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04 凡人 逝く 杉坂涼太 ②


 杉坂涼太は良い人である。

 全てが「そこそこ」の人物として育った彼は、小中高と大学そして会社の同僚たちから良い人だと評価されるほどの、穏やかな良い人だ。

 そこそことはつまり可も無く不可も無くの凡庸を表しており、何ら特徴の無い凡人代表としての杉坂涼太を表している。

 記録にも記憶にも残らないが、その名前が会話で出た際にとりあえず良い人だと言っておけば無難にまとまる人。それこそが彼が良い人と言われる所以(ゆえん)なのだ。


 そしてこの言い回しが、他人による杉坂涼太の評価全てを物語っていた 『良い人良い人、どうでも良い人』と

 つまりは、他人に対して良くも悪くも全く影響力が無く、毒にも薬にもならない人物であるとの第三者評。杉坂を傷付けまいとする配慮に満ちながらも、ダイヤモンドカッターでザクザクと本人の心を傷付ける人物評こそが、彼が社会動物として積み重ねて来た人生についての、他者評価であるのだ。


 ──どうでも良い人 この言い得て妙な言葉の使い回しは、杉坂涼太の幼少時代から今現在において、全ての交友関係に当てはまる。

 近しい友人やクラスメイト、部活仲間そして異性など、彼を悪く言うものは一人としていないのだが、だからと言って彼の腹の内など深くを語れる者などいない。つまり良い人だと言って評価しておけば丸く収まる程度なのである。


 ヘアスタイルを整えるのに何十分もかけるイケメン男子。危険な匂いを放ちながら、全てを拳で解決しようとするワル。将来的に出世街道をひた走れるだけの知性に満ちた秀才君。スポーツに秀でた肉体派アスリート。

 これらのカテゴライズし易い特色豊かなボーイズと違い、杉坂涼太はどの属性にも属さず何らの特徴も無い。同性に対しても異性に対してもセックスアピールがまるで無い。

 だからと言って、自分を良く見せようとする努力をして来なかった訳ではなく、彼なりに様々な努力はして来た。

 異世界ファンタジーなどのライトノベルを読み耽っている事や、アニメ雑誌を定期的に講読しているなどの趣味は秘密のまま、周囲の空気に溶け込む努力はしていた。

 だが悲しいかな、流行りのバンドやテレビや動画配信者などの話題について深く語れる訳でもなく、ファッションやお笑い芸人やSNSでの話題にも切り込む事が出来ず、結果として話題に乏しい人物像が確立された。

 同じ趣味を持つ者同士……つまりオタク同士の交流を一切避け、同族嫌悪すら押し殺しながら普通の男を気取った彼は、結局のところ話題投下も問題提起も、派手な炎上ネタもコミュニティに投下出来なかったのだ。


 もちろん、男性陣に対して話題の中心人物になれないのだから、女性陣の注目など浴びれる訳が無い。

 バレンタインデーが間近に迫って来ると、普段使った事の無いワックスなどで頭髪を整えてみるものの、「気合い入ってるな」と同性からのツッコミすら無いまま当日の高揚感は絶望に切り替わり、毎年毎年手ぶらで帰宅した。

 社会に出てからは同じ事業所の女性社員から渡される義理チョコを、勘違いしたくなるほどに狂おしく感動しながら、連絡先の交換も有耶無耶にその後まるで進展しない関係に絶望していた。

 学生時代の修学旅行でもそうだ。観光地を班別に巡る自由行動の時間が来ても、「一緒に見て回ろうよ」と女子から声が掛かるのを期待したまま、気付けばいつも通りの孤独が待っていた。彼は結局仲良しグループに付き従うだけの人工衛星でしかなく、思い出を共有するどころか、常に置いてけ(ぼり)の恐怖と闘っていたのである。


 無論、いじめられている訳ではない。それが証拠に、杉坂涼太が話しかけると誰もが笑顔で言葉を返す。ただその反対に、杉坂涼太に話し掛ける者がいないのだ。


 社会人になってSNSが普及した頃、仲が良いとされる職場内のグループトークに参加してみたものの、男性女性に関わらず彼の書き込みには乾いた砂漠しか広がっていない。

 既読無視はされないものの、淡々とした返事やスタンプ一個の返事で済まされてしまい、後には寒々とした「間」しか広がらないのだ。


 自己主張が乏しいのか?人としての魅力に乏しいのか?それとも自分自身のプライドが高く、知らぬ内に選り好みをしているのか?それを他人が肌で感じて自分は避けられているのか?

 プライドはあるが高いとは思えない、高いはずがない。それが証拠に、他者が話しかけて来るのをいつまでも待っている事はしない。自分から常にコミュニケーションを求め、その人との絆を強く持とうと欲していたはずだ。


 ──さみしい、今はとにかくさみしい。自分の周りにたくさんの人がいるが、その眼は誰一人として俺を見ていない。


 何も無かった少年時代

 何も無かった思春期

 何も無かった青年期

 思い出に残るような素晴らしい出来事など何も無かったのに、何も無かった事を思い出せば胸が苦しくなるばかり。


(いやちょっと待て、この胸の苦しさは尋常じゃない。先月、総務の小林さんを飲みに誘ってガン無視された痛みより……ガン無視された後に淡々と仕事の話を切り出された時よりも苦しいぞ)


 ……医師から余命の宣告を受けたその夜。 アパートの自室で缶ビールの蓋をプシュっと開けながら辞表を書いていたのだが、その身体に異変が走る。どうやらそれは命を刈り取ろうとする彼の病とは全く別の、未知の病の進行を知らせるサインだ。


(大学のサークルで告白した子。本当に勇気を出して告白したのにほったらかしにされ、次の週にチャラ男の先輩と付き合い始めた事を別の友人から聞かされた。その時よりも胸が苦しいぞ……咳も出て来たし熱っぽい。何だこれは)


 ここで涼太の脳裏に嫌なワードがチラリと浮かぶ。今現在世界的に蔓延するガーランド・ウィルスの事だ。

 このウィルスに罹患すると、健康的な人よりも何かしらの基礎疾患を持った人の方が、より症状が悪化しやすく致死率も高くなると言われていた。


(ステイホームが始まる遥か前からステイホームしていたのに、何で俺がウィルス感染するんだ?病院で貰って来たのか?電車で貰ったのか?)


 みるみる内に呼吸は荒くなり、ハアハアがゼイゼイに変わる。それまで熱っぽく感じていた身体は、あっという間に肌と言う肌にザワついた悪寒が走り、激しい咳と倦怠感でベッドに横になるのがやっと。簡易体温計でピピッと自分を探ると、既に三十七度八部を表示しているではないか。


(とりあえず……とりあえず、課長にメッセージを送っておこう。どうせ既読無視でも、明日休むとは連絡入れた事実に違いはない)


「ああ……やだな。死にたく……ない、死にたくねえよ」


 ──こんなうすら寂しい人生のまま終わるなんて

 激しくもなく、慈愛に包まれる訳でもなく、充実している訳でも空虚でもない。杉坂涼太の「うすら」寂しい三十五年の人生は、余命三ヶ月を満たす事無く夜が明ける前に終わろうとしている。

 この国のごく一部に分類されるエリートではなく

 この国のごく一部に分類されるアウトローでもなく

 金に物を言わせる成功者でも、若者たちが熱狂する表現者でもなく

 杉坂涼太の人生は、その他大勢と言う漠然としつつも確かに存在する、この国の人間の最大多数のジャンルである「普通」に埋没したまま、記憶にも記録にも残らない風化の道を辿ろうとしていたのである。


「ゼイッ、ゼイッ……ゴホンゴホン!……ヒューヒュー……」


 呼吸すらもまともに出来ない程に咳き込み、ベッドの上でのたうちながら苦しみもがいていた彼はやがて、体内で暴れ回る苦痛のピークを転換点として、ピタリと動きを止める。

 まさしく糸がプチンと切れたマリオネットのように、その場でべしゃりと沈んで動かなくなったのだ。


 脱力感を通り越した無力感、その後に続く浮遊感と共に、涼太は手が届きそうで届かない闇に包まれ完全に意識を失った。……手足から力が抜けて、目のまばたきも止まり剥き出しの瞳が天井を見詰めている。すなわちこれが死の訪れ。

 彼の脳裏では“これが死なのか” と実感はする隙はあったのだが、未練や人生を垣間見る走馬灯などの投影はされず、目の前が急激に真っ暗になったまま、鼓膜や嗅覚や味覚などの感覚を全て失った。そして全身を脈打っていた鼓動の停止を追うように、程なく思考力も完全に停止してしまった。 ──肉体と魂の完全死である


 杉坂涼太の人生は終わった

 日本人の平均寿命の半分にも到達せずに、彼は余命宣告の上にウィルス感染死と言うダブルパンチで哀れな最後を迎えた。

 無念や未練、そして怒りや悲しみなど、あらゆる負の感情を内包させて死の瞬間を迎えたものの、だからと言ってそれらに縛られていた訳ではない。……次があるならば、次の人生が与えられるならば、次が次が!と、彼は希望や期待をちゃっかり抱いていたのである。


 何か一芸に秀でた人物になりたい

 特徴のある人物になりたい

 話題の中心人物になってみたい

 記録にも記憶にも残る人物になってみたい

 人々が笑顔で話しかけて来る人物でありたい


 その“希望”が実った結果とは言わない。魂の循環や輪廻転生は個々の望みが受け入れられるよりも強く対流し、時にそれを強く促し、時に無慈悲に全てを完全に終わらせるからだ。

 だが杉坂涼太の場合は、次の機会が認められたのである。彼の魂は輪廻転生の輪に乗り、そして特別な生命体として現世に誕生する事を認められたのだ。


 ──ただ、輪廻転生を果たす大多数の魂と彼の魂に違いがあるとすれば、杉坂涼太は杉坂涼太の記憶を持ったまま、「凡人中の凡人」「良い人良い人どうでも良い人」の過去を背負いながら、新しい世界に新たな人生を歩むのである。



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