仮定:人は想像する生き物である
眠いですから
今日は20歳の誕生日だ。
ついに私も大人の仲間入り、という訳だ。
今日を持って私は未成人者完全保護対策振興基本法から外れ、
私は自分のスキルと初めて向き合うことができる。
先人が創り上げたあまりにも膨大な職業とその習熟度を示す指標の組。
今もなお追記され続ける、膨張する人類の可能性を書き記した巨大な本。
その昔神を名乗る大魔法使いによって絶賛され、
彼の何らかの技術により圧縮、整頓、検索が出来るようになった
コードブックと言われるものだ。
あふれんばかりの可能性が私を
先人の通った道筋で照らしてくれる。
勿論照らすだけではない。余りにも世界は可能性に満ちている。
組み合わせは無限だ、と言う人は少なくないが、
仮にそうでなくても、様々に選べて、手の届く限り可能性が広がるなら
それは海中のようなものだ。有限に雄大なのだと感じる。
自由だもの。終わりはないし助けも義務も無い。善人である必要も無い。
権利と責任を身に着けて、一息に飛び込もう。
沼か海か、それとも水溜り?
アスファルトだとしたらどうだろう。
何か変わるだろうか。
もし何もできないと分かろうと、
どうせ人間可能性保存期間推進会議の共同決定に従って
スキルが芽生えるまで今まで通りの生活を送るだけだ。
夢が覚め、初めて世界に裸で投げ出される瞬間、それを考え、
私は、大きな欠伸をした。
起きるのです