1-01【姉妹】卒業。
◇プロローグ
菫冠兎 第1週 琥珀日 早朝
「ふぅ…ふぅ…、ッ……綺麗…」
春の初め、季節など関係なく青々とした葉を繁らせて、薄桃の花が咲き乱れる常春の世界樹へと登る石段の途中。朝焼けの光りを透して螺鈿細工の様に輝く薄いウロコ雲を見上げて少女は思わず呟いた。
結い上げた白色に近いクリーム色の金の髪は朝日に煌めき。少しくたびれてくすんでいるけれど仕立ての良い緋色の乗馬服の上に赤銅色ケープを羽織り、膝上までのスカートは薄桜色、白タイツに革のブーツを履いて、革の腰鞄を巻いた少女は。何時の時代に作られたのかも分からない古い環状石で祀られた世界樹へと至る参道を登っていく。
「くしゅん…」
世界樹の周りはその加護で冬でも雪が積もらない位に大地が暖かくなってる、とは言え標高の高い春先の山に吹く風は冷たく。少女はケープの端をつかんで寒さに耐えながら、やっと目的の中腹にある見渡しの良い石場に辿り着くと、そこに建てられた粗末なテントに向かって声をかけた。
「おはようございます、交代の時間です」
「ンん…、ぁあ…ふぁぁ…ああ、…わかった」
しばらく間を置いてからくぐもった返事が中から聞こえ、更に数刻待った後に軽装の鎧を身に着けた若い兵士がのそのそと這い出てきた。兜も着けず髪には豪快な寝癖がついている。
「おはよう、クアティウス家のお嬢さん」
「おはようございますセスタさん。昨夜もいらっしゃらなかったようですね」
「ああ…半分寝てたが一本道だ、やっこさんが通れば声をかけてくるだろう。ふあぁ…」
「そうですか…では交代します」
この任の重要性を考えれば寝てなどいられないはずなのだけれど…、という気持ちを抑えて交代を告げたが。しかしもう9節はここで待ちぼうけをしているのだから、緩んでしまうのは仕方のないことなのかもしれないと少女は考え直した。
「よろしく頼む、…とは言え来るかもわからん相手を待つんだ、嬢ちゃんも適当にな」
「はい…」
返事をする少女の表情にまた抗議の色が浮かびかけたが、直ぐに瞳は伏せられた。
「ああそうだ、また薪がかなり追加されていたよ。ケチな軍長や御貴族様が手配してくれるとは思えないんだけどなぁ…」
大きく口を開けてもうひと欠伸しながら兜をごそごそと取り出して被るでもなく小脇に抱えると、男は独り言のように呟いた。
「あの薪は兵団で手配されていたのではないのですか?」
「あれ?言ってなかったか?、なんでか知らないうちに増えてるんだが、ウチの連中はそんな事はしない。…まぁ沢山あるんだ、遠慮なく使ってくれ」
「はい、ありがとうございます」
自分が登ってきた道をポリポリと頭を掻きながら下っていく兵士を見送ると。少女は簡易テントの入り口を大きく開いて少し換気し、テントの裏側に簡素に作られた薪置き場から薪を1本テント前の石組に持ち運ぶと、燃えカスの上に置いて右手の指にはめた魔石の指輪をかざし、道中集めておいた小枝で火を起こした。
「んっ…点きましたね」
少女はいつも腰かけている少し大きめの石にハンカチを敷いてちょこんと座ると。端切れで作られた小さな人形を腰の革鞄から取り出してきゅっと胸に引き寄せてから、大きな世界樹へとトルコ石の様な緑がかった青い瞳を向けた。
(ユピティエル様、どうか…わたくし達に素晴らしき皇帝を御遣わしください…)
いつの間にか少女の頭に乗っていた薄桃の花びらは春風に乗って巻き上がり、高く高く天上へと昇ると千々に分かれて虚空に消えていった。
_______________________
◇卒業。
3月2日 午後1時45分
3月の初めにしては暖かい陽気。頂点を少し経過した陽に照らされた歴史ある赤煉瓦の校舎のあちこちに、紺の上下の少し古い形のセーラ服に身を包んだ女学生達がグループを作っていて、その中に一際大きなグループに取り囲まれてる女性がいた。
他の生徒より頭ひとつ分ほど背が高く、角度によっては緑色に輝く艶やかな黒髪を背中まで伸ばして、6対4で別けた前髪の多い方を右に流した髪型で、黒真珠を宿した琥珀色の切れ長の瞳の女性、八重垣祐乃(やえがき ゆの)は。卒業証書の入った黒い筒と寄せ書き、アルバムの入った白い紙バックを持って後輩たちに囲まれていた。
「「「先輩っ、ご卒業おめでとうございますっ!!!」」」
「ありがとう、みんな」
普段とは違う畏まった言葉に親しみの喜色を乗せて、生徒会の後輩達が声を合わせてお祝いしてくれた。その真ん中には少し小柄で蒼く艶めく黒髪長髪を、両左右からおさげにしてハーフアップにしている少女、中等部三年の赤葉音峯(もみじ ねね)が立っていて、皆で出し合って買ったであろう大きな花束で顔を隠し、肩を震わせながら声を殺してしゃくりあげていた。
きっと漫画のような大粒の涙を流しているんだろうなぁ…。
最近は余り泣かなくなったけれど、出会った頃はよく涙を拭いてあげていて。ポロポロと水晶が溢れ落ちているような涙に、宥めながらも不謹慎ながら綺麗だなとか瞳が大きいからだろうか?、などと考えてしまっていたことを思い出してしまう。
「紅葉さん、お祝いの言葉…ちゃんと言うんでしょう?」
セミロングの髪をヘアピン三本でまとめた現生徒会長で二年の椎奈雪貴(しいな ゆき)が、切れ長の瞳を細めて促がすと。音峯は肩にグッと力を込めて顔をあげ、花束を差しだしてお祝いの言葉をなんとか絞り出した。
「ゆのせんぱぃ…ごそつぎょっ…ッスン、おめでとうぅ…ございますっ!、うぅうぅぅ…ッ」
ずいと差し出された花束には沢山の桃色と白のガーベラを中心に、脇役になりがちながら私の一番好きなカスミ草が鮮やかなオレンジの紙に束ねられてラッピングされていた。
「ありがとう音峯ちゃん、大丈夫、卒業してもまた会えるから…。しばらくは忙しくて難しいかもしれないけど、ちゃんと連絡するからね」
花束を受け取って頭を撫でてあげると音峯ちゃんはいよいよ涙が抑えられなくなり、それが伝播するように他の後輩たちも泣き出してしまった。
「はぃ…待って、います…ずっと、ずっとっ…」
「先輩、ありがとうございましたぁ…ッぅぅ…」
「ッン……、赤葉さんは高等部から正式に書記として迎えることになっています。私もできる限りフォローしますので安心してください」
「よろしくね椎奈さん、貴女がいてくれて本当に良かった…あと少しだけど次の生徒会選挙まで気を抜かないでね」
「はいっ、会長……、いえ、先輩も大変だと思いますけど頑張ってください。応援しています」
「そうだね、なんとか頑張ってみる」
そして一人一人に卒業生として最後の言葉を贈ると皆に改めてお礼を言った。
「みんな本当にありがとう、何度も言ってきたけど私が無理できたのもみんなが居てくれたのが本当に大きかったよ、これからのことおねがいねっ」
「「「はいっ!!!」」」
元気な声に送り出され、学び舎を去るために校門へと向う。胸にコサージュをつけた同級生たちが記念撮影をしているのを横目に見ながら私は少し足を速めた。
ふふっ、みんな楽しそうっ。
クラスの友達には昨日のお別れ会で事情をある程度話しておいた。今日は早く行かなくてはいけない所があって全員と挨拶は済ませてしまっていたのだ。
「祐乃さんお元気でっ!」
「うん、卒業おめでとう」
私に気が付いて手を振ってくれる友達に小さく手を振りながら先を急ぐ。
もう…まだ振ってる、可愛いなぁ
校門を出て振り向くとまだ後輩たちが手を振っていたので大きく手を振って返した。その先には何度も見てきた赤煉瓦の時計塔、伝統ある古い校舎、私立凛聖女学院は幼稚舎から大学までエスカレーター式のお嬢様校だ。
この学校に高等部から外部入学して三年間学び舎で過ごしたんだよね…。
一年の春、体育祭で実行委員をしていた私は何故か当時の生徒会長に気に入られ。書記を経て二年には生徒会長になり…お嬢様だらけのこの学校で頑張って周囲と合わせているうちに、三年にはどうしてか理想のお姉さまなどと言われていた。
一般小市民の自分がホント良く演じたものだと思う…。
そして同期生達と同様に推薦で女子短大へ入学するつもりだったのだけれど…。去年の夏、私に就職コースに進まざるを得ない事態が発生してしまった…。
片親の父が心筋梗塞で急逝してしまったのだ。保険金は入ってきたけれど妹の学費まで考えるとかなり心許ない…。凛聖への入学は母の遺言ではないものの生前言っていた唯一の願いだったので、出来る限り叶えたかったのだけれど…。駆け落ち婚だったらしい両親には頼れる親族もなく、唯一の肉親である妹と一緒に暮らしていく為に世帯主として住居と収入を得たかったのだ。
私は昔から妙に冷めている所があって。父の葬儀の時も泣き伏せる妹の隣で、泣きながらも頭の片隅でずっと最適解を探していて。その翌日からは資格の勉強を初めて、その後方々に掛け合い生徒会OGの伝手を頼って、社員寮のある事務仕事に資格試験合格を前提に就職内定をもらうことができた。
さあ…そろそろ行かないとねっ。
しばらく手を振っていたけれど日が暮れるまで続けてしまいそうだったので。最後に二回子供っぽくぴょんぴょんと跳ねながら大きく手を振ると踵を返した。遠くから届く黄色い歓声を聞きながら学び舎を去り、私は少し冷たい風を切りながら駅へと向かった。