1-02【姉妹】薄桃に光る。
◇薄桃に光る。
ガタンゴトン…ガタンゴトン
「社会人かぁ…」
小さく呟きながら対面を高速で流れて行く景色を眺める。昼過ぎには終わった卒業式の帰り、まだ日が高く電車内の乗客もまばらで変な感じだ。非日常感さえある景色を端の席から反対側まで見遣ると、今度は上を向いて時折光を反射させる吊り輪をボンヤリと眺めながら今日の予定を頭の中で確認した。
2時半に名駅改札で凪恋と待ち合わせて、3時前に金時計、そこで小牧さんと待ち合わせ…うん大丈夫だね。
今日は生徒会OGで会社経営者の小牧沙夜(こまきさや)さんに社員寮に案内してもらう約束をしていて、昨日先に送った引っ越しの荷物をある程度荷解きする予定だ。妹には布団とか最期の荷物をマンションの大家さんに宅配してもらってから、鍵を返して最低限の着替えを詰めた小型の旅行鞄を持って来てもらい。名駅の中央改札で待ち合わせすることになっている。
挨拶はどうしようかな?、小牧さんは気さくな人だから大丈夫だけど、他の社員の人はどうだろう?。親族ではないにせよコネ入社には違いないのだから、あまりいい印象は持たれていないのかもしれないし…ウーン。
「なんだかなぁ…」
ついさっき卒業したばかりだというのに、今日の引っ越しや社員寮への挨拶なんかに思考がシフトしてしまっている自分自身のドライさに少し飽きれてしまう。
目の前のことから片付けていかないとね…、前向きに考えよう。
スケジュールを携帯でも確認してから妹にSNSで電車に乗ったことを報告し、そのまま中学時代の友人や交流のあった他校の生徒会メンバー、小学校の時に引っ越していった友人といった学外の友人たちに卒業報告をしたり返信したりしている間に電車は降車駅へと着き。その後一本乗り換えて待ち合わせの改札から出ると、向かいの太い柱に妹、凪恋の姿を見つけた。
「凪恋っ」
歩み寄ると小さく手を振って、柔らかく迎えてくれる、妹は私の天使だ。この子の周りだけ少し輝いている気さえする。
「姉さんおかえり、卒業おめでとうっ」
妹は少し緑色の混じった濡れ烏色の黒髪(私と同じ髪色)のロングボブで。今日は小さな星のヘアピンをつけて耳を出し、アイボリーの膝下まであるワンピに若草色の縁取り刺繍の入った白のカーディガン、薄茶のローファーと小さくフリルの付いた白のソックスという一番のお気に入りのコーデをして、トートバックを肩にかけ、コロコロの付いた小さな旅行鞄携えていた。
「ただいま、迷わずにこれた?」
「姉さん、私も来月から中学生なんだよ?、電車位ちゃんと乗れますっ」
小柄な体を精一杯大きく見せるように胸を張って凪恋が抗議する。私としてはよく頑張ったと頭を撫でてあげたいのだけれど。
子ども扱いするとプンスカするんだよねぇ…姉としてはいつだって撫でてあげたいのに。
「ごめんごめん、鍵は?」
「うん大丈夫、大家さん頑張ってねって言ってたよ」
大家さんの東里さんは父の葬儀や役所への手続きなど様々なことで助けてもらった、少し落ち着いたらお礼にいかないとね…。
「そう、ありがとうね」
「うん、このまま待ち合わせ場所まで行くの?着替えとかは?」
「あー、小牧さんが制服見たいっていうの、だからこのまま向かうよ」
「ふーん、面白い人だね」
「そう、楽しい人だから緊張しなくてもいいからね」
「うん、でもしっかりしないと…第一印象大事でしょ?」
言いながら凪恋は前髪を手櫛で整えて衣服をあちこちチェックしている。
「ふふふ、そうだね、でもまぁ凪恋ならどこに行ってもそのままで大丈夫だけどね」
「もう、姉さんの評価は甘すぎるからホントに大丈夫なのかわかんないよ」
「ホントに大丈夫…っとそろそろ行こう、話は向こうですればいいからね」
「そだね、行こう」
凪恋の横に置かれた旅行鞄の延ばされた取っ手を自身の紙バックと合わせて持つと、二人並んで待ち合わせ場所に向かう。
「お花綺麗だね、カスミ草と、この花はなんだっけ?ガーベラ?」
「そう、正解っ、そうだ…花瓶になるようなものあったかな?」
「明日100円ショップ行こうよ、他にも多分必要になるものがあると思うし…うーん、足りないもの沢山あるはずなのにパッと思いつかないね」
親指の爪の甲を唇に当てて眉をハの字にして考え込むのは妹の癖で、私はその愛らしい仕草を見るのが密かな楽しみだったりする。
「姉さん?」
おっと危ない、気づかれないようにしないとね…可愛い可愛いと構うと恥ずかしがって拗ねてしまうから。
「私も考えてたんだけど直ぐには思いつかないね、梱包する前にメモっておけばよかった」
「ふふっ、そうだねっ、姉さん時々抜けてるんだからぁ」
時刻は午後2時40分。駅中特有の急かされているように足早な人々が行き交う中央通りをのんびりと進み、待ち合わせスポットとしてよく使われる金時計を遠くに見据えながら歩いていくと、そのオブジェの上の部分がキラキラとピンクに輝いているように見えた。
「凪恋っアレ見て、時計の上がキラキラして綺麗だね」
「えっ?何処?、姉さん」
「ほら、ピンク色の…アレはなにか反射してるのかな?それとも光ってる?」
「ホントに?何にも見えないよ?角度のせいかな?」
私は173cmで凪子は147cm、確かに見える角度は違うけれどそんなレベルの光じゃない。
「あれ?ホントに見えないの?、おかしいね」
「変な姉さんっ」
なんなら先ほどより輝きが増しているのだけれど凪恋には見えないらしい。そう言えば凪恋だけでなく周囲の人も一切気が付いている様子がない。
アレだけ綺麗ならスマホで撮影してる人が沢山いてもおかしくないのに変だよね、私だけなの?なんで?、…私…疲れてるのかな…あんなにはっきり見えてるんだけど。
煌めきは待ち合わせ場所の金時計に近づくほどに存在感が増し、右に左に揺れて…。
なんだろう?手を振って…アピールしてるの?、なんだか人型にさえ見えてきたよ。
「姉さん、あの人って」
ぼんやりと上方を眺めながら歩いている私の袖を凪恋が引っ張る。
「ん?どうしたの?」
「ほら、待ち合わせのところにいる人って違うのかな?」
促されて見た先には髪を後ろに纏めてパンツスタイルのネイビースーツを着た、私と同じくらいの長身のスラっとした女性が小さく手を振っていた。
「あっ、ホントだ、小牧さんだね、まだ待ち合わせには結構時間あったのに」
先に到着しておくべきだったのかな?、ちょっと失敗したかもしれないけど、どうしようもないことを悔やんでも仕方ない、凪恋と顔を見合わせてから待ち合わせ場所に少し急ぎ足で向かった。
「お疲れ様です小牧さん、早かったですね」
「お疲れ様八重垣さん、ふふふ、貴女とそれから妹さんに初めて会えるのを楽しみにしてたからなんだか早く来ちゃったの」
「そうだったんですね、30分も早いんで時間間違えたんじゃないかと思いましたよ」
「大丈夫間違ってないわ、あ…そうそう卒業おめでとうね。制服姿素敵だわぁ、面接の時のスーツもよく似合っていたけど」
「ありがとうございます、まぁこれで見納めなんですけどねっ。今日はよろしくお願いしますっ、この子が私の妹の凪恋です」
後ろに控えていた凪恋の背に手をやってそっと前に出す。
「凪恋、この人がこれから色々とお世話になる小牧沙夜さん」
「八重垣凪恋です、よろしくお願いします」
少し緊張した声色で凪恋が自己紹介をしている姿が可愛いいな、なんて思っていると…。
『ねぇ…』
っと遠慮がちな小さな小さな声が聞こえたような気がした。
…気のせい…かな?、とにかく今は挨拶が上手くいくように見守ろう。
「まぁかわいいっ、将来はお姉さんとは違うタイプの美人になるわね、初めまして凪恋ちゃん」
「あ、ありがとうございますっ、小牧さん」
顔を真っ赤にしながらも頑張ってお話しする凪恋が可愛い、とにかく可愛い。
『ね…ねぇ……きっ、聞こえてる?』
ん?、…んん?
今度は気のせいじゃない、はっきりと幼い女の子の声が聞こえた。聞き覚えのない声だ、私は顔をあまり動かさないように左右を見てみるけれど話しかけてきているような子供の姿はない。
なんなんだろう?…まぁいいかな?。それよりも小牧さんと凪恋のファーストコンタクトのほうが大事だからね。
「お姉さんは経営者と社員って立場だから苗字読みになっちゃってるけど。凪恋ちゃんは沙夜さんって呼んでくれていいのよ、もう一人姉が増えたと思って頼ってね」
「はい、えっと…沙夜さんっ、よろしくお願いしますっ、沙夜さんとってもカッコいいですね」
「ありがとうっ、どんどん頼って欲しいなぁ、私末娘だから貴女みたいな可愛い子をずっと構ってあげたいって思ってたのよねっ」
良かった、小牧さんは凪恋のことを気に入ってくれたみたいだ、これなら上手くやっていけそうだね。
『うえ、…うえなのっ…』
もう…また?、上に何があるっていうの?。
何度も話しかけられて仕方なくチラッと上を見ると。
あ…、そうだった…。
上方、金時計の上には例の煌めきが眩いくらいにチカチカと明滅していた。
『やっぱりそうだったぁっ、ほんとに見ちゅけッ!…見つけたぁっ!!』
頭の中に大きな声が響く。やはり聴いたことのない拙く幼い声で、しかもなんか噛んでるし。などと考えているうちにその煌めきは私に降り注ぎ…。
「えっ…?」
目の中に眩い閃光が弾けたかと思うと。続けておへその辺りに沸騰したヤカンでも押し付けたかのような熱を感じて、周囲を気にする余裕もなく前かがみにお腹を押さえようとすると。
「ツゥ…ッ!」
今度は漏電した電源コードでも踏んだみたいに雷が背筋を駆けあがって脳天を焼き。私の身体はガチガチと痙攣してしまい、手に持っていた花束さえ持っていられずに落としてしまった。
「な、…なに…こ…れ?」
「八重垣さん?どうかしましたかっ?」
「姉さんっ!?」
心配そうな二人の声が遠く小さく聞こえたけれど。自分の中で起きている事態があまりに劇的で、私は相槌さえ打てずにいた。おへそを中心に熱は全身に広がり、脳を焼かれたせいなのか頭の中には訳のわからない言葉が飛び交っている。白黒に明滅する視界には見たこともない景色が駅中の風景に重なっては消えていった。
あ…ダメかもしれない…走馬灯ってこう…いうのなの?、知らない景色ばっかりなんだけど…。これ…マズイ…ホントにっ、もしかして…、私死んじゃうの?…お父さんの最期もこんな感じだったのかな…?。
「姉さんっ…姉さんっ!」
…ッ…な…コ
「八重垣さ…ん?、大丈夫なのっ!?…貴女何か光ってるんだけど!?」
何言ってるんですか?小牧さん…ひかっ?、それよりも…それよりも…駄…目…、凪恋に心配かけちゃ駄目…大丈夫、私は大丈夫だからっ…。
硬直する身体を無理に動かして凪恋に左手を伸ばすと凪恋はパッと手を繋いでくれた。
「姉さん…祐乃姉さんっ…」
「だい…じょ……だか…ね…」
声もうまく出せない…なんとか肺を絞り出うように発声して、右手で凪恋を抱き締めた瞬間に視界は薄桃の光に包まれた。