだろう…この感じ。この景色って……何時だったかに見たことあるような…。
強烈な既視感で頭がクラクラすると同時に何故か目頭が熱く震えはじめ、続けて鼻の奥がツーンとしだした。
ここは…なに?、なんでこんなに……。
「お邪魔しますね」
湧き上がり続ける不明な感覚に混乱していた心は、不意に声をかけられて急速に平常に戻された。ハッと声のした海側に顔を戻すと、三メートル程前に自分のものと同じ透明な四角椅子に座った知らない女性がいた。
比喩ではなくリアルに金色に輝く若草色の長い…長過ぎる髪は、2本の三つ編みに束ねられて重力を無視するように浮かんでS字を左右対称に形作っていて。肉感的な身体を銀糸の刺繍の入った布面積の多い豪華な絹衣に包んだ落ち着いた雰囲気の女性がいた。
ユピーちゃんと同じ金の瞳…。この人がティータさん?、凄い美人さんだ。
ユピーちゃんのような幼さはなく、神秘的な雰囲気を纏ったその人は。私より少し深い所に座っていて、足首まで海水に浸かっている事を気にすることもなく此方を見つめて微笑んでいる。
「こんにちは八重垣祐乃さん、貴女の『思考霊域』はとても心地良いですね」
「こ、こんにちは…、ティータさんですか?」
ユピーちゃんの言ってることが正しければ神様的な人だ……。ん?…人でいいのかな?
「ええ、本当はティータラフィスというのだけれどユピーは上手く発音できないの。
だからティータ…どうか貴女もそう呼んでくださいね」
「は、はぃ…よろしくですティータさん」
「クスクス…、はい、よろしくね祐乃さん」
なんだかとても優しそうな人ではあるんだけど。だけど…なんとなぁく苦手な感じだ、それに教師陣と向かい合う面談みたいで緊張してしまう。
まだ確定してないけど神さまらしいしね…。
「色々と説明したい事があるのですが余り時間を掛けると、惑星ユピティエルの日が落ちてしまいそうなの。だからごめんなさいね……貴女の『思考霊域』に直接繋がせてもらいました。ここなら殆ど時間が進みませんからね」
「は、はい…あの、『しこうれいいき』て言うんですか?ここはなんなんですか?」
「簡単に言うとここは貴女の頭の中ね、今私達は意識を投影させた分身同士で会話している状態って言えばイメージできるかしら?」
「なんとなくは…ここ私の頭の中なんですね…」
「ええそうです、さっき謝罪したのはここが貴女の原風景、一番大切な思い出だからなの。色々と勝手に覗いてしまっていることを改めて謝罪します」
「ここ…が、ですか?」
心をザワつかせる何かがあるのはわかる、もう少しで思い出せそうなんだけど……。
「ええ、貴女が忘れてしまうくらい古い記憶。でも貴女の自我形成の核になっている大切な思い出ね、今はボヤけて見えるでしょうけど、色々と慣れてくればハッキリしてくると思いますよ」
いつか思い出せるなら今急ぐこともないかな。それよりもなんとかしてもらいたい事が多すぎるよ。
「分かりました、あの…それでこの光ってる身体をなんとかして……。それで出来れば元の世界、…地球に帰りたいんですけど……」
「ではまずその身体のことから説明しましょうか、使い方は後でマニュアルを渡しますので少しずつ習得してください」
「わ、わかりました…。この身体、マニュアルとか必要なんですね」
マニュアルって…なんか電化製品みたいでイヤだなぁ。
「貴女の身体が光っているのは貴女の身体がユピーの星、惑星ユピティエルと繋がっているからです」
「ユピーちゃんも同じようなことを言ってましたけど、私は星と…繋がってるんですか?」
「はい、それがユピーと私で貴女に付与した、世界を救い治める為の奇跡の力です」
「世界を救うって…、ユピーちゃんにも言いましたけど私には無理ですよっ!。出来ることでしたら助けになりたいですけど来週から新人研修もあって……。…出来れば……その……帰して欲しいんですけど……、……ダメなんでしょうか?」
力強く反論してみたものの、主導権はアチラにある…。私の言葉はどんどん弱まっていき最後にはお願いになっていた。
「申し訳ありません、ユピーには承諾を得るように言っていたのですが…。あの子はあの通り幼く、人見知りで…、条件の合う貴女を見つけた喜びで即能力の付与を行ってしまいました」
ティータさんは手を組んで瞳を伏せてから謝罪をしたけれど、再びこちらに向けられた瞳は強い意志を持っていた。
「貴女にも事情や夢もあるかと存じますが、どうかあの子の星を救ってあげて欲しいのです。星の管理者は直接介入することは出来ませんが、私も可能な限り協力しますので」
どうしよう、神様側に私を帰す気がまったくないねこれは…。
「どうして…私なんですか?、戦ったことなんて一度も無いんですよ…」
「貴女でなければならない大きな理由が二つあります。ひとつ目は貴女が『転輪聖王』の因子を持っているからです」
指を一本立て見せるとティータさん金の瞳を細めた。
「てんりんじょうおう?、ユピーちゃんもそんな事を言ってましたけど……」
「貴女に分かりやすく漢字で表すと回転する輪の聖なる王ですね、四徳を持ち七宝を手に入れるとされ、人類終末期に現れて世界を正しい方向へと導く定めを持っています」
「私が……ですか?、普通の一般人ですよ?、それにそんな定めを持った人がいるなんて地球滅びかけちゃいませんか?」
「クスクスッ…それは大丈夫ですよ、因子を持つ者はどの時代にもそれなりにいるんです。今の地球にも勇者や魔王なんて因子を持っている人はいるんですが、殆どはその定めに直面する前に天寿を迎えてしまいますね」
「でしたら、その……勇者さまの方が良く…ないですか?」
「良くないのです。勇者はあまり統治に向いていないのもあるんですが…、貴女でなくてはダメな二つ目の理由には代わりがいません」
ティータさんが指を二本立てて真剣な面持ちをする。
「なんなんですかそれはっ」
「ユピーが懐きました」
「…ふぇ?」
私の口から気の抜けた言葉が漏れた。
「私以外では初めて……つまり人類初の、いえ星誕以来初の偉業なので誇っても良いですね」
「ほ、本当にそんなことでですかっ?」
「はい、そんな事なんかじゃないんです。貴女に能力付与する為に飛び付いていった時は本当に驚きましたからね…。私達管理者が観測者に介入できる数少ない手段なのに、重度の人見知りでこれまで一度も付与した事がなかったんですから。そして貴女の前に姿を現して、その上に手を握った時にはもう絶対に逃してはいけない人材だと確信しましたよ」
「え、えぇ…と」
真面目な顔をして急に早口で捲し立てるものだから反応に困ってしまう。
「まぁ、とにかく一度ユピーの世界を見てあげてください。実は帰したくてもすぐには帰せないのです。星と星を繋ぐには世界樹に一月程星の力『星煌』を貯めなくてはいけないので……」
…え?
「一ヵ月っ…!?一ヵ月って言いましたか!?」
「はい、こればかりはどうしようもないのです」
青天というほどの状況でもないのだけれど、驚愕するには十分すぎる霹靂が走った。
「一月……程…ですかっ…。……そ…んな……どうしたら…、わたし…」
一か月はダメだ…、何もかも遅い…。こちらにもすぐ来れたみたいだから帰りもそうなのかと思っていた…、それが一か月…。
ガクリと力が抜けて肩が下がり、寒気さえして身体が震えるのに目頭だけはどうしようもない位熱くなり。悲しみなのか悔しさなのか自然と溢れそうになる涙を抑える為に、両掌で瞼を押さえて私は座ったまま前屈みになった。
今日まで気を張ってきたことはなんだったんたろう。来週には顔合わせ、新入社員研修に歓迎会…。入社前にとんでもない躓きだ…それに凪恋の中学入学式だって二日過ぎてる。引っ越して顔見知りのいない地域の学校で初日休ませてしまうなんて…。それに正確に一月とも思えないし…どうしたら…、本当に…本当にどうしたら良いんだろう……。
「…のさん…?、祐乃さん聞こえていますか?」
最悪の未来図との格闘がティータさんの呼びかけで中断される。
「は、はい…なんでしょうか?」
私は何とか返事をしたものの、手を離せばそのまま涙が溢れ出てしまいそうで顔を上げることができなかった。
「わかりました、ではこうしましょう」
呼びかけと同時に頭をふわりと撫でられる感触がし、誘われるように少し濡れた掌を離して顔を上げると困り顔のティータさんが目の前に立っていて、右手で頭を撫でながらスッと顔を寄せてきた。
「な…で…しょうか?」
とんでもなく整った顔が目の前に来たことに涙も引っ込むほどに驚いて間の抜けた質問してしまう、それ程美しく慈愛に満ちた表情だった。
「貴女以上の適任はいないこともあって、少し強引過ぎましたね。ユピーと友達になってくれた祐乃さんを泣かせてしまうような事は本意ではありませんから」
「ティータさん…」
「なのでこういうのはどうでしょう?、…もし祐乃さんがこの星で一月の期間を過ごして、それでも帰還を望んだ時は…ちょっと外法なのですが、貴女と妹さんの関係者全員の記憶を違和感なく弄ることにしましょう」
「そ…なことして大丈夫なんですか?」
私の落胆ぶりは地球の神様さえ見かねたらしい、かなり凄いことを提案してくれた。
「ええ、少し管理者権限的にはグレーですが…、あっ、人体に影響はありませんよ、こちら側の問題ですからね、クスッ」
人体には問題ない…、神様的なルールを踏み込んで助けてくれるってことかな?、ちょっと怖いけど、ティータさんがかなり譲歩してくれたってことだよね…。
「グレーゾーンみたいなんですかけど、ティータさんになにか問題が起きるんじゃないですか?」
「私の心配をしてくれるのですね、流石は転輪聖王です、クスクスッ」
慈愛に満ちた表情は、瞬時にイタズラっぽい表情へと変わる。
「それは大丈夫ですよ、私これでも管理者の中では優等生なんです。これまで殆ど星に介入してきませんでしたし、大きく歴史を動かすような案件でもありませんから…。でもまぁ気にしてくださるなら是非ユピーを助けてあげてくださいな」
「は、はぁ…」
「クスッ…冗談ですっ、私のことは気にしなくていいですから、気楽にユピーの星で過ごしてください」
その言葉がどこまで真実かはわからない、聞いたところでなんだかはぐらかされそうだし。これも交渉術なのだろうとは思うのだけれど、譲歩してくれたことで私と、そして妹のこともちゃんと考えてくれているのだというのが伝わってきた。それなら私も『ユピーの星を見てほしい』という求めくらいには応えないといけないよね?
「…わかりました、ユピーちゃんの星の事、私も一月の間に真剣に見てみようと思います。残って出来ることがあるのかどうかを」
「ええ、回答を急ぐ必要はありません、この星での生活は今まで頑張ってきた貴女への休息に充ててくださっても構いません」
そこで一拍置いてからティータさんは少し言いにくそうな顔で言葉を繋いだ。
「ただ一つ、出来ればでいいのですが…。受肉したユピーを外に連れ出していただけると…助かります。あの子を少しでも成長させてあげたいのですが…本当に難しい事なので出来たらで構いません、…これは私の個人的な願いなので」
じゅにく?…じゅにくってなんだろう?、それができていないから幼いままってことなのかな?
「ユピーちゃんはどうしてああいう感じなんですか?、星を管理しているってことは結構長く生きているんですよね?」
「私たちは基本肉体を持たない精神体なんですが、心の成長には人と同じ肉体を得て人と同様に人生経験を積む必要があるのです」
肉体を…得る、じゅにく…肉を受けるで受肉ってこと?。一応確認しておこう。
「あの…、よく分かってないんですけど受肉って言うのは今のユピーちゃんの状態ですよね?」
「ええそうです、あの状態になるのは本当に珍しくて…、実はユピーの受肉期間は5年に満たないのです…なので精神は5歳児程度という事になりますね」
「本当に奥手なんですね…」
「ええ、46億年物の筋金入りの臆病さなんですよ」
「そういう事でしたら、一月の間ではありますけど頑張って外に連れ出してみようと思います。出来るかはわかりませんが…」
「ええ、こちらとしてもダメ元なのであまり気にせず、異世界を楽しんでみてください、貴女には無理難題を可能にする力が有りますからね」
「はい、力に関してはまだよくわからないんですが…ユピーちゃんの事も含めて頑張ってみます」
「ん?…ああ、そうでしたね。力の事はさっぱり話をしていませんでした、クスッ」
そう言ってティータさんは人差し指に若草の光を集めると。
「では祐乃さんの能力のことが分かるマニュアル項目を直接頭の中に作成しますね」
にっこりと微笑んで私のおでこに指を近づけた。